新章 1話 額の傷 恋の傷
[1]
池田屋で額を負傷した平助は戸板に乗せられ屯所に戻った。
……もし楽になるなら
もう、このまま死んでも構わない
激しく流れる血と昏倒していく意識の中でそう思った瞬間、平助の目の前からすべてのものが消え意識は深い闇へと墜ちていった。
闇の中でずっと逢いたいと願っていた
俺の名を呼び続けるその声……
さらに深い闇の向こうへと歩いていた平助は立ち止まり振り返る
……名都さん?……
名都さんの顔をもう一度見たい、目を開けなければ……
深い闇が消えていき平助の意識は街の喧騒とたくさんの提灯の灯りを捕らえる。
うっすらと開いた眼に自分の周りを囲む新選組隊士たち
さらにそれを取り巻く会津藩士や野次馬たち……
そして平助に取りすがるあたたかな手……
そろそろと手を動かす
その手を伸ばす
伸ばした手は自分に取りすがる女、名都をそっと抱き寄せ
もう片方の肘をついて体を起こすとそのまま抱き寄せた名都に唇を重ねた……
周りを囲む隊士たちがざわめいている
『死にかけている』と思っていた、しかも隊の幹部の藤堂が大勢に取り囲まれた中で女と口づけを交わしたのだから隊士たちがざわつくのも当然かもしれない
本当に俺は馬鹿だな……でもそうせずにはいられなかった
そう思いながら名都の顔を見る
涙でぐしゃぐしゃになった名都は怒ったような安堵したような顔を平助に見せた
「もう! ほんまに死ぬかと思って心配したんよ! 」
そう言ってまた涙を流す
「俺は……死なないから…… 」
名都をもう一度抱きしめた
「隊列を乱すな! 見世物じゃないぞ 」土方がざわつく隊士や群衆に向かって怒鳴っている声を聞きながら平助は疲れたようにまた目を閉じ眠りに落ちていた
[2]
屯所に戻ると怪我人は奥の部屋に別々に運び込まれ留守組がすでに準備していた布団に寝かされる。
「藤堂君、 大丈夫か? 」
留守組の責任者の山南が山崎と一緒に油薬を持ってくる。その後ろから井上も心配そうに顔を出す。
「……みなさんは? 」
ぼんやりしたまま平助は皆の顔を見渡す、 何人か戸板に乗せられていたが大丈夫だったんだろうか……
「このとおりぴんぴんしたものよ、 戸板で運ばれた幹部は平助だけだ 」
井上が心配するなというように笑顔を見せた。
が、この夜の傷がもとで数名の死者が出ることとなる。
「永倉さんが指をかなり深くやられてましてね、 私が現場で処置したんやけど。
さっき京でも有名な会津様お気に入りのええお医者が遣わされてきたから藤堂さんもすぐに診てもらえますから 」
山崎が平助の包帯の具合を確かめながら言うのに山南も相槌を打つ。
「藤堂君が戸板で運ばれてきたのを見た時は肝を冷やしたが出血は落ち着いたようだし大丈夫そうだな 」
「……はい、ご心配をおかけしました。 」
激闘の興奮と側にいてくれた名都の存在が痛みを軽減していたのだろうか、 屯所に戻ってこうして横になってると痛みがひどい。 話そうと口を開くと傷にひびき思わず顔をしかめる。
平助はすぐ会津から遣わされた医師に診てもらった。額を十数針縫う間の気が遠くなるような激痛に耐え、血止めの軟膏を塗り込んだあと包帯を幾重にもまかれやっと解放された。
会津の医師は盥で手を洗いながら平助に声をかける。
「……近頃は物騒になりましたな。 会津様のとこの藩士の方々も斬られた言うて治療に見えられることも多くなりました。 一昔前では考えられません事や 」
医師は山崎に薬と包帯の交換について指示を与えると次の怪我人の部屋へ向かう、それと入れ替わるように襖から永倉が顔を覗かす。
「よ! 平助…… 」
包帯で巻かれた手を振りながら部屋に入ってくると枕元に座る、そのあとからついてきた原田も座りながら
「平助! っつたく心配ばかりかけさせて……おまえ怪我が良くなったら新八と俺に蕎麦でも奢れよ 」
「……はい 」傷が痛むので言葉少なに答え微笑む。
「あ…… いつまでも部屋の外に突っ立ってないで中に入れば 」
永倉が襖の外へ声をかけた。
「平助…… 」土方が遠慮がちに部屋に入ってきて腰を下ろした。
