御陵衛士編 16話 君尾
[1]
もう……ずっとずうと前のことやのに今でも時々、夢に見る
夢はいつも真っ暗なあばら家の中で目を覚ましたところから始まる。
少女は破れた屋根から落ちる月の光を見ていた。
光をたどって目を上げれば破れた屋根から輝く月が覗いている。
少女は身をよじるが手足はきつく縛られ身動きといえば転がるか、背を起こすくらい。
口には猿轡をかまされて助けを呼ぶこともできない。
ただ目隠しだけは縛り方が悪かったのか、
猫を思わせる少女の美しい目をすっかり隠すことにためらいがあったのか、
何度か顔を振っているうちに緩んでしまっていた。
そのおかげで月を見ることができる
……これからどうなるのか
殺されるのか、売り飛ばされるのか……
その前に慰み者にされてしまうのだろう
不安でたまらなくなる。
もし真っ暗だったら……泣き出していただろう
銀色の月の光
それがわずかに少女を勇気づける
少女は凛とした瞳で月を見る。
まだ十歳とは思えぬ美貌の少女、名をきみという
祇園一の美貌の芸妓『君尾』
その名を馳せるのはまだ先のお話……
[2]
うちは任侠の父親と京で美人芸妓と謳われた母親の間に生まれた
うちのお母はんはそれはもう別嬪で
お父はんが惚れに惚れて一緒になったって聞いてる
うちが生まれてからも、それはもう仲が良くて……
お父はんは博打の賭場を開いて子分もようけおったけど、義理人情に厚い人やった……
みんなの生活が困らんよういっつも気ぃ配るような人で……
近所の田んぼの刈り入れ時期には子分の若衆たちを引き連れて手伝うのは当たり前。
祭りの世話からお寺の普請の手伝いでもなんでも気安う引き受けたもんや
お母はんも元人気芸妓らしい気っぷのええ人
うちはまだ小さいころから母親譲りの器量の良さで近所でも評判やったん。
お父はんにも、ようかわいがってもろうてた
器量の良すぎる娘のことが、よほど心配だったのだろう。
子分の若衆の一人、弥太郎をお守役としてつけてくれた。
弥太郎はうちのこと『きみ嬢はん』って呼んでいた。
うちは小さいころから気の強い生意気な子やったさかいなぁ、年上の弥太郎のことを呼び捨てにしてたけど怒られたことはあらへん。
弥太郎は嫌な顔もせず十以上も年の離れたうちの遊び相手をしてくれた。
うちも弥太郎によく懐いた。
いつもどこに行くにもくっついてたん
遊びに出て疲れるといつも背中に負ぶって帰ってくれる。
年はずっと離れてたけど……
うちは幼いながらもちょっと恋心のような憧れの気持を抱くようになっていたん
今、思えば一番幸せな頃やったかもしれん
そんなうちの幸せは、突然残酷な終わりを迎えた……
[3]
うちの美貌は幼いとはいえ男を狂わすほどのものやった…
皆に羨ましがられるほど美しく生まれついたことが不幸の始まりやなんて皮肉なもんどすやろ?
