虐げられた灰かぶりの男爵令嬢は紫の薔薇に愛される。

友坂 悠

 

「エーリカ。貴女なんかその灰の中がお似合いよ!」


 そう言って義姉様たちは部屋に戻っていった。

 ああでももうこれで今日は意地悪をされずに済むのだと思うと少しホッとするけれど、あたしの寝る場所はこの灰でまみれたこの場所しか無いかと思うと悲しくなる。


 暖炉の火は落とされお部屋も与えられていないあたしにはこのお台所の隅しか寝る場所は許されていなかった。

 それでも。


 かまどの灰の中にはまだ種火が残されている。

 毛布一枚で寒いけれど、まだほんのりとぬくもりが残るこのお台所は他の場所よりはマシだった。


 あたしは今この男爵家でおさんどんをしている。

 婿養子で男爵を継いだお父様はお祖父様お祖母様お母さまが相次いで亡くなった後、あたしがまだ5歳の時に後妻に今のお義母さまを迎え。

 お義母さまと連れ子のお義姉さま2人がお家に入った後、亡くなったお母さまそっくりなあたしは皆に疎まれた。


「お前など、食わしてやっているだけでありがたいと思え」


 気に入らないことがあるとそう言いながらあたしを鞭で打つお父様。


 ある時、「金の無駄だ」と屋敷の使用人さんたち全てに暇を出したお父様。

 以来このお屋敷の掃除洗濯食事の用意等々全てあたしのお仕事になったのだった。



 朝になって。

 かまどの火を起こし水を張った鍋をかけ。

 沸くまでの時間、あたしは屋根裏に登る。


 窓を開け思いっきり朝の空気を吸い込むと、ちょっとは生き返った気分になる。


「ああ小鳥さんおはよう。今日もご機嫌ね」


 チュンチュンと囀りながら窓にとまる小鳥にそう挨拶をして、本を開いて昨日の続きを読むのが日課。

 灯りももったいないないからと言われ満足に蝋燭も使えない身としては、こうして皆が起きてこない僅かな時間しか自由な時間が取れないし。


 まともに貴族としての教育も受けてこなかったあたしがこうして字が読める本が読めるとは家のものは誰も思っていないだろう。

 お父様は御本に興味がないのかお祖父様やお母様が大事にしていた本はみなこの屋根裏部屋で埃をかぶっていた。

 もうすでに三つの頃からお母様に絵本をねだり少しずつだけど字も教えてもらっていたあたしは、屋根裏でこうしていっぱいの本を見つけたときは喜んだものだ。

 以来、隠れてこうして御本を読むうちに、通り一遍の教養は身につけることができたと思う。

 一番好きなのは魔法の本。

 世界の源、エーテル理論。

 マナと魔術の関係やその技術論。

 ふふ。

 自分じゃ使えやしないのにね。

 そんな魔法に憧れて、知識だけはいっぱいになっていたのだった。


 ちらちらと舞うホコリに差し込む朝日が綺麗で。

 この一瞬だけはあたしは灰かぶりのおさんどんではなく、男爵令嬢エーリカ・サンドリヲンに戻れた気分になれたのだった。




 ⭐︎⭐︎⭐︎



「ねえお父様、来週末にあるお城のパーティに着ていくドレスを新調したいの」

「ああ姉様だけずるい。あたくしも新しいドレスが欲しいですわ」

「ああ、では仕立屋を呼ぶとしよう」

「ほほ。サマンサ、シャロン、あなたたちにはぜひ王子様のハートを射止めてもらわなければいけませんからね」

「でしょう? お母様。わたくしは絶対に王子様を射止めてご覧に入れますわ」

「だめよ王子様はあたくしがメロメロにしてあげるんだから」

「シャロンには負けないわ」

「サマンサ姉様よりもあたくしの方が可憐に見えますもの。負けませんわよ」

「2人とも頼もしいわ。当日はめいいっぱい着飾って参りましょうね」

「おいおいお前も着飾るのかい? スーザンや」

「もちろん当たり前じゃありませんかあなた。2人の娘を連れて社交会に赴くのですから私もそれ相応に豪奢でないと。他の貴族にバカにされたくはありませんもの」

「まあ、そうだな」


 お父様のお顔は少し優れませんが。まあきっとまたお金のことを考えているのでしょうか。

 かちゃかちゃと食器を鳴らし食べるのもそっちのけでべちゃくちゃと来週のパーティのお話で盛り上がるかれら。

 早く食べ終わってくれないと後片付けが遅くなるなぁとぼんやり隅で待機してたあたしでしたが。


「まあ、そこの灰かぶりが羨ましそうに話を聞いていますわ」

「まあエーリカったらそんなみすぼらしいなりでお城のパーティーに行きたいのかしら」

「食事を出し終わったのならそんなところで聞いてないで台所に戻ってらっしゃい」

「そうよ、あんたなんかが行ける場所じゃないんだから。羨んでも無駄よ」


 義姉様や義母様にそう罵られ、あたしは頭を下げさっと奥に引っ込んだ。

 関わったらまけ。負けだから。

 あの人たちの居るところでは心を殺す。

 そうでなければもうとっくに耐えられなくてどうかなってしまいそうだったから。


 あたしは心の奥底に真っ赤に燃え上がりそうになる火種を、それこそ灰で埋め尽くすようにして。

 そうして押さえ込んだ。


 うん。だめ。


 何も考えないでいなきゃ、だめ……。



 ⭐︎⭐︎⭐︎




 パーティの当日夜は静かなものだった。


 父様は父様で、お義母様お義姉様たちは皆着飾って馬車を呼んで出かけて行った。

 まあね。新しいドレスって言っても新しく一から仕立てているわけじゃないだろうけどそれでも結構なお金がかかったのだろうってことくらいわかる。

 お祖父様もお母様もそうそうお金を散財することは無かったと思うけど、もうこのお屋敷にはあまり財産が残っていないような気もする。

 お掃除や洗濯をしていて感じるのは、子供の頃にあったはずの絵画や陶磁器、飾ってあった貴重な宝石が嵌ったご先祖様の彫像なんかがみなどこかに行ってしまったこと。

 悲しいなって思うと同時に、お父様が使用人さんたちにお暇を出したタイミングでそれらが無くなっていたことに思い当たった。

 この男爵家はお金に困っているのかな。

 その時はそう思っただけ。

 だけれど。

 お義母様やお義姉様たちがやれ新しいドレスだやれ装飾品だとお金を湯水のように使うのを見ると、心が痛んだ。

 気にしちゃだめだ考えちゃだめだと心を殺さなきゃ、耐えられなかった。



 まあ、せっかく皆が出かけて留守なのだ。

 今夜は夜更けまで誰も戻ってこないはず。

 うん。少しくらい蝋燭を使ってもいいかな。屋根裏で本を読んで過ごそう。

 まだ読んでない本が棚の奥にあったはず。

 ちょっと装飾が豪華なあの本、今日はあれを読もう。


 そう思って。ちょっとだけ気を取り直して。

 あたしは屋根裏への階段を登って行った。




 窓からは月の光が降っていた。

 あまり夜にここに上がってくることは無かったから気がつかなかったけど、月の光が降るように注ぐこの部屋は朝にも増して神秘的で綺麗だった。

 どこか別の世界に紛れ込んだようなそんな錯覚も覚え、一瞬その景色に見惚れてしまって。

 ああと思い返し目的の御本を探す。


 隅っこのそのまた隅っこに隠れるようにしてあったその本は、赤い皮の表紙に金色の糸で刺繍がしてある古くてなぜか懐かしい、そんな気にさせる本だった。


 タイトルは……、えっと、「マギア・エレベカ」かぁ。


 誰かの名前?

 そんな名前は聞いたことはないはずだけどそう思ったあたしは、燭台を窓際におき、月明かりで本を読もうと窓辺に寄った。

 衣装箱に腰掛け窓枠に本を乗せ、ゆっくりと表紙を開く。


「親愛なるエウレカへ」

 そう綴って始まるその本は、とある昔話だった。


 継母にいじめられて育ったエウレカという少女。

 ある時お城で舞踏会があり、意地悪な姉たちは継母に連れられその舞踏会に出かけていくがエウレカには着ていく服もありません。

 そこに現れた魔女、エレベカ。

 実は彼女はエウレカの母方の祖母でした。

 亡くなった娘の子が不憫だった魔女エレベカ。

 魔法の力でドレスと馬車を出して彼女をお城に送り出すのでした。

 ただしその魔法には制限時間がありました。

「必ず深夜零時の鐘が鳴るまでに戻っておいで。そうでなけれな魔法は全て解けてしまうよ」

 そう念を押すエレベカ。


 しかし。

 舞踏会の会場で王子様からダンスを申し込まれたエウレカは浮かれてその約束を忘れてしまいます。


 無常にも鳴り響く鐘の音に、王子の前から走り逃げる彼女。



 物語はそこで終わっていた。


 え?

 続きが気になる。


 まるで自分の境遇のようなこの少女に共感し、この子の運命の行く末が気になったあたし。

 もしかしてこの御本、続きがあるのかな。でも似たような本はみあたらないし。

 そう思って本をぐるぐる回して裏を見て。何か他に情報がないかと目を凝らし見てみると。


 表紙の裏に魔法陣が書いてあることに気がついて。



 あたしはその魔法陣に書かれた呪文を順番に唱えてみた。


 みたこともない魔法陣だったのが珍しかったのもあるけど、あたしにもその呪文は読めるものばかりだったし。何よりもこの本に興味が惹かれたのが大きかったのかな。

 魔法なんて使えないあたしがこんな魔法陣の呪文を詠唱したところで何かが変わるわけでもなし。

 その時は本気でそう思っていたのだ。

 これがあたしの運命を変えるとは気がつかずに。



 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎




 真っ白な世界。


 明るい? ううん、これはただただ白いだけで明るい光ではない?


 そんな場所にふわふわと漂っていたあたし。



「ああ、気がついたのかい?」


 そう優しい声が降り注ぐ。


 っと、誰?


 もう周りが真っ白すぎて何もわからなくなってる。


「はは。そう怯えなくても大丈夫。あたしゃ、エレベカ。白銀の魔女さ」


 はい?


 エレベカってさっきのお話の?


「そうだよ。魔法陣によってあの本に封じ込められてしまっていたんだけどね。やっと出られたよ。あんたには何かお礼をしなくちゃって思ってね」


 お礼って。ううん、っていうかここはどこです? 真っ白で何が何だか分からなくて。


「ここは、あんたの心の中さ。ほら、あの中心にほんのり熱が見えないかい? あんたが一生懸命灰をかけて隠そうとした心の熱さね」


 ああ。あれは。わかる。


 真っ白な中に、真っ白な灰の山が出来ていた。

 その中に埋まっていたのはあたしの感情。真っ赤に燃えそうになって、ダメだと思って一生懸命に埋めたあたしの心。



「そうしんみりしなさんな。人は誰でもちゃん感情っていうものを持っているものだよ。それは悪いことじゃない。あんたはちゃんとそれを暴走させずにコントロールできる理性の鍵を持ってるからね。感情の中には嬉しいとか悲しいとか色々あるけれど、そんな感情もあんた自身でちゃんと育ててやらないとね」


