ボクが弱いばかりにキミの告白に応えてあげられない
赤茄子橄
本文
「
夏の足音が大きくなってきて、ムシムシとした湿度の高さに包まれつつも、快晴が窓から覗いて爽やかな朝を演出している
よく腰まで伸びたきれいなポニーテールを揺らしながら駆け寄ってきて、僕、
名前は
なんでもないことかのように下ネタを元気に放りこんでくるその姿は、その清楚な見た目や普段の様子や風に聞こえてくる彼女の噂に浮かぶソレからは、少々かけ離れたものと言わざるを得ないだろう。
最初のころは、周りのみんなも、黄泉坂さんが普段言わないような下品なことを大声で言う姿に驚愕していたようだったが、最近ではすっかりお馴染みの景色と化してしまったのか、一瞬視線を寄越したかと思うと、すぐに元の談笑に戻るクラスメイトたち。
キミたち、なんて言うか、すごいね?
と、それはともかく。
突き合うっていうのはもってのほかだけど、付き合うっていうことに関して、そう直接的に好意を向けてもらえて内心では嬉しく思っている部分も少なくない。
だけど、僕には彼女の要求に応えてあげられる甲斐性なんてないんだ。
だから。
「......ごめん、いつもそう言ってもらって、本当に嬉しいんだけどさ。僕なんかと黄泉坂さんでは、全然釣り合わないよ。だから、ごめんね」
僕はいつも同じような、心からの気持ちをキミに伝えて、お断りさせてもらっているわけだ。
彼女と出会ったのは、高校1年生のとき。
なにか特別な縁があったわけじゃない。ただのクラスメイトだった。
クラスメイトになるっていうコト自体が、もしかしたらとっても特別な奇縁なのかもしれないけど、少なくとも当時の僕にとって黄泉坂さんはただのクラスメイトの1人でしかなかった。
席も特別近いわけじゃなく、最初に仲良くなった友達同士のグループが同じだった、なんてこともなかった。
ある意味特別なことと言えば、僕たちのクラスメイトはみんな気さくで気があって良い人たちばかりだったから、クラスメイトみんなで遊びに行ったりしたし、誰かがハブられたりするようなことは1度もなかったことだろうか。
さらには、多分相当珍しいのだろうけれど、休み時間なんかも完全に固定のメンバーだけで固まって喋る、ということがほとんどなく、みんながみんなと別け隔てなくコミュニケーションをとるような、そんな素敵なクラスだった。
そんなクラスだったから、僕のような未熟な男と黄泉坂さんのような容姿端麗、才色兼備、質実剛健を体現したような、それでいて聞くところによると家の格が非常に高いらしい、黄泉坂さんとも話す機会が得られたのだろう。
一応、誤解のないようにお伝えしておくと、僕は別に自分が劣っていると感じているわけじゃない。
あらゆることで、自分にできる限りの努力は続けているつもりだし、その成果も少しは出ていると思っている。
いまのところ勉強は一応学年でも常に1桁には入れているし、運動も、特に大会に出たとかいうわけじゃないから比較対象とかはなくて周りと比べてどれくらいなのかはわからないけど、日々それなりのトレーニングをしているつもり。
父さんの仕事の手伝いという形でアルバイトをして最低限自分で使うお金は自分で稼いているつもりだし、そのお金で見た目もみすぼらしくないようにできる限り気は遣っているつもりでいる。
だけど僕は、それがどれも足りない、十分じゃないんだってことをわかってる。
世の中にはどこまでも上にすごい人達がいる。僕がやってることなんて当たり前にできる人が他に沢山いる。
僕の周りのみんなも、いつも謙遜したりしてるけど、すごく素敵な人達ばかりだ。
ときどき僕に告白してくれる酔狂な女の子たちもいる。ありえないほど嬉しいことだ。
だけど、そんな体たらくの僕には、僕なんかに告白してきてくれた素敵な部分ばかりの彼女たちには釣り合わない。
絶対に僕よりも幸せにしてくれる、僕よりも秀でた人がいるだろう。
だからいつも、彼女たちへの返事は「僕なんかじゃ釣り合わない」と素直に伝えさせてもらっている。
黄泉坂さんへの対応も同じ。彼女ほどの人に僕は釣り合わない。
彼女を幸せにしてあげる自信が、僕には持てない。
一度彼女に、「なんで僕なんかを好きだって言ってくれるの?」って聞いてみたことがある。
