激震編 15話 落花狼藉Ⅰ 祇園の華
[1]
美しい眉と常から猫を思わせる目じりのあがった目をいつも以上に吊り上げ、不機嫌を隠そうとしない君尾。
先ほどから一力の亭主、忠左衛門が君尾のご機嫌を取るように愛想笑いを浮かべる。
「君尾はん……そない怖い顔したら祇園一、いや京一の別嬪が台無しや…… 」
君尾はむすっとしたまま返事をしない。
「なにも藤堂先生と別れえ、言うてるんやない。
ただやなぁ……『芸が売り物の芸妓や』言うてもお座敷のお客は男はんや。
お座敷の後の付き合いも期待するんは当たり前や 」
「……ほな、うちにお座敷の後に客を取れと? うちは女郎やあらしまへんえ 」
忠左衛門はほとほと困り果てた顔で
「いや、そないなことも言うてへんがな……
あんまり藤堂先生という決まった相手がおる、言うんが広まるとおもしろう思わん御贔屓の旦那衆も多いんや 。
ほら、あの若旦那はんかて……南座での恩があるから黙ってはるけど、あんたが明けても暮れても藤堂先生べったりやってみ? 悋気も起こしますやろ…… 」
せやから?……なにが言いたいのん?
とにかく平助とのことが気に入らないのだということだけはわかる、君尾は黙り込むが内心ますますいら立っていた。
「うち、そろそろ長唄のお稽古の時間どすさかい。 もうええどすか 」
君尾はもう話は終わったというように腰を上げる。
……お座敷でお金を落としてくれるお客が大事なんは、うちかて同じや。
そないなことねちねちねちねち言われんでも、よぉう分かってるわ。
お座敷で過ごす時間、芸はもちろんお酌をする指の先から目線、話題まで気を抜かず相手を楽しませてひと時の夢を見させてあげる。
それが芸妓なのだと思っている。
でも……
君尾は勝ち気な目を伏せた。
夢を見るのは自由だがそれ以上の勝手な期待をされても困るのだ。
ましてや本気で惚れた
他の男と床を共にするなど考えるまでもない。
立ち上がりかける君尾に「ちょっと待ちなはなれ。 まだ話はこれからや。
あんたと藤堂先生のことはもう何も言わんさかい、好きにしたらええ。
せやけどなぁ…… 」ちらっと君尾を見る。
「今夜、近藤先生のお座敷が入ってるんやで 」君尾の顔色を窺うようにしている。
「……知ってるわ 」
「君尾はんがいやがるさかい豆鶴を、と思うたけど……近藤先生が豆鶴やったらあかん言うて聞かしまへんのや 」
平助の目を盗むように一力を訪れては口説こうとしていた近藤
何度来てもやんわりと断っていた
正月開けてすぐの伊東先生とやら主催の宴席のこと
伊東の袴にお酒をぶちまけてから一力には顔を見せなくなった近藤。
あの時の近藤の伊東に対するへつらいぶりから
ろくでもない店を紹介してしまったせいでいい恥をかいたとばかりに愛想尽かしてくれたのかと思っていたが、平助が江戸へ行くとすぐまた一力に顔を出すようになる。
時には壬生狂言や芝居見物に誘われることもあった。
それもいろいろ理由をつけては断っていた。
「お座敷はきっちり努めますさかい心配せんでも…… 」
「君尾、あのなぁ……その……近藤先生が…… 」言いにくそうに忠左衛門が引きつり笑いを浮かべた。
[2]
話が終わり忠左衛門が出ていくと一人になった君尾は日が陰ってうす暗くなった部屋で灯りもつけずに、ぽつんと座っていた。
『今夜一度限りでいい、宴席の後に近藤の相手を務めてほしい』
そう言って畳に頭をこすりつけるように忠左衛門が頼み込む姿……
「……もうええわ。 うち辞めさせてもらいますさかい 」
「なにをまたあほなことを…… あんたはうちの店の、いや祇園一の華やないか。
あほなこと言うたらあかん。
うちの店としても羽振りを利かす新選組の、それも局長先生の機嫌を損ねたら商売に関わるくらいはわかりますやろ? 」
「せやから、辞めるて言うてるやないの! 」
「それだけやないで。近藤先生がへそを曲げたら藤堂先生かて新選組での立場が悪くなることもあるかもしれんなぁ…… 」
ほな、そういうことやさかい。
素人やあらへんのやし、うまいことやっとくれやす。
これは藤堂先生のためでもあるんやで……よう心得といたほうがええ
首を縦に振らない君尾に業を煮やした様に脅しつける忠左衛門の顔を思い出し君尾は震えそうになる手を握り締めた。
平助様の立場が悪くなる……
今でも隊内の揉め事に疲弊しているような平助の立場がますます悪くなるというのか……
……うまいことって……?
素人でないからなんだというのだ……
ただ一度限り……
その一度の欲望のためにその何倍もの苦痛に耐えなければいけないのか……
それでも……
うちのことで平助様に理不尽な仕打ちをされるようなことがあってはならないのだ
平助様……
今、なにしてはるん?
うちの簪、もう買おてくれたん?……
江戸はどんなとこやの……?
関東から来た男らを田舎侍と馬鹿にしていたけど……
おうどんのお出汁の色が黒いって聞いて気持ち悪ぅ思ったけど……
平助様の生まれ育ったところやったら
一度くらい見てあげてもええけど……
……一度でええから
うちを連れていって……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます