第39話 幼馴染と元婚約者との決別



 町へと戻ったツバキは広場の騒ぎに目を丸くさせる。そこには膝をついて謝るムサシと、薄黄色の艶やかな着物を着ている女が立っていた。焦茶の長い髪を払いながら女はムサシに「あたしから逃げられると思ったら大間違いよ!」と怒鳴っている。


 ツバキは彼女を知っている。幼馴染であり、ムサシを寝取った女、カエデだ。何故、彼女がいるのか。それはムサシを追いかけてきたのだろうとその様子から察する。


 レイチェルがツバキに「あの方」とこそこそ問う。ツバキは「カエデよ」と答えてその様子を眺めているとシロウと目が合った。



「あぁ、ツバキ」

「兄上様、これは?」

「カエデさんがムサシを追いかけてきて説教しているところですが?」



 予想通りの回答にツバキは「でしょうね」と呟いた。シロウは「あの性格に耐えられなくて逃げてきたんですよ」と訳を話した。


 ムサシはツバキからカエデに乗り換えたはいいものの、彼女の独占的で嫉妬深い性格に耐えきれなかったのだという。友人であっても、妹や姉であっても女と話していると、「何よ、あれは」と突っかかってくるらしい。


 仕事関係であってもそうなのだからしんどいものだったようだ。仕事以外の出かける時は必ず一緒にいるほどに束縛の強さもあってか、限界だったところでツバキと再び婚約を交わせば解放されるのではと考えたのだ。


 話の顛末を聞いてツバキは呆れてしまった。何かあると思っていたが、そんなことだったのかと。これには話を聞いていたイザークたちも渋い表情だ。


 そんな四人にカエデはムサシの胸ぐらを掴んで立たせてから気づく。ぎろりと睨みつけるその瞳にツバキは睨み返した。



「ツバキ、あんたまたあたしから奪うき?」

「冗談も大概にしてほしいのだけれど?」



 ツバキが「奪ったのは貴女でしょう」と返せば、「あたしはもともと、ムサシさんが好きだった」と言われてしまう。なんだ、それはとツバキは眉を寄せた。


 カエデから見れば、ツバキは奪った側だった。そんなこと言っていなかっただろうにとツバキは思ったけれど、彼女は怒りを露わにしながら睨みつけている。



「ムサシさんが勝手に来ただけよ。私は関係ないわ、むしろ放っておいてほしいのだけれど?」


「何よ、追われてきて嬉しかったんじゃないの?」



 嫌味のように言ってくるカエデにツバキは眉を寄せる。嬉しいわけがない、裏切った人間をまた好きになるほど自分は優しくはないのだ。


 カエデは「絶対に渡さないわよ」と言ってムサシの腕に抱きつく。ムサシはなんとも複雑そうな表情をしていた。助けを求めるように見つめられるけれど、ツバキには関係ない。


 そこでツバキは隣に立っていたイザークの腕に手を回して抱き寄せる。それにイザークは驚いたように目を開いた。



「ごめんなさいね、カエデ。私、もうお相手見つけちゃっているのよ」



 口元に手を添えて、それはそれは綺麗な笑みを浮かべながらツバキは言った。



「貴女は奪って勝ったつもりだったのでしょうけれど、残念ね。むしろ私にちゃんとした恋をするきっかけを与えてくれたんだもの。感謝しているわ。まぁ、貴女はムサシさんに裏切られたみたいだけれど」



 可哀想にと哀れむように見つめれば、カエデは唇を噛み締めた。勝ったつもりだったというのに、そう思っていたの自分自身だけだと知って。


 涙は見せないけれどその琥珀の瞳は潤んでいる。それでも睨むのをやめずムサシの腕を痛いほど抱き締めていた。



「私、ムサシさんのことなんとも思っていないのよ。勘違いしないでくれるかしら?」



 ツバキが「少しでも感情が残っていると思っているなんて、おかしな人ね」と、哀れめばカエデは「黙りなさい!」と声を上げた。



「それで勝った気でいるわけ?」

「あら、別にそんなこと思ってないけれど? 男に振り回されて大変ねって思っただけよ?」


「このっ……」

「もういいでしょう。ムサシさんを連れてさっさと国に帰りなさい」

「っ! 言われなくても、連れ帰るわよっ!」



 冷たく言い放たれてカエデは悔しげに睨んで吐き捨てるように言うと、ムサシを引き摺りながら宿の方へと走っていった。それを眺めながらシロウが「あれは駄目ですね」と他人事のように呟く。



「兄上様」


「あぁ、問題ないですよ。ムサシはカエデさんに捕まってしまいましたし、もう逃げられないでしょう」



 馬鹿な男ですよとシロウは笑う、ツバキにしておけばもう少しは自由であっただろうにと。



「安心しなさい、明日には帰りますよ。父上には適当に言っておきますから」



 カエデが来た以上はムサシに逃げ場はない。ツバキにすら見捨てられてしまったのだから、彼の味方はいないのだ。ツバキにもう他の相手がいるのだから自分に勝ち目などないのは理解しただろう。


 シロウは「何かあれば朝までに訪ねてきなさい」とツバキに言って二人を追いかけていった。


 三人が消えて静けさを取り戻す広場にツバキはほっと胸を撫で下ろす。するりとイザークの腕を抱き締めていた手を離す。少々、強気な口調で言ってしまったが、かなり不安ではあったのだ。通用して良かったとツバキは安堵した。



「ツバキよ」

「何かしら?」

「そなたが決めたことならばワシは何も言わぬがな」

「うん」

「突然、言われた身には衝撃が強すぎるぞ」



 ロウが「イザークを見ろ」と言うので見上げてみると、彼は目を見開いて固まっていた。これにはレオナルドもレイチェルも「あぁ、うん」とロウに同意する。


 ツバキもそうだなと反省する。するけれど、あの場ではこうする方が一番いいと思ったのだ。



「イザーク、驚かせちゃってごめんなさいね?」

「え、あぁ、いや……少し、待ってくれ」



 言葉を理解しようとするイザークをツバキは見つめる。少しして、状況が整理できたのか口元を押さえてツバキと視線を合わせた。



「あれは、その……」

「私なりの答えだけれど?」



 貴方への想いの答えだと言われ、イザークは信じられないといったふうにまた固まってしまう。それにレオナルドが「喜べ、夢じゃないぞ」と肩を叩いた。レイチェルは「ほらぁ〜やっぱり、恋じゃないですかぁ」とツバキの頬をつつく。



「ごめんなさいね、いきなりで。でも、あの場ではあぁするのが一番だったのよ?」


「あれはあの小娘と男に結構効いただろうからのう」



 ロウは「まぁ、イザークにも効いたわけだが」と呟く。別の意味でイザークにも被弾しているのだが、それは仕方ないことだとツバキは思う。



「いや、いいんだ。その、言葉が出なくてだな……」

「少し落ち着くまで待ちましょうか?」



 このままこの場にいるのも邪魔になるだけだしというツバキの提案にイザークが「助かる」と頷く。彼にとってかなりの衝撃だったようだ。



「お前はなぁ」

「レオナルド、これは仕方ないんだ」



 イザークの様子に呆れるレオナルドに彼は「この衝撃は当事者にならないと分からない」と言う。ツバキは別に急いで話さなくてもよかったので、「気にしていないから大丈夫よ」と笑みを見せる。



「ちゃんと話すから気持ちを落ち着けてね」

「あぁ、すまない……」

「はーい、じゃあ宿舎に戻りましょうねぇ〜」



 ほらほらとレイチェルに背を押されながらツバキたちは宿舎へと戻った。




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