第38話 そう、もう私にはいるのだ、彼が



 朝、宿舎の食堂へと下りれば、アリーチェが「ツバキさん」と呼んだ。見れば、そこは兄であるシロウとムサシが立っている。シロウはツバキの方へ近寄ると「もう一度、話をしましょうか」と言った。


 まだ食堂には疎にギルドのメンバーがいるけれど、ツバキは「宿舎から離れられないから」と答えた。自分たちはワイバーンの捜索でいつ呼び出されるか分からない。宿舎での待機を優先したいのでそう答えれば、「別にここでも構いせんよ」と返された。



「話ができればどこでも構いません」

「そう」

「ちょっと! ツバキさんは昨日、言ったじゃないですかぁ!」



 ツバキの後ろに立っていたレイチェルが前に出る、もう戻らないと言ったでしょうと。それにシロウが「そう言われましても」と困ったように返す。



「ムサシが諦めないんですから仕方ないでしょう」

「おれはツバキに戻ってきてもらいたく……」


「ツバキさんは嫌だと言ってますけど? 相手の気持ちが大事なのではないのかしらぁ?」



 レイチェルの指摘にムサシはうっと声を溢す。それにレオナルドが「浮気しといていうセリフじゃないよ」と言えば、ムサシは「あれは違くて」と言い訳を言おうと口を開く。



「あれはカエデが勝手にやったことで、おれは何も……。あれは全部、カエデが悪いんだ!」


「言い訳が酷いな、きみ」



 レオナルドにばっさりにと切り捨てられる。ツバキも同意するように頷けば、ムサシは眉を下げた。そんな顔をされても酷いものは酷いし、怒りというのは治るどころか悪化する。



「申し訳ないけれど、私は戻る気はないの」

「クニヒサ殿も戻ってこいと言っているのですよ! 父が心配しているというのにですか!」



 父の名を出されてツバキは一瞬、言葉を詰まらせるも「それでも」と返した。ツバキは決めたのだ、もう戻らないと。


 ムサシはツバキの態度に少しばかり苛立った様子を見せる。シロウの方を見るが、彼は腕を組んで傍観しているだけだ。助けは借りられそうにないと彼はツバキの腕を掴んだ。



「そんな我儘を言わないでくれ。おれについてきてくれるだけでいいんだ!」



 無理矢理に引っ張っていこうとするムサシにツバキが声を上げようとして、その手を払い除けられた。前に出た身体が後ろへと戻されて抱き止められる。見れば、イザークがツバキを抱き寄せていた。その竜の瞳は細まり、怒りの色を見せてムサシを射抜いている。


 竜の眼光にムサシは伸ばしていた手を引っ込めた。蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。イザークは視線を逸らすことなく、口を開いた。



「何が我儘だっ! 我儘を言っているのは貴様自身だろうが!」



 怒声が響き、しんと場が静まる。皆が皆、イザークたちを注視する中、彼はもう一度、言った。我儘を言っているのは貴様だと。


 裏切っておいて、また戻りたいといい、断られても自分の意見を無理に通そうとする。これのどこが我儘でないと言えるだろうか。


 イザークの強く怒りの込められた言葉にムサシは何も言い返せない。シロウはこれは勝敗が決まったなといったふうに息を吐いた。



「そこ。話しているところ申し訳ないのだがいいだろか?」



 シロウがムサシに声をかけようとするのと同じく、声をかけられる。それはヴァンジールだった。彼はイザークたちの方を見て、「依頼だ」と言った。



「前に言ったワイバーンが見つかった。町からそれほど離れてはいない森に潜伏している。ブラウランクとロートランクのメンバーが対応しているが、サポートを頼む」


「わかったわ」



 ヴァンジールの指示にレオナルドとレイチェルが駆け出す、それに続くイザークにツバキが着いて行こうとすると、肩を掴まれた。振り返れば、ムサシで。



「ツバキ、危険だ!」

「何を言っているの? 私はギルドのメンバーよ」

「危険なことには変わらないだろう!」



 ムサシにイザークが何か言おうとしたけれど、「先に行っていて」とツバキに言われる。



「すぐに行くから」

「……わかった」



 イザークは返事をして宿舎を出ていく。ツバキはふっと息を吐いて、ムサシを睨んだ。その視線に彼がびくりと肩を震わせる。



「私は貴方が嫌いよ。貴方を愛することはないわ」

「違うんだ、カエデとは何もなくて」

「だから、なんだというの?」



 ツバキの問いにムサシは固まる。そんなものがなんだというのだと、ツバキは言った。何もなかったというけれど、それを証明することはできない。彼が一度はあの女の元に行ったのは事実なのだから。


 それを「何もなかったのだから許してくれ」など身勝手にも程がある。言い訳が「何もなかった、違うんだ」とだけしか言わず曖昧で、はっきりしない時点でやましいことがあったのだと察することができる。



「自分自身で墓穴を掘っているの、理解できたかしら?」

「その、だから……」

「ごめんなさいね、私にはもういるのよ」



 ツバキは笑みを見せる。それはそれは美しく、朗らかに。



「私を守ってくれる、大事にしてくれる人が」



 さようなら。ツバキは冷たく言って、宿舎へと出ていった。ムサシは何も言えなかった、止めることもできず。そんな彼の肩をそっとシロウは叩いた。


          ***


 木々の枝葉を折りながら森を駆け抜ける影は竜の瞳で見下ろす。ぱっと目の前が光に包まれて、影は悲鳴を上げて木にぶつかると地面に落ちた。



「ワイバーンが落ちたぞ!」



 ブラウランクの軽鎧の男が声を上げる。それに続くようにロートランクであるアンセルムが「魔法を飛ばせ!」と指示を出した。


 光と水の魔法がワイバーンを襲う。浴びせられる攻撃に悶え苦しみながらも、翼をはためかせて再び宙を舞った。森を抜けようと高く飛び上がろとするのを無数の光の玉が遮る。


 光の玉に翼が当たると弾けて雷が駆け巡る。ふらふらと低空飛行をしながらそれでも逃げるワイバーンをメンバーたちは追いかけた。



「跳び上がらせるな、光魔法で制御しろ!」



 アンセルムの指示に光魔法を使えるディアラとレイチェルが、再び無数の光の玉を宙に浮かせる。空を覆う玉にワイバーンは高く飛び上がることができず、低空のまま飛行するしかない。


 森を抜け出そうと町のほうへ飛ぼうとするのをツバキが雷を落として制御する。ワイバーンは前に進めず、後ろへと引く。


 その隙をアンセルムが逃さず、剣に魔力をこめて尻尾に向けた。斬撃と共に風が吹き抜け、尻尾切断される。



「毒尾は排除した! 前に出れる奴は出ろ!」



 アンセルムが声を張れば、ブラウランクの剣士たちが前に出る。彼はロートランクなだけあり、腕は確かなようだ。的確に指示を出しながらワイバーンを追い詰めていく。


 ツバキたちは彼らのサポートに徹した。邪魔にならないように、逃げるワイバーンを追い込む。それでもワイバーンはその素早い飛行速度で攻撃を避ける。尻尾から流れる血など気にしている様子はみせない。


 あの翼をどうにかしないといけないだろう。それはアンセルムも気づいているようだが、攻撃のチャンスが見えない。



「俺がやろう」



 イザークが前に出た。それにアンセルムが眉を寄せるも、「翼だ」とだけ返した。翼をどうにかすれば、あとはオレがやるという意味だろう。イザークは太刀のような剣を構える。



「ツバキ、一瞬でいい、頼む!」



 イザークはそう言って剣に魔力を込める。淡い紫の炎が刃に纏ってぎらりときらめた。ツバキはすっと息を吸ってから短刀を抜く。両手に構えた短刀と紅の鉄扇を胸元て交差させて、魔力を練り上げる。


 暴れるワイバーンの攻撃をレオナルドが剣で跳ね返し、二人の魔法が通りやすい位置へと誘導させる。空を覆う光の玉を途切れさせないようにディアラとレイチェルが魔法を放つ。


 逃げようとするワイバーンをロウが牽制し、誘導されたワイバーンがイザークへと狙いを定めた。



「吹き荒れよ、水流よ! 踊れ、いかずちよ!」



 ツバキの言霊と共に水が舞ってワイバーンを襲い、雷が身体を駆け巡った。これにはワイバーンも動きを止め、悲痛な声を上げる。


 止まった動きに合わせてイザークが剣を振るった。ぶわりと闇の刃が風のように駆け抜けて、ワイバーンの片翼を切り裂くとそのまま闇が翼を覆って弾けた。瞬間、血飛沫と片翼が吹き飛んだ。


 どさりと地面に落ちたワイバーンに向かって、アンセルムは魔力の込められた剣を振り下ろす。首根に入った刃が燃えるように熱くなり、焼き切った。


 動きを止め、ワイバーンの瞳は濁る。死んだことを確認してからアンセルムは剣を鞘におさめた。



「さすが、竜人だな」

「お前も口だけではなかったようだな」



 イザークがそう返せば、アンセルムはむっと口を尖らせながら、「ロートランクだからな!」と言い返す。そんな彼に「女ったらしがなければちゃんとできるのよ、あの人」とディアラが溜息を吐く。


 アンセルムはまだ何か言いたげだったが、すぐに気を取り直してブラウランクのメンバーに「ワイバーン運ぶの手伝ってくれ」と指示を出した。


 ツバキは短刀を鞘におさめてイザークの元へと駆け寄る。ワイバーンと近かったこともあってか、やはり彼の頬には血が付いていた。手拭いを出して「ほら」と拭ってやる。



「自分で拭いなさいな」

「ツバキがやってくれるからいいだろう」

「じゃあ、やらないわよ?」



 悪戯っぽくそう言えば、イザークは「それは困る」と寂しげな表情を見せる。それにツバキは「嘘よ」と笑って返しながら彼の頬を拭ってやった。



「これができるのは私の特権でしょうからね」



 ふふふと笑みを見せるツバキにイザークは言葉の意味がわかっていないようだった。教えてほしいといった瞳を向けてくるけれど、ツバキは「すぐにわかるわよ」とだけ返した。






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