第33話 その可愛らしさに笑みを浮かべ、不意打ちに胸を鳴らす



「そういえば、騎士団に入っていた時って休みの日とかどうしていたの?」



 町の道具屋で油を購入したツバキは店を出ながらなんとなしに問う。


 町は今日も賑やかで市場の方は人通りが多そうだ。広場では立ち話に花を咲かせる人や、大道芸の見物客の声が響いている。


 イザークは「特に何かしていたというわけではないな」と答える。剣の手入れをしたり、若手に稽古をつけたり、鍛錬をしたりとあまり面白みないことだと話す。



「のんびりとしていたわけではないのね」

「そうだな。ずっと部屋にいたということはなかった」

「私、本とか読んだりしていたけれど」



 本を読んだり、お茶をしたり、友人と話をしたり、それぐらいだろうか。部屋で暇を持て余していた時もあった。そう話せば、「俺とは正反対だな」と返される。



「本は眠たくなるんだ」

「子供か、お主」

「俺にだって苦手なものはある」



 読み書きはできるけれど勉学よりも身体を動かしている方が自分に合っていたのだとイザークは言う。


 ツバキは元々魔法の才があったのでそれを磨くように稽古をしていたが、身体を動かすのが得意かと問われると微妙だ。激しい運動についていける自信はあまりない。



「それだけ訓練したりしていたのなら、強いわよね」

「俺はまだまだだと思っている」

「向上心があるのね」

「慢心や油断は死に直結するからな」



 少しの慢心が、ちょっとした油断が命を落とすきっかけとなりかねない。だから、鍛錬は怠らないし、しっかりと状況を見て判断する。イザークは「それで死んでいった者は多い」と言った。



「誰かを守るのならば尚更、慢心や油断はやってはいけない」

「無茶な旅はしていたけれどね」

「……それはだな」



 指摘されてイザークは眉を下げる。それがなんだか可愛らしくてツバキはくすくすと笑った。


 ツバキにイザークは何か言おうとしたけれど、あまりにも綺麗に笑うのもだから見惚れてしまっていた。それは分かりやすいので、ロウがじろりと見つめている。



「お主、ほんと分かりやすいのう」

「これは仕方ないと思うのだが」

「私は特に気にしてないけれど。でも、もう無茶をしないでほしいわね」



 看病する身にもなってねとツバキが言えば、イザークはなんとも申し訳なさげにする。ツバキ自身、看病するのは構わないのができれば傷ついた姿というのは見たくはない。


 なるべく気をつけてほしいし、ちゃんと見てあげないとなとツバキは思う。そんな心配を感じ取ってか、イザークは「気をつけよう」と返す。



「無茶はしない」

「そうしてね?」

「ツバキのことになると無茶しそうだがな」



 ロウの突っ込みにイザークは黙った。それは肯定ということだろうにとツバキはその分かりやすさにまた小さく笑う。



「ツバキを守るのは当然だろう」

「それで無茶されても私は悲しいわよ?」

「それは……」

「言っても無駄そうね。仕方ないわ……買い忘れもないし、そろそろ宿舎に戻りましょうか」



 買ったものを確認しながらツバキがそう言った時だ。背後からびゅんっと何かが通りすぎた。なんだろうかと目を向けると少し大きい猫のような生き物が走っていく。


 猫にしては足が速いなと思いながら眺めていれば、「待ってー」と声がした。振り返ると黒いローブを纏った女が駆けてくる。彼女には見覚えがあった、確かエマではなかっただろか。



「エマさん?」

「え? あ! ツバキさん!」



 三つ編みに結われた明るい茶色の髪を揺らして、エマは眼鏡を押し上げながら二人を見る。彼女は息を切らしていたので、あの猫のようなものを追いかけていたのだろうことは見て取れた。


 ツバキが「どうしたの?」と問うと、エマは「保護していた魔物が逃げちゃって……」と訳を話した。


 魔猫と呼ばれる猫のような魔物を保護したのだという。彼らは少し力が強いというだけで、他は猫と変わらない生き物だ。怪我をしていたので治療をしてあげていたのだが、どうやらそれが嫌で逃げ出したらしい。



