哀愁十七分語録

四季崎

哀愁十七分語録

 僕を形容するなら、それはどのようなものなのだろうか。熱の篭らないヒーターのようなもの。白紙の紙が束なった参考書のようなもの。車輪のない自転車のようなもの。


 確定しているのは、何の役にも立たないゴミであろう事だ。例に習い僕はゴミの様なものである。社会から求められる協調性は愚か、対話能力も皆無、あまつさえ学力も足りていない。


 毎日学校の教室の真ん中で聴いてもいない授業のノートを取っていた。


 そんな怠惰で愚かな傍観者でもある僕は今日日、少しばかり空腹が目立ち始める三時間目の終わりに自らの死を選んだ。



「死に場所は此処でいい。縁もゆかりもあり過ぎる気がするけど、自殺と言われてピンと来るのはここだし、もうここでいい」


 雨で湿った学校の屋上で、項垂れるように欄干に体を預け。生暖かい息と一緒に呟いた。


 僕の人生は無駄なものだと、僕自身、胸を張って言える。


 至って普通の親に、至って普通に育てられた僕は、つまらなく育つ。物事に関心が薄く、常に周りに精神的な壁を張り付かせ1歩下がって見ていた。必死に選んで言葉を紡げば周囲の人間は苛立ち、最善だと思った選択は多数の普通とは遠く離れていた。


 今日も惰性で通った高校は平常に動いていた。変わらない。本当に何一つとして変わらない日々。睡眠、勉強、食事、排泄、行動全てが無変化だった。


 くじ引きという名の理不尽のせいで性格に反して決まってしまったクラスの真ん中の自席で昨日と全く同じ話をしている担任に気づき、その真実を見つけてしまい、ふと死にたくなった。


 担任の話が終わった時、僕は消えるような小声で「死にたい」と呟いた。その時気づく。自分が初めて心からの本音を言ったことに。初めて素の自分が見えたことに。


 そこからは早い話であった。

 4時間目の授業なんてどうせ意味の無いもので、始まる前に早退し帰宅した。僕の家は学校から徒歩5分程の場所にあり、帰るのは早かった。


 両親は共に働きに出ており家は空。図書室から借りていた本を鞄に詰め、部屋の片付けをした。しかしこまめに掃除していたので特にやることは無かった。


 両親への謝罪文や、社会への不満を書きなぐる遺書は自分の性にあわないと考え止めておいた。


 20分程で再び学校にやって来て、本を返却した。特に挨拶する友人もいなく、そのまま屋上に出て自殺を試みた。


 けど、何故だろうか。僕は現在進行形で生きている。首を差出すように頭を垂れ、心は枯れた生への軽蔑と、潤った死への憧れが確かにあった。


 少し肌寒い風がセーター越しに感じる。手先はかじかみ、体は萎縮してしまう。けれどもそれは恐れでは無い。そんなどうしようもない事実さえ虚しく感じた


「あれ? 同じクラスの×××君?」


 冷たい風に乗って心地よく響く声は、僕の後方から発せられた。声の持ち主は、同じ高校の証であるセーラー服を着ていた。仄かに懐かしく感じるのは気のせいではない。


 クラスで輝く、委員長だ。

 右手には通学鞄を持っていた。


 懐かしさとは、おそらく僕自身が彼女に、僕が早々に諦めた生というものを、はきはきと放っていると思っていたからそう感じたのだろう。


 別に死に行く叫びを聞いて欲しいなどという願望など持ち合わせていない。死に際に知り合いが現れた。そんな程度で何かが動くことさえ無い。僕の心は無関心だった。


「……委員長か」


「うん。こんな屋上でどうしたの? 空は曇っているし、お弁当を食べる訳でもないようだし……あ、もしかして死にたくなっちゃった? あは」


 虚を突かれた僕の間抜け顔に委員長は、ふふ、と口元に手を当て微笑する。


 何が可笑しいのか、ただただ委員長は面白そうに肩を震わせた。


 一分ほど笑い続けるとさすがに笑い疲れたのか、僕に話しかけてくる。


「やっぱり、正解かな?」


 ほんの一瞬どう答えるのか迷ったけどはっきりと答えた。


「そうだよ」


「へー。どうして?」


 委員長はあっけらかんとして聞いてくる。


 どうせ残り数分の命の予定。出来るならばすでに開始している四時間目が終わるまでには死にたい。昼休みの生徒達に見られながら死ぬのは抵抗があった。


 死んでからはもう何にも無くなる。少し早めた一人に対する感情、別に今更、羞恥や屈辱などどうでも良かった。


「どうしてって。別に、委員長が望むような特別な物語なんてないよ。つまらない僕を、僕が終わらすだけ。そこに意義や意味なんてない」

 

