激震編 13話 芽生えⅠ 想い想われ

[1]

 ー江戸ー


 同期の塾生と共に学び、生活した江川塾の宿舎。


平助と一緒に学んだ塾生たちはすでに免許を取得、それぞれの地元へ帰って行った。

そして次の新しい塾生たちが周りの期待を背負って免許取得に向けて励んでいる。


今回の塾生たちも新選組隊士という異分子に特別関心を払うことは無く普通に挨拶を交わしあう。


宿舎の起床時間も朝餉の味噌汁の味も、そして朝餉の後になんだかよくわからない西洋式の体操をさせられる、そんなところも以前と変わらない。


……向上心あふれる塾生たちのきらきらした瞳


……ほんの一瞬だったが心を揺らしてしまった海軍操練所への誘い


そして……あの朝、筵の下に寝かされていた村上とも……


平助にとって懐かしいばかりでない、思い出すことさえ辛い記憶が癒えるにはまだ日が浅く平助の心をざわつかせる。


それでも逃げ出すわけにはいかない……そう自分を奮い立たせた。


伊東先生から新規隊士募集の際、ぜひ顔を出してほしいと頼まれた道場へのあいさつ回りもある……


今回こそは砲術の免許を取得しなければ……近藤先生や土方さんの顔に泥を塗ることになってしまう


……もう下手な仕事はできないのだ


伊東先生の期待に応えること。


いつも心配そうな顔をして俺のことを見ている山南さんにまた心配をかけないこと。


……土方さんに……これ以上愛想を尽かされないこと。



 平助は昼は塾の講義と調練に他の塾生たちの何倍も熱心に取り組んだ。    

夜、宿舎へ戻ると他の塾生に少し遅れての入塾となった新選組隊士の阿部や富山の勉強を手伝う。

それが終わると深夜過ぎまで自分の課題に追われる毎日。

合間には新規隊士募集のために江戸の道場を熱心に回った。



ひと月経った頃、

平助はすべての課程を修めて免許取得がほぼ確定、あとは最終の試験を残すのみとなる。

この試験も合格は確実だろうと教授方から太鼓判を押されていた。


はじめの頃は心もとなかった阿部や富山も、平助がしっかり面倒を見たせいか他の塾生たちにようやく追いつくことができた。


……阿部さんも富山さんも大丈夫そうだな。

新規の入隊希望者も伊東先生の紹介の道場を中心になんとか恰好がつく人数が集めることができた。

このまま順調に試験に合格すれば……

予定より早い三月始めにはこちらを発って半ば頃までには京へ戻ることができるかもしれない……


肩の荷を下ろせたような気がしてほっと安堵しながら平助は部屋で一人書物をめくっていた。


そこへ阿部と富山が顔をのぞかせる。


「阿部さん、どうされましたか?……講義でわからないところがありましたか?」

読んでいた書物を伏せる平助に阿部が『いやいや』と手を振る。


「藤堂君、今回は大変世話になったから今夜は一杯どうかと…… 」そう言って富山と顔を見合わす。


「おいも江戸は初めてじゃ。 京の酒、江戸の酒、飲み比べてみようごつ思うちょいもす 」

薩摩出身の富山の薩摩言葉は新選組隊内で皆にひやかされ、そのせいで富山の口調はいつもゆっくりしている。

平助も薩摩言葉にようやく慣れてきた。

「そうですね、阿部さんも富山さんも毎日宿舎と塾の往復では息が詰まりましょう。

ぜひお供させてください。 」


「そうこなくてはな…… 」阿部が平助の肩を叩きながら

「いいがいる店を知ってるんだ。」


「私はそういうのは…… 」


「いいからいいから。ではまた今夜 」

阿部と富山がいそいそと出ていくと平助は苦笑しながら部屋を片付ける。


まだ時間があるな……今のうちに買っておきたいものがある……




 [2]

 

