第27話 気づいたかもしれない心と忍び寄る影
ツバキとレイチェルの部屋でイザークはテーブルの椅子に座っていた。前に立つツバキから視線を逸らしながら。
「イザーク」
「…………」
イザークは黙っている。何故、黙っているのか、それはツバキが持っているコップにあった。
依頼を受けていた時に魔物の爪がイザークの首を掠めた。浅くではあるが傷を負ってしまい、ツバキに手当てをしてもらったのだ。けれど、魔物の爪に微量の毒があったらしく、激しい痛みに襲われていた。
医者に診てもらったところ、毒は軽微なもので解毒成分の入った鎮痛剤を飲めば、竜人ならば一日で治るだろうということだった。飲まずにいる場合は二、三日といったところらしい。
けれど、この解毒成分入りの鎮痛剤は不味いのだ。鎮痛剤ですら不味いというのに、それ以上に不味い。微量で良いのだが、それでも飲みたくはないと思うほどだ。
イザークは薬の類が苦手なようで、特に不味いものは嫌なようだ。騎士団時代からそういったものを飲まなかったらしい。あまりに酷いと仕方なく飲んでいたとのこと。
「イザーク、飲みなさい」
「……飲まなくても、問題はない」
「飲みなさい」
ツバキは引かない、早く治るのならば飲んだ方がいいからだ。その攻防をレオナルドは呆れながら、レイチェルは可笑そうに眺めていた。ロウに至ってはもう突っ込むのも馬鹿らしくなったようで黙っている。
「何、また口移しでもされたいの?」
「…………」
「ちょっと待ってくれ、今なんて言った?」
ツバキの発言にレオナルドが反応する。イザークは「あれは事故だ」と素早く返すも、彼はじとりと見つめていた。
事故というよりは、あれぐらいしか飲ます方法が思い浮かばなかっただけなのだがと、ツバキは思ったけれど黙っておく。
「でもぉ、今、ちょっと揺らぎましたよねぇ〜」
口移しとレイチェルに指摘されて、イザークは口を噤む。それは肯定にしか見えないのだがとその場にいた全員が思った。
嘘がつけない人だなとツバキはその分かりやすさに笑ってしまう。くすくす笑うツバキにイザークは恥ずかしげにしていた。
「自分で飲めるんだから、ちゃんと飲みなさい」
「……問題ない」
「飲んだら抱きしめてあげるわ」
にこっと笑みを見せて言えば、イザークはなんとも渋い顔をした。抱きしめてくれる誘惑と、苦手な薬を天秤にかけている。
皆が思った、これは落ちるなと。案の定、イザークは仕方ないと薬の溶かされた水の入ったコップをツバキから受け取った。
顔を顰めながらゆっくりと飲み干すと、イザークは「不味い」と呟く。余程、嫌だったのだろう眉間に皺が寄っている。それでもちゃんと飲んでくれたので、ツバキは「よくできたわね」と約束通りに彼を抱きしめてあげた。
よしよしと頭まで撫でてやると、イザークが手を回してきた。おっとと思っていると引っ付いて離れなくなる。
「ずっとこうしていたい」
「イザーク、そろそろ離れろ」
「その腕、喰らうぞ」
レオナルドに頭を叩かれるも、イザークは「離れ難い」とくっついている。これにレイチェルが吹き出して、腹を抱えながら笑った。
「いや、これっ、見た目とのギャップがっひどいっ」
「俺は笑われても構わない」
「少しは恥ずかしがってくれ、イザーク」
「ツバキよ、そろそろ喰っていいか?」
「もう少しだけ許してあげて、ロウ」
ぽんぽんと頭を撫でながらツバキは言う。そんな彼女に「甘いぞ、ツバキ」とロウは指摘する、甘やかすのもよくはないと。
それはそうかもしれないのだが、どうも甘やかしたくなってしまう。そんなツバキの様子にレイチェルはふーんと何かを察する。口には出さないけれど、にこにことしていた。
しばし抱きついていたイザークだったが、ロウに体当たりされて泣く泣く手を離した。ロウに「子供か、お主は」と言われるも、イザークは「これは仕方ないんだ」と返す。
「仕方ないもないぞ、イザーク。ほら、部屋に戻る」
「レオナルド、酷くないか?」
「今日はもう休むべきだろうが」