そのとき彼女が言ったのは、「御巫くんだけが私のことを特別扱いしないでいてくれたから」なんて、正直よくわからない理由だった。
言われてみれば確かにみんな彼女とは、1年生のときのみんなが分け隔てなく交流していたクラスでさえも、どこか一線引いた様子で彼女とコミュニケーションしているように思えた。
だからといって、特別扱いされないことが、人を好きになるほど嬉しいものになり得るのか、他人の僕にはわからない。
わからないけど、きっと、僕よりも彼女のことをもっと特別扱いしない誰かが、きっとすぐに現れると思う。
だから..................僕は彼女の告白にも、応えられないんだ。
*****
今日もすげなく断られちゃった......。
私が毎日告白しても、どれだけ誘惑してもオチてくれない。
抱いてくれるどころか、キスも、触れることさえもほとんどしてくれない。
あまつさえ、他のクラスメイトの子たちよりも特別扱いしてくれるということも、あるわけでもない。
いえ、特別扱いされないことは私にとって嬉しくて、ある意味特別なことだし、はじめに彼を好きになった大きな理由なんだけれど。
今となっては、1人の女の子として、彼の特別になりたいって思っている自分もいる。
こんな面倒くさい女だから、彼は私の告白を受け入れてくれないんだろうか。
御巫迅くん。
私が人生で初めて好きになった男の子で、人生で最後に好きになる予定の男の子。
彼の為人を端的に表すなら、眉目秀麗、文武両道、温厚篤実といったところだろうか。
本人はいつも「僕なんて」とか言ってたりするけど、誰がどう見ても勉強も運動も外見もそれ以外も、たくさんの分野で一流クラスだと思う。
それに、どんなことにも決して努力を怠らないし、みんなが嫌がるようなことを進んでやるし、誰に対しても穏やかに優しく対応するし、それでいて絶対に自分の行動や能力を鼻にかけない。
普通、これほどすごい人なら、周囲からの妬み嫉みの1つや2つ受けても全然不思議はないけれど、こと彼においてはそういうのが全くと言っていいほどない。
常にみんなに明るく優しく謙虚に別け隔てなく過ごしている姿しか見たことがない。
もしあれが演技だったりするのなら、それはそれでお見事と言うしかない。
それほど素敵な彼なのだけど、恋人はまだいないみたい。
もちろん、たくさんの女の子たちが彼にアプローチをかけてはいるみたいなんだけど、そのたびに彼は「僕なんかじゃ釣り合わない」と言って断っているみたい。
かく言う私も、そうやって断られた、いや、断られ続けている1人。
それだけ言って断られたら、「私に魅力がないから付き合いたくないのかな」なんて思ってしまうところだけど、御巫くんは誰からの告白でも必ずフォローを入れているみたい。
例えば、図書室でひっそりと過ごしていて影が薄めの地味な女の子に「君みたいな、静かにしていてもその周りに彩りを添えてくれる図書室に咲く穏やかな花のような素敵すぎる女の子に、僕なんかが釣り合うはずないよ。もっと君を満開に咲かせてくれる素敵な人が絶対にすぐ現れるから、だからごめん」とかなんとか言って断ったらしい。
褒め方のクセがすごいよね。
他にも、他のクラスでいじめられて不登校になっちゃった子がいたみたいなんだけど、それを知った彼がそのクラスに乗り込んで、全力で「その子と仲良くしてやってほしい。みんなが楽しいと思える学校になってほしい」ということを土下座しながら全員にお願いした上で彼女を家から学校に連れ出したってことがあった。
おかげでその子のクラスメイトは反省したのか、完全に和解とはいかなくても、彼女は学校に通えるようになった。その子と御巫くんにはなんの繋がりもないのに。
彼の行動原理は常に全力で自分の信念を貫き通すってことなんだと思う。
自分が良くないと思ったことには全力でなんとかしようとする。本当にすごい。
ともかく、その不登校だった子。そんなことされて好きにならないわけがない。何の見返りも求められないのが逆に怖いくらいだ。介入の度合いがもはや普通じゃないもんね。
案の定、御巫くんのことが好きになってしまった彼女は学校に通うように鳴ってしばらくしたころに彼に告白したらしい。
結果は私を含めた他の子たちと同じだったらしい。
