激震編 12話 旅立ちⅡ 名都

[1]

 平助が江戸に発って十日ほどが過ぎた頃。

名都は新選組隊士である兄、三浦と四条通を歩いていた。


 四半刻ほど前……名都は丸櫛屋の皆に見送られ島原の大門を出た。


「なっちゃん、もうここは通ったらあきまへんえ 」女将が涙ぐみながら声をかける。


名都がかわいがっていた禿の白菊や松風もべそをかいている。


ひときわ大げさに鼻をぐずつかせた仙三が「名月はん、寂しなるけど幸せになってや 。 またいつでも遊びにきてえな…… 」

「ちょっと、仙三はん! この大門は堅気になったら通ったらあかんって今、言うたやないの! 」


仙三がばつが悪そうに「えろうすんまへん 」と女将をちらちら見ながら頭をかく。

そんな仙三にべそをかいていた少女達も笑い出し、女将夫婦も笑顔を見せる。

新選組の中にいて一度も笑い顔を見せたことのない三浦でさえ思わず笑っている。


……初めてここに来た日


名都も一緒に笑いながら、島原に売られてきた日のことを思い出す。



迎えに来た女衒の後を不安な気持ちに押しつぶされそうになりながら島原の大門を通ったあの日……


たった一歩やのに……

それやのに……『あちら遊郭』と『こちら』は

世界がまるで違っているんやなぁ……


名都は不思議な思いで大門の向こうに続く道を見る。


初めて客を取った日は朝から緊張して何も食べられへんかった……


今となっては、みぃんな……懐かしなぁ。 悪いことばっかりやあらへんかった……


おおきに……


名都は大門に静かに頭を下げた。



[2]


 兄の約束通り名都の借金の返済はすべて終わった。


丸櫛屋夫婦が餞別代わりにと、名都に着物を持って行ってもいいと言ってくれたが仕立てたばかりの新しい着物は白菊たちに譲った。


一番のお気に入りでよく袖を通していた白地に薄桃や紅の花柄が散った着物。

それだけを持っていくことにした。

お気に入りの着物と少しの身の回りの品を包んだ風呂敷を大事そうに抱えて兄の後をついて歩く。


「兄さん、 どこまで行くん? 」

「どうした? 疲れたか……そばでも食べて行くか 」


大丈夫と言うように首を横に振った名都はふと通りに出ている飴細工屋に目を止めた。


『夜店で飴細工を買ったりもしたな……

甘いものは好まないのですが細工が細かくて。

飴を作っているところを見るのが楽しいんです 』


そう言って目を輝かせていたあの人……


飴細工屋が器用な手つきで飴をひねる、うさぎや鳥といったかわいい飴が次々と並ぶ様は確かに見ていて飽きない。

笑みを浮かべて飴細工を見ている妹の姿に三浦は懐から財布を取りだす。

「こんな飴がほしいのか?……子供みたいだな 」


兄から狸の飴細工を受け取る


「……名都に似ている 」


「狸に?……もう! 兄さん、からかわんといて 」


あの人は……何を買ったんやろう?


うさぎ?……それとも金魚もかいらし(かわいい)かったけど


……狸やったらええなぁ


うちの中であの人はずっとあの頃のまんまや……なんも変らへん

あの時の笑顔が好きやったから

これ以上の宝物なんか、他にあらへん……



 [3]


「つ……き……? げつ?…… 」

名都が首をかしげて兄を見る。


月真院げっしんいんと読む。」


階段を数段上がったところに寺の山門があり、そこに『月真院』という扁額が掲げられている。


秀吉の妻、高台院と親しく交流のあった亀井政矩公がここに開いた月真院は高台寺の塔頭のひとつでその歴史は長い。


兄とともに境内にそっと足を踏み入れた。


派手さは無くとも手入れの行き届いた中庭には昨日の雪がまだ残っている。

庭には紅葉の木が広がり、秋には美しい紅葉を見せてくれるのだろう。その裏手には大きな竹林が迫る。

右を見れば夕陽を背にした八坂の塔まで見渡せた。


名都の目を引いたものがもう一つ……

雪化粧を施した赤い椿が美しく咲いている。


「……きれい 」名都が息をつく。

「有楽椿だ。 織田信長公の弟、有楽斎殿が植えたらしい…… 」

「織田信長?……そんなすごいお寺に、うちなんかがお世話になってええん? 」


「じつは……月真院のご住職と私が養子に行った家が昵懇にしていた。

その縁でご住職に名都のことをお願いできないか頼んでみたのだ 」


三浦は八坂の塔を見ながら

「よいところだろう? ここなら奥向きの仕事をしながら行儀作法も習うことができる。 ご住職は公家にも顔の利くお方なのだ 。もしかしたら公家のお屋敷で下働きのご奉公に上がることもできるかもしれないのだ 」


昨日まで島原で体を売っていたうちが……

下女とはいえお公家さんのお屋敷でご奉公やなんて……


兄がどこまで本気なのか、それとも冗談なのかわからず名都は話を変える。

「……兄さん。新選組のことやけど……

うち、兄さんにはもう新選組を辞めてほしい。

そしたら二人で長屋でも借りて一緒に暮らせるやない……

今もまだ身体が治ってへんのやし 」


「……名都、新選組をやめるつもりは無い 」

「兄さん! 」


「……名都……まだ、藤堂さ…… 」



「これはこれは、三浦殿。 お待ちしてました 」奥から住職が顔を見せた。


三浦が頭を下げるので名都も慌てて頭を下げる。


「このおかたが妹さんどすか……よう似てはりますな 」


「名都と言います……よろしゅうお願いします。

一生懸命働きますさかいなんでも言いつけとくれやす 」


「ここは冷えますやろ。 あったかいもん用意してるから中へどうぞ。 ささっ、三浦殿も 」

住職は柔和な顔で兄妹を促す。


名都は落ちていた椿を一つ拾うと住職と兄の後を追った。





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