御陵衛士編 15話 茶屋、高瀬 Ⅰ 微熱
[1]
三条大橋を渡り高瀬川に沿って左に歩いていく。
たまに行き交う人々がいても秘めやかな雰囲気でぽつぽつと提灯の灯るいずれかの店に足早に消えていく。
まるで誰かと会うのを避けるかのように。
自分もそのように見えているのだろか……
この辺りまで来ると人の通りも少なくなり、聞こえるものと言えば高瀬川のせせらぎと自分の歩く足音だけ
平助は足を止め、せせらぎに耳を傾ける。
高瀬川がさらさらと静かな音を立てながら、水面に映る月を割るように流れていく。
しばらくそうしていたが諦めたようにまた歩き出す。
耳に心地よいはずのせせらぎでさえ、心を軽くすることは無い……
なにも感じない……
……疲れてるんだろう
夕方から頭痛がひどく、身体が重い
その身体より、さらに重い気持ちを引きずるように歩く
ここか……
ようやく目的の店にたどり着いた。
軒先に吊るされた提灯を見上げる。
『高瀬』という屋号の入った提灯が暗がりに慣れた目にまぶしい
屋号が入った提灯がなければ通り過ぎていたかもしれない。
この辺りを巡察した際も手入れに入ったことは無く、特段気にしたこともなかった。
ひっそりした佇まいの茶屋、高瀬
そこは男女の密会に手ごろな、いわゆる待合茶屋という場所であった。
今日の昼……
調練中の壬生寺に君尾が突然現れた。
隊士達はあからさまにならないようにしつつ、それでも成り行きに興味深々という気持ちを隠し切れないでいるらしい。
ちらちらとこちらのほうを気にしているのが分かる。
俺は……
自分への苛立ちも含め、隊士達へ厳しい視線を送る。
皆は目を逸らし慌てて銃の調整に余念が無い風を装いだした。
俺は君尾にも厳しい表情を崩さぬまま声をかけた。
「今は、調練中です。 ……お帰りください 」
君尾は猫を思わせる目で俺をじっと見ていたが、
「……ええ桜どすなぁ。 それやのにこんな物騒なもん持ってうろうろしはって無粋やおへんの? 」
そう言うと俺が手にしていた銃に触れた。
「勝手に触るな、危ない。
調練を始めたいから早く外へ 」
帰ろうとしない君尾に少し強めの口調で告げ、門を顎で指す。
君尾がムスッとした顔を見せる。
ただそれは俺に対してだけで、すぐに目を和らげると周りの隊士達に艶やかな笑顔を向けた。
一度は関心のないふりをしていた隊士達が再びそわそわしだす。
先ほどまでおどおどしていたはずの周平まで鼻の下を長くしていた。
ここで話を続けるのはよくない……
「皆が見ている……あちらで話そう 」
君尾を促す様に腕を取ろうとした。
わずかに眉をしかめた君尾に手を払われた。
あまりにもつっけんどんな俺の態度に気分を害したのか
……そう思ったが
君尾はもう片方の手を庇うように添えている。
俺の視線に気づいたのか、すぐになんでもなかったように手を下ろした。
……!
もう一度避けようとする君尾の腕を取った。
「……何するんどす! みんな見てはるやない。 離して!」
そう言って抗う君尾の袖を捲る。
手首には白い晒が巻かれいる。
すでに黄色ぽく変色を始めた痣が少しのぞいているのが痛々しい
「なんでもあらへんわ…… 先月、転んでしもうたん…… 」
「近藤先生か…… 」
「…… 」
肯定も否定もせず、勝ち気な目を伏せた君尾
俺は拳を強く握り締めた
「……あとで迎えの者をやる。 夜に会おう 」
そして……今
俺は約束の場所、待合茶屋高瀬の暖簾をくぐった…
茶屋高瀬に来るのは今日が初めてだった。
以前、『使い勝手が良い』と永倉や原田が話していたのを覚えていたからここを選んだに過ぎない
入り口で案内を乞うと、塗りすぎでは?と感じるほど唇に紅を施した女将が出てくる。
平助が名を告げると女将は手にした煙管をぶらぶらさせながら
「ああ……新選組の? 」言いながら平助を上から下まで値踏みするように見る。
「さすが、『新選組の今牛若』言われるだけのことはおますなぁ 」赤い唇がニッと笑い「そこの階段上がってもろて、紅葉の絵が描いてあるとこどすさかい……」と奥を目で指す。
「……連れがいるのだが 」
「連れもおらんとこんなとこ来る人なんかあらしまへんえ 」
女将はやたら連れを強調すると、煙管を吸い平助に向かって軽く煙を吐きかけた。