そのときの断り文句が、「君は、自分が嫌な目にあっても周りを傷つけるんじゃなくて自分の中に抑え込んじゃうような優しい子だよね。それに、初めて君の家で会ったとき、汗をかいてたのかな?すごく濃厚ないい匂いがして危うく理性が弾け飛ぶところだった。そんな素敵すぎる君と、君が学校に来れなくなる前になんとかできなかった僕じゃ、釣り合いなんてとれるはずない。君を傷つけることのない、素敵な人がすぐに現れるよ」とか言ってたそうだ。
まぁなんていうか、やりすぎてて普通なら逆に嫌な気持ちになるような内容だけど、彼はいつも本気で伝えているし、その本気さが伝わってくるから、みんな不快にはならないんだよね。
というか罪作りなのは、そうやって、ほぼ初対面の子でも、その子特有のいいところを列挙されて褒め称えられながら「僕じゃ釣り合わない」なんて卑下されて断られるせいで、余計に好きな気持ちが募る子たちで溢れてるし、なんなら進行形で増殖しているところだよね。
でも、私以外の子たちは、1回告白したらそれきり思いを伝えることはしていないんだとか。
何度も告白しても結果は変わらないと、私が証明しているからかな。
だけど私だけは絶対に諦めない。
彼から寵愛をもらうのは私なんだから。
私が彼を好きになったのは、すでに言った通り「私を特別扱いしなかった」から。
私は、この国でも特別強い影響力を持った神社、常闇神社の宮司の娘なんだ。
いろいろと事情があるんだけど、ウチの神社の神職は代々、黄泉坂家の人間にしかなれない決まりになっている。
だから一人っ子の私は、将来、この神社の宮司になることが確定してる。
自慢じゃないけど、ちょっとした1神社、という枠に収まるような普通の組織じゃない。
宮司の一存でこの国の行く末を買えられる程度には、お金も権力も暴力も、なんでも自由にできるくらいには突出している。
社寺に関わる法律や憲法も、うちには一切影響を与えることができないことになっている。
それもこれも、ウチには本当に神さまがおわして、恩恵を与えてくださるからなのだけれど。
いろいろと制約があるんだけど、ともかく本当にご利益があるから、国の中枢に関わるような人たちや権力を持った人たちはウチを知って崇敬者となっていくらしい。
そんなふざけたトクベツな神社と家、常闇神社と私の
さらに自慢じゃないけど、私はそれなりに容姿が整っている方らしい。高校生になって身体も大人の女性のソレになってきた自負がある。
家の教えで演技やお作法なんかも一通り叩き込まれてきた。できるかぎりみんなに丁寧に振る舞うように意識もしてきた。
だからこそ高校に入るまでに私と知り合ったすべての人は、大人でも子どもでも私を異常に特別扱いしてきた。
同年代の男の子の多くは私に下卑た視線を送ってくる。
ほとんど女の子は私に嫉妬の感情を向けてくる。もちろん、それを直接形にして私に手を出してくるような命知らずな方はいなくて表面上は繕っているけど、瞳の奥にこもった感情は隠しきれずに溢れ出している。
そうじゃない子は男女とも、逆に私を腫れ物扱いして近づいてこない。
一部の人生を捨てても良いと覚悟を決めた人は、欲望を私にぶつけようとしてきたこともあった。
だけどそれは仕方ないことだとも理解してる。
魅力的な異性を自分のものにしたいと思うのは自然な欲求だし、自分にないものを持つ人に昏い感情を向けてしまうことも自然な心の働きだし、余計なトラブルに巻き込まれないために地雷原は避けるのは合理的な選択だと思う。
生きる意味を見いだせなくなったら、なんでもできちゃうものだとも思うし。
とにもかくにも、生まれてからずっと、社会的な仮面を着けたオモテウラが容易に読み取れる人たちや、私を脅かす人たちばかりと交流してきた私は、中学を卒業する頃には「この世の中に私を特別扱いしないでいてくれる人なんていないんだ」と悟ったふうに諦めるようになっていた。
そんな中で出会った私を全く特別扱いしない男の子。御巫迅くん。
彼は初めて出会ったころから私にも他の女の子にも、もちろん男の子たちにも明るく優しく
彼は高校入学を機に、ここからかなり離れた地域から越してきたらしい。
その話を聞いたとき、私は少なからず落胆した。
なんだ、ただ黄泉坂の名前を知らなかっただけか、と。
その恐ろしさを知らないから、私を特別扱いしなかっただけなんだという可能性が頭を過ぎったとき、期待があった分、落胆のダメージは小さくなかった。
