第六章……惑わす狐の本当の恋
第28話 そう思われたって仕方ないことをしてきたのだ
宿舎の食堂にレオナルドはいた。アリーチェから水の入ったコップを受け取って飲む。だいぶ夜も更けてきたというのに、まだ酒を飲むギルドのメンバーで席は埋まっている。
それを眺めていると一人の男がレオナルドに声をかけてきた。何だろうかと振り向けば、軽鎧の華奢な青年だった。
「あんた、あの女狐に気に入られているメンバーだろ」
「レイチェルのことか?」
女狐と聞いて思い浮かぶのは狐の獣人であるレイチェルだけだったので、レオナルドがそう言うと、青年は「そいつだ、そいつ」と返す。
「あんた、悪いことは言わないけどあいつはやめとけ」
「訳を聞いても?」
「なんだ、知らないのか。あの女狐、男を惑わせてはポイ捨てにしている奴だぞ」
男に色目を使ってパーティに入ってはめちゃくちゃにして逃げていく。見てくれは美人でスタイルも良いが、それだけだ。性格は悪いと青年は顔を顰める。
「おれのところもやられたからな。見てくれに騙されているなら、目を覚した方がいいぜ。どうせ、自分に面倒なことが起きたらすぐにいなくなるんだからな」
青年の言葉にレオナルドはふむと考える。まだこのギルドに所属したばかりではあるが、レイチェルを見る他のメンバーの視線が一部、おかしかったことには気づいていた。
避けるような、恨みがましいような、そんな眼差しを向けているのだ。それは気のせいではなかったらしい。青年の話を聞いてレオナルドはなるほどと頷く、それにはこういった理由があったのかと。
「彼女は今のところ別に何もしてないが?」
「そうやって油断させているだけだ。足手まといになるだけだから今のうちに追い出しときな」
青年は「女は怖いぞ」と言うけれど、レオナルドは首を傾げる。確かに女性は怒らせると怖いというのは知っている。騎士団時代の同僚の女騎士は怒らせると恐ろしかったし、根に持つタイプだった。何かと話題に出してはぐちぐちと文句を言ってくるのだ。あれほど、女性には気をつけようと思ったことはない。
レイチェルがやったことというのはきっと本当のことなのだろう。青年が嘘をついているようには見えないし、彼女の話をしている時の表情というのは何とも苦々しい。被害にあった身だからそういった顔をしているのだ。
「また同じことをすると言うのかい?」
「するだろう、そりゃあ。あいつは何度もやってきているんだから」
今回だってきっとそうだと青年は断言する。あまりにも自信満々に言うものだから、レオナルドは目を瞬かせた。それほどまでに彼女の信用というのはないのかと。
レオナルド自身、レイチェルとはまだ日が浅い。彼女のことを全て知っているわけではない。何かしら隠し事をしているかもしれないし、もしかしたら騙されているかもしれない。
と、考えることはできたけれど、レオナルドは「決めつけるのは良くないだろう」と青年に言った。
「やると決まったわけでもないのに決めつけるのは良くない」
「はぁ? あんた、お人好しか? 被害者はいるんだぞ」
「そうかもしれないが、やり直すことだってできると僕は思う」
やってしまったことは取り返しがきかないが、やり直すことはできる。改心することだってできるはずだ。レオナルドは「やり直すきっかけすら無くす必要はない」と言う。
青年は眉を寄せて「聖人かよ」と返した。レオナルドはそこまでできた人間ではないと思っている。許せないことだってあるけれど、やり直そうと改心して一から始めようとしている人を責めることはしない。
「こっちに謝りもしない奴がやり直しなんてするわけねぇだろ」
「きみは謝っても許さないだろ」
「それは……」
青年は口籠る、レオナルドの言う通りだからだ。謝られたところで信じることはできないし、許すことはできないだろうと。
「だからと言って謝らない理由にはならないけれど。別に許さなくてもいいが、やり直すきっかけを無くさせる理由にもならないよ」
誰にだってやり直すきっかけがあってもいいはずだとレオナルドは思っている、それが悪徳な存在であっても。そんな様子に青年は「あんたは優しすぎだね」と笑った。
「そうやって優しさに漬け込まれて騙されればいい」
青年はそう吐き捨ててレオナルドの元から離れた。彼の背を見送りながらレオナルドは水を飲む。
「優しいというよりかは、放っておけないだけなんだよなぁ……」
ぽつりと呟いてレオナルドは目を細めた。
***
ツバキは困惑していた。レイチェルが部屋に戻ってきたかとおもうと、ベッドに潜り込んでシーツを頭から被って丸まったからだ。
一瞬だけ見えた彼女の顔は悲しげで泣いているようだった。それは見たこともなかった表情だったから、ツバキはどう声をかけたらいいのかと悩ませる。そっとしとくべきなのか、訳を聞くべきなのか。
暫く悩んだ末にツバキはレイチェルのベッドへと近寄った。まんまると山になっているてっぺんをポンポンと撫でる。
「レイチェルさん、どうしたの?」
なるべく声柔らかく問う。返事を待っていると、レイチェルが「ワタシはそういう女ですよ」と呟いた。
「何が?」
「ツバキさんだって、知っているでしょ〜。ワタシが何をしてきたのかぁ〜」
