激震編 10話 油、醒ヶ井で、堀川の水Ⅱ 油小路の怪


 [1]


ー 一月十四日 宵五つ(20:00頃)ー


 なぜ、こうなってしまったんだろう……


本当なら猫と二人で暖かい部屋で過ごしている頃だ。

それなのに寒空の下を五人でひたすら歩いている。


先ほどから猫の機嫌がすこぶる悪い


やはり斎藤と新田を一緒に連れてきたのがまずかったか……

それとも手を繋ぐのを嫌がったから?


江戸へ発つ前日くらいは猫とゆっくり二人で過ごそう……

そう思って事前に外泊の許可までちゃんと取ったし、新八さんや左之助さんの誘いは断っておいた。

巡察から戻り、やっと祇園に出かけようとした時に斎藤に声をかけられた。

「戻るのを待っていた。行こう 」そう言って盃を傾ける真似をする。


斎藤と話していたところに新田が割り込み、藤堂隊長の送別をしたいと提案した。

新田お勧めの美味い湯豆腐を食べさせる店が二条堀川通にあるという。


もちろん豆鶴や君尾殿もお誘いして、という新田の提案に斎藤もなぜか否を唱えなかった。


そういうわけで『離れて歩こう』発言以後、すっかり機嫌を損ねた猫の恨めし気な視線を受けた斎藤、新田と豆鶴を含む五人で店へ向かっている。


……はずだった


豆鶴とじゃれていた新田が急に立ち止まって、こちらを振り返る。

「藤堂隊長ぉ…… 」べそをかくような顔でじっと見ている。


「新田さん……どうしました? 」


返事もしないできょろきょろと周囲を見回す新田に、ものすごく嫌な予感がした。


「新田様? 」猫が美しい眉を顰める。

「豆鶴ちゃんと、いちゃつくんはかまへんけどお店の場所わかってはるんどすやろな? 」


猫に睨まれてますます恐縮した新田が

「ええっと……いやその……わかってはいるのです。

ただですね、ここがどこか失念を…… 」


猫だけでなく豆鶴まで「新田様、毎日巡察に出てるから京の町は詳しいっていつも言うてはるのに…… 」


まだ一月の寒い夜にかなりの距離を歩かされたことも女たちの機嫌を悪くさせた。


「あの……このへんは見廻り組の管轄で……藤堂隊長ぉ、助けてください 」


東西に走る道が二条通くらいは新田もさすがにわかっているだろう。


でも……


通りを振り返る、新田に任せきりだったのと猫と手を繋ぐか繋がないかという攻防に気を取られていたので南北に走る通りまではきちんと数を数えていなかった。

確か……十七本目? いや八だったか……


「新田様、しっかりしとくれやす。 ここは油小路通りあぶらのこうじとおりどす 」


「……油小路通か。だったら…… 」言いかけた時、


猫が唄うように

「……♫寺御幸麩屋富柳堺 てらごこふやとみやなぎさかい~♫~油、醒ヶ井で、堀川の水あぶら、さめがいで、ほりかわのみず

平助様……ここが油小路通、あそこが醒ヶ井通、そのずっと向こうが堀川通。

京に生まれたら小さいときからこの歌で通りの名前の順番を覚えるんよ 」


「場所がわかってよかった。では皆さん!参りましょう 」

新田がほっとした顔で歩き出す。


ずっと黙っていた斎藤が鋭い視線を送ってきた。

「……藤堂 」


俺も目線だけを来た道へ向ける

「ああ…… 」小さく答えて「新田さん…… 」


「……はい? 」きょとんとした顔で歩きかけた新田が振り返る。


「豆鶴さんと君尾を連れて先に行ってもらえませんか…… 」



 [2]