 彼女は僕の隣に来て、さらに問い詰めてきた。何故? きっと明日にはいいことがあるかもしれないよ、とか。本当に響かない質問が多かった。


「委員長には多分分からない。今、幸せでしょう? 今、友達いるでしょう? 今、夢中になれることがあるでしょう?」


「まあ、何個かはあるかな」


「それがある内は知り得ることは難しいと思う。僕が伝えても理解は出来ない、分からないんだ」


「いいじゃん。まだ四時間目が終わるまで十七分あるよ。あ、今一分減って、あと十六分」


 彼女は手首の内側に付けた時計を僕に見せてきた。


「なんで僕の予定を知っているんだよ……」

「いいから。いいから」


 僕は伝えた。何にも関心が持てないことに。人と接することが出来ない事や他人を理解することが出来ない事。今日思いついてから、屋上に至るまでを。


 何分かかったか、割と長く語った気がする。ずっと僕はつまらない自殺願望までの経緯を伝えた。


 全て伝え終わり、凍えた突風に「寒っ」と言ったと同時に彼女は確信とも取れる目で告げた。


「たぶん、私と×××君は似ているんだよ」


 違う。それは違うだろう。僕と君には目に見えなくとも明らかな格の差が存在する。


「有り得ない」


 心では呑み込めなく。声にして吐いた。


 委員長は強気な僕の声に驚いたのか、やや遠慮がちに、僕の方から足を半歩を引いた。正面に向かい合って黙り込む僕らは、二者面談にも似た空気で見つめあった。


「ううん。有り得なくないよ。×××君は否定するけど、私は親睦にも似たシンパシーみたいなのを×××君に感じてる。これは本当」


 牽制とも取れる彼女の声はやはり、美しかった。


「委員長は僕とは違う。何もかも上手くいってる勝ち組の1人だろう。僕はつまらなく、委員長は人気者。それが自覚出来ないほど阿呆ではないだろうが」


「いいや。違くないよ」


「違う……」


「同じだよ」


「違うって言っているだろ!」


 牙を立てるように、委員長に怒鳴りつけた。これは悪い兆候。僕を、抑えられなくなる。


「×××君? そんな怒鳴らくてもいいよ。私は君を否定なんてしてない。私に似た他人をつまらないと切り捨てるなんて、私はしないよ」


 胸の奥がモヤモヤして、チクチクして、咳をしてもそれは治まらなくて、むしろ増大していく。僕はきっと凶器だ。こんなものを吐き出して、暴れて、ぶつけても何にもならない。それでも。


 胸に宿る勝手な僕が、僕の意思に反して暴れる。


「委員長は良いよな! 何しても受け入れられて好かれるのだから。他人と何の気概もなく話せる、仲良くなれる。センスがあり、勉強も出来れば運動も出来る。テンションも相手が望む高さに合わせられる。人に合わせられる才能、何とも羨ましいよ! どうせ俺のことも蔑んでいるのだろう。信じられないくらい何も無い人間だって。その通り。委員長の常識は僕の非常識で、異端なんだ。僕には全て不可能。本当に僕には何にも無いんだ……何も……空っぽなんだ……僕は……僕は、君が、羨ましい」


「×××君。聞いて」


「ははは! なんだよ。お次はどんな嫌みが出てくるんだ。いいよ。遠慮しないで言ってくれ。僕はここで聞いているから」


「×××君」


「言いなよ」


「……私は、嘘をつかない。×××君はそういう捉え方をしているよね? それならそれでかまわないんだ。けどさ。君はどうだろう。嘘をつくし、汚いこといっぱいしてきたよね」


 突然何を言い出すのだろう。意味が分からなかった。確かに委員長のイメージは嘘さえつかない綺麗なイメージだった。それは委員長があまりにもいい人柄で、全てに対して常に正しいからだと僕は思った。


