新章 2話 新しい日々

[1]


 医師の下でひと月弱ほども療養をし、回復した平助は壬生の屯所に戻ることになった。

平助が医師に丁寧に礼を述べると七日に一度は怪我の様子を診せにくるよう念押ししながら涙ぐむ。 

礼儀正しい平助のことがすっかり気に入ったようだ。


 迎えに来た永倉と一緒に屯所である前川家に戻って来た平助は感慨深そうに門を見上げる。

そんな様子に永倉が笑って背中を押す。

「懐かしいだろ? まあ、遠慮なく入れって 」

「ええ…… 」


二人が門をくぐった時、庭に作られた道場の裏のほうで数人が揉めるような声がした。

平助と永倉は顔を見合わせ声のするほうへ急ぐ。


道場の裏には井戸があり稽古の後すぐ汗を流すのにとても便利なのだ。


その井戸の横で三浦と新田が睨みあっている。

新田と仲の良い本間という隊士がおろおろしながら二人を諫めているようだがまるで効果がない。


新田が三浦に詰め寄った。

「三浦さん、 返答次第では許さないぞ 」


三浦は面倒くさそうに返事をする。

「たしか……だとお前の大好きな藤堂隊長に釘を刺されただろ? 」


「三浦さん…… 池田屋の日のことをあれからずっと考えていた。 三浦さんは近藤隊のほうでしたよね?

なんでちゃんと藤堂隊長を補佐しなかったんですか! そうしていれば隊長はあんな目にあうことも無かったんじゃないのかってね 」

「……池田屋へ踏み込む際の持ち場は最初に指示された。 

それに敵にられたのは、それが今の隊長の実力ってことだと思うが…… 

沖田先生なんかはかすり傷ひとつ負ってないと聞いている 」


「あんな真正面から? 藤堂隊長の実力というなら尚更おかしい 」

倒れている平助を見つけた時のことを思い出し新田が声を震わす。


「なら、なんだというんだ? 藤堂隊長も油断することくらいあるだろ 」


「じゃあ……敵じゃなかったら? 隊長が知る相手なら油断することもあったかもしれない 」


「たとえば…… お前か? 」三浦が鼻で笑う


「なにっ! 」

そう叫んで飛びかかろうとする新田を本間が羽交い締めした

「落ち着けって! 三浦さんも…… 」


「新田、 言いたいことがあるならはっきり言えばいい。 俺が隊長をどうかしたと思っているようだな 」


本間に押さえつけられた新田が暴れ、本間が振り払われた勢いで転倒する。


永倉が大きく手を叩きながら新田と三浦の間に入った。

「お前たち! 威勢がいいのはいいが喧嘩はやめろ。 お前らの隊長の藤堂の責任問題になるぞ 」


「永倉先生…… え? 藤堂隊長…… 」本間が地獄で仏に出会ったような顔で永倉を見るが、永倉の後ろで立ち尽くす平助に気づいて駆け寄る。


「藤堂隊長! おかえりなさい。 もう傷は良いのですか? 」と新田も涙を流す。


「ええ…… 心配をかけてすみませんでした。 お陰様で良くなりましたので明日からでもすぐ隊務に復帰するつもりです。 」


 三浦は平助たちから目を背けると井戸の横に落とした手拭いを拾い黙って道場へ戻りかけたが、ふと思いだしたかのように振り返った。


平助に向かって軽く頭を下げ

「……無事で安心しましたよ。 あなたにもしものことがあっては名都が悲しみますから 」

それだけ言うと道場へ戻っていった。


「まったく……暑いせいか皆が殺気立っていけねえな。 平助、近藤さんや土方さんがお待ちかねだ。 行こうぜ 」

気にするなというように平助の肩を軽く叩く。


「……はい 」平助は無理に笑顔を作り、先を歩く永倉を追った。






 [2]


 近藤や土方に戻って来た挨拶をし、明日からの隊務について幹部たちで軽く打ち合わせを済ませると

久しぶりの自室に戻り一人になった平助は畳に大の字に転がってみた。



……行儀が悪いな


平助は苦笑するが起き上がる気になれない


静かで落ち着いた医師宅での療養中は、男ばかりでいつも騒々しく時に殺伐としている屯所の空気を懐かしむこともあったのに、いざ戻ってきたらなんとなく感じる居心地の悪さ……


そんな風に感じてしまっていることに平助自身が驚いていた。


きっと……



戻っていきなり三浦と新田の諍いを聞いてしまった。



きっと……そのせいだ……



寝ころんだまま天井を見上げると、人の顔のようなシミは相変わらず自分を見つめている。

それから逃れるように平助は寝ころんだまま、右や左にごろごろと転がる。

自室の畳の匂いにようやくほっとする。



顔を横に向けると空になった刀掛けが目に入った。


池田屋で損傷した刀はまとめて修繕に出されたが平助の上総介兼重はことさら損傷がひどく修繕不可能と判断されたことは療養中に見舞いに訪れた土方に聞いていた。


「どうする? 修繕は無理でも返却は可能だ。 返してもらうか? 」

自分のせいではないのに申し訳なさそうな顔の土方に少し考え平助は微笑む。


「……刀ってなんなんでしょう 」


「…… 」


「じゃあ武士とはなんなんでしょう 」


土方は黙っている。


「土方さんの思う武士と他の人が思う武士というのはまた別物かもしれませんが…… 

戦ってこその武士……でいいんですよね? 」


「まあ、 そうだな…… 」


「土方さんにしては歯切れが悪いですね 」


「フン、 もしなにかの禅問答でもしているつもりなら山南さんとやってくれ。

俺は合理主義なんで回りくどい話は好きではない 」

土方が苦笑した。


「禅問答ではありません。 斬ってこその刀だと思ってるだけです 」



上総介兼重は大名が床の間にもったいをつけて飾っていてもおかしくない。

現に会津候が譲ってほしそうなそぶりを見せたくらいの名刀なのだ。

破損したからといってそのまま捨ててしまうのは惜しくはないか? という土方の配慮なのだろう。



まあ…… 俺がもし、だったら……


そんなことを考える自分がおかしい、平助はくすっと笑う。


「何がおかしい? 」土方が機嫌の悪い声を出す。


「いえ、なんでもありません…… 」


俺が大名の息子なら飾るためだけの刀に価値を感じたんだろうか……

でも俺は……大名の子息なんかではない


そうか……


平助は納得する。


母親が父親への未練や執着に捕らわれているのを関心の無い風を装ってはいたが、自分自身も捕らわれていたのかもしれない。


そんな想いごと全部、もう必要ないと思えた。



「処分してください…… 」笑顔でそう告げる


俺は新選組隊士なのだ。

必要なのは斬れる刀だけ……



京へ来てから土方の前では久しく見せたことのない、からっとした笑顔にとまどうような表情を浮かべる土方がおかしかった……




 



 [3]


 気づくと部屋の中がうす暗くなり始めている。

畳に寝転がったまま眠ってしまっていたようだ。


池田屋の報奨金で新たに注文した刀が届くまでは隊の予備刀を借りることになっている。


明日からまた巡察に出るのだからダラダラした気持ちでいるのはいけない。


平助は起き上がり居住まいを正した。

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