番外編 ちび平物語 Ⅱ ご落胤
[1]
その美貌は町内はもちろん他の町にまで小町娘と評判が伝わるほど俺の母、菊乃は美しい娘だったという。
そんな母と俺が住む長屋は染井通りのそばの植木職人の多い、通称『植木屋町』と呼ばれる界隈で、すぐ近くには明暦の大火の後にここへ下屋敷を移した伊勢の津藩主藤堂様のお屋敷があった。
園芸が好きだった二代将軍秀忠公が江戸城内に最初に『お花畑』を作り、代々の将軍に受け継がれていく。
そして諸国の大名たちは将軍へのご機嫌伺いに国元の珍しい植物を献上し、江戸の流行の植物を地方へ持ち帰る。
こうして園芸は江戸の町で大人気となり、中には千両もする高価な植物が取引されたともいう。
大名から町人、僧侶たちと言った身分を問わない品評会などもしばしば開かれるほど皆が園芸に夢中になっていたのだ。
落選した菊があとで大名の出品した菊だったとしれて、なんとも気まずい感じになったという笑えない話は試衛館にいる頃、左之助さんに聞いたことがある。
そんな園芸人気の高かった江戸の中でも藤堂様のお屋敷は珍しい樹木が多く茂り、花を愛でることがことさら好きなお家柄だったようだ。
植木の手入れのために毎日たくさん、植木屋町の職人が出入りしていた。
男の職人たちは手入れをしながら『振り返らないものはいない』とその美貌が謳われた小町娘菊乃……俺の母の噂をしていたようだ。
当時の藩主は千両は下らないという松葉蘭でさえ職人から世話の仕方を教えてもらって自分で熱心に世話をするほどの草木好きな方だった。
その職人たちが噂をする美しい娘に、まだ若き藩主が関心を持ち懸想するまで幾日もかからなかっただろう……
そして……花の世話係にと召された娘も身分違いの藩主様に恋をした
……学問所に通うときはいつもそのお屋敷の前を通った。
ご近所さんたちはそんな俺のことをまだ幼いころからご落胤と噂していた。
「父上はいつお迎えに? ご落胤というのはなんなのですか? 」幼かった俺の無邪気な問いかけは母を困らせただろう
答えの代わりに母は大事そうに一振りの刀を出してきた。
「この刀は……お父上様があなたのお誕生に合わせて特別に作らせた刀です。
お父上様は平助さんのことをちゃんと愛しているのですよ。」
その刀の鞘に小さく蔦の紋が打たれている
……!
あのお屋敷の紋と同じでしたね……母上
父は花を愛でるように美しい母を愛したのだろうか……
考えても仕方ない、その答えを俺が知ることは一生無い。
身分違いの娘の恋も近所の人たちが実しやかに語って聞かせてくれただけのことだ。
でたらめな与太話と言ってしまえばそれまでなのだ。
母は父の名を決して教えようとはしなかったのだから……
[2]
母は今の俺をどう思うだろう……
お屋敷からお迎えの来なかったことを嘆いているのか、それとも……
少なくとも息子が京で魁先生などと呼ばれるとは思ってなかっただろうな
平助は母譲りの品の良い整った顔にくすっと笑みを浮かべた。
ご期待に沿えなくて申し訳ありません……
でも学問と剣術を学ばせてくれたおかげで今があるのです。
新選組が……京の町が……俺の生きる場所になりました。
自分で決めた道です。後悔はありません……
また、来ます
それはいつになるかわからないけど……
その時もきっと母の墓にきれいな花が絶えることは無いんだろう……
母のことをちゃんと愛してくれていたのですね……
寺の住職に挨拶をしてから日本橋のほうへ戻る。
橋のそばに飴細工の店が出ているのをみつけて思わず足を止めた。
学問に厳しかった母は俺が近所に住む子供たちのように遊ぶことを窘めた。
それでも月に一度立つ縁日には必ず連れて行ってくれた。
その縁日では好きなものをひとつだけ買ってくれる。
普段は禁止の駒といった遊び道具でも飴細工でも、良い声で鳴く虫でも……
その日、俺は飴細工をねだった。
「平助さんは本当に飴細工が好きね 」母が笑う。
食べるよりも作るところを見ているのが好きだった
母には言わなかったが大きくなったら侍ではなく飴細工師になりたいと思ったこともあったな……
小さな俺は目を輝かせて飴を選んだっけ
「母上! これにします! 」
小さな手で一本指さす。
「まあ、かわいい……これは……猫さんかしら? 」
「母上、これは猫ではありません!狸です!昨日、学問所の本で見ました 」
あの飴は本で見た狸という動物に見えたけど、本当は母の言う通り猫だったのかもしれない……
懐かしい気持ちで飴細工の店に近づく。
あ……
「これを下さい…… 」
買ったばかりの飴細工
空にかざし懐かしい気持ちで眺める。
少し不格好な飴細工の狸が俺を見おろしている。
下手だな……
その不出来さに笑いながら胸を刺す痛みを感じて戸惑う
……
飴を持った俺のことを羨まし気に見ている子供がいる。
「これ……あげるよ 」
子供は飴を持って嬉しそうに駆けて行った。
痛みが大きくなる前に
痛みの理由に気づく前に
俺も京へ向かって駆けだした。
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