 ええ、でも。

 あたしには何もないんです……。

 生きて行けるだけでありがたいんだって、そう思わなくちゃって。


「バカだね。まあいい。これはあんたへのお礼のご褒美だ」


 魔女エレベカは魔法の呪文を唱えた。

 あたしには聞き取れなかったその呪文の詠唱が終わった時。



 あたしが立っていたのは屋根裏の、あの埃だらけのあの場所で。

 でも。

 あたしの容姿は綺麗に磨かれ化粧も施され。

 あたしの瞳の色とおそろいな綺麗なブルーのドレスを身に纏って。

 額には白銀のティアラが嵌った。


 真っ白な光沢のある手袋は薔薇の刺繍が施され。

 足元はクリスタルに輝くハイヒール。


 驚いて何も言えないでいると空中からまたエレベカの声がした。


「ほら、右手を前に出してご覧」


 言われるままに手を伸ばすあたし。

 そこにはぼんやりと別の空間が広がる。


「魔法で城のパーティー会場と空間を繋げてあげたよ。さあ一歩踏み出してごらんな。自分の幸せは自分で掴み取るがいいさ」


 その声に。


 あたしは一歩踏み出した。

 ふわんと空気が変わるのがわかる。

 次元の膜のようなものを一瞬で通り抜けるとそこは煌々とシャンデリアの灯りがともる大広間だった。


「必ず深夜零時の鐘が鳴るまでに戻っておいで。そうでなけれな魔法は全て解けてしまうよ」

 あの本にあったあの場面のように、そんな声が聞こえた気がした。




 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


「どこの令嬢だ?」

「ああでも、昔お見かけしたことがあったような」

「あれはサンドリヲン家のフローリア様?」

「でもあの方は確かお亡くなりになった筈では?」

 周囲のそんな声に、あたしは人混みを避けるように会場をぬって歩いていった。


 うん、ここまできたら一夜の夢だと思って楽しもう。

 誰もあたしのことなんて知らないんだもの。


 お父様やお義姉様だってこんなあたしをあたしだって分からないだろうし。


 テーブルに並べられた美味しいお食事を頂き、給仕の白い服を着た男性からワインを頂いたあたし、それを一口飲んでちょっと気分も良くなって。


 ふふ。

 そう気が大きくなったところで、目の前に1人の貴公子が現れた。


「お嬢様、私と一曲踊って頂けませんか?」

 そう綺麗な礼をして手を伸ばすその貴公子に。

「ええ、喜んで」

 そうカーテシーで答え手を添える。


 ミュージックが鳴り響き、会場で一斉にダンスが始まった。

 ちょっと酔っ払い浮かれていたあたしはその貴公子の巧みなリードにも助けられ、なんとか踊れていたのだった。


 その後、二曲三曲と曲が変わり。

 その男性もパートナーを変えるものだと思っていたのに。

 なぜか、最後まであたしの手を繋いだままの彼。


 豪奢な金色の髪に瞳の色も金色で、まるで何もかも見透かしてしまいそうに見えるその男性。

 紫色の衣装に金の肩章が揺れ、胸に刺したやはり紫のバラがとても印象的だった。


 三曲目が終わった時。

「ヴァイオレット殿下!」

 と痺れを切らしたかのように、大勢の婦人たちが彼を取り囲む。


 え?

 殿下?


 ってこの方王子様だったの?


 ヴァイオレット・フォン・オルレアン。

 確かこの国の現在の第一王子がそんな名前だったような気がするけど。


 恐れ多いことにあたしはそんな高貴な方と三曲も踊ってしまったのか!


