御陵衛士編 5話 がむしんⅠ 伊東と永倉
[1]
新選組が西本願寺へ移転後すぐ、原田左之助がおまさと新居を構えて屯所を出た。
四月の予定だった祝言もそれに合わせて今月の半ばころに早まり
原田は屯所近くの新居から巡察や幹部の会議に通うという生活を送っている。
屯所の広間で原田が食事をすることも無くなった。
食事中も賑やかで隊士達誰かれかまわず話しかける原田が一人いないだけで十人くらい減ったような静かな食事の時間……
朝餉を取るため、広間に次々と隊士が集まってくる。
山盛りの漬物が入ったどんぶり鉢が隊士達の間を回る。
永倉が「左之助がいないと飯も静かでいいよ 」そう言って回ってきた漬物を茶碗に放り込み、一人でぶぶ漬をかきこんでいる。
「本当はさびしいんじゃないのか…… 」白飯と味噌汁の乗ったお膳を持った井上が永倉の向かいにやって来た。
永倉から漬物のどんぶり鉢を受け取るが少し考え「最近このへんが痛くてな、漬物はやめておこうかな 」そう言って鳩尾あたりを軽く叩いている。
「……そうか。源さんも年だねぇ…… 」
「そうだよ、年だ……だから皆あんまり心配させてくれるな 」笑いながら味噌汁に口をつける。
「……左之助なら大丈夫だよ、おまさちゃんもしっかりしてるし。うまくやってるさ…… 」
食べ終えた永倉がお茶を飲みながらぽつんと答える。
井上が黙って箸を置いた。「……平助はまだ? 」
永倉が答えずお茶をもう一口啜る。
そんな永倉を見やりながら井上が「辛いんだよ、きっと……わしらと一緒にいると 」
「……じゃ、源さん。巡察に行ってくる 」立ち上がると井上に軽く手を振り広間を出る。
すれ違う隊士達に元気よく声をかけながら平助のことを考える。
平助が京へ戻ったあの日……
土方と揉めていると聞いて慌てて山南さんの部屋に向かったが平助はすでに伊東たちと行ってしまったあとだった。
平助とはまだ一度も口をきいていない
いつも伊東道場出身者たちと一緒に伊東の部屋にいる。
ああ……考えてみれば平助も伊東さんのとこの寄り弟子だった
知らなかったわけでも忘れていたわけでもない。
なんとなく……伊東道場から試衛館の食客になりそのまま一緒に上洛した若く素直な平助を自分たちの弟分みたいに勝手に思いこんでいた……
廊下の向こうから篠原たちを従えた伊東がいつもの薄紫の扇子を仰ぎながら、こちらへ歩いてくる。
朝の食事に広間のほうへ向かっているのだろう。
そのなかに平助を認める。
思わず声をかけようと割り込む「へいす…… 」
『なにか用でも? 』というように篠原が目で圧をかけてくる。
そんなことより平助自身が永倉とは目を合わせず黙って下を向いている。
源さんの言葉が頭をよぎった……
『辛いんだよ…… 』
『一緒にいると…… 』
辛いんだよな、平助……
江戸にいて何も知らなくて、何もできなかった自分を責めて……
俺たちと一緒にいることが辛いんだよな
だけどさ……山南さんのことが辛いのは平助だけじゃない……
[2]
土方さんに緊急招集されたあの夜……
『山南敬助が脱走した。今を持って山南の総長職を解く 』
土方の言葉は一切の無駄がなくそれ以上でも以下でもない事実のみを伝える。
近藤さんはどうしたのか、まだ顔を出していない
こんな時に女のとこか?思わず舌打ちしかけてやめる。
「おい……どうなるんだよ…… 」隣に座った左之助がさすがに場を弁えて小声で話しかけてきた。
「どうって……土方さんが脱走だと主張しても俺たちがそれを絶対に認めないことだな 」
幹部たちが山南さんは脱走ではない、長期の外出ということで押し切れば土方さん一人意見を通せないだろういう目論見だ。
爪を強く噛む、強く噛みすぎて先が欠けてしまう。
伊東のほうをちらっと見た、この際伊東さんの力を借りてでも……
伊東が視線に気づいたのかそっと頷く。
