御陵衛士編 3話 春待つ壬生Ⅱ 糾弾

[1]

 

 俺は主のいない部屋に立ち尽くす……



どうして?……


それ以外言葉が出てこない



崩れるように畳に膝をつく


こぶしで畳を殴りつけてみても湧き上がる気持ちを抑えれない


怒り?…… いや怒りとも違う絶望感なのか……




[2]


 相変わらずきれいに片付いた部屋の中で俺は畳を殴りつけた……


刀掛けには大小二振りの刀が掛けられ、文机の脇には書物が丁寧に積まれている。

部屋の隅には茶の湯の道具が静かに出番を待っている。


常日頃からきれい好きなこの部屋の主は遠出をする為にわざわざ部屋を片付けたのではない。

ほんの少し用があって席を外した、ただそれだけ……

穏やかな笑みを浮かべて今にも戻ってくる。

『やあ、お待たせしたね。 藤堂君 、江戸はどうだった?』


「山南さん、江戸は変わりなかったです。 京とは違って町人から侍までまだまだのんびりしたものです。 」


返事はない……


俺は「どうして…… 」を繰り返す


心の中での問いかけは自分でも知らぬ間に声となって漏れてしまっていた。


「山南さん……約束のお茶を買ってきました 」

お茶の包みを出そうとするが手が震えて荷物がうまく開けられない。

荷物が開けられないことに苛立ったのか、再び怒りに似た感情が湧いてきて畳を何度も何度も打ち付ける。

畳に血がついているのを見てようやく自分の手が傷ついたことに気づく。

「早く、戻ってきてくださいよ」

「…… 」

「……どうして? 」


なぜ……待っててくれなかったんですか



その時、静かに障子が開き畳に人影が差した。


ハッと振り返る「山南さん!…… 」


そこには俺が知っている中で一番不機嫌な目をした土方さんが立っていた……





 [3]