いくつか店を見て回り、少し迷ったが左之助さんとおまさちゃんの婚礼の祝いの品を決めた。


左之助さんはおまさちゃんの料理上手をいつも自慢している。

きっと残さず全部、美味しそうに食べるんだろう……


左之助さんの大きな手にぴったり収まりそうな大きめの茶碗と少し小さい茶碗、こちらはおまさちゃんに……

炊きたてのご飯を入れてもいいし、おまさちゃんお得意の芋煮を入れても映える深い藍色の器。

内側に美しい橙色の蜜柑が描かれている。

蜜柑は左之助さんの故郷、伊予の名物だ。


それに合う箸も二膳選び、一緒に包んでもらう。


夫婦茶碗に夫婦箸、ありきたりだけど……ありきたりなのがいいのだと猫が教えてくれた。


婚礼の祝いなど買ったことが無かったので何が良いかわからないと相談すると

『平助様……婚礼のお祝いはありきたりなんがええんどす。ありきたりのことが幸せやなぁ思える……そんな毎日を送れますように言うて…… 』

俺を見つめて楽しそうに話す猫を思い出す。


……左之助さんとおまさちゃんがずっと笑顔で過ごせますように。



包みを下げて店を出た平助は次の店へ向かう。


ここだ……


目星をつけていた店の前に立つ、が中へ入るのはいささか逡巡する。


踵を返しかけ、また店の前に戻る。

暖簾をくぐろうとしたその時、突然、暖簾が開いて男が顔を出す。

店の屋号の入った前掛けをかけているからこの店の者だろう、年齢からおそらく番頭と言ったところか……


そのまま品定めするようにじっと見つめられて平助も蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くす。

が我に返ると「……失礼しました 」慌てて去りかけた平助の着物の袖はしっかりつかまれている。

「いらっしゃいませ。どうぞ中へ、お武家様 」男が如才ない笑みを浮かべていた。




 [3]

 

