激震編 16話 落花狼藉Ⅱ 君尾vs近藤

[1]


 ただ一人きりの客をもてなすための贅を凝らした宴席。

紅柄を塗りなおしたばかりの壁がひときわ目を引く。


黄金色の屏風を背にして黄金色の盃を手にした近藤が頬を緩めて美しい芸妓たちの舞を眺める。

正確に言うと、その目が追っているのは君尾。


ずっと追い求めた蝶が今夜、手に入るのだ……


今夜のために二百両使った。

それでも惜しくはない……

そう思って期待と緊張感の混ざった顔を必死で引き締める。


舞を二曲披露すると君尾以外の芸妓は部屋を出ていく。

宴席が始まる前からそう言い含められていた。


君尾は近藤の前に手をついて挨拶をする。

「……近藤先生、今日はようおこしやす……

……うれしおす、おおきに 」


「うむ…… 」緊張した面持ちで言葉少なに近藤が答えた。


それ以上の会話が続かず、しんとした部屋。

ちょうど降り始めた雨の存在感だけが増していく。


近藤がちらちら隣の部屋の襖のほうへ目をやっている。

そちらには今夜の褥の準備がされていることを知っているのだろう。


……ずいぶん遊び慣れてはるわ……


酒を勧めようとした君尾を制し先に沈黙を破ったのは近藤だった。

「これを…… 」


近藤が懐から何やら書かれた紙を出してきた。


?……いとし藤?


「土方……あの時土蔵に一緒にいた男だが。土方君にそれの意味を教えてもらった 」


何を言い出すのかと君尾が怪訝そうな顔で近藤を見ている。


「あの日、そなたが書いた紙を平助……藤堂君に貸してもらって自分で書いてみたのだが。

この通り、どうも上手く書けぬ。

どうか一枚、書いてはもらえないだろうか……そ、それを……」

近藤がはにかんだように笑う。


「いとし藤をどすか?…… 」


「そうだ、わしも藤の字がつくのだからよいだろう? 」


「近藤先生。 これは……藤堂様にしか書きまへん。他の方には書けへんのどす。」


少しむっとした顔で近藤が「どうしても書いてくれぬのか…… 」


「どうしても、どす…… 」君尾が凛とした瞳を向けてはっきりと答える。


「…… 」



再び静かになる部屋。

君尾と近藤は睨みあう。


目を先に逸らせば…こちらが弱い立場という印象を近藤に与えてしまう……

熊や狼だって相手が強ければむやみには飛び掛かっては来ないものだ。


君尾は近藤を睨みながらも笑みを浮かべる。


余裕たっぷりと微笑む君尾から近藤が先に目を逸らした。

「……確かに平助は真面目で気持ちの優しいやつだが。 

そなたほどの人気芸妓を夢中にさせるほど世慣れてはいないだろう? どこが良いのだ? 」


「そうどすなぁ……」首をかしげる。

「良いとこがあっても、良いとこがひとつもうなって悪いとこばっかりになっても……うちは藤堂様がええんどす。」


「そういう惚気話を聞きに来たのではない。平助の話はもういい。

今夜のこと聞いてるだろう…… 」

近藤がいら立つように指で自分の膝を叩いている。


「うちの心と、この身体ごと全部、藤堂様のものどす。せやからそのお話は…… 」


毅然とした君尾に近藤が声を尖らす。

「……藤堂への気持ちはもうわかった。だが藤堂は江戸にいる。

黙っていればわからぬ 」


そう言って手を伸ばしてくるのをさり気なくかわす

「うちが……今夜のことを藤堂様に黙ってるとでも? 」


近藤が少し驚いた顔で

「当然だろう……そんなことが知れたら藤堂とそなたの仲がまずくなるではないか 」


「うちと平助様はそんな簡単な仲やありません 」



障子にたたきつける雨の音が強くなった部屋で君尾は平助を想う。


ここからが勝負なのだ……


平助様……





 [2]


雨の音に混じって雷が光る。


轟音とともに青白い光が君尾の顔を照らした。


凄絶な美しさに近藤が息をのむ。


「……うちと平助様は一蓮托生どすさかい……離れることはできません 」


「ずいぶん大げさなことを言う…… 」近藤が苦笑する。



……大げさ?

そうなのかもしれない

でも……


壬生寺で一番大切なはずの想い人をこれ以上は無いというほど傷つけたあの日の平助……


だけど……



残酷な仕打ちの後もまだその人のことを想うようにずっと月を見て窓辺から離れなかった平助の横顔をみていてわかったのだ。


傷つけた平助も同じくらい、もしかしたらそれ以上の傷を負ったということを。


平助の代わりにサクラソウに心無い言葉を投げたうちも……同じ


罪の意識が深ければ深いほど心の傷も深くなる。

癒えることのないその痛みに耐えるには二人でいなければいけないのだ


他の誰でも無理なのだ……


同じ傷を抱えた者同士……平助にとっては君尾、君尾にとっては平助


平助も自分も痛みなど知らない、何も無かったふりをしながら一緒に過ごすのだ。


隊務で疲れた平助を労り、手を繋ぐ繋がない、というくだらないことで喧嘩をし、時に弱音を吐く平助を叱咤し、自分のために簪を買ってくれようとする優しさに胸を熱くし……平助が見せる笑顔に心をときめかせる。

そして……お互い心の傷をなめあうように強く激しく愛を交わす。


そんな危うい綱渡りのような愛……


平助も同じように思っているのだろう……


別にそれでかまへん……

痛みと引き換えにうちは一番欲しいものを手に入れたんやから



だから……


何があっても二人は離れることなど無い、できないのだ




 [3]

 

 「近藤先生が大げさや思いはるんやったらどうぞ笑っといておくれやす。

それより…… 」


本題に入る前に言葉を切る。


なんだ?というように近藤が君尾を見つめる。


「藤堂様に今夜のことが知れたら……うちより、近藤先生ぇのほうが困るんちゃうんどすか 」

挑むように君尾が見つめ返す。


「……それはどういう意味だ? 」


「藤堂さまが知ったら……どない思いはりますやろか……

仮に藤堂様の気持ちがうちから離れたとして、それは近藤先生も同じどすやろなぁ。」


「…… 」


「藤堂様の気持ちは確実に近藤先生から離れます。

そしたら……こないだお店に一緒に来はった伊東先生 」

ちらっと近藤を上目遣いで見ると華やかな笑みを見せる。

「……あちらへ行ってしまうかもしれまへん、近藤先生を見捨てて…… 」


「な……そなた、わしを愚弄する気か!」

怒りで顔を赤くした近藤が君尾の手首を強くつかんだ。


「……手ぇを離しとくれやす 」


「離さぬ! 他人を呼んでも無駄だ 」


……ええやない、うちも腹くくってこの場に出てるんや!


「藤堂様に見捨てられてもええんやたら好きにしはったらええけど……

うちはこのことは平助様にはきっちり報告させてもらいます。

平助様だけやないわ、京の町中の笑いものになりたいどすか…… 」



……こんな細腕、折るくらい訳はない


近藤が怒りでさらに力を入れた




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