「野生に帰すにしてもまだ傷が治ってなくて……」

「もう結構先に行ってしまったぞ」



 ロウに言われて走っていったほうを見遣れば、もう猫の姿は見えなくなっていた。それにエマが「ふぇぇ」と嘆く。



「エマー!」

「アーバンー」



 エマを追ってきたアーバンがやってくる。ツバキたちに気づいてか、「この間はありがとう」と礼をした。



「で、エマ逃がしたのか」

「うん、ごめん」

「どうすっかなぁ」



 金の髪が乱れるのも気にせすにアーバンは頭を掻いた。まだ怪我が治っていないのなら心配だなとツバキも思う。町には犬や猫がいるのだ、喧嘩にでもなったら傷は悪化するだろう。


 ロウがふんふんと鼻をひくつかせる。地面の匂いを嗅ぐと、「追えなくはないぞ」と言った。



「匂いがある、追えなくはない」

「本当か! あー、でも二人とも用事が……」

「私は別に構わないわ」



 今日は休息をとることにしているので、時間に余裕があった。二人の手伝いをするのも悪くはないとツバキは言う。イザークも異論はなようで、「急いだ方がいいのでないか」と指摘していた。


 アーバンは「助かる」と頭を下げる。エマも何度も謝っていたが、そこまでしなくてもいいのだがと思いながらツバキはロウに指示を出した。


 ロウは匂い嗅ぎながら四人を先導していく。広場を抜けて、路地の裏へと入っていった。そのまま道なりに歩いていくと田畑が見えて、畦道の方へと進んで少し、柵が行手を阻む。


 柵の向こうには馬が放牧されていた。どうやらこの向こうにいるらしいが、敷地内なので勝手に入ることはできない。近くに人がいないかと見渡してみると、ちょうど牧草を運んでいる人を見つけた。



「すみません!」



 ツバキが声をかければ、牧草を運んでいた男が「どうした」と返事を返す。駆け寄って事情を話すと、男は「馬を傷つけないなら」と入ることを許可してくれた。


 柵を越えて中へとは入ると馬がじっと見つめてくる。それを気にもとめずにロウが匂いを嗅いでいると水飲み場の端に影を見つけた。ロウの姿勢が低くなる。


 猫が気づくかといった瞬間、ロウは駆け出した。びゅんっと駆け抜けて猫の側までいくとその首根を咥える。それに気づいた猫が暴れたが、ロウは離さない。暴れる足が当たり、水飲み場の桶が揺れてそのままひっくり返った。


 びっしゃびっしゃで泥だけになったロウが不機嫌そうに猫を咥えている。ツバキは「ごめんなさいね」と謝り、イザークは倒れた桶を戻す。エマとアーバンは馬の所有者である男に何度も頭を下げていた。


 馬の所有者である男が優しかったのもあって、大事には至らなかった。ずぶ濡れのロウに帰ったら洗わねばと決めて、ツバキはロウから猫を引き取ろうと近寄る。


 水で濡れた地面に足を取られ、ツバキは転けそうになった。それはそれは綺麗に足がつるんと滑る。



「ツバキっ」



 転けそうになるツバキをイザークが慌てて抱えてそれを阻止する。ぎゅっと抱きしめられて、近くなる顔にツバキはどきりと胸を押さえた。



「ツバキ、大丈夫か?」

「だ、大丈夫よ」

「ツバキ?」



 ツバキは視線を逸らしながら返事を返す。それが不自然だったのか、イザークはどうしたといったふうに目を向ける。


 顔が近い。ツバキはどっと心臓が鳴った。これが不意打ちというやつだろうかと考えながらイザークの腕から離れる。自分から抱きしめる分には平気だというのに、相手からの不意な行動には慣れない。


 イザークはまだ心配そうだったが、ロウからの痛い視線に手を離した。まだどきどきと胸がなっているが、ツバキは平然を装いながらロウから猫を受け取った。猫はずぶ濡れて項垂れていたので、エマに「乾かしてあげて」と言って渡す。



「ロウさんすみません! ありがとうございます!」

「ワシも洗ってもらいたい」

「そうね、帰ったら洗いましょう」



 泥まみれの様子にツバキはこれは外で洗わなきゃなと思いながらロウの頭を撫でてあげた。



 

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