 そう思うとそれまでほろ酔いでいい気分になっていたのも一瞬で覚め。


「ああありがとうございます殿下。わたくしはこれで」

 それだけ言い残すと繋がれた手をするんと抜いて、人混みに紛れるように逃げた。


「あ、レディ、お名前を」

 最後にそう叫ぶ殿下の声が聞こえたけど。あたしは振り返ることができなかった。



 そのまま壁の花に徹しようと会場の脇に張り付いたあたし。

 でも。


 なんだか遠巻きに珍獣でも見るかのような目でジロジロ見られ気分も悪くなったあたし。

 夜風にでもあたろうとバルコニーに出て。


 お庭に降りられるように階段があるそのバルコニーから、ちょうど真上にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。



「こちらをどうぞ」


 夜風が気持ちよく。喧騒も聞こえてこなくなったことをいいことにしばらくそこで目を瞑って佇んでいたあたしに、給仕の男性が紫のカクテルを手渡してきた。


「え? 頼んでいませんのに」


「ああ、あちらの方からのリクエストでございます」


 そうスマートに手渡されるカクテルを断りきれず手にするあたし。


 あちらの方ってどなただろう?


 そう思い給仕さんの手が指し示す方を見てみると。



 ああ。王子様。

 ヴァイオレット殿下がそこにいるではないか。


 彼はゆったりとこちらに近づいてくると。

「先程は悪かったね。少々邪魔が入ってしまって」

 と、そう言ってあたしに手を差し伸べた。


 恐れ多いという気持ちと、それでもあたしを見つけてくれたというそんな気持ちに揺れうごいて。

 あたしはおずおずと彼の手を取った。


「そのカクテルはヴァイオレットローゼ。私が一番好きなお酒なんだ。君にも似合うかと思って」


 そういう彼に。あたしは一口そのカクテルを口にふくみ。


「とても美味しいです」


 そう答え俯いた。


 恥ずかしくて、多分顔が真っ赤になっていただろうから。




 ゴーン ゴーン


 と2回。お城の鐘が鳴った。


「ああ、零時の鐘か。もうそんな時間なのか」

 そう呟く殿下。


 あ、っとおもった時にはあたしは走り出していた。

 いけない。

 王子にあたしの灰かぶりの姿を見せるわけにはいかない。


 彼に恋をしてしまったあたし。

 叶わない恋であったとしても、この夢のような場所であたしのみすぼらしい姿だけは見られたくはない。


 そんな思いで走る。

 階段を駆け降り庭を抜ける。


 待って、姫!


 そんな殿下の声が聞こえたと思った時。

 あたしはいつの間にか、元いた屋根裏に戻っていた。


「夢?」


 全てが夢だったのか。

 魔法が解けて元のみすぼらしい灰かぶりの格好になっていたあたし。

 なぜか、履いていたヒールだけが片方残っていた。

 たぶん走っている間に脱げたのか。

 でもなんで?

 片方を無くしたからこの靴だけ魔法が解けなかったの?