 「え?……あ!……はい 」

ようやく新田も察したのか緊張した面持ちで頷く。


「……平助様? 」猫が瞳に不安の色を滲ませ手を強く握る。


俺はつないだ手を離しながら安心させるように微笑む

「猫……先に店で待っててほしい。あとからすぐ行くから心配いらない 」


「さ、行きましょう。君尾殿……豆鶴も 」新田が促す。

「どないしたん? 」豆鶴が今にも泣きそうな顔で震えている。


「豆鶴ちゃん、平助様が心配いらん言うてるんやからなんも心配いらんわ。

平助様……『あとからすぐ行く』のってどれくらい? 」

瞳に浮かべていた不安はすでに消えて、きりっとした目で俺を見つめる。


「四半刻、いや半刻ほど…… 」


「ほな、四半刻だけ待ってあげるさかい……ちょっとでも遅れたら土下座百回してもらうけどよろしおすな? 」


「わかった、約束しよう。 

新田さん、急いでください 」


新田が女二人を急き立てる。

二度三度と振り返る猫にもう一度微笑むと軽く手を振った


「お前も一緒に行ってやれ。俺が残る 」

斎藤があきれた顔をしている。


猫に振った手でそのまま斎藤を小突く

「かっこいいな、斎藤 」


俺は鯉口を切ると、殺気を放って近づいてくる男たちに向き直る。

七人、思ったより多い……


「新選組の藤堂だな…… 」

男の一人が刀を抜いたのを合図に他の男たちも一斉に刀を抜いてこちらへ向けた





 [3]


 俺のことを知ってて付け狙っていたようだ……


少し考える……が、恨みならさぞかし買っているだろう


いつ、どこで?どれだけ考えても無駄だ


そう思って刀を抜く。


「江戸でお前が斬ったのは俺たちの仲間だった 」

一番最初に刀を抜いた男だ。


江戸?……あの時の辻斬りの仲間?


抜いた刀を水平に構え、男を睨む


「他に仲間は、いないと言っていましたが 」


「俺たちは京で一旗揚げるつもりだった。 

時を待っているうちに調子に乗ったあいつらが攘夷斬りと称して辻斬り紛いのことを始めただけだ。 」


そういうことか……

京に上って攘夷志士気取りで反幕府活動をするつもりでいた。

先走った数名だけが江戸で攘夷斬りという名の辻斬りを行ったと……


その犠牲になったのが……大切な友だった人


再び湧き上がりかけた怒りを抑えつける

「事情はわかりましたが、京の治安を乱す輩を未然に取り締まるのが新選組の仕事です。

大人しく番所へ同行してください…… 」


「うだうだ言ってないで早く死ねよ! 藤堂っ 」


男が鋭く二度、三度と繰り出す刃をひらりひらりと後ろへ退いて壁を背にする。


「なるほど……今牛若 」斎藤が腕組みしたまま俺たちを見ている。

「俺は見物してる 」


「なんだ……ずいぶん冷たいんだな 」

「……無理なら手を貸すが 」


「貸さなくていい…… 」


刀を握りなおして相手が動くより先に一飛びに間合いを詰め、刀を振り下ろされる前に左肩を突いた。

男の刀の切っ先が俺の目のすぐ前をストンと真っ直ぐに落ちていく。


肩の付け根を突かれた男が呻きながらうずくまるのを横目に捕らえる。

抜いた刀を素早く反転させ、すぐ隣に立つ男の頬の上をさっと払った。

血がどっと吹き出す。

顔の傷は浅くても出血が激しいので相手の戦意を削いでやるにはよい。


そのままの勢いで駆けだす、身体を低くして残った男たちの中に突っ込み刃を左から右へきらめかす。

撃ちかかろうと踏み出しかけた男二人の脛が同時に血を吹く。

「うわっ!」足を斬られて倒れ込む二人。



斎藤は先ほどからの平助の動きを黙って見ている。


すべて浅い……たまたまではなく、わざと致命傷を与えないように加減している。

だが加減はしても剣は鋭く反撃の余地はいっさい与えていない


さすが『新選組四天王』


だからこそ……


……残念だ、藤堂


今日、今後の藤堂の意志を確認するつもりだったが……その必要は無くなった


……藤堂、お前は伊東さん側の人間なんだな



 [4]