だから私はその鬱憤を晴らすように、当てつけるように、皮肉るように、御巫くんを学校の屋上に呼び出して黄泉坂家と常闇神社のことを話した。
そして最後に念をおすように問いかけてみた。「私に下手な関わり方をしたらただじゃ済まないわよ」と。「どう?私のこと怖くなったでしょう?」と。「私から離れたくなったでしょう?」と。
私に変な期待をもたせた彼へのささやかな復讐のつもりだった。
これだけ脅せば、さすがの彼も泣いて逃げ出してくれて、私の心のモヤも一瞬くらいなら薄くなってくれるんじゃないか。
そんな昏い気持ちでやったことだった。
彼の反応は私が予想してたものとは違っていた。
頭の上にクエスチョンマークが見えるように、心の底から「意味がわからない」というような表情を、仕草をしていた。
そんな疑問符だらけの彼は、数秒間私の目を見ながらなにかを考えた様子を見せたかと思うと、心底疑問だと言わんばかりに首を傾げて返してきた。
「えっと、黄泉坂さんのお家が凄いってことと、キミが僕を脅してまで遠ざけたいって気持ちはなんとなくわかったよ。だけど、
衝撃を受けた。
私が縛られていたシガラミが、「そんなこと」で「その程度のこと」だと言ってのけられた。
私を特別扱いする理由にならないと言ってくれた。
私のことが好きだからとかじゃないんだろう。表も裏もない純粋な気持ちだったんだと思う。
でもその言葉に私は救われた。
その言葉を聞いた瞬間、恋に落ちてしまった。
どうやら私はとってもチョロい女の子だったみたいだ。
この日この時、私はいつか彼に純潔を捧げることを心に誓った。
それからはほとんど毎朝彼に思いを伝え続けてきてるの。
高校1年生の春には好きになって、今はもう高校3年生の夏。
これまで私が何度告白しても、釣り合わないって優しく断られちゃってるせいで、まだ私の乙女を破ってもらうことはできていない。
というか、何も受け入れてもらえてなくて、進展はゼロ。
去年は同じクラスだったんだけど、今年はついに別のクラスになっちゃって、良くも悪くも
時間が経つほどにチャンスが遠のいていく。
それに魅力的な女の子たちがどんどん彼にアタックしている現状もある。
もしかしたら私が知らないところで、女の子とくっついちゃうかもしれない。
それだけは許せない。彼の全部を私のものにしたい。
彼に私の全部をあげたい。私の全部だけを受け取ってほしい。
絶対に、絶対に、私以外のヒトに、彼の身体は奪わせない。
絶対に、絶対に、彼以外のヒトに、私の身体は許さないんだから。
悲願が成就するまで、私の貞操を狙ってくる不埒者に対しても、細心の注意を払っておかないとね。
*****
肌に触れる空気にたくさんの水分を感じて不快感が煽られる梅雨の時季も、黄泉坂さんからの告白は毎日続いた。
これまでこんなに続けて告白してくれた人はいなかった。
高校では夏休み前の定期考査も終了し、蒸し暑さもいい感じで収まって梅雨も過ぎ去り、季節は完全に夏に突入しようとしている。
開放的な気分になる季節だし、自由な時間が増えるから色々と楽しみで気持ちが高揚するのも仕方ない。もちろん僕も例外じゃない。
夏休みの間には、友達と遊ぶ約束もいくつかあるし、時間があるのをいいことにやりたいこともいくつかある。
高3の夏だから、受験の準備も、もちろんしなきゃいけないけどね。
それもこれも含めて、ワクワクしている自分がいる。
だけど、ちょっとだけモヤっとしていることもある。
今日は今学期最後の登校日。あとはホームルームを残すのみで、明日から夏休みが始まる。
そんな今日は、梅雨は去ったというのに雨が窓を強く叩いていて、なんだか不吉な未来を暗示しているようで、嫌な胸騒ぎが去来する。
もちろん、これがモヤっとしている原因というわけじゃない。
悶々としている理由は、テスト期間が始まる1週間前から、黄泉坂さんからの告白がなくなっていることだ。
いや、普通に考えれば全然おかしくないというか、これまでが異常だったっていうのはわかってるんだけどね。
この2年間くらい、学校がある日はテスト当日でもお構いなく、欠かさず告白に来てくれていたから、この2週間ちょっと何もなかった期間は、僕の心にどこか空白を作り出しているような気がした。