煙管に着いた真っ赤な紅が毒々しく平助は目を背けた。
礼を述べて階段を上りかけると「ごゆっくり。 祇園の華も夢中になるはずどすな 」
赤い唇に科を浮かべるように笑った
[2]
紅葉の絵が描かれた部屋はすぐにわかった。
襖の下の角が少し破れている
一瞬、伸ばした手がためらうように止まる
軽く息を吐いて、思い切って襖を開けた。
……
部屋には誰もいない
女将の口ぶりから、なんとなく君尾が待っているものだと思っていた。
ほっとしたような、それでいて拍子抜けしたような複雑な気持ちで部屋に入ろうとした。
!……
後ろに気配を感じ、振り返ろうとした背中を強く押される。
勢いで一歩たたらを踏みながら、くるっと身体を回転させた。
君尾がおもしろそうに笑っている。
「平助様! そないにふらふらしてるやなんて鍛え方が足りてへんのちゃいます? 」
廊下に置いたお膳をとりあげ「そんな入り口に突っ立てたら邪魔やねんけど 」と俺を押しのけるように部屋に入り、早く座れと目で促す。
「このお膳、自分で取りに来いって。 一力に来てくれたらもっと綺麗なお座敷で、もっとええお酒飲めたのに……平助様、こんな趣味の悪いお茶屋が好きどしたん? 」
「そんなことより……怪我の具合はどうなんだ? 」
君尾は黙って盃を差し出す。
俺も黙って受け取ると、酒を注いでくれた。
「……もうひと月も前のことやさかい、もうずいぶん良うなったんどす。
お医師様が晒を巻いてるほうが早く治る言わはるから、してるだけ…… 」
そう言って手を顔の前でひらひらさせ笑っている。
……
近藤先生が……
君尾に……
俺が江戸に行ってる間……
……隊の経費
無理やり自分の女にしようと……
座敷を休むほどの怪我
山南さんが脱走したその日……
花香太夫と加納さんの声が頭の中をぐるぐると回り続ける……
俺は君尾の手をそっと押さえた
「まだ痛むのだろう…… 」
普通の木刀の何倍もの太さの木刀で軽々と素振りしていた近藤先生だ
君尾のこの細い手首などその気になれば折ることもできただろう……
ひと月経ってもまだ残る痣……
どれほど怖く痛い思いを……
「近藤先生がひどいことをした。すまなかった。 怖い思いをさせてしまった…… 」
お座敷で最高の芸を魅せる……それが君尾の矜持
そんな君尾が座敷に穴をあけるなど普段ならありえない
仮に……俺が斬られて死にかけてると聞いても、お座敷が終わるまで勤め上げる女のはずだ。
そんな君尾にひどい怪我を負わせたのが自分の上役で、俺はそのことを最近まで知らずにいた。
いや……
江戸から京に戻って来たとき、すぐに逢いに行っていれば
怪我のことももっと早く知ることができたはずだ
そうだ、俺は知ろうとしなかった
君尾のことを……
自分のことでいっぱいいっぱいになっていた
どれだけ……
「どれだけ謝っても許されることでないのはわかっている。
それでも近藤……先生の代わりに謝る。 本当にひどいことをした、申し訳ない 」
ひどいことをしたのは近藤先生だけじゃない
俺も同じなのだ……
ここへ来る前
屯所で身支度をしながらふと押し入れに目をやった。
そこには江戸土産の簪が二本、行く当てを無くしたまま放置されている。
今更……どんな顔で簪を渡すのだ?
簪を楽しみにしていた君尾……簪だけじゃない、俺が京へ帰ってくる日を楽しみに待っていてくれたのだろう
山南さんのことが辛くて、自分のことしか考えなかった
……俺はそんな冷たい、情の無い男なのだ
昼に壬生寺に訪ねてくれた。
正直…
驚きよりも罪悪感の方が強かった
優しい言葉ひとつかけるでもなく追い返してしまった。
そんな俺のことを君尾はどう思っただろうか……
君尾は黙ったまま目を伏せている。
俺は頭を下げる。
まるで熱でもあるかのように……息が苦しい、身体が熱くきしむように痛む
小さく息を吸った
顔を上げる
「……君尾 」 「平助様…… 」
ほぼ同時に口を開き、そして口をつぐむ
どちらが先に口を開くか探るように目を見かわせてまた目を伏せる。
何度かそれを繰り返し、俺はもう一度「君尾…… 」
声がかすれた
君尾が涙で潤ませた目を上げた
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