「……土方さん! 」慌てて起き上がろうとしたのを土方が制する。
「あと少し傷が深ければ危なかったらしいがしばらく安静にしていれば良くなるっていう話だ。 」
「ご心配かけてばかりですみません…… 」
「……隊士たちの心配をするのは上の務めだ 」そう言って土方はふいっとそっぽを向く。
「ところで屯所にいれば殺伐としていて落ち着いて療養もできんだろう。 膿んで熱でも出たら厄介だ。
さっきの医者のとこで療養できるよう手配しておいた。もう一人重傷者がいる、明日にでも一緒に先生のとこへ移ってもらう 」
「他の重傷者のかたは? 」
「……さっき、死んだ 」
新選組、池田屋に集まっていた過激派の志士たち。
その激しい戦闘は新選組にも大きな代償をもたらした……
翌日、亡くなった隊士の葬儀の手配が行われるなか、平助と重傷の平隊士が医者の下へ送られた
[3]
戸板に乗せられたままさらに荷車に乗せられガタガタ揺られながら医者の家へ向かう。
こんなに揺れては意識の回復しない重傷者の身体に障るのではと心配する平助自身も暑さと揺れで気持ちが悪くなった頃、医者の家に着いた。
屯所とは違い静まり返って物音ひとつしない。
平助は日当たりの良い部屋に寝かされ日に三度、包帯の交換をしてもらう。
こちらへ移ってから三日目に傷が少し膿み熱が出たが翌日には回復し、その後は食欲も戻って来た。
「やっぱり若い方は傷の治りが早いですな…… ただ傷は痕になって残ってしまいましょう。 」
医者が申し訳なさそうに言う。
「いえ…… 命あるだけでも…… 」
一緒にこちらへ移ってきた重傷者は昨夜亡くなったと先ほど聞いた
「その傷が良くなったら少し隊務を離れてはいかがか?……新選組のお役目は命がいくらあっても足りんでしょう 」
「……先生、お気遣いありがとうございます。 でも私は新選組隊士ですから 」
療養が終わればすぐにでも隊務に復帰しなければ……
新八さんも大けがをしたのに休まず巡察に出ている。
亡くなった隊士もいるのに自分ばかりゆっくり休んでるわけにはいかない。
「ああ、これは差し出がましいことを言うてしまいました 」
そこへ医者の弟子が顔を出す。
「今、 藤堂さんを尋ねて女の方が……
こちらへ案内してもよろしいでしょうか 」
名都さん……?
池田屋の夜、屯所までは戸板の横に付き添ってくれていたが屯所での大騒ぎのどさくさに紛れて帰ってしまったようであの日から顔をみていない。
傷が回復したら逢いに行こう……そう思っていた。
名都が来てくれたのか……
弟子に案内されて現れた女はきつめの美しい目で平助を睨むように見つめている。
「……猫 」
「平助さまが大けがして死にかけはったって、新田さまに聞いたから顔見に来たけど……なんや、元気そうやない 」
[4]
「鍵善の葛切り、おみやげにしてもらいましてん…… 」猫がもっていた包みを広げる。
ちょうどお茶を持ってきた弟子に美しい笑顔を向け葛切りの包みを一つ差し出す。
「うちの藤堂さまが、ようお世話になってます。 おおきに 」
顔を赤くした弟子が葛切りを受け取りそそくさと部屋を出ていく。
平助は体を起こすと姿勢を正し君尾と向き合った。
……池田屋へ向かいながら『これからは猫……君尾を大切にしよう。』
そう思ったのに……一日とたたず俺は猫を裏切った
ひとことの言い訳もできるはずもない
猫との約束も俺への愛情もあの夜すべて裏切ったのだから……
「……ある程度、良うなりはったら一力のお座敷へ移ってもらいます。 そこへお医者様に往診にきていただくようします。 よろしおすな? 」
決めつけるように言う猫の表情は硬い
新田にでも聞いたのか、 池田屋を取り囲んでいた野次馬の噂が耳に入ったのか
いずれにしろ俺の裏切りのことは知っているんだろう……
「……それはできない 」
「理由は? 」
「…… 」
「うちによう言われへんことですか 」
「ずっと……忘れようと思っていた
「……うちみたいな人気芸妓に想われてるのに、それでも忘れられへんて。