 思っている以上にたくさんの種類がある……


細工が美しい色とりどりの簪が所狭しと並べられている。

客は平助の他に二人、男が連れの女に簪を買ってやるようで楽しそうに選んでいる。


「さあ、お武家様。 どうぞこちらへ…… 

この辺りに並べているのはお手頃な物が多いんですけど、奥には一つ限りのいい細工の物もございますのですぐお持ちしましょう 」


店先に並んでいる物より値がだいぶ張りそうな簪が運ばれてきた。

「お武家様、どうぞゆっくりお手に取って…… 」


恥ずかしそうに腰を下ろした平助はわずかに頷くと遠慮がちに簪に手を伸ばす。


その様子に番頭が「奥方様へですか? 」

「いえ……そうでは 」

言いかける平助を遮って「ああ……まだお若いから許婚のお嬢様にでございましょう? お手伝いさせていただきますよ 」


並べられた簪を端まで見終わるとまたすぐ新しいのがずらっと並べられる。

さあさあ、どうぞという笑みを張り付かせた番頭にじっと見られて落ち着かない。


……たくさんありすぎて。どれがいいんだろう


平助は苦笑する。


もしかしたらお座敷で使うこともあるかも。

だとしたら少し派手なほうがいいのか……


そもそも猫はどんな色が好きなのか、どんな飾りが好みなのか……


……全然知らなかった……


黙ったままの平助に番頭が飛び切り華やかな一本を手のひらで差し示す。

「これは少し値は張りますがお勧めですよ、どうです?すばらしいでしょう 」


金色の簪にはこぼれるような珊瑚の花が咲き誇り、金色の蝶が大小いくつも揺れている。


目利きの利く簪屋の番頭がお勧めだというのだから洗練された物に違いない。


でも……自分で選んだわけではないから


「……あの」言いかけた平助に

「これは滅多なお客様にはお勧めしませんよ。 こちらの細工は清国の流行りを入れてまして…… 」

番頭の話は止まらない。

平助の目から見てもその簪がすばらしいのはわかる。

簪のことが良く分かってない自分が選ぶよりいいような気がして

「……それにします 」


「さすが、お武家様。許嫁のお嬢様はこの簪が似合うおきれいなお嬢様なんでしょうね 」

追従を言いながらそろばんをはじいてこちらに見せる。

平助は急いで小判を十枚、並べた。


「すぐお包みしますので少々お待ちください。お茶をご用意させましょう 」



一番目立つ美しい簪が高そうな箱に収められ、その上からこれまた美しい色紙に包まれるのを平助は黙って見つめていた。


ようやく包み終わった簪を受け取るとすぐ懐へ収めて店を出る。


平助のすぐ後に買い物が終わったらしいもう一組の男女の客も出てきた。

何気なく立ち止まりそちらに目をやる。


女のほうが買ってもらったばかりの簪の包みを愛しそうに胸に抱いている。

男と目を合わせ恥ずかしそうに頬を染める女の表情かおが美しい……平助はそう思った。


懐に納めた簪、平助はそっと手をやる。


猫もあんな表情かおをしてくれるのかな……



『……簪、めっちゃいいの買うてきて 』

そう言って潤むような瞳で俺を見つめる猫

『それだといいのが見つかるまで帰ってこれない』と冗談で返した俺に『それは嫌…… 』甘えるように抱きついて頬を寄せていた猫……



買い物を終え、すぐに宿舎に戻るつもりだったがそのまま賑やかな通りへと歩いていく。

細かい細工物や簪を商っている店を見つけると中を覗く。

そうやっていくつ回っただろう、あたりが暗くなりそろそろ戻らないと阿部たちを待たせてしまうことになる。

また別の日にするか……そう思った平助がふと目を上げた先に小さな店がある。

その店先に並んだ簪。派手さは無くむしろ地味といっていいかもしれない。

なぜかわからないが心惹かれるものを感じた。


店じまいの時間なのか、店から出てきた女が暖簾を片付けようとしている。

竿に手が届かず背を伸ばして苦戦している女の後ろから平助が腕を伸ばし暖簾をひょいと外してやる。


驚いた女が振り返ると外した暖簾を手にした平助が恐縮した顔で立っている。

「遅くに申し訳ありません。簪を少し見せてもらえませんか…… 」




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



すっかり遅くなってしまった。



月夜に照らされた道を平助は宿舎に急いでいた。


阿部さん達、怒ってるだろうか……



早く戻らないと阿部さん達を待たせてしまう、そうは思った。

でも……どうしても妥協できなかった、したくなかった。

俺が江戸土産に簪を買ってくると言った時、あんなにうれしそうにしていた猫……

ちゃんとその想いに応えたい……


暖簾や店先に並べた品物を片すのを手伝ったからなのか商いを終える時間ぎりぎりに飛び込んだ迷惑な客のはずの俺にも親切に簪を見せてくれた。

いぶし銀の細い金具の先に赤い蜻蛉玉が一粒ついた簪に目が留まる。


それに手を伸ばす。


角度によって微妙な濃淡の色の変化を見せる赤い蜻蛉玉は猫の爪紅を思い起こさせる。


……猫がお気に入りの赤い爪紅とよく合いそうだ


やっと満足のいく簪を見つけた




懐の中で平助が走るのに合わせて美しい紙に包まれた箱入りの簪と紙一枚で包まれた簪がかさかさと音を立てる。



早く京に帰りたいな……


そんな風に思う自分に少し驚いて平助は笑みを漏らす。


あんなに試衛館の日々を懐かしんだのに……

どんなにかあの頃に帰りたいと思ったのに……


……俺にとって京は既にところではなくところになっていたのだな……




 [4]

 

 宿舎に戻ると阿部と富山がそわそわと平助を待っていた。

真面目に復習に精を出す他の塾生に気を使ってこっそり宿舎を抜け出す。


塾が見えなくなるまで三人で一気に走る。


「はぁ……久しぶりだよ、こういうの 」阿部が声を弾ませる。


「……ちょっ……と……二人とも……ハァ……待ちたもんせ……ハア…… 」巨体を揺らして走ってきた富山が、こちらは息を上がらせながら汗を噴き出させている。


「大丈夫ですか?富山さん…… 」平助が富山へ歩み寄る。


「ああ、藤堂さあ。おいはもうやっせんかもしれもはん 」


「……? 」平助がわずかに笑みを浮かべて手拭いを差し出す。


富山がその手拭いを奪うように取って汗を拭いていると「行くぞぉ」阿部がまた走り出す。


「行きましょう、富山さん 」平助も走り出した。


富山だけが「意地が悪か…… 」よろよろと二人の後を追った。


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