流石にこれだけアプローチしてもらって、「全く他のみんなと同じ」だとか「特別に感じない」なんてことはない。
正直に言えば、多分僕は彼女のことを好きになってきてる。
だけど、やっぱり僕なんかじゃ彼女には釣り合わないし、幸せにできる自信はない。
だから僕の応えが変わることはこれから先もないと思う。
そんな心持ちなのに、こんなふうに黄泉坂さんからの告白は心待ちにしている自分に、さらに鬱屈とした気分へと落とされる。
この2週間、黄泉坂さんは告白してこないどころか、僕に会いに来ることもなかった。
もしかしたら、もう愛想を尽かされてしまったのかもしれない。
もうそうなら、それはそれで仕方のないこと、必然なことだと諦めもつくってもんだ......。
終業式が終わって、教室をでていくみんなに「バイバーイ」とか「また夏休み明けに〜」とか適当に挨拶を返す。
諦めもつくもんだ、なんて言ってみたけど、雨の中みんなが傘を指しながらまばらに帰宅している中、彼ら彼女らの姿を教室から見守りながら時間を潰してみたりしている現状。
すっごい女々しいけど、彼女がきてはくれないだろうか、なんてちょっと期待してこんなことをしているんだよね。
いやー、それこそこんな女々しい男のところに来てくれる女性はいないよな、ははは......。
でも一応、30分くらいは待ってみた。
その結果現れたのは、強くなった雨足と、心臓を揺らすような大きな雷だけだった。
結局大雨の中、鬱々とした気持ちを抱えながら1人で無難に帰宅した。
高校生になってから始めさせてもらった1人暮らしの部屋は、雷雨のときの心細さを膨らませてくれちゃう。
普段はそんなに気にならないけど、なんだか黄泉坂さんと話してないってことと朝から感じる妙な胸騒ぎが、僕の心を余計に不安にさせる。
そんなネガティブな気持ちで時間を無駄にするのも嫌だったので、とりあえずベッドに横になって、雨音をBGMに、眠りに落ちることにした。
ピーンポーン。
ピーンポーン、ピーンポーピンポーン。
「んぅ?誰かな?」
インターホンの音に目を覚まし、寝ぼけ眼をこすって身体を起こす。
「ってか、今何時だ?」
雨天のおかげで帰宅したときから窓の外から入り込む光はすでになかった。今も窓からは明かりらしいものは差し込んでおらず、まして部屋の電気も消しており時間がわからない。
部屋の隅に置いてあるデジタル時計をチラッとみると、時刻は午後23時を少し過ぎた頃。
こんな時間に、少し常識に欠けるご来客だな〜、なんて思いながらも、居留守は自分の信念に反するのでとりあえず出迎える。
僕が玄関に向かう間もインターホンは鳴り続けている。
起きたてで回りきらない頭と覚束ない足取りで玄関まで向かい、ドアを開ける。
そこに広がった光景に、僕は唖然とするしかなかった。
制服姿で、何の荷物も持たず、全身ずぶ濡れで、髪もぐちゃぐちゃ。制服のボタンがいくつかほつれて乱れている。
ドアの前に居たのは、そんなわやくちゃな格好で俯く黄泉坂さんだった。
「え、えっと......よ、黄泉坂、さん?どうしたの......?」
声をかけてみても、一瞬肩をビクッと震わせただけで、他に反応はない。
突然のできごとに頭が混乱して、「なんだ?」とか「どういう状況だ?」とか思考の深まらないつまらない問いと、得も言われない不安感、彼女になにか最悪が怒ったんじゃないかという恐怖と形容するのが正確かもしれない焦燥感に脳内が占拠されてしまう。
どう対処して良いのか判断できず、しばらくの間、俯く彼女を見つめて固まってしまった。
数時間にも感じる時間。数分なのか数秒なのか、さらに刹那の瞬間だったのかはわからないが、とにかく長くゆっくりと時間が流れたように感じる。
ドクンドクンと心臓が焦燥に早鐘を打ち続けて雨の音が聞こえない。
何も言えずに立ち尽くしていると、不意に彼女が「あっ」と小さく喘ぐとともにビクっと短く身体を震わせる。
僕は彼女のその様子に、特に震えていた足元に目線を移した。移してしまった。
白く美しい健康的な彼女の太ももには、一筋の白濁液が流れていた。
心臓の音がさっきまでの何倍も大きくなり、呼吸が荒くなる。
少し間があって、助けを求めるような震える小さな声が、2年間聞き慣れた声質が、効いたこともない弱々しい声音がそんな僕の鼓膜を震わせた。
