第36話 彼の言葉が心にゆっくりと落ちていく



 それはよく晴れた日のことだった。雲一つない空の下、ツバキは幼馴染で親友だったカエデに呼び出された。大事な話があるからと言われて彼女の屋敷へと向かったのだ。


 彼女の好みに手入れさえた花々が香る中庭のテラスを訪れると、そこにはカエデだけでなくムサシもいた。彼も呼び出されたのかとツバキは二人に声を掛ける。



「カエデ、どうしたの?」

「あぁ、ツバキ。やっときたのね」



 長い焦茶の髪を靡かせながら振り返り、カエデはにやりと笑む。その笑い方は彼女が何か企んでいる時の顔だ。ツバキは嫌な予感がしたけれど、「話って?」と問う。


 カエデは「実はね」とムサシの方を見つめる。



「ごめんなさいね、ツバキ」



 カエデは勝ち誇ったように笑みを浮かべながら言った。



「あたし、彼のことが好きなのよ。だから、諦めてちょうだい」



 ムサシの腕を抱いてカエデは口元に手を添えながら高らかに笑う。その光景に何が起こっているのか、初めは理解できなかった。彼女が、ムサシを奪ったのだ。そう理解して、ツバキは唇を噛み締めた。



「だって、アナタってムサシさんのこと愛していないじゃない」

「それは、違うわ。彼のことは好きよ」

「その好きって愛しているとは違うでしょう?」

「それは……」

「無理をしているのが丸わかりなのよ」



 カエデは「そんな人を妻にするなんて可哀想だわ」とムサシを抱き寄せる。ムサシは彼女に微笑み返すだけだ。それだけで彼が彼女に落ちているのは分かった。


 もう戻ってはこないのだと理解してツバキは「勝手にすればいい」と吐き捨てて、逃げるようにカエデの屋敷を出た。


 それからだ。婚約破棄をされて、父は顔に泥を塗られて娘を叱って家から追い出した。何もなく、戻ったとしても捨てられたと噂される生き地獄を味わうくらいならばと、自害した。


          *


 宿舎の部屋でツバキはベッドに座りながら思い出を語るように話した。ロウの一度きりの奇跡の力で死に戻ったことを、やり直すために国を出たことを全て。


 話してみると意外とあっさりしているなとツバキは思う。顔を上げれば、三人とも複雑そうな表情を見せていた。


 なんと声をかければいいのかと悩むレオナルドに、声をかけれずに黙っているレイチェルは口元を押さえている。イザークはただじっとツバキを見つめていた。



「私は裏切った二人を許せていないの。これを話せるほど許せては」



 少しでも彼らを許せていれば、笑い話として話せたかもしれない。でもだいぶ、そうだいぶ考えなくなってきていた。こうやってイザークたちと接するようになってから、思い出の一つとして、怒りを忘れることもできたかもしれない。


 だというのに、彼は現れた。裏切っておいて「おれは君一筋だ」などと言って。ちりちりと鎮火しかけていた怒りが再び燃え上がる。今更、何を言っているのだと。



「どうするのだ、ツバキよ」



 話し終えて沈黙が包む中、ロウが問う。兄と元婚約者が迎えにきたのだ、どうするのか意志ははっきりしたほうがいいと言われて、ツバキは眉を下げた。


 はっきりするも何も、もう戻りたくはないのだ。何を好き好んで裏切った男と再び婚約を結ばねばならないのだ。



「嫌よ」

「だろうな。一度、裏切ったのだから何度も裏切るぞ、あやつは」



 ツバキの返答にロウは頷く。ツバキもまた彼は裏切るような気がしたので、ロウの意見には賛同だった。


 あの男が何故、再びツバキと婚約を交わしたいのかを聞いてはいない。いないけれど、碌なことではないだろうと想像ができる。聞きたいとも思わないし、顔すらも合わせたくはない。


 どうしたものかと考えていると、ベッドに座っていたレイチェルが立ち上がった。



「ツバキさんは戻る必要はないですよぉ!」



 レイチェルは「むしろ、どこに必要性があるんですぅ?」と少し怒ったように言う。それに賛同するようにレオナルドが頷いた。



「相手の酷さに言葉も出ない」

「レオナルド様のいう通り!」



 裏切って他所の女の元に、しかも婚約者の幼馴染に手を出しておいて、やっぱり君がいいなど都合が良すぎる。レイチェルは拳を握りながらムサシへの怒りを露わにした。



「お主も大概なことしたと思うのだが」

「ロウさん、それは〜そのー、でも付き合ってもいませんしー。反省は十分しました」



 レイチェルはやり直すと決めてからの行動は早かった。謝罪に回って文句を言われようともそれを受け止めた。彼女をこうも変えた恋というのは凄いなとツバキは思う。言葉通り、レオナルド以外の男には見向きもしていないからだ。


 レイチェルのように心を入れ替えて行動しているのならば、まだ幾分か話を聞いてみようとは思ったかもしれない。けれど、ムサシはカエデのことを話した途端に動揺し、言い訳になっていない言葉を言うだけだった。


 そんな様子にレイチェルとは違い、心を入れ替えたわけではないというのは見て取れる。理由は知りたくもないのだが、逃げてきたのだろうことはツバキでも分かった。


 レイチェルのように恋や愛があったら、運命は変わっていたのだろうか。ツバキは死に戻る前のことを思い出す。



「私もね、愛するとかよく分かっていないのに無理していたから、そこが悪かったのかなとは思っているの」


「ツバキは悪くないだろうに。全てはあの男が悪いのだ。あぁ、喰らいたい、腹が立つ」



 ロウもかなり怒っているようだった。どの面を下げてやってきたのだと唸っている。下手なことをすれば、ムサシは噛み砕かれてしまうかもしれないなとツバキは感じて、「ロウ、落ち着いて」と頭を撫でた。



「お兄様ってどちらの?」

「シロウ兄上様は次男です」

「あぁ、自由な人の方か」

「あの方はただ楽しんでいるだけのようだから、問題はないと思うわ」



 ムサシの味方をするわけでも、ツバキを説得するわけでもない。ただ、事の結末を見守っているだけだ。それを見届けて父に報告するのが彼の任された役目だから。


 ここまでの道のりも少し長い旅行をしている感覚なのだ、きっと。だから、楽しんでいる。あの様子で妹の味方もしてくれはしないだろうとツバキは溜息を吐いた。



「問題は元婚約者と」

「そうなるわ」

「でも、戻る必要はないと思うますよぉ〜!」



 レイチェルの言葉にロウが「そうだ、あのクズの元に行く必要はない」と同調する。クズと言われれば、クズなのだろうなとツバキも思った。



「……ツバキは戻りたくはなのだな?」



 そんな様子を黙っていた見ていたイザークが口を開いた。ツバキが彼の方を見れば、なんとも不安げで。いや、心配と不安が混ざったような顔をしている。


 なんて顔をしているのだろうか、今まで見たことない表情で。見たくはないと思った、心配に不安にさせたくはないと。ツバキは「戻りたくはないわ」とイザークを見つめながら答えた。



「ツバキの意思を優先するべきだ。戻りたくないのならば、戻る必要はない。ツバキには選ぶ権利がある」



 ツバキの返答を聞いてイザークははっきりと言った、自由に生きていいのだと。その言葉がツバキの心へと落ちていく、ゆっくりと静かに。


 胸を押さえながらツバキは「ありがとう」と目を細めた。


 

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