1学期
第1話 喰うか喰われるか①
私が
新入生にとんでもないイケメンがいる。そんな噂が学年の隔たりを越えて校内を駆け巡った。
上級生が教室まで様子を見に来たとか。
毎週のように女子に呼び出されているとか。
纏う空気がまるで少女漫画の王子様みたいなのだと、クラスの女子が興奮を抑えきれない様子で問わず語りに聞かせてくれた。
相模真成にまつわる数々の噂の中には、ひと際有名なものもあった。
曰く、相模真成は誰の告白も受け入れない。
美人で有名な先輩の誘惑を一考もせずに断ったとか──もっとも、どれも私には関係のない話だ。
どこかで繰り広げられる恋愛沙汰も私には遠い世界の出来事のまま一年が終わった。そうして進級した今、相模はなぜか私の自称彼氏になっていた。
黒板の隅に記された『現代文ノート提出 ロッカーに集めてください』という白い文字列を、一体どれほどの生徒が気にかけてくれているのだろう。
念のために
「お気に入りは大変だね」
からかうように投げかけられた親友の言葉に、「好きで気に入られた訳じゃないんだけどね」とどこか投げやりな気持ちで返した。
慣れない環境に苦戦する先生に少しばかり手を差し伸べてあげたところ、いたく懐かれてしまった。
「今日は
「で……っ」瞬く間に顔を赤く染め上げると、ひなは蚊の鳴くような声で呟く。「付き合ってないもん」
「時間の問題だと思うけどな」
「絶対嘘。結城くんが優しいのは誰にでも同じだよ……きっと好きな人だっている」
「ひなかもよ」
「ひなじゃないよ」
どーだかなあ。私は絶対、結城くんはひなのことが好きだと思うけど。それを口にしたところで、この可愛い親友はますますいじけてしまうだけだ。代わりに「楽しんでおいで」と微笑みかければ、彼女もまた花開くような笑みで「うん」と微笑んでくれるのだった。
やがて人もまばらになった頃、結城くんがひなを迎えに来た。
よほど急いで来たのか、じんわりと汗が滲んでいる。手のひらで軽く仰ぐ仕草も様になっている。
「ごめん、遅くなって。
「ううん。ひなのことお願いね」
「うん。……行こっか、ひなちゃん」
ひなを見つめる結城くんの眼差しが柔らかい。こんなにわかりやすいのに、どうして当事者にだけ伝わらないのか。
連れ立って教室を後にする二人を見送り、私もようやく廊下へ出た。
ロッカーの上には四十人分のノートが積まれている。軽く手を添えただけでため息が零れた。まったく、こういう力仕事は私みたいな帰宅部じゃなくて運動部に頼めばいいのに。
ぶつくさ呟きながらノートの束を抱えたそのとき、廊下の奥から鋭い制止の声が飛んできた。
「待って!」
見ると、一人の男子生徒がばたばたとこちらへ駆けてくる。
駆け足のリズムに合わせて明るい髪が跳ねる──相模真成だった。
慌ててロッカーを漁った相模が、一冊のノートを手渡してくる。
「ごめんね遅れちゃって」
「いいわよ別に。上に置いてくれる?」
同じ教室で過ごすようになってひと月ほど経過するが、こうして言葉を交わすのは初めてだ。当然、こんなに間近でその端正な顔立ちを見つめるのも。
ミルクティー色の髪と、蕩けるような琥珀色の瞳、甘い顔立ち。手足は長く、立っているだけで不思議と様になる。でかいな……と見上げたところで「じゃあ、よろしく」と如才なく微笑まれた。
私は正直、相模のことが苦手だった。
話したこともない相手に失礼は重々承知で、この胡散臭い笑顔がどうにも好きになれない。
引き攣った笑みを返して、私は逃げるように身を翻した。
ノートを届けに職員室を訪れたものの、針谷先生は不在だった。進路指導室にいるのかもしれない。諦めて机に置いておくことにした。
「っあー、疲れた」
ため息交じりにノートを置いた拍子に、上の方が雪崩を起こしてノートが散らばってしまった。慌てて拾い集めて、ノートの隙間から何かが零れ落ちたのに気付いた。
「ああ、金森。持ってきてくれたんだ。ありがとう」
背後から聞こえた声に、拾い上げたそれを咄嗟に背後に隠して振り返った。
「あ、ども」
「どもって」針谷先生が笑う。「同級生なんだから、そんな余所余所しくしなくていいのに」
針谷先生は私たちの学年と同時に赴任してきたことから、しばしば『同級生』という表現を好む傾向があった。この人もこの人で距離感バグってて苦手なんだよな……。
「じゃあ、そういうことで……」
どういうことなのだろう。自分でも判然としないまま、またしても逃げるように職員室を後にした。
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