激震編 2話 花の陣Ⅱ 牡丹と新選組の男

 [1]


 窓の障子を開け欄干に手をついてぼんやり月を眺めながら、君尾の三味線に耳を傾ける。


三味線の手を止めずに君尾が平助を見た。

「いつまでも開けてたら寒いんやけど…… 」


「そうだな……すまない 」平助は目を伏せると名残惜し気に障子を閉めた。


障子を締め切ってしまえばわずかに聞こえてた犬の遠吠えも聞こえなくなり、

君尾の三味線が奏でる艶っぽい音だけの世界になる。


「……京を発つ日が決まった、十五日だ 」

「そうなん…… 」君尾の返事はそっけない


砲術の免許取得。

刃傷沙汰を起こしたせいで勉学半ばで京に帰ることになってしまったため、もう一度江戸へ行かなければならない。

その出発が十五日と決まったと土方から事務的に告げられた。


その際、前回に引き続いて江戸で隊士の追加募集も行うよう命を受ける。

「近藤が伊東を……さんを新選組に引き抜いたことをとても評価している。

前回のこともあるから勉学に集中したほうがいいと俺は思うが。

近藤が『ぜひとも』と聞かないからそっちの仕事も引き受けてくれ 」


「はい…… 」

返事はしたものの胸中複雑である。


前回のこと……今更そんなことを気遣ってくれるなら前回のとき山南さんに隊士募集をお願いすれば良かったのだ。

山南さんがその仕事をあれほどやりたがってたのに……


そして近藤先生……

近頃では「隊士を大名並みに増やして局長の肩書に箔をつけたがっている 」

そんな陰口が幹部、平隊士問わず出ていることは平助の耳にも入っている。

永倉が以前、近藤のことを心配していた通りになってしまった。



平助は気分を変えるようにため息を一つつくと

「猫…… 江戸から戻るのは四月くらいになりそうだ。 

しばらく会いに来れない 」


「そうどすか…… 」


相変わらずそっけない君尾に苦笑しつつ

「……途中、大坂へ寄って松太郎の様子を見たいと思ったけど。 駄目だと言われた 」


「未練がましいわ…… 」


「そうかな……泣いたりしてないか心配になるだろ 」


「泣いてへんか心配なんは松太郎ちゃんのことだけどすか? 」

君尾の三味線はよどみなく滑らかな音を奏で続ける


「……何が言いたい 」




 [2]


 年の瀬も迫った『あの日』

平助に頼まれて島原まで名都に会いに行った。


初めて会う平助の想い人名都は休憩中だったのか、まだ化粧もしていない幼さの少し残る愛らしい顔立ちをしていた。


白いさくら草……そんな言葉が似合う可憐なひと


新選組の藤堂平助と別れてほしい


ちょっと強い風が吹かせてやるだけでいい


簡単に折れてしまうだろうさくら草は、

しかし凛とした強さを秘めた瞳で見返してきただけでなく


平助は自分のことをものすごく大事にしているのだ


力強く言い返してきたさくら草に、

一瞬……そう、ほんの一瞬たじろいだ




 [3]

 

 障子を閉めたのにまだ障子越しに月を惜しむようにその場を動かない平助のほうを見ると、平助もこちらを見ていた。


平助は新選組の仕事の過酷さをさくら草に知られるのを嫌がっていた


だから何も話すことができなくなり、心に抱え込んだせいで疲れ果ててしまったのだろう


でも……と君尾は想う


あのさくら草は平助が思うほど弱くはない


もし、すべて話していても折れることのない強さを持っていたのに……


風に吹かれることさえも心配するほどさくら草名都のことを大切に考えていたということだろう


そのことを嫌というほど思い知らされた気持ちになった


名都が子供っぽいから抱く気にならないと言ってやったと『嘘』の報告をすると、平助が目に苛立ちを見せた


ほんま勝手な人……


さくら草の代わりに平助の頬を思い切りぶってやったけど……


そんなものよりずっと、うちの心のほうが痛かった


自分でも勝手だとわかっているのだろう

黙ってぶたれるのを待つ平助を見ていると涙が止まらなくなってしまった


さくら草を手折ることもせず風に吹かれないか心配して

ただ美しく咲いてるのを見て安心するような平助の健気さの裏返しのあほさ加減にも呆れるし……



こんなあほな男にとことん惚れてるんやから……

うちもたいがいあほや……と自分でも呆れている


こんな勝手な男のどこがええん?……


こちらを見ている平助と目を合わせたまま黙って三味線を弾き続ける


平助が先に口を開く

「……三味線はもういい。 こちらへ…… 」

そう言って手を差し伸べてきた


返事をしないでいると「……猫」平助が声に少しいらだちを含ませ立ち上がった


三味線の撥を優雅な手つきで動かす君尾に近づくとその腕を強くつかむ


ベベン


三味線の音が初めて乱れた


君尾が平助の腕をはねつけて微笑む

「……うちがええって言うまで触らんといてって言うたはずやけど?

ほんま、悪い男にならはったなぁ 」


「……そう思うなら叩き出せばいい。 なぜそうしない? 」


微笑んだまま君尾が首をかしげ、立ったままの平助を見上げる

「叩き出したら帰るとこあらへん、みたいな顔してるから…… 」




 [4]


「……屯所にはちゃんと帰っているだろ…… 」

力ない笑みを見せると平助も君尾の隣に腰を下ろした。

乱暴な振る舞いをしたことを反省するかのように俯いている。


「帰りたくないって、顔に書いてあるわ 」



土方に『伊東の取り巻き』と言われたことがまだ堪えている

試衛館からの他の仲間にもそんなふうに見られているのかもしれない……


一方で伊東道場出身の者たちには事あるごとに

『伊東先生がそっちの連中に…… 』と苦情を持ち込まれる


……伊東の取り巻き

……そっちの連中


俺の居場所はどこなんだろう……


「……帰りたいって思っているよ 」

平助は目を伏せた


「平助様…… もう無くなってしまった場所に帰りたいと思っても帰られへんわ。

平助様の帰るとこは…… 」


君尾が三味線を傍らにそっと置くと平助の手を取り、指を絡ませる

「帰るとこは……ここ 」


「ここ?…… 」平助がその指を握り返しながら「……触ったらだめじゃなかったのか? 」


「ええか悪いか決めるんは、うちやねんから 」


こんな勝手な男のどこがええん?……もう一度自分に問いかける


せやなぁ……全部


答えが浮かぶのと平助に口づけされながら押し倒されるのと……


どっちが先やったかなんかどうでもええことや……

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