「何をしている? 」不機嫌な顔をさらに不機嫌にした土方が見下ろしている。


「土方さん! どういうことですか、どうして山南さんが…… 」


すがる勢いの平助を軽く払うと旅装姿も解かずにいることを咎めるように

「ここで、何をしているのかと聞いている 。

江戸から戻ったなら先にすべきことがあるだろう…… 近藤局長と、おまえのとこの先生に挨拶をしてこい 」


「嘘ですよね? 山南さんが脱走したなんて。土方さんが処分を決定したっていうのも新田さんの勘違いですよね……」


「……新田の言うとおりだ 」


平助がきっと土方を睨み返した。

「そんなに……山南さんが憎かったのですか 」


「あ? 」

土方の声には怒りが滲じみ、その目がわずかに揺れた。

それが怒りのためか動揺なのかは平助にはわからない。


「土方さん、山南さんは江戸から一緒の仲間ではないですか! 試衛館の…… 」


「それで? 」

立っていた土方が、ゆっくりとしゃがんで平助と目線を合わす。


「土方さんにとって山南さんも芹沢さんと同じなのですか? 自分の邪魔だと思ったら…… 」


「藤堂……ひとつ大事なことを忘れているようだが。

新選組は正当な理由なく隊を脱走することを禁止している。

山南敬助はそれを破った。それも隊の機密に関わる幹部が、だ。

そして……法度をすっかり忘れて騒ぎ立てる幹部…… 」

言葉を切って平助を睨む。

「おまえのことだ、そんなことでは先が思いやられる 」


そんなのは建前だ……

法度もほぼ土方さんが一人で決めたことだ

聞きたいのは法度がどうとか、そんなことじゃない


怪我が長引いて隊務から離れ、意見はことごとく土方さんに無視される。

新選組の中でお飾りみたいに扱われて傷ついた山南さんは江戸を懐かしがっていた。


きっと疲れ果てていたんだろう……江戸に行く前の俺がそうだったように。


だから……ただ江戸に帰りたかった……それだけだったはず


心が元気になったらまた戻ってきてくれたに違いない


「土方さんのそんな理屈はもうたくさんです。

山南さんがずっと江戸に帰りたがっていたのはご存知のはずです。

隊の機密をどこかに漏らしたりするはずがありません、どうして……どうして切腹など……

土方さんにここにいてほしくありません。今すぐ出て行って……くだ…… 」


そのまま泣いて、どうしてを繰り返す平助を冷めた目で見つめる土方。


「いい加減にしろ……ここから出ていくのはお前だ。

この部屋に入ることは全隊士に禁じている。先生に挨拶を済ませたらお前もさっさと引っ越しの準備を手伝え 」

そう言いながら土方が山南の荷物を廊下へ出し始めた。


平助は立ち上がると山南の荷物の前を塞ぐように立つ。

「……山南さんの物に触らないでもらえますか 」


土方がはっとして手を止める。

「…… 」


「山南さんも土方さんに触ってほしくはないでしょうから…… 」



初めてだ……他人ひとをここまで憎いと思ったのは。




「……平助 」

ずっと冷たい目でいた土方が平助の糾弾に初めて目を伏せた。




 [4]


 ……あの日



近藤が芸妓の君尾と一夜を共にしようと策を巡らし、いそいそと祇園に出かけたあの日……山南が脱走した……



『平助の女に手を出すな』という忠告に耳も貸さずに出かけて行った近藤の後姿を見て、ふと山南のことが頭をよぎった。


俺はいつも山南の意見を無視していた……無視された時、あんたはこんな気持ちだったんだろうか


ちょうど通りがかった山崎に「山南さんは今、どうしている? 」

それを聞いて、いったいどうしようと思ったのだろう。

今更、山南と二人で話し合う?


……馬鹿げている……


こっちが良くても山南あっちが遠慮したいだろう


そう思って失笑した。

山崎に「いや、別にもういい」と言いかけるが、敏い山崎はすでに歩き出している「すぐお呼びしてきます」



そして……



誰宛てでもない、ただ『江戸に帰る 』とだけ書かれた手紙が残された山南の部屋。

すっかり冷え切った部屋は火鉢を使ったのがだいぶ前だろうと思わせた。


幹部たちがすぐ集められ、山崎に祇園の近藤を迎えに行かせた。


お気に入りの芸妓との夜を邪魔されて仏頂面で戻って来た近藤だったが山南のことを知るとおろおろした顔でこちらばかり見てくる。

『歳、お前がこの場を仕切れ』そう言いたいのだろう……


『それ見たことか』というような顔の伊東がいつもの薄紫色の扇子を煽ぎながら、

「困ったことになりましたね…… 」と近藤と俺を見比べる。


ふん……扇ぎ方まで気取ってやがる


「おい、歳……土方君、どうするつもりだ?」と近藤が頭を抱える。


どうするつもり、だと?

寝ぼけてんじゃねえよ……思わず舌打ちが出る。


「沖田…… 」


部屋の隅で膝を抱え小さく咳をしていた沖田が顔を上げる。


「行ってくれるか…… 」


沖田が返事をするより先に原田が大声で

「おいおい、土方さん。大袈裟すぎだろ? 山南さんは、ほら平助と仲が良かっただろ?