当時、賭場に出入りしていたやくざ崩れの男
名は
その出羽安が少女を見初めた。
うちのことをいっつもいやらしい目で見ていただけやないわ。
その日、うちは手習いの用意をして一人で家を出た。
いつも送り迎えをしてくれる弥太郎がどうしてもお寺の手伝いに行かなあかんようになってしもうて。
ついて来ようとする両親にかっこいいとこ見せたかったんやろうなぁ……
「一人で大丈夫や!」
そう宣言して家を出てすぐのとこで
賭場を出禁にされた恨みと、少女やったうちへの邪な気持ちを募らせたクズに刃物で襲われた。
庇おうとした父親が刺され、うちはそのまま誘拐されてしまった
そして手足の自由を奪われてあばら家に押し込められた
月を見て泣きたくなる気持ちをこらえた
お父はん、だいじょうぶやろか……
あないに血がようけ出て……
お母はんはクズに何もされんかったやろか?もしかして刺されてへんやろか……
もう涙を我慢するのが限界になったその時、外が騒がしくなった
男の怒号がする
しばらくして静かになった
あばら家の戸がそっと開く
クズが戻ってきたんや……うちは緊張で身を固くした
「きみ嬢はん!よう無事で 」
弥太郎!……
月に照らされた弥太郎の上半身は血だらけで、どっか怪我でもしたんやないかと思うたけど……
そうやなかった
クズを殺したんや……弥太郎は何も言わんかったけど。
うちは察した。
手足の戒めと猿轡を外されたうちは弥太郎に抱きついてわんわん泣いた。
「弥太郎が助けに来たからもう大丈夫や 」
今夜の月の光のように優しく……そして静かな強さ
そんな眼差しで弥太郎は泣いているうちの背中を優しくトントンしてくれた。
[4]
けがをしたものの無事やったお母はんと一緒にうちは、お母はんの古巣の祇園へ移り住むことになった。
お父はんはクズに何度も刺されて医者に運んだ時にはもう亡くなってた……
賭場も解散することになって……弥太郎がみんな手配してくれた。
「弥太郎もいっしょに行こう 」うちは弥太郎の着物をつかむ
弥太郎は後片づけが終わったら、生まれ故郷の美濃に帰るという。
困った顔の弥太郎に
「うち、うち……大きなったら弥太郎のお嫁さんにしてほしいん!うちが大きなるまで待っててほしいん!」
真剣な顔で泣きながら繰り返すと弥太郎は戸惑いながらも
「きみ嬢はん……きみ嬢はんにはもっとお似合いの男前で優しいええ人がいつかきっと現れる。
せやからお嫁にすることはできんけど、
そのかわりきみ嬢はんが助けが必要な時はこの弥太郎がいつでも、きっと駆け付けるさかい 」
うちの好きな月のように優しく、それでいて静かな強い目で諭すように頷く
母に手を引かれながらも何度も振り返るうちのこと、手をふりながらずっと見送ってくれた。
あの日を最後に弥太郎には会ってはいない
故郷の美濃で賭場を開き、かなりの人数を抱える任侠の大親分になったと風の噂で聞いたけど……
鏡を見ながら紅を指す
こんな時になんで弥太郎のこと思い出したんやろ
これから平助様と逢うのだ……
新田から平助がすでに京に戻っていると聞いて
今日の昼、調練をしているという壬生寺に押しかけた
……
平助の困惑した顔……
君尾は長いまつ毛を伏せる
平助が寄越した迎えの者が待っている、早く支度をしなければ……
化粧台にいくつか並べた簪から一つ取り、髪に差しかけて手を止める
……簪……
平助様……
約束した簪を買ってくれたのだろうか
買ってきた簪を優しく髪に差してくれ、少し照れたように『よく似合っている』と言ってはくれないのだろうか……
鏡台に出した簪をすべて片づける。
代わりに柘植の櫛だけを髪に飾った。
鏡に映る姿はどんなに化粧をしても寂しげで不安そうに見える
池田屋の騒動の時
大けがをしたと新田から聞いて心配で胸が潰れそうになった
それやのに……重傷を負いながらも別の女を抱きしめた平助
そして別れを告げられた
勝手や、ほんまに平助様は勝手や
それでも……お稽古で出かけた時に新選組の巡察と出会えば平助を探している自分がいた
新選組の詮議を受けた時……
平助様がうちを庇ってくれた
勝手や……
南座での出逢い……
頼みもしないのに勝手に天から降ってきた
そうか……なぜ弥太郎のことを思い出したのかわかった
あの日、あばら家に助けに来たときの弥太郎の目と二階から舞い降りた平助の目が同じだったのだ
もう大丈夫……と安心させるように頷く目
優しく、静かな強さを秘めた……あの夜の月のような平助の眼差し
そうか、そうやったんや……
平助様……
君尾は平助を想い、泣き出したい気持ちを抑えるようにゆっくり立ち上がった
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