激震編 1話 花の陣Ⅰ サクラソウ

 [1]


 泣いて、泣いて……涙も枯れ果てたころ……やっと疲れて眠りに落ちる


次の日もまた同じことの繰り返し……


涙の泉はどこから湧いてくるんか……いつになったら尽きるんか……


誰か知ってたら……教えてほしい



少しだけまどろみながらも

目を閉じれば浮かぶ『あの日』の二人……平助と祇園の芸妓、君尾


名都の枯れたはずの涙がまた頬をつたう。



壬生寺からどうやって島原ここまで帰ってきたのか覚えていない……

気が付いたら自分の部屋で涙を流していた


覚えてるのは壬生寺の境内で美しい芸妓を抱きしめていた平助こいびとの姿


これは……なに? 

問い詰めようとしても、言葉は声にならず喉の奥で小さな音を立てるばかり……


やがて二人の姿は雨の中に佇んでいるかのようにぼんやりと滲んでいく

それが雨のせいではなく自分が流した涙のせいであることすら気づかないまま

名都は立ち尽くしていた


二人のことをそれ以上見たくない

見たくないのに鎖でつながれたかのようにその場を動けずにいた



 [2]


 激動の時代の始まりを思わせる元治元年が終わり、年が明け元治二年(1865年)を迎えた京。

松の内を過ぎ島原や祇園といった花街も新年の営業が始まる。

丸櫛屋も御祝儀の客で賑わいを見せた。


次々、訪れる客の相手をしていても『あの日』の平助の幻は名都の心にできたかさぶたを剝がし血を流す。


最後の客が帰り、店の提灯も消える


ようやく一人になった部屋で化粧を落とす。

手をふと止めると、そっと窓辺に寄り少しだけ窓を開けてみた。

冷たい空気が部屋へ流れ込み心まで凍り付かせてしまう。


平助は今、どうしているのだろう……

こんなに寒いのに巡察に出ているのだろうか

……どうか怪我をすることが無いように


平助を想いながら白い月を見る


空気が澄んでいるせいで、ことさら美しく輝く月。

……まるで、あの芸妓ひとみたいや


あの日……突然、丸櫛屋に自分を訪ねてきた美しい芸妓


そのひとが誰なのか……

名乗る前に気づいてしまった

そんな自分が嫌になる……


祇園一の美貌の芸妓、君尾

咲き誇る牡丹のような華やかな笑みを浮かべている。


訪問の理由が分からず戸惑っていたら

あのひとは笑ってこう言った。

「新選組の藤堂平助様と別れてほしいんどす 」


「いきなり、なんの話どすか…… 」震える声でやっとそう言い返す。


「せ・や・か・ら、藤堂様と早よう別れてほしい言うてるのん。 

藤堂様、うちと縒りを戻したい言うてきはりましてなぁ。

ほんま我儘な人…… 」


君尾は名都の耳元に顔を寄せ、囁く

ふわっと洗練された香りが名都の鼻腔をかすめた。

「平助様、うちを抱いた後はいつもこの手を取って口づけしてくれはるん。何度も何度も。

……平助様って名都さんにもそういうことしはるん?」


藤堂様と呼んでいたのにいつの間にか『平助様』に変わっている……

そんなことですら、いら立つ気持ちになる

「……嘘はやめとくれやす 」


「嘘やないわ…… 」


「……これ以上お話ししたくありまへん。 帰ってください 」

笑顔の君尾を強く見返した

「うちは平助はんのこと信じてますから 」


君尾は華やかな笑みを絶やさず

「……名都さん。それやったら平助様が江戸から帰ってきた理由わけも、もちろん聞いてはりますやんなぁ? 」


「…… 」

平助と君尾はもうずっと逢っていないのだ……そう思っていた

なぜ平助が江戸へ行っていたことを知っているのか

江戸で何があったかを知っているのか……


今も二人は逢っている?


激しく動揺して足元がふらついた


「名都さん、 大丈夫どすか? 」

君尾が名都の身体を支えるようにそっと手を添える


「……触らんといてください。 平助はんとは別れません。 早う帰って…… 」君尾の腕を払う。


こないだ風邪で寝込んだ時……

あの時の平助の優しさは嘘なんかではなかった

他にどんなに嘘をついていたとしても平助の自分への優しさは嘘ではない。


だから……

だからうちは平助はんを信じなあかんのや


「平助はんは……うちのこと、ものすごう大事にしてくれてはります 」



ずっと自信に満ち溢れていた君尾の瞳がほんのわずかだけ揺れ笑顔が消えた

「……えらい自信どすな、名都さん 」


「…… 」


「そういえば……松太郎ちゃん、大坂の商家に養子に行くことが決まってよろしおましたな 」


「え?…… 」


「名都さん、ほんまになんも知りはらへんのやな。

それやったら松太郎ちゃんの本当の親のことも聞いてへんのどすやろ? 」

君尾は再び笑みを見せるが目は笑っていない



自分には打ち明けないことを祇園のひとには話している平助……

平助はそんなにもこのひとに心を許しているのだろうか


頭が混乱してしまい何も言い返せなくなる


「……帰って 」小さい声でつぶやく


「名都さんは平助様のこと何も知らんやない。 

あの人の身体に傷がいくつあるかも、平助様がどんな思いで江戸から帰ってきはったんかも…… 」


「…… 」


「……平助様はうちがそばにおるから 」

美しい芸妓ひとはそう言うと踵を返した。



嘘……全部、嘘に決まってる


平助と話したい……


そう思って壬生の屯所へ向かう。


君尾は駕籠でも待たせていたのかすでに姿は見えなかった


そして……


壬生寺の境内で話している二人を見つけた……


泣きじゃくる君尾を平助が抱きしめる


石になったみたいに動けなくなり声をかけることも逃げ出すことも出来ない……


平助はしばらく君尾を抱きしめていたが名都がその場を離れないので

君尾の手を引っぱるようにしながら黙って名都の横を足早に通り過ぎていく


通り過ぎる時、君尾が驚いたような顔で名都へ視線を送ったが

平助は名都のほうを一度も見ることは無かった


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