平助さまの心をつかんでるのは
どないないい女子ですやろなぁ…… 一度
そう言って挑むように平助を見る
自分は人斬りであり、そのせいでいつも生命の危険にさらされている
そんな日々はこれからも続くのだろう
俺は名都を幸せにはできない……
そう思って自分から離れることを選んだ。
それでもいつも忘れることなどできなかった
名都ときちんと向かい合おう、結果また別れることになっても今度は悔いの無いようにしたい
そう決めた
「約束を守れなくてすまない…… 全部俺が悪い。 許してもらえるとは思っていない 」
突然、猫が笑いだす
「なんやの、それ……やっぱり平助さまは大真面目なかたやわ。
そんなん最初から平助さまとうちは成り行きやない。
今牛若と囃されるそのきれいなお顔立ち見てたらちょっと遊んでみたくなっただけ……
うちはきれいなもんが好きやさかいなぁ 」
「それに……いつ言おう思ってましたんやけど南座の若旦那はんがうちを身請けしたい言うてますんや 」
「若旦那が?……でも若旦那は俺たちのことを 」
「平助さまとうちがいい仲になったんは知ってはりますけど。
この世界でそんなこと気にしてたら身請けなんかできへんわ。
それに……平助さま、 こないだ清水に遊びに行った時に選んでくれた紫陽花の簪やけど。
あれいくらすると思うてます? 」
「そういったものは買い求めたことが無いので…… 」
安くはないのだろう、 それくらいしかわからない
「いくら新選組のお給金が破格や言うても平助さまに簡単に買えるもんや無いのん。
でも若旦那はんやったら買ってくれはるし。
うちはお金も好きどすから 」
確かにその通りだろう
猫ほどの評判の人気芸妓なら豪商の旦那衆のほうが新選組よりよほどふさわしい
だけど……
「猫…… 」平助は頭を下げた
「悪ぶるのは似合わないと言ったはずだ。
悪いのはすべて俺だから……そんなふうに悪ぶらなくていい 」
饒舌だった猫が黙る。
額に巻かれた包帯にそっと触れた
「いやや……別れたくないって言ったら? どないするつもり? 」
京に来たばかりでまだくすぶっていた俺を励ましてくれた名都
芹沢一派粛清の夜、心身ともにぼろぼろの俺を救ってくれた名都
いつも幸せを願っていた想い人
「名都さんを忘れることができないんです。
それなのにあなたとも深い仲になった……
全部自分の弱さから招いたことです。
あなたを傷つけてしまったことをどれだけ詫びても許してもらえることではありません。 」
涙をためて平助を見ていた猫が微笑む
「ほんまに……大げさやわぁ。
さっきも言ったけど、うちらの仲は成り行きまかせ……
傷ついたの傷つけたやの言うんも無粋です。
ほな、うちお座敷の時間やから帰るわ。 」
猫が優雅な手つきで襖を開け出ていった
……
通り雨なのかぽつぽつと小さな雨の音がする。
縁側から空を見上げると黒い雲が広がっているのを見て
雨が本降りになるかもしれない……
平助は立ち上がり部屋を出ると廊下を駆けた。
安静にしていなければいけないと医者に言われている。
厠に行く以外はずっと部屋で寝ているだけだったせいかふらつきながらも玄関に置いてあった傘を1本掴んで外に出た。
突然の雨に逡巡するように猫が佇んでいる
「猫…… 」
振り返った猫に近づくと傘を開いてその手に持たせてやる。
なぜ?と言うように見つめる猫に
「雨がひどくなるかもしれない…… 」
「やっぱり…… 」
猫が平助を見て、からかうようにくすっと笑う
「泣く子も黙る新選組の幹部やのに
馴染みの女を猫って呼ぶようなかわいらしいとこ……
うちの髪を撫でてくれる時のあったかい眼も……
傘を持って来てくれる優しいとこも……
忘れてあげるのやめとくわ 」
猫が傘をくるくる回しながら出ていくのを平助は雨に濡れながら黙って見送る
俺は……
俺は名都への気持ちにもう嘘はつけない
たとえ身勝手と謗られようとも
誰かを傷つけてしまったとしても……
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