 考えても分からなかった。

 けど。

 この靴が、あたしの今夜の経験が夢ではなかった証拠だと。

 あの楽しかった一夜は現実だったのだとそう思えて。


 それだけを心の支えにし。


 あたしはいつもの台所の隅で眠りについたのだった。





 ###########




「ではあの令嬢の正体は不明だと、そういうのか?」


「はい殿下。ただ、彼女を見たものの話ではサンドリヲン男爵家ゆかりの令嬢ではないかと」


「サンドリヲン男爵家といえば確か」


「先代のガイウス男爵には娘のフローリア嬢しかいなかったため、現在の男爵は士爵家四男であった婿が務めておりますが、男爵家の血を引く令嬢が一人居るはずですね」


「うむ。その娘は身体が弱いからと例外で後継に養子を認めてほしいと男爵から要望があったと聞いていたが、彼女がそうなのか?」


「ええ、まずは男爵を召して問いただしてみることをお勧めいたします」


 ヴァイオレットは手にしたクリスタルのヒールを大事そうに持って。

 侍従長のその提案に頷いたのだった。



 #############





 その日は朝から慌ただしかった。


 王城からの急なお召し。

 それもあたしを名指しでお召しになられるというお触れを伝えに着た使者。


 男爵家の後継問題である。とそう宣言するその使者に、お父様は頭を抱えたのちあたしに準備をするよう言った。


 お義母様やお義姉様は特に呼ばれていなかったけど、自分たちもいかなければとお父様に詰め寄って。

 結局全員で登城することに。




 あたしといえば。

 とりあえず屋根裏の衣装箱を漁りお母様の遺品の衣装のなかからなんとかまだ着られるていのドレスを見繕い。

 大急ぎで埃を払い干して。


 お義姉様方の着付けを手伝い髪ゆいを手伝い。

 馬車の手配をして。

 それでもって自分の顔をなんとか作り髪を結ってお母様のドレスに身を包んだ。

 パーティー用ではないシックなデザインのものだったけど、薄いブルーのそれは先日の綺麗に装ったあたしを彷彿とさせる出来で。

 なんとか男爵家の一員として恥ずかしくないくらいにはなったかな?


 馬車の中で。


「お前は何を言われてもはいとだけ答えるのだぞ。余計なことは言わなくてもいいからな」

「あなたは貴族としての教育も教養もないのだから、ボロが出ないよう口は閉ざしていなさいね」

「灰かぶりのままだとみっともないから今日は許すけど、そんな格好させるのは今だけだからね。明日からはまた灰かぶりに戻るのよ!」


 そう皆に念を押された。


 あたしは自分の心を押し殺し、ただただ時間の過ぎるのを待った。

 王城でもそうしていれば、いい。

 そういうことだ。と。




 お城に着くとそのまま謁見室まで通された。


 赤いベルベットの絨毯の上を歩いて、玉座に座る王の前に平伏する。

 あたしは一番後ろで床に頭がついちゃうんじゃないかっていう勢いで頭を下げる。

 ただただ俯いて。目立たぬように。

 そうして。



「ラウル・サンドリヲン男爵よ。本日は其方に確認しておきたいことがあってこうしてきてもらった。おもてをあげなさい」


 フリーデン王が神妙な面持ちでそう仰った。


 お父様は「ははっ」とひざまづき礼をとると王を仰ぎ見る。


「実はな、息子が先日の舞踏会で其方の娘を見初めたようなのだ。で、今日はその娘を確認させて貰おうと思いこちらに来てもらったのだが」


「おお、そうでございましたか。それは光栄でございます。そうであればその娘というのはこちらの二名のいずれかであると思われます。サマンサ、シャロン、一歩前に出なさい」


「サマンサでございます」

「シャロンでございます」

 義姉様2人は一歩前に出てカーテシーをして。


 王は鷹揚に笑うと侍従に箱を持ってこさせた。

「おお其方らのどちらかとな。ではこちらの靴に足を合わせてみせてもらえぬか」


「実はその王子が見初めた女性が帰り際に落とした靴がこちらになります。当人であればすっと履けるでしょう。お試しください」

 侍従が義姉様たちの前に箱を持ってきて、開けた。


 って、嘘。

 あれ、あれって……。


 義姉様たちはポカンとしながらも、何かを試されているのかとでも思ったのだろう。

 そのままその靴を履こうとして。


 2人とも、指を折り曲げてもその靴が履けなかった。

 うん、そうだよね。

 あれはあたしの靴だもの。

 あたしの足のサイズは義姉様たちよりも二回りほど小さい。

 流石に伸びないガラスの靴だ。あたしの足ぴったりに作られた魔法の靴。

 義姉様たちにはどう足掻いても無理だろう。それこそ指を切り落としでもしなければ。


「これはなんの意味があるのです?」

「そうです。こんな靴、履けるか履けないかなんか関係あるのでしょうか?」


 ああばかばか、義姉さまたちったら王様の前でそんなこと。不敬だっていうのがわからないの?


「あの、何かをお試しになっていらっしゃるのでしょうか? そもそもそのような靴、当家では購入したことがございませんが」


 お父様もそう言って。まあ確かにね。こんな靴、そこらに売ってはいないもの。


「そうか、心当たりがないか」

 王様はそう残念そうに仰って。


「しかし娘はもう一名いるのではないか? ラウルよ」


「いえ、恐れながら王よ。この末の娘は身体も悪く、舞踏会は欠席しておりましたゆえ」


「何? 身体がのう。それはいけない。だがその娘を舞踏会で見たという話を聞いたのだがな」

 王はくいっと顎で侍従に指示を出した?