江戸で平助とでも会うだけじゃないのか? なあ、新八 」


「……確かに。隊の大幹部が脱走して追手が出たとなれば隊士達の動揺が激しいと思うよ。

土方さん、ここだけの話にして様子見をしたほうがいいんじゃないか…… 」


「そうだ!歳、それがいい。永倉君の言う通りだ…… 」近藤がほっとした顔で大きくうなずくのを見て伊東も同意する。


どいつもこいつも甘い奴らばっかりだ……


場の空気が様子見に傾きかけた時、「……今から? 」沖田がぼんやりとつぶやいて立ち上がった。


「……夜が明けたらでいい 」


「近藤局長、伊東……先生もそういうことでよろしいですか? 」土方が事務的に尋ねる。


伊東は少し首を傾げ考える風だったが、近藤は困った顔で黙り込んでいる。


いったん解散となり、暗い顔でみなが部屋を出ていく


「沖田、おまえも早く休んで明日に備えろ…… 夜は咳が出るんだろ 」


「そんな心配してくれるなら私を指名しなきゃいいじゃないですか 」俯いたまま沖田が答える。


「不満か…… 」


「山南さん、昼の内に出て行ったならどのあたりでしょうね……仮に今すぐ追っても追いつくかわからないですよ…… 」


「明日は夜になる前に戻ってこい 」


「見つからなくても? 」


「……しかたない 」そう答えて苦笑する。


……甘いのはどうやら自分も例外では無かったらしい


「夜は咳が出るから……? 」目を伏せていた沖田がちらっとこちらを見た。


「ああ……他に理由があるか 」


「もし……見つかっちゃったらどうします? 」


「……お前も俺を鬼だと思うだろ 」


「土方さんらしいですよ……土方さんらしすぎて、泣けますね 」



……あの時の沖田の祈るような瞳


そして、今……

いつもなら自分が睨むと目を伏せるのに、するどい瞳で睨み返してくる平助



だったら?……


だったら、どうすればよかった?……

芹沢と同じなら他の奴じゃなく俺が自分で追いかけてぶった斬っただろうよ


ここまで感情むき出しの平助は初めて見た


平助は……二度と俺を許さないだろう


とりあえず、それだけは確実にわかった……




睨む平助の襟首をつかむ


「何をするんですか、やめてください」抵抗する平助を無視し無理やり廊下へ放り出す。


それでもなお廊下で揉めていると騒ぎに気付いた隊士達がそろそろと様子を見ている。

その中の誰かが呼んだのか、井上が慌てた様子で飛んできた。


「歳さんも、平助も!いい加減にしないか! 」そう言って二人の頭を順にはたく。


「こんなに騒々しかったら山南さんがゆっくり休めないだろ…… 」


「源さん…… 」平助の目から涙があふれる


「平助…… さあ、もう気が済んだだろう。こんなに怪我までして……あっちで少し休もう、な 」


井上に抱えられるようにして平助がふらふら立ち上がる。


「藤堂君!」

ぞろぞろと加納や篠原たちを引き連れて伊東が小走りにやってきた。


「加納君が、藤堂君が戻って来たのを見かけていてね。 それで心配で来てみたら 」

そう言って土方を見る。

「土方君、これはいったいどういう騒ぎなのか後で説明してもらいましょう 」


「見てのとおりですよ、伊東……先生 」


「土方君とは話にならないですな。行こう、藤堂君 」


平助を連れて行こうとする伊東に井上が声をかける。

「伊東さん、平助は疲れてるから少し休ませてやってくれないかな。

あとで必ずそちらに挨拶に行かせるから…… 」


平助はふらつきながらも井上からそっと離れ、深々と頭を下げ続ける。


「……平助 」井上が戸惑ったように土方を見る。

土方は庭の梅の木のほうへ視線をやり「源さん、梅が咲くのを楽しみにしてたが引っ越しまでに間に合いそうにないな」


伊東があきれたという様子で首を振ると

「井上先生、ご心配なく。藤堂君は落ち着くまで私の部屋で休ませますよ。

藤堂君は私の寄り弟子だったのですから。こちらで面倒を見るのが筋と言うもの…… 」


篠原たちと一緒に伊東の後をついていく平助の背中を土方と井上は黙って見送った。





二日後、すべての荷物を西本願寺へ運び終え移転が完了した。

……二年の間、お世話になった八木さんと前川さんにそれぞれお礼と迷惑料として近藤先生が寸志を持参した。

その額のあまりの少なさに八木さんは大笑いして結局その寸志で樽酒を買って隊士たちにふるまい、別れを惜しんでくれた。


土方さんが気にしていた前川家の庭の梅……


蕾はまだ固く閉じ、それはまるで春の訪れを頑なに拒んでいるかのように見えた……




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る