相模くんはオオカミ属性

愛衣

プロローグ

プロローグ

 頬にかかる生温かい風で目を覚ますと、男の整ったかんばせが視界いっぱいに飛び込んできた。


「みっ……ギャーッ!」


 勢いよく飛び起きたせいでベンチから転がり落ちて、地面に顔面を打った拍子に土の味が口いっぱいに広がる。最悪すぎる目覚めだ。諸悪の根源は形のいい眉尻を下げ、気遣わし気に私を見下ろしている。


「大丈夫? 金森かなもりさんてばほんとにお転婆さんだねえ」

「誰のせいだと思ってんのよ」

「親の教育?」

「あんたのせいよ!」


 ベンチに手をついて立ち上がると、体のあちこちに鈍い痛みが走る。特に尻。私の様子に気づいたのか、相模さがみはひょいと身を乗り出すと「うわ、お尻すごい汚れてるよ。払ったげよっか」

「触ったら強めにグーで殴る」

「冗談に決まってるじゃん。すぐ怖いこと言うんだから。可愛げないよねえ」

「可愛くなくて悪かったな」

「でも好きだよ」


 お前こそすぐ軽いこと言いやがって、という言葉を飲み込んでスカートについた芝を払った。

 ひだまりの誘惑に負けてベンチで寝転んでいたのが仇になった。人気のない場所を選んで撒いてきたはずなのに、しっかりいるじゃねえか、この構ってちゃんが。


 傍らに佇む相模と向き合うようにしてベンチに座りなおす。せめてもの反抗として腕と足を尊大に組んで見上げてやった。


「で、何しに来たのよ」

「これ渡しに来たの。はい」

「……なにこれ」

「言ったじゃん。下の自販機でアクエリ押すと午後ティー出るって」


 差し出されたミルクティーのペットボトルを見下ろして、そういえばそんなこと言ってたっけなあ……と記憶の糸を辿る。


 ただの教室移動で「校内デートだね」などどほざくようなふざけた男が、今日は「今下の自販機でアクエリ押すと午後ティー出るんだって。ちょっと一緒に見てこない?」などと抜かしてきたのだ。一人で行けと返したところ、「わかった!」と元気よく走り去っていった。なんだこいつ。


 いい加減常に視界に相模が映る日々にもうんざりしていたので、これ幸いと裏庭まで逃げ出してきたのがついさっきのことだ。

 ……なのになぜこの男は、当たり前のように私を真正面から見下ろしているのだろう。


「せっかく買ってきたのに教室戻ったらいないんだもん。わざわざ探したんだよ?」

「いらねえ……自分で買ったんだから自分で飲めばいいじゃない」

「いや、二人でシェアしてあわよくば間接キスしようかと」

「あんたってつくづく残念な男ね……。それセクハラだから絶対私以外にやるなよ」

「金森さんならいいの?」

「私は大抵のことは殴って許すって決めてんのよ」

「それは許してるって言わないんだよ」


 つい数週間前までは赤の他人であったというのに、軽口の応酬にも慣れたものだ。もっとも、そのせいで周囲に私が抱えるストレスを理解してもらえないのだろうが。


 私にとってはしつこく顔の周りを飛び回る小蠅の如き姿も、周囲の目には健気な忠犬のそれに映るのだ。嫉妬と羨望の混ざった不躾な眼差しを注がれるたびに、内臓がきりきりと切ない悲鳴を上げる。


 たびたび残念な言動を繰り返すこの男は、一応これでも学年一の色男として校内では耳目を集める存在だ。


 ミルクティー色の髪と、宝石を嵌め込んだような琥珀の瞳。すらりと伸びた体躯は群衆の中でもよく目立つ。甘く精巧な顔立ちと朗らかな人柄に、校内の誰もが彼の虜となっていた。


 けれど忠犬の仮面の下に獰猛な獣じみた本性が隠されていることを、私は知っている。

 同時に解せないのは、そんな学年一女子にモテるクズ野郎が、今は私の自称彼氏ってこと。


 どうしてこうなったのかしらと何度回想を重ねても、頭の中でうまく筋道が繋がらない。あの日は時間の流れがいつもより早くて、私も相模もいっぱいいっぱいになりながらなんとか駆け抜けたのだ。そのせいであんな訳のわからない結末になったのかと思うと、心底うんざりしてしまう。


 吹き抜けるような五月の蒼昊を見上げて、大きくため息をつく。そうして何度もしているように、あの日の追憶を開始した。


  

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