「ええ、サンドリヲン男爵家の令嬢、エーリカ様の踊る姿をお見かけしたという証言があちらこちらより上がっておりました」

 と、侍従様。


 ってあたし、バレてる?

 どうしようまずいかな。


「そんなはずはございません。そもそもエーリカにはそういった教育もしておりませんし」


「なんと? そのエーリカ嬢はサンドリヲン家の正統後継者ではなかったか? そもそもお主は彼女が成人するまでの引き継ぎで男爵位を預かっている身分であろう?」


 え?


「あ、いえ、それは、エーリカは身体も弱く家を継ぐには難しくて、ですね」


「なるほど。身体が弱い故に家督は継げぬ、と。そのため貴族として相応しい教育を施してこなかった、と申すのだな?」


「そうでございます。ですから何とぞ当家には養子をと。幸いアルマール伯爵家よりそういうお話も頂いておりまして」


「ふむ。しかしその前に確かめさせて貰おう。ライフェン、靴を彼女に」


「ははっ」


 カツカツ、と、あたしの目の前にやってきた侍従様。


「さあエーリカ様。こちらの靴を履いてみせていただけませんか」


 そう優しく囁いた。


「はい、わかりました」


 あたしは反射的にそう答えて。


「おい、エーリカ」

「待ちなさいエーリカ」

 そういうお父様やお義母様の声が聞こえたけど、もうどうでもいいや。


 あたしはその靴をするっと履いてみせ。

 そしてそのままカーテシーをすると。


「確かにこの靴はわたくしのものでございます。先日の舞踏会のおり殿下の元を去る時に脱げてしまってそのままになってしまったものに違いありません」


 そうはっきりと王に告げてみせた。


「身体が弱いというのは」


「至って健康でございます」


「教育を受けてこなかったにしてはしっかりしているようだが?」


「母の残してくれた本を読み、独学で学びました」


「なるほど」


 王は蓄えた白い顎髭をひと撫ですると、満足そうな笑みを浮かべ。


「入ってきなさい。ヴァイオレット」


 と、そう、背後にあったベルベットの厚い幕に向かって仰って。



 ドキ!


 そこからすっと現れたのは先日お会いしたヴァイオレット殿下その人。


「エーリカ。君に会いたかった」


 殿下はあたしの前まで来ると手を差し伸べそう仰った。


「わたくしもです。ヴァイオレット殿下」


 あたしはそういうと彼の手を取って。


 微笑んだ。



 彼の瞳が優しくて。あたしの心は満たされて。


 真っ白の灰しかなかったあたしの心の奥底に、明るい光が灯ったのだった。



          Fin








 ってFinマークつけてからいうのはちょっと違ったかもしれないんだけど後日談。


 あたしのお父様はお母さまとの結婚前から付き合ってた義母様の存在がお祖父様に知られたことをきっかけに、お祖父様お祖母様そしてお母さまを手にかけていたとの事だった。

 あたしが生かされていたのはただ単にあたしにしか男爵家を継ぐ資格がなかったからに他ならず。

 もしこのまま伯爵家からの養子縁組が成っていた暁にはあたしはもういらない人間として処分されているところだった、と。

 有能な侍従さんがそこまで調べてくれたところで。

 お父様は刑に処され義母様義姉様たちは追放となった。


 全てが明るみとなって、あたしは悲劇のヒロインとして社交界でもてはやされたのち、ヴァイオレット殿下と結ばれたのだけど……。

 それはまた別の機会にーー。

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虐げられた灰かぶりの男爵令嬢は紫の薔薇に愛される。 友坂 悠 @tomoneko299

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