 僕のイメージは委員長の逆だろう。平等に優しくなんて出来ないし、嘘だって常に吐く。


 委員長は手を擦り合わせて息を吹きかける。それをみて自分まで寒さを感じ、ポケットに手を突っ込んだ。顔を上げて見た空は曇天でやけに心が落ち着いた。


「そうだね。特に否定するとこはないや」


「もう少しでお昼ご飯だね。お弁当は持ってきた?」


 委員長は僕が自殺しようとしているのに、聞く。呆れながら持っていないことを伝えた。


 すると委員長は「だよね」と再確認してきて、恥ずかしそうにずっと右手に持っていた通学鞄からピンク色の風呂敷に包まれた小さい弁当箱を差し出してきた。


 思わず受け取ってしまう。

「何、これ」


「あげるよ。私はもういらないから食べて。あ、もういらないって言っても、まだ中身は食べてないよ。箸とかも一緒に包まれているから安心して」


 四時間目の途中で通学鞄を持っているということはもう帰る途中。何故、屋上に来たのかは不明だが昼休みには帰るから必要ないということだろうか。


「……」


「間違えて持ってきちゃったの。ここで食べてもいいけど。寒いよ」


「うん……じゃなくて。十分前ぐらいは自殺するの察してたじゃん。なんで今更、弁当なんて」


 謎だ。確かに僕は死にたいこと。それも昼休み前にはやってしまいたいことを伝えたはずだ。委員長は僕が受け取ったら微笑を浮かべ、促した。


「とりあえずさ。食べれば?」


「いや、今食べるのは何というか、躊躇うんだけど」


 遠くに見える空で微かだが曇天が割れ始め白い光が漏れ始めた。


「あのね。私、×××君の事は小学生の頃からよく知ってたんだ。中学に入ってからだよね、いつも悲しい目をし出したのは」


 思い返せば小学生の頃は年相応に楽しんでいたと思う。歯車が狂ったのは確かに中学生あたりからだ。その頃から、協調性が強く求められて僕は挫折した。


 最初は頑張ったがどうも僕には難しくて、僕の自己は水を掴むように零れていった。そんな僕を知っている人なんていないと思っていた。


「中学はテニス部で頑張ろうとしてたよね。他人に自分を重ねて見ているようないい子だったし、たまには先生の悪口を言って怒られたり、冗談言って笑ったりするような子だった。けれどそのうちにたちまち喋らなくなって、テニス部も辞めて、高校も家から近いところに行って。何とかしようと思ってたけど、皆はいつだって自分より先に行ってさ。×××君は苦しんでいたよね。周りと壁があるのを知っていたけどどうしようも無くて。そのうち生きるのが辛くなってきたのを感じ始めてさ。それでも気づかないふりを続けて、けど、どうしようもなくなっちゃって。自分を騙すのにも飽き飽きしてさ、哀しかったよね」


 僕を知っている人なんて一人も居ないと思っていた。


「……なんで」


 聞こえない程小さく呟いた言葉を委員長はしっかりとすくってくれた。


「なんでって言われても……それが私の感じた事だから。私が知っている×××君が、今言った×××君だよ」


 何故か、胸がこそばゆかった。今まで、続く言葉がこんなにも気になることなんて無かった。


 どんな顔を委員長はしているか。どのような思いで語っているのか。


「×××君」


 名前だけの問いに、視線を上げた。


 真っ直ぐに僕を見つめる彼女の瞳には、無様に泣きじゃくった短髪黒髪の僕の顔が写っていた。


 彼はしょうもなく泣いていた。堪えきれないか、耐えられないのか、ただ泣いていた。


 とめどなく流れる涙を必死に拭っても何年かぶりの涙は途絶えなかった。


 思えば誰かの口から自分の事が語られるのはこれが初めて。他人がしっかりと本当の僕を知っていた。そんな事実に、どうしようもなく泣きそうになった。いや、泣いていたのだ。


「知っているんだ。君の事」


 頬に滴が垂れ、視界が霞む。霞んだ視界越しには、やはり委員長がしっかりと僕を見ていた。熱い目頭からは引きも切らずに涙が溢れる。馬鹿みたいだ。なんで泣けるんだろう。なんで、僕は笑っているんだろう。こんなの僕らしくない。自分らしくない。