「御巫くん......私、汚されちゃった......」
スカートをたくし上げながら放たれたその言葉の意味は、そこにあるはずの布がないことと、ソコから漏れ出る白いナニカを見た瞬間に、察することができた。でも理解はできなかった。理解したくなかった。
そこから目を離すために、足元から視線を上げて見た2週間ぶりの彼女の顔は、目に涙を浮かべて、今にも消えてしまいたいとでも言いたげな悲しみに溢れた表情を浮かべていた。
それからのことは詳しく覚えてないけど、とりあえず雨に打たれすぎていて病気になりそうだったので、家に招き入れてシャワーへと案内した。
その間に彼女の服を洗濯機に入れて回して、僕のシャツとスウェットを風呂の外に置いておいた。
そこまでがすぐに終わってしまって、手持ち無沙汰になったけど、何もしていないと絶望感に包まれてしまうので、ソワソワしながら、とりあえず体を温めるためのホットココアを淹れようと、お湯を沸かしたりしておいた。
30分くらいたったころだろうか。
「キュッ」という蛇口を閉める音がするとともに、それまでずっと鳴り続けていたシャワーの音が止まった。
おそらくそろそろ上がってくるのだろう。
部屋の中にはまだ僕しか居ないのに、そこには張り詰めた糸のような緊張感がある。
時刻はもうすぐ午前0時。
こんな時間にこんなに緊張するのは、多分人生初。
風呂場から微かに聞こえる衣擦れの音。
沙汰を待つ被告人のように、彼女が出てくるであろう風呂場のドアを固唾を飲んで見守る。
ややあって、がらがらっと引き戸になっている風呂場のドアが開いて、僕の服を身に纏った黄泉坂さんが出てきた。
僕の姿を視界に収めたのであろう黄泉坂さんは、うつむいてしばらく立ち尽くしたあと、小さな声で「シャワー......ありがとうございました」とお礼を言う。
「い、いや、全然、大丈夫。気にしないで」
上手く言葉が紡げなくてもどかしい。
「そ、それより、シャワー浴びても雨に打たれて身体冷えたままじゃない?あったかいココア、飲むかなと思って入れてみたんだけど、どうかな?」
僕の言葉を受けて顔を上げたかと思うと、切なそうな、なにかを訴えるような表情で僕を見つめて、パクパクと何度か口を開閉したあと、また小さな声で「いただきます」とつぶやいたのがわかった。
それから彼女をソファーに座らせて、電気ケトルのお湯を再度温めてココアを淹れる。
「はい、どうぞ」
できるだけ、刺激しないよう、優しい声音を心がけて伝える。
彼女は頷くと、ココアの入ったマグカップを受け取り、ちびちびと飲み始める。
こういうとき、どうやって話しかけ始めたら良いのか、わからない。
どれだけ人の心理を勉強しても、正解らしい正解は見いだせない。
ことここに至っても相変わらず、いや、いつも以上に無力な自分に、言いようのない憤りがあふれる。
それからまた30分ほど、無言の時間が過ぎる。彼女が両手で包み込むように持っているマグカップの中には、底に溜まったココアの溶け残りだけが黒く淀んでいる。
いつまでもこのままじゃだめだ。
見たところ、彼女の精神状態的に彼女自身が話し始めるのは困難だろう。
そう判断して、この30分間熟考して慎重に選んだ言葉で話し始める。
「黄泉坂さん、身体は温まった?」
僕の問いかけに小さく頷いて返す。
よかった、コミュニケーションはある程度取れるみたいだ。
「それで、黄泉坂さん。もしかしたら、言いたくないかもしれないんだけど。もしも話せそうだったら、でいいんだけどさ。何が......あったの?」
すると彼女は目を見開いて「何が......?何がって......何だったっけ?」と混乱したようにつぶやいたかと思うと、急に「はっ」としたような表情になり立ち上がる。
「わ、私......!学校の帰り道......御巫くんの家の前で待ってたとき......知らない男の人に声をかけられて......?それで、それで......!い、いやぁあああああああ!!!!私のハジメテは御巫くんにあげるって..................うぅっ」
頭を抱えて叫びだしたと思ったら、最後にガクッとうなだれて、ソファーに倒れ込んで、動かなくなってしまった。
し、死んでない......よね?