これで……しばらく立てないはず

傷は浅くてもすぐには動けない、そういうところばかりを狙ったつもりだ。


倒れて呻き声をあげている男たちを視界に入れながら、刀を右手に下げるように持った。


江戸からの刺客はまだ三人残っている。


斎藤が声をかける

「藤堂、時間がかかりすぎだ。 早く終わらせろ 」


「……わかってる 」肩で息をしながら答える


「土下座する気か 」なおも斎藤が野次を飛ばす。


「……しない 」


一人が刀を振りかぶった、右手だけで持った刀で受け止める。

闇夜にするどい金属音が響いた


目を血走らせて刀をぐいぐいと押してくるが右手だけでなんとか耐える。

「あなたは、この通りの名を知ってますか 」


は? という顔で男が平助の顔を見た。


「ここは油小路と言います。京に出てきて日も浅く通りの名もまだよくわからないのでしょう。 

そろそろ観念して番所へ同行してもらえませんか……

きちんとお取り調べを受けて江戸に帰ってください 」



そこへ「藤堂隊長ぉ! 」新田が番所の役人と戻って来たようだ。


押し合う相手の気が一瞬逸れた、俺は刀を跳ね上げると肘で鳩尾を思い切り打ち付けた。


「ぐっ」くぐもった声を出すと男が倒れる


怪我人と気勢を削がれた残り二人を番所の役人が縄をかけている。


「ご苦労様です。よろしくお願いします。  」

番所の役人たちとあいさつを交わし連行される男たちに声をかける。

「……私の友人を斬った場にいなかったとのことなので今回は許します。

詮議が終わって江戸に帰ったら、もう京へ来ようなどと思わないでください。

次、会ったらこの程度ではすみませんよ 」


番所の役人を見送ると刀を拾いあげた。


派手に刃こぼれしてしまったな……


「藤堂隊長! お怪我はありませんか 」刀を調べていると新田が駆け寄ってきた。


「私は大丈夫です、豆鶴さんと君尾は? 」

「はい、ちゃんと湯豆腐屋で待ってますよ。念のためそちらも番所から人を手配してもらってます。」


俺は頷くと斎藤を軽く睨む

「おい……本当に見ているだけだったな 」


「問題あったか 」

「……時間がかかった 」


「だったら早く行け……女が怒ってるだろ 」

「約束の時間、もう過ぎてしまっただろうからな 」


「藤堂がああいう勝ち気な女が好みだとは思わなかった 」


刀の刃こぼれを調べ終わり鞘に納めながら

「……いい女だろ 」


「……だな 」


突然風向きが変わったようで雲が広がり、さっきまで光っていた月を隠すと油小路通りは闇に包まれる。

新田が慌てて提灯の用意を始めた。


斎藤が来た道のほうへ一人歩き出す

「どこへ行く? 店はこっちだろ 」


「もう用は済んだから帰る……」暗くて斎藤の表情は見えない。

そのまま暗がりに消えていった。


「行きましょう、隊長 」


「♫~あぶら・さめがい……で……ほりかわの……みず♫ 」

さっき猫が歌っていた通り名の歌をうろ覚えで口ずさんでみる。

遅くなったから猫がものすごく怒っているだろう……いや、心配している


新田の提灯が揺れている、歩き出そうとして足を止めた


「隊長? どうされました? 」


……


油小路通りをずっと下った闇の先で大勢の怒号やたくさんの人の足音といった喧騒が聞こえた……気が……した


「藤堂隊長……? 」


もう一度、新田に呼ばれて我に返る


怒号はもう聞こえない、静かな闇があるだけだ


今のは……


怒号の中で自分の名を呼ばれた気がした……


そんなもの聞こえるはずない

気のせいだ


今日はどうかしている……


「行きましょう、新田さん…… 」


俺は明るい提灯だけを見ていた

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