激震編 17話 落花狼藉Ⅲ 激震走る夜

 [1]

 優しそうな顔をして隊士達の前で弁を振るう伊東。近藤は複雑な思いを抱えるようになっていた。


伊東先生が入隊してまだ半年にもならない


それなのに……


いつの間にか幹部達はもとより平隊士たちまでもが『伊東先生、伊東先生』とすりよっていく。


近藤自身が今でも博識で人当たりも良く誰にでも愛想よく接する伊東の入隊を喜んでいるし、その言動に酔いしれることもある。


だから、他の連中もそうだろうと思うと恐ろしくなる。

早々と土方と折り合いの悪い山南を取り込んでしまったのだから。


会津様から頂いた白雷号、白い馬は江戸にいたころからの憧れだ。

その馬のことですら伊東道場出身者たちに笑われている気がして仕方がない。


しかし……伊東のような人材が今後の新選組には必要だと思っている。


新選組は今までの土方のやり方のような武闘一択ではそれこそ馬鹿にされる。

二条城で幕府の高官とも対等に渡り合うためには伊東の学がいるのだ。

そのために伊東と距離を置くことはできない。

伊東に距離を置かれることも避けたい。


伊東派は隊内に派閥を広げて新選組の勢力図を変えてしまうかもしれない……

山南を取り込んでからもじわじわと江戸以来の試衛館時代の仲間を自分たちのほうに引き抜こうとしているのか、伊東の講義に永倉が何度も誘われている。


永倉か……いいところに目を付けたものだ


永倉は試衛館生え抜き幹部で撃剣師範筆頭も務める。

隊内でも剣の腕は抜きん出ているし、土方のように性格が偏ってないから誰とでも親しく話せる。

隊士からの人気も高い


伊東が山南の次に引き抜くなら永倉というのよくわかる。


白馬に乗って出かけることを永倉が冷ややかに眺めているのは知ってるが、それでも永倉を伊東に取られるのはよろしくない。


幸いなことに永倉は、ほいほい浮かれて伊東について行くようなことをしない思慮深さもある。

それは幹部達も平隊士も知っている。だから永倉は絶対奪われてはならない。そんなことになれば永倉に見限られた近藤派という図が出来上がってしまう。

永倉を慕って他の隊士達も相当数あちらへ行ってしまう。

原田あたりは一番にそうするかもしれない。


沖田や源さんは心配ないだろう


斎藤は向こうも扱いにくいはず


そうなると……平助?


伊東を新選組に招いたのは平助だ

元々試衛館の前は伊東道場で世話になっていた


だからなのか

いつも土方と伊東の間の板挟みで疲れた顔をしている


あいつは……


まだ若く純粋なところの多い平助は山南を敬愛し、やはり伊東には格別の思いを持っているようだ。

として深く慕っている。


永倉を取られるくらいなら平助を向こうへ……?


いや……まだ江戸にいたころ試衛館に居つくようになった平助をずいぶんかわいがった。

そして新選組の古参幹部でもある平助……やはり平隊士達の動揺が大きいか


……


近藤は目の前の君尾に視線を戻す。


折れるほど強く手首をつかんでいるのだ、痛くないわけがない

それでも顔色一つ変えず、むしろ笑みさえ浮かべ強い瞳で見返す君尾


君尾の瞳を見て、ここへ来る前、こっそり屯所を出ようとした近藤を呼び止めた土方の顔を思い出す。




[2]


 「……祇園へ? 」これ以上はないというくらい機嫌の悪い目をした土方。


なぜ祇園へ行くことが分かったのか……こういうことには昔から勘のするどい男だ。

そう思って苦笑を浮かべる

「別にかまわないだろ……今夜は帰らぬからよろしく頼んだぞ 」


「……あの女は平助の女だと言ったはずだが 」


「べ、別にそんなつもりは…… 」しどろもどろに答える近藤に、こういうとこ嘘が付けないのは変わらないのだなと土方は思う。


「平助が南座で窮地を救った芸妓があの女だよ 」


「……それくらいわかっている」土方に水を差されて気分が悪い


「だったらやめとけ……わざわざ恨まれる必要も無いだろ 」


「お前は人のことを言えるのか。それならお前こそ山南君や平助にもっと親切に物を言えばいいだろ 」


黙って俯いた土方にさらに畳かける。

「山南君や平助が伊東さんのほうばかり寄って行くのは歳のせいじゃないのか! 」


「だからだよ……俺があの二人に嫌われてるんだからあんたまで嫌われる必要は無い 」


「歳……おまえは変わらないな。

山南君も平助も、永倉も……京で変わった 」


「あんただってずいぶん変わったさ…… 」


「そうか…… 」寂しげな笑顔を見せると近藤はそのまま土方に背を向ける。


「……行くのか 」


「…… 」


変わらなければここまで来れなかった……そうだろう?歳……


それは口に出さず土方の視線を感じながら近藤は歩き出した。





 [3]


 近藤は君尾の手首を離した。

掴まれた箇所は赤く腫れている。 君尾がすぐに着物の袖で隠す。


「……ちょっとした戯れだ。 そのように本気にされても困る。

何も無かったのだから平助にも言わなくていい…… 」


先ほどまで顔色一つ変えなかった君尾が微かに瞳を揺らした。

それが安堵のせいなのか、痛みのせいなのかはわからない。


「飲みなおそう…… 」近藤が盃を取り上げた時、襖の外にかすかに人の気配がする。


今夜は人を近づけないと言っていたのに……

この店の亭主はいい加減だな……


襖の外から静かな声で「近藤先生…… 」


「……山崎君? 」


「失礼します 」襖がわずかに開き監察方の山崎がそっと顔を覗かせる。


やれやれ……


近藤はあきれる


歳のやつ、山崎を使って平助の女に手を出さないよう見張らせてたんじゃないだろうな……あり得る話だ


「……山崎君、どうしたのだ? こんなところにまで 」

盃を口に運ぶ。


「あの……土方副長が火急の件にて、すぐ屯所にお戻りくださいとのことです。」


「……こんな夜更けに? 」


「すでに他の幹部の先生方は集まっておいでです。」


「いったいなんなのだ…… 」


君尾を抱くのは諦めたがせめて酒の相手でもしてもらおう……そう思っていた近藤がだるそうに答える。


「…… 」山崎の声が潜められる。


「え?聞こえないぞ、山崎君 」


「……山南総長が 」


「山南くんがどうかしたのか 」近藤が盃を置いた。


「詳しくは屯所に戻られてから……土方副長よりお話があります。」


「わかった…… 」

近藤が立ち上がり君尾に「また……そなたの『舞』を見に来る。それなら構わぬだろう 」そう声をかけて山崎と屯所に戻っていった。



近藤を見送ったあと君尾はその場に崩れるように座り込む。


畳に一粒二粒……いくつもの粒が落ちていく


涙?……


なんで泣いてるん?……


泣いてる場合やない。

つかまれた手首が熱く痛い、早く冷やしたほうがいい。

跡が残ったら明日のお座敷でみっともないやないの


『こんな男、何も怖いことなんかあらへん……もし何かされても少し我慢するだけ。大丈夫…… 』

そう思いこんで近藤と対峙したが本当は極度の緊張の中にあったのだろう


体は力が抜けてしまい立つことができない


あのまま、もし近藤の気が変わらなければ……

山崎という人が来なければ……

今頃……


そう思って涙があふれて止まらない


平助様……逢いたい

今すぐ……

うちのこと強く抱きしめていて

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