「それは、まぁ……」
レイチェルが何をしてきたのか、ツバキは知っている。適当な男を選んで寄生して、パーティをぐちゃぐちゃにしたと。
ツバキの返事にレイチェルは「ワタシはそういう女なんですよ」とまた言った。
「どうせ、今だって思ってるんでしょ〜。寄生するだけして、どっかに行くんだってぇ」
「それは思っていないけれど」
それにはツバキは即答した。だって、そんなことをツバキは微塵も思っていなかったからだ。これにはレイチェルも驚いたのか、シーツから顔を出す。その瞳には涙が溜まっていた。
「嘘でしょ!」
「いえ、本当だけれど」
「どうして!」
「どうしてって、貴女はレオナルドさんが好きでしょう?」
ツバキから見たレイチェルというのはレオナルドに恋をする乙女だった。離れず引っ付いていて、彼と話す時は楽しそうにしている。悪さなどしていないし、ギルドの人が言っていたようなパーティをぐちゃぐちゃにする素振りすら見せていない。
ずっと、そうずっとレオナルドを見ているのだ、彼女は。ツバキの言葉にレイチェルは「それだけ!」と声を上げる。
「それだけで十分じゃないかしら?」
「騙されていると思いません?」
「ロウは嘘が嫌いなのよ」
そう言ってツバキは側にいるロウの頭を撫でる。ロウは「嘘は匂いですぐにわかる」と言った。
「ワシを騙そうなど不可能だぞ、娘」
「うぅ……」
「どうしたの、レイチェルさん」
ツバキに「何かあったの」と言われて、レイチェルは「別に」と視線を逸らす。それにロウが「嘘だな」と返した。それでもレイチェルは何も言わずないので、ツバキが「気にしているの?」と聞いてみた。
自分自身がしてきた行いというのを彼女は気にしているのかと。それにレイチェルは小さく頷いた。
「なら、そんなことしなければよかっただろうに」
「あれしか生きる術をワタシは知らなかったんですー」
「生きる術?」
ツバキが首を傾げるとレイチェルは「ツバキさんは知らないでしょねぇ」と答えた。
「貧困層がどうやって生き抜くかなんて。聖獣使いのアナタには」
レイチェルはシーツから出ると身体を起こした。ゴシゴシと目を擦りながら、「アタシは貧困層の最下層の生まれだった」と話し出した。
レイチェルは幼い頃に両親を亡くした。引き取ってくれた親族の男はそんな彼女を奴隷のように扱った。殴る蹴るは当たり前、口答えなどすれば食事を抜きにされる。そうやって過ごしてきて、だんだんとレイチェルは男に媚を売ることを覚えた。
媚を売り、尻尾を振れば男は機嫌を良くするのだ。殴られることも、蹴られることもない。食事だって食べることができるのだから、そうする他なかった。そうやって過ごしてきて、レイチェルは少しずつ男から逃げる術を集め出した。
男は魔法を使う仕事に付いていた。詳しくは知らないけれど魔法に関する本を蔵書していたのだ。男の書斎からこっそり本を見て、少しずつ魔法を覚えていった。
レイチェルは魔法の才はあったらしい。本を読んで勉強すればどんどんと使える魔法を覚えていった。
それから数年して魔法を身につけたレイチェルは、持ち出せるだけの金銭と共に家を飛び出した。
「男っていうのは、どうしたって女の誘惑には弱いものなんですよぉ」
それからレイチェルは生きるために男を誘惑し、媚びて寄生した。殴られたこともあったし、女に殺されかけたことだってある。だからといって止めることはできなかった、死にたくはなかったから。それほどまでに底辺の存在というのは生きづらいのだ。
レイチェルにとって生き抜く術というのは魔法と、男を誘惑して媚を売ることだった。それしか、彼女は知らなかった。
「信じてもらえるなんて、思ってないわよ。そう思われたって仕方ないことをしてきたんだもの、ワタシは」
この話だってどうせ信じてもらえないのだとレイチェルは言う。ツバキはそうは思わなかった、彼女が言っていることは嘘ではないだろうと。どうしてそう思うのだと言われると、説明に困るのだがツバキはそう感じたのだ。
ロウはロウで何と返せばいいのかと悩ましげだった。彼も嘘をついているとは思っていないようだ。育ちが育ち故にというところで言葉を迷わせている。
「レイチェルさんはやり直したいかしら?」
「……うん」
レイチェルは小さく頷いた、やり直したいと。それにツバキは「なら、やり直しましょう」と手を叩く。
「やり直すことだってできるはずだわ」
「……ツバキさん、優しすぎません〜?」
「そうかしら? 確かにね、貴女のしたことがなかったことにはならないわ。その行いというのは残り続ける。でも、誰にだってやり直すことはできると私は思うの」
ツバキだってロウにやり直すきっかけを与えられた。惨めに自害した自分でもできたのだから、レイチェルにだってそのきっかけが与えられてもいいはずだ。
「私たちと一緒にやり直せばいいのよ。一緒にギルドのメンバーに謝りにだって行ってあげるわ」
ふっと、微笑むツバキにレイチェルは目を瞬かせてから眉を下げる。なんて、優しいのだろうかと思って。
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