 けれど、僕は笑っていた。



「あのね、拭わないでもいいんだよ、それは」


 僕は、見ている。


「生きることって、とても難しい」


 僕は、まだ涙に濡れている。


「道中何度こんなクソゲーやめてやろうかと思ったことかね」


 僕は、聴いている。


「いつだって自分が分からなかった」


 僕は、頷く。


「恥じるような人生だった、ってなんか聞いたことあるけど、その通りだったなあ……とか、ね」


 僕は、ささやかな疑問を生じた。


「私にとって×××君は先輩みたいなものなんだよ」


 僕は、疑問を……いや、けれど、そんなことどうでもいいかもしれない。委員長は笑っていた。僕は明るい彼女に魅せられた。


 言うなれば僕は、恋した。

 綺麗な感情で好きな人に恋して、好きになって。そんな手順は踏み外したけど確かに僕の鼓動は高まっていた。


 死にたいと幾度も願って、やっとこさ辿り着いた死に際に、不意に現れた委員長から救いの言葉を伝えられて、僕はどうしようもない恋をしたのだ。


「×××君は……ううん。蒼原 囚は、頑張ってたよ。私は知ってる」


 本当によく笑う人だ。

 初めて味わうこの気持ちはもう飲み込めなかった。


「委員長……いや、先川 藍さん。恥ずかしいけど、僕は……君が好きになった。なんていうか、どうでもいい明日のこととか、藍さんとなら想えるって思いました」


 少し唇を噛み、伝えた。

 チラッと見た藍さんの顔は朱色に染まっていた。


「好きです。日々を一緒に過ごさせてください」


「……衝撃の告白だよ。それは思いもしなかったなあ」


 怖くて全身が硬直する。さっきまで寒かった手先は十分に暖かくなった。


 僕はこんな、十何分かそこらで他人を好きになってしまった。


「けどね、それは違うよ」


「……え」

 自然と言葉が詰まった。単純に、人間らしく言葉が出てこなかった。


「自殺、止めたんだ?」


 どんなことを言っているか察せてくる。

 恐らく振られるのであろうと。


「いや、僕は藍さんがいるなら生きられる……と」


「さっき私は、囚くんに、あなたは嘘をついてきたって言ったでしょ? あと、私は嘘つかないとかなんとかも」


 淡々と静かに答える藍さんの顔を見ながら思い返した。


「うん」

「それが嘘。私、嘘、つくから。ふふ」

「へ?」

「ふふ。ふふふっ、あはははは! なにその顔! 凄いマヌケ顔だよ、あはは! 面白いなあ」


 理解が追いつかない。必死になにが起きているのか考えなければと、それをまた考えることしか出来なかった。僕は分からなかった。


 自然と僕の顔にも笑みが伝わる。


「あはは。はは。急にどうしたの藍さん」


「あはは……はは……残念。あなたは何でもなかった。わりとそこらにいる普通の人だね。けど、最期に笑わせてくれてありがとう。久しぶりに心から笑っちゃった。私は言いたい人だから言うけど。私は、囚くんとあまり変わらないよ」


 藍さんは屋上の入口の扉付近まで歩いて行った。


 帰ろうとする藍さんを引き留める事すら出来ない僕は本当に僕はどうしようもないなと、はんば諦めを俯いた。


 振られてもいまだ温もりが籠る手を自慰的に握っていたら、後ろから何かが走る音が聞こえた。


 僕が最後に見たのは柵に足をかけ、背中から後ろ向きで落ちて行く藍さんの姿。


「なにを……え? は? は?」


 水に浸したマットを上から叩きつけたときの音。それを何十倍にも大きくして、もっと低くしたような音を聞いた。


 最後に見た藍さんの顔は笑みを浮かべていた。


 悲しいのか、空しいのか、喪失感が胸を抉っている。


『唯一出来た生きる希望で自殺を思い止まった理由は自殺した』

『死ぬ価値の正反対は自殺した』

『好きな人は自殺した』

『僕に笑いかけてくれた彼女は自殺した』

『唯一は自殺して消えて無くなった』

『何故』『何で』。


「意味が分からない」


 何故なんだ? そんな疑問を答える人はもういない。


 僕は恋に焦がれた。


 しょうもなく半端な僕は救いようがなかった。だから、全力の恋には、この身さえも焦がすくらいが丁度いいのかもしれない。


 チャイムがなった。4時間目が終わったことを告げるチャイムだ。耳を澄ましその音を最後までじっくりと聞いた。生徒の騒音が漏れる校舎を懐かしそうに眺め、数メートル後ずさり、走り出した。


 決意の篭ったダッシュは風を切ってゆく。


「藍さんとの出会いでやっと、僕は完成した気がします」


 だから僕は苦笑いをこぼし、今は亡き想い人をなぞるように柵に足をかけて、飛んだ。


 青い空。白い校舎。崩れた灰雲。緑の木々。赤い地面。そんな前置きが似合いそうな現在という確定事項。久しぶりにみた確定した僕。確かに満足はした。エピローグもなる様になる筈で、僕は僕になり得たと言える。


 それでも何故か。僕の哀愁は消えなかった。



 end


 

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