今の彼女の身体には、できるだけ触れない方がいいだろうと思い、ただ見つめて待つと、数10秒程度したころにカッと目を見開いた。
そしてキョロキョロと当たりを見回したかと思うと、僕の顔を見てニッコリと微笑んで、さっきまでのことが何もなかったかのように「御巫くんだー!好き好き〜」と元気よく叫んで頬ずりをしてくる。
あまりの豹変ぶりに驚きすぎて固まってしまったけど、壊れすぎてて、逆にすぐに落ち着くことができた。それで、なんとなく状況が飲み込めた気がした。
多分、精神的な負荷が大きすぎて、一部を消去したんじゃないかな......。強いストレスに曝された時、そういうことあるって聞くし。
僕がこの後の対応について迷っていると、黄泉坂さんが、さらに悩ませることをつぶやく。
「ねぇねぇ御巫くん御巫くん。なんだか最近言えてなかった気がするわ。そのせいかな、今までも真剣だったけど、今日はこれまで伝えてきたときよりも、ずっとずっと真剣な気持ちになってる気がする」
さっきまでの、逆に狂ってしまったような緩んだ表情をやめて、引き締まったまじめな表情になり、さらに続ける。
「だから、ね?御巫くん。あなたも本気だって受け止めて?私、御巫くんのこと、だーいすきなの。ねぇ、私と付き合って?それで、今すぐ、本当に今すぐ、私の
どこまで正気なのか、客観的にみても、わからない。
一見すると、普段と変わらない、若干普段よりも真剣で安定した面持ちに思える。
だけど、もしもここで拒否でもしてしまったら、彼女の精神は本当に壊れてしまいそうに見えた。
それにさっきの言葉。彼女は「ハジメテをもらってくれないか」と言った。
確認はしてないけど、うちに来たばかりのときの様子を見れば、彼女のソレはもう......。だけど、
きっと、そうだと信じないと、おかしくなってしまうからなんじゃないか。ハジメテを上書きしてほしいってことなんじゃないか。
しかも、さっき黄泉坂さんが気を失う前に言ってたこと。
「僕の家の前で待ってた」って。
まさか僕が意味もなく教室で時間を潰したりしてたから、その間に彼女は......。だとしたら、全部僕のせいじゃないか。
ずっと、付き合っても幸せにできない、って理由で断ってきた。
なのに今日、付き合わなくても、幸せにするどころか、不幸のどん底に落してしまったじゃないか。
ならもう、断る理由はない。いや、受け入れる責任が、僕にはあるだろ。
そう決意して。
「うん、わかった。黄泉坂さん。僕とお付き合いしてくれませんか。それで、今から、君のハジメテをもらえませんか」
僕の言葉に、彼女の頬に涙が伝う。
黄泉坂さんを抱き寄せて、僕の胸の中で声を抑えて震える彼女の頭をしばらく撫で続けた。
時刻は午前2時半。
草木も眠る丑三つ時。
だけど僕ら2人の身体を支配しているのは、睡眠欲でも、まして食欲でもなく、純然たる性欲だけ。
生まれたままの姿の黄泉坂さんをシーツの上に寝かせて、覆いかぶさって布団をかぶる。
あまり見ないでほしいとお願いされたから。
その夜は、ゆっくり丁寧に交わり、彼女が望む通り、僕のでハジメテを上書きし、疲れ切った僕たちは、色んな感情の籠もった涙を流しながら、そのまま眠りに落ちた。
「はっ」
起床と意識の覚醒が同時に起こって勢いよく身体を起こす。
昨晩のことが脳裏にリフレインしてまた悲しい気持ちが去来するが、今はそれどころじゃない。
あれからどうなったのか、だ。
昨晩は
なまじ思考が速く働いてしまい、そこにあるはずの重さがないことに言いようのない焦りが生まれる。
焦って周囲を見回してみると、一糸まとわぬ姿でこちらに背を向けるように、部屋の真ん中で女の子座りをして、うなだれているように見える天羽の姿が目に入る。
どこかへ行ったりせずそこにちゃんと居てくれたこと、肩が荒く上下している様子から自分で命をたったりしていないことが確認できて一安心する。
ほっと1つ息を吐いた後、ベッドの横に脱ぎ散らかしていたパンツだけをとって履き、彼女の元に歩み寄る。
とりあえずまずは、頭を撫でてあげて、優しくしよう。
そう決意したとき、天羽のいる方から変な声が聞こえた。
「天羽、天羽!もう、だめだ!僕の、僕の子どもを産んで!」
多分、僕のっぽい声が聞こえる。
多分、昨日僕が言ってたセリフだ。
なんでそんなのが聞こえるんだ?幻聴かな。僕も相当参ってるのか?