レオナルドに「ほら、行くぞ」と背中を押されて、イザークは仕方なく立ち上がる。ツバキたちに「また後で」と言って部屋を出て行った。
薬も駄々をこねずに飲んで欲しいものだなとツバキは思いながら鎮痛剤を仕舞う。そんな彼女にレイチェルが言った。
「良い恋ができてますねぇ」
「え?」
言葉の意味が理解できずにツバキが首を傾げれば、レイチェルは「結構、鈍感ですねぇ」と意外そうに口元に手を添えた。
「ツバキさん、アナタは多分ですけどぉ。恋してますよ?」
「そう? どうしてかしら?」
「誰かの好きな所を見つけて、そこが愛しくて、甘やかしたくなるんですよぉ」
好きな人の愛しい部分を見て、甘やかしたくなる。それは恋や愛といった感情からなるものだ。レイチェルは「甘やかしたくなったんでしょう?」とにこりと笑みを見せた。
「……そうね、うん」
「そしたら、今度は離れてしまったらどうかを考えてみてください〜」
離れてしまったら。イザークと離れてしまったとしたら、どう思うだろうか。彼が居ないという感覚が想像できないけれど、あの嬉しそうに頬を綻ばせる顔も、綺麗な竜の瞳も見れないのは嫌だなと思った。
「ほら、答え出ましたぁ?」
「これ、恋なのかしら?」
「離れ難く思ったのなら、それは彼を想っているっていうことですよぉ」
そこまで分かっているのなら、あとは自分で気づくだけです。レイチェルは「考えるんじゃなくて、感じてみることですよぉ」とアドバイスをする。
ツバキはこの気持ちが恋なのだろうかと胸を押える。ゆっくりと鼓動する心臓の音が、気づきかけている心のようだった。
***
「カラムーナの土地に似たような女性を見つけたらしいですよ」
黒いロングコートに身を包んだ馬に跨る襟足の長い黒髪の男が言う、ここからそう遠くはないと。その隣には馴れない馬に乗って疲れを見せる白いコートを着た短い黒髪の男がいた。
「長旅でしたから疲れたでしょう、ムサシ」
「シロウ殿は平気そうで……」
「私は楽しんでいますからねぇ」
シロウと呼ばれた襟足の長い黒髪の男はそう言って笑う。この旅のどこが楽しいというのだろうかとムサシは思ったけれど、彼の機嫌を損ねたくはなかったので黙っていた。
「しかし、聖獣と一緒とは……。家族の誰も知りませんでした」
「聖獣使いなど、おれも聞いてませんよ」
「毎日、飽きもせずに祠を手入れしていたのは知っていましたけどねぇ」
あの祠に祀られていたのが本当に聖獣ならば、ツバキの行いを見てきたということで彼女に着いていったのかもしれない。そうなら納得がいくなとシロウは思う。
「家出にしては間抜けなんですよね、我が妹は」
探されないと思っている思考、目立つ聖獣、目撃証言を増やす要因となるギルドへの加入。何もかもが間抜けだとシロウは可笑そうに口元に手を当てる。
依頼をこなしていけば、それだけ目撃者というのは増える。ギルドのメンバーが依頼で遠征していることだってあるのだ。そんな相手から情報を貰えばすぐに居場所は知れる。
「まぁ、父上が放っておくタイプの人間なんで、探されるとは思っていないのでしょう。ムサシが探すとも考えてませんね、きっと」
「おれはツバキ一筋で……」
「嘘をおっしゃい。私は騙せませんよ」
ぎろりと睨まれてムサシは黙る。手綱を引く手が震えているのをシロウは見逃さなかった。
けれど、それには触れず「貴方も追われる側ですけどね」と呟く。それにムサシは首を傾げた、どういう意味だろうかと。
「カエデさんはしつこい女性と聞いてますのでねぇ」
「ま、まさか、追って……」
「いるかもしれませんよ?」
それを聞いてますます震え出すムサシにシロウは苦笑する。分かりやすい男というのも大変だなと思いながら。
「い、急いでツバキを見つけないと……」
「そうですね、急ぎましょうか」
慌てるムサシを滑稽だなとシロウは眺めて妹であるツバキに同情した。碌でもない男に捕まってしまったことに。
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