御陵衛士編 17話 茶屋、高瀬 Ⅱ 攻防

[1]


 「君尾…… 」


熱でもあるかのような平助のかすれた声に呼ばれて君尾は顔を上げた。


平助がまた盃に口をつけていたが、安酒に悪酔いするほど飲んではいない。

喉を湿らす程度に口にしている程度だ。


それでも顔色が悪いのは……


……体調が優れないのかもしれない


そういえばこの部屋は少し寒い……

襖はめくれていたし、どこからか花冷えの風が入りこんでいるのか


君尾は部屋の中を見回す。


人目を忍ぶ隠れ宿と言えば聞こえはいいが

少しうらぶれた待合茶屋


申し訳程度の床の間に趣味の悪い春画がかけられている。



君尾がそっと平助の胸に手を添えた。

「平助様、一力に帰りましょ。 安いお酒は身体に良うおへん…… 」



「君尾、別れよう…… 」



平助がその言葉を言おうとしているのかもしれない……


ここで平助の顔を見た時……いや、壬生寺で『夜に遣いの者をやる』と言われた時から


ほんまは、わかってたやない……



でも……気づかないふりで済ませたかった


もしかしたら


平助は抱きしめてくれるかもしれない


それやのに……


現実は残酷で


平助の言葉に心を切り裂かれる。


瞬きをしたら……そしたら……きっと涙がこぼれてしまう


君尾は涙をこぼさないように震える目で平助を見つめる。



いやや……


こらえきれずにこぼれた涙


いや…や……


幾つもの涙の粒を見ているうちに自分の気持ちが決まった


違う


ずっと……もうずっと前から決まってたやない


自分の気持ちを再度確かめただけ


泣いても誰も与えてはくれない。


君尾は美貌をくもらすことなく平助の目を覗き込む


平助も君尾から目を逸らさず、口を開きかけた


それを凛とした君尾の声が遮る

「またどすか?……今度は……なんでどす? 」


「…… 」


「な・ん・で? うちと別れたいんか聞いてるんやけど…… 」




[2]


 見つめあったまま平助が呟く。

「京へ戻ってひと月、連絡もしないような情の無い男だ 」


……父親とは会ったことも無い、それなのにそんなところが似ている。


皮肉だな

そう思って平助は苦笑する。

「君尾……幸せになりたくはないか? 」


どういうことか?と問うように君尾の瞳が揺れる


抜き身の刀で浪士を追い、寺では銃を撃つ。

物騒で罰当たりな男

そんな男の心配をするだけの女


三浦さん……あなたが正しい


「新選組の男と一緒にいても幸せになれない…… 」




「それに……俺なんかのどこがいい?

もういい加減、愛想が尽きただろ 」

喉の痛みが強くなり、置いた盃をもう一度手に取って口に含む。


君尾が少しだけ笑みを見せた

「なんやの、妬いてはったん? 

壬生寺でうちが他の人にだけ愛想良うしたんが気に入らんかったんや……

平助様、かわいおすなぁ 」


「……馬鹿にしているのか 」


「平助様のいいとこ……教えてほしいどすか?

そうやって自分のええとこ、誰かに褒めてもらわな自信が持てへんのどすか?

それやったら朝までずっと褒めてあげる 」



「茶化すのはやめろ。 真剣に話している。

……新選組と関わるとろくなことがない、とわかったはずだ 」

少し怒ったように言う。


君尾はそっと自分の手首を見る、近藤につかまれた時の怪我はまだ痣が残る。

しばらくは痛くて箸を持つことすら難儀した。

「平助様……うちと近藤先生のことやけど」


「何も無かった、ちゃんとわかっている 」


……近藤先生が君尾に怪我をさせた


その怪我は……

近藤のことを決して受け入れるつもりはない。

君尾が見せた強い意志への仕返しだったのだろう……


同時に……


今も残る痣は君尾から俺への愛の証


だったら、俺ができることは……



君尾の怪我をした手に優しく自分の手を重ねた。


こうして怪我をいたわること、と


……別れることだけ





 [2]


 感傷を振り切るように君尾から手を離し、事務的に伝える。

「新選組の仕事に集中したい。 今は大事な時だ 」



「……新選組と関わるとろくなことが無い、言うておきながら自分は新選組のために一生懸命働くんどすか 」


俺はその新選組の隊士なのだから当然だろう?

そう思うのに言葉が出てこない


「…… 」


俺が答えられないと見たのか、君尾がさらに斬り込んでくる

「平助様、まだ近藤先生のために尽くすつもりなんどすか? 」


「近藤先生のため? 」

俺は君尾を見た。

振り切ったはずの感傷が再び胸の奥で疼く


「なにか……誤解しているようだが。

何のためかと問われれば新選組は不逞浪士を取り締まり、京の町を鎮静させるために存在している。

会津様と共に幕府を支え、ひいては帝をお守りするのがお役目だ。

近藤先生一個人のための組織ではない 」


「新選組は天子様のために働くいう、えらい誇らしいお志を掲げてはるんどすな……

それやのになんで『新選組の男といても幸せになれない』みたいな自分で貶めるようなことを言うんどす?

……新選組が平助様のお志からかけ離れて行ってるんやない? 」


「それは…… 」


「近藤先生に尽くさなあかん思うから、平助様はそんなに苦しむんやないの…… 」


山南さんが脱走したその日、近藤先生がしていたこと……


周囲の言葉にいっさい耳を傾けず、自分の思うままに隊を縛る土方


幕府をために働くことで勤王の志を成すために上洛したのに、いつの間にか

幕府に仇なすものをただ排除する組織になっていた新選組


帝のためばかりではない、そうすることで京の町の人を守ることになると信じていた。信じようとしていた……


それなのに……


近藤先生と土方、あの二人が

排除すべき仇なす物の対象に山南さんを加えたのだ


伊東先生と永倉さんが山南さんを助けるために策を練ってくれたのに……


伊東先生の人気が上がり、今まで以上に隊士を家臣扱いし始めた近藤先生……


そうすることで威厳を守ろうとするのだろうか


なぜ、俺が?


そんな近藤先生に尽くす必要があるのだ……



君尾は俺の心を読んでいるかのように「平助様…… 」


「こないだ一力に来てくれはった伊東先生どすけど……

しっかりしたお志の高い方どしたな……

平助様のこともかわいがってはりましたなぁ……

伊東先生がもっと上に立ちはったら? 」

君尾が俺をじっと見つめる


伊東先生が入隊して、隊の雰囲気は少しずつ変わっている。


今までの理不尽な方針を改善し、

対長州の人斬りが目的ではなく勤王の志のために働く組織であること若い隊士たちに周知していくための勉強会には回を重ねるごとに参加希望者が増えている。


それを見る土方の苦り切った顔……


『新選組を土方色から変えたい 』

そう思って伊東先生を新選組に誘った。


土方を変えること……は無理としても、

近藤先生と伊東先生が協力して新しい新選組の形を作っていければ。



そんなふうに願ったこともあった


だが……それこそがどれだけ甘い考えだったかを思い知らされた



「欲が無くて優しいところが平助様のええとこどすけど……

もっと欲張りになってもええんちゃう? 」

そう言いながら君尾が俺の手を握る


「こっちの手で近藤先生やのうて、と一緒にお志の叶う新選組を…… 」


それからもう片方の手を握り「こっちの手で、うちのこと」


君尾のしっとりした目

俺の手を握る白く美しい指先


思わず手を握り返しかけた…

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