「でもよぉ、土方さんは屯所の移転でもなんでも絶対やりきるじゃないか…… 」左之助がさらに声を潜める。
伊東がやはり扇子で口元を隠し小さな声で
「だとしたら……原田君、今こそ土方君の独走を阻止しなければいけない。
そもそも江戸に帰るという書置きで脱走と決めつけるのは根拠に乏しい。
つまり脱走であると認めなければいい。そうだね?永倉君…… 」
思わず苦笑してしまう、平助が必死に推すはずだ……視線を一瞬合わせただけなのにそこまで理解している。頭の回転が相当速くて助かる
土方は近藤さんが戻ってくるまで話を進めるつもりは無いのか、黙って部屋の隅を睨んでいる。
その様子は幹部が脱走したことへの怒りというよりは疲れてきっているように見えなくもない。
山崎に伴われ不機嫌な顔の近藤さんが戻って来たのは半刻後……
やっぱり……女のとこか
僅かに酒の匂いをさせ袖口にうっすらと白粉がついている
「土方君。今日は外泊と言っておいただろう、何ごとだ? 」
今度は本当に舌打ちが出た。
土方がこちらを睨むから睨み返す。
先に眼を逸らした土方が近藤さんに告げる。
「山南さんが脱走した…… 」
急におろおろする近藤さんに土方も内心いらついてるんだろことは見ていて分かったが、そこはさすが土方。
すぐ沖田を追手に指名してきた。
目で合図を送ると左之助が『山南さんはちょっと江戸まで平助に会いにいった だけ』説を披露する。
左之助に一番に発言させることで少しだけ場の空気が軽くなる効果を狙った。
もし伊東さんが一番に発言しようものなら土方さんが意地になるだけだからな……
伊東さんは俺たちに賛成してくれるだけでいい
皆に考える隙を与えないように俺も左之助に賛同する意見を出す。すぐさま近藤さんや伊東さんも賛同する。
この流れなら武田さんら他の幹部もこっち側につくだろう。
追手に指名された沖田だって山南さんにはかわいがってもらっていたのだから……逃げてほしいに決まっている。
しかし、世の中そううまくは運ばない。
沖田が土方の指示に従うような返事を返した。
当然土方はその他の意見など眼中にないといった様子でいる。
このままいつもの一人勝ち状態へ持っていく気だろう。
俺はこっそり刀を引き寄せた……土方さん、あんたに特別恨みはないけどさ……
……いや、恨みは本当に無いのか?
芹沢さんは俺と同門だった。
だから粛清の夜、俺を実行部隊から外したんだよな
芹沢さんは確かにめちゃくちゃやってたけど、同門っていうのはけっこう深いんだよなぁ
土方さん、あんたや近藤さん沖田、源さんしかり……伊東さんと平助もそうだ。
斎藤の様子を伺う。斎藤は黙って無表情で座っている。
斎藤の居合の間に入っているか目測していると斎藤もこちらを見る。
沖田の様子も確認する
土方へ到達する前に斎藤や沖田に阻まれる……だろうなぁ。
この場でひと暴れするのはやめたほうがいい
近藤さんや伊東さんの意見など最初から聞くつもりもなかったのだろう。
土方と沖田の二人だけで追手の算段について話すとその場は解散させられる。
[3]
「永倉君……力になれなくて申し訳ない 」
解散した後、伊東さんの部屋に呼ばれる。
左之助が居心地悪そうに俺の隣に座り、伊東の取り巻き連中が部屋の隅で俺たちの話を聞いている。
本当にいつも伊東さんのとこに集まってるんだな……その結束力なのか、伊東の求心力なのか、何かわからないが呆れを通り越して最早、淡い感動さえ覚えて俺は苦笑する。
俺たちの話を聞いていた服部がぼそっと口を挟む。
「先生……山南さんを見つけても沖田君がわざと逃がすということはあり得ると思うが…… 」
「服部君、それはどうだろう……永倉君、沖田君は山南君にかわいがってもらっていたというが 。見逃す可能性は?」
山南さんにもかわいがってもらっていたが、土方のことも裏切らないのが沖田だ……
「こんな時に藤堂君もいないとは 」伊東さんがため息をつく。
