激震編 3話 山南敬助 うす氷の恋

 [1]


 祇園で平助が君尾を抱いていた丁度そのころ……



「山南先生……今夜は冷えます。 こちらで火に当たっておくれやす 」

火鉢の灰を丁寧に混ぜながら明里が品よく微笑んでいる。


山南は夢中になって読んでいた書物をめくる手を止めて照れたような笑顔を見せた。

「ああ……源氏物語が面白くて、ついつい。……退屈させてしまったかな? 」

そう言って火鉢のほうへ近づく。

書物を手にしたまま少し考える。ほんのちょっとだけ明里のほうへ寄って座った。


「源氏物語に付き合ってくれる殿方は、いてはりません。 山南先生の解釈聞くのが楽しみなんどす 」

明里は静かな落ち着いた声で答える。




まだ去年のこと。

伊東甲子太郎の入隊歓迎の宴の席が島原・角屋で開かれた。

山南の隣についてくれたのが天神の明里。

一緒に来ていた女たちと比べてずば抜けて美しいというわけでは無かったが、静かで落ち着いた物腰が山南の心に残った。


その後、島原をすっかり気に入ったらしい伊東の私的な宴席で明里と顔を合わす。

その品の良い静かな話し方や物腰、控えめな気遣いに心惹かれるものを感じた山南は思い切って一人で島原を訪れた。

「こないだ好きだと言っていた源氏物語のきれいな読み本が、たまたま手に入ったので…… 」

美しい装丁の書物を差し出すとそそくさと帰ろうする山南を明里が呼び止めた。

「山南先生……もしお時間ありはりましたら上がっていってください。 」

「でも…… 」

「……この本きれいどすな。 せっかくやし一緒に読んでみませんか。 さあ、どうぞお上がりください 」

明里に勧められるまま店に上がり、一緒に源氏物語を読んでみる。

今まで国事に関するような書物しか読んで無かったのが後悔されるほどにおもしろい


その日から時折、店を訪れてはお勧めの源氏物語の巻について男女それぞれの視点からの解釈を明里と二人で話し合うことが山南の楽しみになっていった。




今日は初音という帖を読んでいた。


山南が火鉢の側に来ても書物を開いているのを見て明里も書物を覗き込む。

「初音……さすがは山南先生どすな 」

「これは『源氏の君が新しい邸の六条院で初めての新春を迎える』おめでたい巻だから、年の初めに読むにふさわしいと思ってね 」


明里はゆっくり頷くと「宮中では……源氏物語を読むとき必ずこの巻から読むんらしいんどす。 縁起がいい、言いましてな 」


山南が「うす氷 とけぬる池の 鏡には…… 」


「世にたぐひなき かげぞならべる 」明里が下の句を続ける


初春のうす氷が解けた鏡のような池

その水面にこの世で他にはないほど幸せそうな二人の姿がならんで映っている


山南が盃を取り上げると火鉢で温めていた酒を注ぐ明里


「明里……見てごらん 」山南が持つ盃をそっと覗くとそこには恥ずかし気に頬を寄せ合う二人の姿が映りこんでいる


「酔ったかもしれない…… 」熱くなる頬をごまかすように山南がつぶやいた。




 [2]


