第34話 この胸に抱いた感情は恋なのかもしれない



 エマたちと別れたツバキは宿舎の裏にある洗濯場に汚れたロウを連れてきた。流石に泥まみれでお風呂に入れてあげるのは、掃除をするアリーチェに申し訳ないと思ったのだ。


 井戸の側にある洗濯物を洗う場所は石畳で広く、桶や板が立て掛けられている。その近くでは洗濯物が干されていた。そこは日当たりも良く、天気の良い日ならばすぐに乾いてしまうだろう。


 ツバキは井戸から水を汲んでロウの身体にかける。軽く泥を落としてから石鹸を泡立てて毛を洗っていく。狼サイズのロウの身体ではあるけれど、大型の犬と変わらないので洗うのは大変だ。


 イザークもツバキの手伝いとしてロウの毛を洗っていた。ツバキが前足を洗って、イザークが背中を流している。



「よく落ちるな」

「ロウの毛は特殊なのよね」



 こびりついた汚れがするりと落ちていく。血に塗れても綺麗に洗い流せるので便利だ。軽く洗うだけでいいのは面倒でないので助かっている。


 水で泡を洗い流せばすっかりと綺麗な白い毛に戻っていた。ぶるぶると身体を振るわせて水気を飛ばすその水滴がかかる。



「ロウ、いきなりするのはやめて」

「すまん、我慢ができなかった」



 顔についた水を拭いながらツバキはタオルを取り出す。ふと見ればイザークにも水がかかっていたようで彼は髪を掻き上げていた。


 ツバキはその仕草をじっと見つめてしまう。なんというか、似合っているなと様になっているなと。その視線に気づいてイザークが首を傾げる。



「どうかしただろうか?」

「いえ、様になっているなぁと」



 タオルでロウの毛を拭いながら答える。ツバキの返答の意味がよく分かっていないようで、イザークは不思議そうに見つめてきた。


 確かにこれだけじゃ伝わらないよなとツバキは思ったけれど、言葉にするのが難しいので、「気にしなくていいのよ」と返しておく。


 ロウの毛を拭いながら、そういえば彼の仕草を気にしたのは最近になってからだろうかと気づく。意識し始めているのかもしれないと。


 そんな気持ちを隠しつつ拭っていると、ロウがまた身体を振る。水気はだいぶ落ちて乾き始めていたので、あとは自然に乾燥するだろう。



「イザーク、手伝わせちゃったわね」

「構わない。一人では大変だろう」

「ワシは汚れさえしなければ洗わないでもいいのだが」

「こまめに洗わないとせっかく綺麗な毛並みなのだから勿体無いでしょう?」



 白狼に相応しい白く美しい毛並みをロウはしているのだ。汚れていては勿体無いとツバキは言う。ロウは別にいいだろうといったふうに見つめてきていたが、「ちゃんと洗うわよ」とそれを無視した。


 天気も良いのでツバキはロウを日向ぼっこさせる。そうすればすぐに乾くので、ちょうどいい。洗濯場から少し離れた日当たりの良さげな場所に移動した。


 ロウは寝そべって日に当たる。その隣にツバキが座れば、イザークも腰を下ろした。



「ここまで付き合わなくてもいいのよ?」

「どうせ何もすることはないからいいだろう?」

「本音を言え」

「ツバキと一緒にいたい」



 本当に素直だ、彼は。ツバキはロウに小言を言われているイザークを眺める。人が恋に落ちる理由は単純だったりすると聞いたことがあるけれど、自分もそうなのだろうか。彼を見つめながら考えると、好きだなといったところは思い浮かぶ。


 優しさや気遣い、一途に想ってくれるところも好きだ。嬉しそうに頬を綻ばせている表情や、しゅんと子犬のようになるところも。


 この好きという感情が恋や愛といったものだろうか。レイチェルの「恋できてますね」という言葉がまだ信じられない。何せ、気付けていないのだから。



「ツバキ?」

「何かしら?」

「黙っているからどうしたのかと」



 黙ってずっと見つめられてはそう思うかとツバキは「ごめんなさいね」と謝る。特に何かあったわけではないと伝えれば、イザークは「それならいいが」と返事を返した。


 心地よい日差しに不思議と落ち着けて、空を見上げれば鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。ふと、風が吹き抜けてツバキの髪がふわりと靡く。


 少し冷たさの残る風は気持ちよく、目を細めればイザークが「良いな」と呟いた。



「どうしたの?」

「この落ち着いた時間も良いなと思ったんだ」



 何かあるわけでもなく、暇を持て余しているという感じもなく、ただのんびりとする。こんなひと時も良いと思ったのだとイザークは言う。


 騎士団時代でも、あてもない無茶な旅をしていた時でも、こういった時間というのはなかった。だから、新鮮だと彼は笑う。



「そうね。こうやって落ち着けるのは好きだわ」



 嫌なことも忘れられそうだから。とは言わずにツバキは返す。



「二人でいるのも久しぶりね。最近は四人でいることが多いから」


「レオナルドが色々と厳しいからな」

「ワシは普通の反応だと思うぞ」



 ロウの突っ込みにイザークは返す言葉がないと黙る。その反応が叱られた犬のようでツバキはくすりと笑う。


 その笑みにイザークはうっと唸って、少し照れたように頬を掻く。



「キミは本当に反則だな……」

「そうかしら?」

「可愛らしい」



 迷いもなく言ってくる言葉に今度はツバキが照れてしまう。真っ直ぐに見つめる瞳に嘘はないので余計だ。照れを隠すようにツバキは「素直ね」と返す。



「隠していては伝わらないからな」

「伝わらないわね」



 そう、伝わらない。こうやってイザークが想いを伝えてくれるから、自分自身の気持ちにも変化があった。好きなところを見つけて、甘やかしたくなって。言葉で相手に伝えるというのが大事なのだと気づいた。


 無理して愛そうとしていた昔とは違って、今は自分の気持ちを感じるようになった。好きにもいろんな意味があって、それが恋なのか愛なのか、だんだんと分かってきたような気がする。


 イザークのことは好きなのだ、これが恋なのか愛なのかそれに気づくだけ。ツバキはロウの頭を撫でる。



「気持ちを素直に伝えてくれるところ、好きよ」



 言葉にしてみてるとイザークが目を見開いて固まっていた。それほど驚くことだろうかとツバキが見つめれば、彼は口元を押さえて視線を逸らす。



「イザーク?」

「……その、反則だと俺は思う」



 不意打ちは心にくるとイザークは頬を少しばかり赤らめていた。ツバキは彼の表情にこんな顔もするのだなと思った。照れでも恥ずかしいわけでもなく、嬉しさからの反応。


(貴方のその反応も反則じゃないかしら)


 どっと心臓が鳴って、目が離せなくなる。ツバキは胸を押さえながらイザークの言う反則の意味が分かった気がした。



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