「伊東先生、平助……藤堂みたいな若造がここにいたって何もできませんよ 」
平助が土方にどやしつけられるのが目に浮かぶ。
伊東の目がすっと鋭くなる。
「それなら……永倉君が藤堂君の代わりに私の所に来ないか。
その代わり藤堂君は土方君に返そう、残念ではあるが…… 」
「伊東さん!新八も平助も物じゃねえぞ! 」左之助が吼える。
すぐさま篠原が伊東さんをかばうように立ちあがった。
怒鳴りあいを始めそうな勢いの二人を伊東さんが「こんな時によしなさい 」と呆れ顔で宥める。
その様子を見ながら、さっきの返事をする。
「伊東先生、いいですよ……そうしても。ただし山南さんが無事逃げることができたら、だけど。ここは譲らない 」
伊東が微笑む「きみのそういう賢い割り切り方、前からぜひうちに欲しいと思っていた。山南君も私の大切な友だ。助けるための努力を惜しむつもりは無い 」
「あと、平助のことだけど……どうするかは好きにさせてやってほしい。
もちろん俺が伊東先生の下で働くなら平助のこともちゃんと面倒見るよ。
土方さんともうまくやれるようにするから 」
いつも伊東さんと土方さんの間で気をもんでいた平助……
息ができなくなって、いつか山南さんみたいに逃げたくなるんじゃないか
今回、突然のように見えた山南さんの脱走。
山南さんは毎日真綿で首を締められるように少しずつ……少しずつ息ができなくなって……それで……深呼吸してみたくなったのかもしれない
俺の返事に伊東さんは満足そうに頷き、立ったままの左之助と篠原は驚いたような顔をしている。
その篠原に向かって伊東が
「君も先輩らしくこういうことを言えるようになるともっとよいだろう。
加納君も昔のことで藤堂君に嫌味ばかり言ってないで 」
篠原は黙って唇をかんでいるが加納は「はい……気を付けます。なぁ、篠原さん 」
毛内さんが新しいお茶を持ってきたので皆で一息ついてから改めて今後のことを話し合う。
もし沖田が山南さんを連れて帰ったらどうするか……
その時は俺と伊東さんでもう一度山南さんを脱出させようと決まる。
そのための段取りを皆で練る。
山南さんを再び屯所から脱出させてそれからどうするのか
再びいなくなったことに土方が気づけば今度こそ怒り狂うかもしれない
元薩摩藩士の富山弥兵衛の知人が五条にいる。
その人を頼って山南さんを匿ってもらうことを伊東さんが提案した。
富山自身は砲術免許を取るために江戸へ行っているので不在だが、自分も知らない仲ではないという。
「信用できる人ですか? 」俺の言葉に伊東さんが頷く。
そのための書状もその場ですぐ用意し、伊東の弟の三樹三郎が使いに走ってくれた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「左之助……何を怒っているんだよ」
「…… 」
左之助は伊東さんの部屋を辞してからずっと機嫌が悪いようで返事をしない
「伊東さんの派閥につくって決めたことなら謝らないぜ…… 」
「…… 」
「今は山南さんを助けるのが一番だから。それがうまくいったら俺は別に伊東さんの下で働いてもかまわないと思ってる 」
左之助が黙って俺の背中をバシッと叩く
「痛ぇな、左之助 」
「ばぁか、今のなんかだいぶ加減してやったんだ……ばかしんが! 」
「……俺は、ばかしんじゃなくてがむしんだっつの……
伊東さんの派閥についたって新選組をやめるわけじゃあるまいし。 」
「あーあ、平助もどうせそっちに行くんだろ? それなら俺もそうしようかな…… 」
「……多分いらねえって言われるぞ 」
「は? こっちから願い下げだよ。
そんなことより山南さんのこと頼むぞ、新八…… 」
「ああ……わかってる 」
俺ががむしん、がむしゃら新八なんだってこと見せてやるさ
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