明里の注いだ酒を飲み干すとふと思い出したように山南が懐かしそうな顔をする。

「そういえば私の知人が、この歌みたいな春を喜ぶ俳句を詠んでいた 」


「まあ……俳句どすか? 山南先生のお友達も風流なんどすな。 もしかして伊東先生? 」


「いや…… 」山南が苦笑する。

「伊東先生でもないし……友人でもない。 ただの古い知り合いというような感じでね 」


「どんな句か聞いてもよろしおすか? 」


「……水の北 山の南や 春の月 

おもしろくも上手くもない句だろう?…… 」


「……ふふ」明里は小さく笑うが「やっぱり山南先生の『お友達』が作ったんやないですか 」


「確かに友人だったかもしれない…… 」

京へ来るまでは友人だったはずの人。

最近では眉間にしわを寄せて睨むような顔しか自分に見せないことを思い出し、山南は目を伏せた。


そんな山南に心配そうな顔をする明里に「……仲が悪くなったとかいうことではないんだよ。 彼の中では私の存在はもう無いようなものなんだ 」



大坂で大けがを負って以来、剣を取ることができなくなった。

隊務から外されてしまう日々……


そんな中で山南が考えたことは……


『勤王』のために会津藩と共に、幕府を支えていく……と思っていた。

……なのに気づけば、新選組は『幕府の犬』と誹られるような存在になってしまった。


長州贔屓の西本願寺への牽制のためだけとしか思えない屯所移転計画……

脅しつけるような強引なやり方にどうしても賛成できない


再度移転先についての話し合いを求めたいと伊東からも何度も伝えていたが、土方は話し合いの場に出席することすら拒む始末。


新選組はいつからか土方の賛同が無ければ何一つ決めることができない組織になってしまった。


伊東に泣きつかれた藤堂が土方を説得したようで、ようやく渋々と言った顔で話し合いに出てきた土方は断固譲らずという態度で話は決裂したまま年を持ち越した。


なんて無駄なことをしているんだと感じることもある。

しかし、このままお飾りだけの総長ではいたくない。

が、屯所移転問題は伊東一派も巻き込んで隊の雰囲気を悪くしてしまう。

それが原因なのか、間に入った調整役の藤堂が疲弊しきった顔をしていることが多くなった。


平隊士たちまでが幹部の目を盗んで近藤派と伊東派にわかれてあちこちで議論している。

隊を二分しかねるような騒ぎになってしまった以上土方あの人は意地でも意見を曲げないに違いない。


こんなつもりではなかったのだ……


もう土方あの人は私のことは許さないだろう


土方と睨みあい、激しい言葉を投げあうのに疲れた心を慰めてくれたのが明里。

なおも心配げな顔をしている明里に微笑むと「まだ江戸にいたころの話なんだが…… 」そう前置きして話し出す。



ある日、激しい稽古の後に土方が皆を集めて石田散薬の効能について得意げに語っている。

それを胡散臭そうな顔で聞いている永倉と原田。

自分なりに勉強し調べてみた石田散薬の効能について教えてやると永倉たちが『山南さんが言うなら本当なんだろうな』と納得する。

石田散薬を褒められた土方が「さすがだな、山南さん。 あんたはやっぱり物事を良く知っている 」と嬉しそうに笑いかけてきた。



あの俳句は……


本人から聞いたのではない

沖田がいつもこっそり見ている土方の句帳の一番新しい頁に見つけたと笑いながら教えてくれた。

「十二月の終わりに見た時には無かったし、春を喜ぶ歌だからごく最近の物ですよねぇ…… 

土方さんの俳句は見たまんまでひねりも何もないんだから、いやになる。 

山南さんならどう詠みます? 」



明里が静かな声で「山南先生…… 」そう言って口元をほころばせた。

「その俳句を作った人は、やっぱり山南先生のこと好きなんやと思います 」


「そんなことは無いよ 」


「ほんまに嫌いやったら……そんなふうに山南先生のお名前、句に詠みはりますやろか 」


「ああ。 なるほど…… 」そう言って思わず笑う

「山の南が私のことだと言いたいのか? そんな良い関係では無いよ 」


土方あの人に限ってそんなはずはない……

江戸で刃傷沙汰を起こし打ちひしがれて帰ってきた藤堂にも優しい言葉一つかけてやらず平気で金の話をするような冷酷な人だ。

昔の土方がどうだったとしても今の土方はそういう人間なのだ。



「春を迎える喜びの句に、嫌いな人の名前をわざわざ入れたいって思う人はいてはらへんように思います 」

耳に心地よい明里の声音が心に心地よい言葉を紡ぐ。


「そんなものだろうか…… 」

少しだけうれしいような気持が湧いてくるのはなぜだろう……


「きっと、そのお方は山南先生のこと今も好きでいるんどす 」

明里がしっとりした瞳を伏せると山南の手の上に自分の手をそっと重ねながら

「……うちも…… 」


「え…… 」


「うちは、その句……ええ句や思います。 その句……好きどす 」

明里が伏せていた目を上げて山南を見つめている


「いつか……あなたに私の点てたお茶を飲んでほしい。 

心を込めてあなたのためだけにお茶を点てさせてくれませんか 」


……藤堂君がもうすぐ江戸に行く。 

京へ帰ってくるときに駿府あたりで良いお茶を買ってきてくれるように頼もう。


「はい…… 山南先生のお茶、楽しみにしてます。」


山南は頷く明里を出逢ってから初めてその腕に抱きしめた……





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