混乱して足元が覚束なくなり、たたらをふんで天羽にぶつかってしまう。
「ご、ごめん、あま......は?」
ぶつかった瞬間、ぐりんと首を勢いよく僕の方に向けたかと思うと、にんまりと口角を釣り上げて、ネットリとした笑顔で僕を見つめる天羽。
「迅くん、おはよう!ちょっと待ってね、映像の確認だけしちゃうから!」
裸でうずくまっているように見えた彼女の手にはハンディビデオカメラらしきものが収められ、何かしらの動画が再生されているのを覗き込んでいるようだった。
何かしらの動画、というか、僕と天羽の情事の様子だった。
「え?と、撮ってたの?」
「撮ってたよ〜」
「え、いつから?っていうか、なんで!?」
昨日の天羽はとてもそんなことができる精神状態にあるようには見えなかった。
当然僕もそんなことはしてないし、撮影するなんて話も聞いた覚えはない。
「なんでって、そんなの既成事実をきっちり証拠に残すために決まってるじゃない!」
「そ、そんなことしなくても、僕はちゃんと、君と一緒になる、よ?」
うん、別にそんなのなくても、僕はきっと君のことをなんとか幸せにできるように全力を尽くすつもりだよ。
「うんうん、そうだよね、私の膜をぶち破って、子種を仕込んだ迅くんは、きっとそうしてくれると思うの」
ニコニコとした表情で話す天羽。
昨日の絶望的な表情はもうない。というか、なさすぎる。
それに、僕は膜は破ってないと思うんだけど。
「あ、もしかして膜は破ってないだろって思ってる?というか、この状況でまだ私が昨日レイプされてきたって思ってる?」
どういうこと?
「シーツ見てみて?」
天羽に促されるまま布団をめくってシーツを見てみると、下腹部あたりの位置に赤黒くなった血の跡。
「最初はちょっと痛かったけど、迅くんに、ちゃあんと私のハジメテをもらってもらえて、幸せで気持ちよかったなぁ」
「え、なんで。だって、昨日うちに来る前に......」
「ふっふっふっ〜。どぉ、名演技だったでしょ?お股に片栗粉を固めに溶かしたやつを詰めてそれっぽく迅くんに見せたり、雨に打たれたり髪の毛とか制服をぐちゃぐちゃにしたり、精神的に限界なフリしたり、『ハジメテは奪われてるのに発狂してそれを忘れて初体験の上書きを迫る限界状態の女の子』のフリをしたり、けっこぉ大変だったんだよ〜」
「えっと......ごめん、天羽。何、言ってるの?君は昨日、僕の家の前で知らない男の人に、って言ってたのは......?」
「んーと、知らないご近所さん?らしき人に、『こんにちは〜』って話しかけられたって話かなぁ♫」
なんとなく、わかった......気がする。
「ま、まじ......?でも、だったら、なんで?」
「そろそろ私、限界だったんだぁ。迅くんが他の女の子と仲良くしたりしてるの見るのとか」
「う、うん......?」
「それでね?迅くんが責任とらなきゃいけなくて、絶対浮気できない状況を作っちゃお〜って思って!だからね、迅くん。もし、私以外の女の子と浮気しちゃったら、襲われて子どもを孕まされたって言ってこの動画をおまわりさんに提出しちゃうからね」
なるほどなぁ〜。まんまとハメられたわけかぁ。
「そ、そっか。大体わかった。何ていうか、女の子にそこまでさせてごめんね。でも、大丈夫。絶対に浮気なんてしないから!」
「迅くん!嬉しい!」
目に涙を浮かべて、僕に抱きよってくる天羽。
何も着てないから、目と下半身に毒だ。
柔らかい肌の感触に昂ぶりだしていると、天羽が耳元でささやくように告げる。
「もちろん、浮気の定義は、女の子と一言でも口をきいちゃうことだからね?今度から、私以外の女の子は全員無視しなきゃダメだからね?」
「えっ!?ちょっ、それは厳しくない!?」
「は?」
ハイライトの失せた黒い瞳の奥には、昨日うちに来たばかりの天羽よりも昏い何が見えた気がした。
「もし一言でも喋ったら、迅くんは刑務所行きだよ」
「け、刑務所って。天羽は僕と過ごせなくてもいいのっ?」
「良くないよ。だけど、迅くんが浮気しちゃうようなら、ちゃんと償ってから、幸せになるのが良いと思うんだぁ。大丈夫、私、何年だって待てるからね?」
感情の抜け落ちた天羽の表情に、さっきまでの昂りがすごい勢いで引いていく。
「あ、あと、私のお願いきいてくれなかったらときも、そうなるからね?」
もうどうにでもなれ〜。
どうやら僕は、文字通り、人生の全部を天羽にあげてしまったみたいだ。
まぁ、天羽は僕なんかにはもったいなさすぎる、最高に素敵な女の子だから、いっか。
「うんうん、素直な迅くんも大好きだよっ。じゃあ早速。この婚姻届に名前を書いてね♫それから、今日から夏休みなんだから、私が妊娠するまで、毎日よろしくね♡」
ボクが弱いばかりにキミの告白に応えてあげられない 赤茄子橄 @olivie_pomodoro
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