後編

 夏休みの初日の旅立ちから五日間、僕らは自転車をこぎ続けた。

 本当は電車で移動した方が楽なのだろうが、自転車の方が自由に動けるということで僕が提案したところ、恵美えみ了承りょうしょうしてくれた。

 北を目指す道中。僕らは色々なものに触れた。

 美しい田園風景。

 田舎でひっそりと佇むカフェでのコーヒー。

 自転車で旅をしていると話したらおにぎりを分けてくれたお婆さん。

 それは、今までの生活では決して触れることがなかったものだ。

 楽しかった。

 あの家族と会うことがないと思うから、というのももちろん大きい。

 でも、なによりも恵美と一緒にこの時間を共有できていると思うと、さらに楽しくなった。

 これからは、こんなにも楽しい時間が増えるのかと思うと、本当に幸せだった。

まことくーん」

 前を走る恵美が話しかけてくる。

「どうした、恵美?」

「右見て! すごいよ!」

 自転車のハンドルから片手を放し、右を指さす。

 結構な速度が出ているから片手走行は危ないと思ったが、言葉に従い右を見ている。

 そこには、まばゆいばかりの夕日が海に沈んでいく景色があった。

 僕は思わず、自転車を止める。

綺麗きれいだな……」

「うん、そうだね」

 横を見ると、僕の気づかないうちに近づいてきた恵美が笑顔を浮かべていた。

 この時間が、ずっと続いてほしい。

 心からそう思えた。


 さて、作戦会議の時間だ。

 日が暮れてからも自転車を走らせ、たどり着いた海沿いのそこそこ大きな町。

 今は、その町で今夜の宿を確保してファミレスで食事を取っているところだった。

「なぁ、恵美。結局のところ、僕らはどこまで北に進むんだ?」

「どこまで……かぁ。とりあえず私は北海道に行ってみたいな。食べ物美味しいだろうし」

 そう言いながら、ハンバーグを頬張ほおば恵美えみ

 僕もミートソースパスタを口に入れる。

 そのまましゃべろうとすると、「口の中のもの、飲み込んでからね」とくぎを刺された。

 ……確かにマナーが悪いか。

 僕はしっかり咀嚼そしゃくしてから口の中のものを飲み込み、話し出す。

「北海道は良いかもな。広いからもし僕らが探されてる……なんてことになっても隠れやすい」

「人を隠すなら人の中……なんて気もするけどね。じゃあ、とりあえず北海道まで行こうか。となると、青森からフェリーかな?」

「うーん、他にもルートあるかも。ちょっと待って、今調べるから」

 そう言って、僕はテーブルの上に出していたスマホを手に取ろうとしたら、スマホが震えだす。

 もしかしたら、クラスメイトが遊ぼうとか連絡してきたか?

 なんて思って、画面を見てみる。

「……えっ」

「どうしたの?」

「父さんからだ……」

 僕と恵美は、思わず顔を見合わせる。

 完全に予想外だった。

 スマホが震え続ける中、僕は硬直こうちょくする。恵美も不安な面持ちだ。

 必死に頭を働かせて、僕は画面を下にしてスマホをテーブルの上に戻した。

「……出ないの?」

「うん。今さら戻ろうなんて思ってないし」

 そうだ。今さらなんだというのだ。

 もう僕は、愛されてもいないあの家族のもとに戻ろうなんて、思っちゃいない。

 恵美と大切な人を、大切な場所を見つけるんだ。

 やがてスマホから、留守番電話にメッセージを残すようにうながす音声が流れる。

 無機質な音声が流れた後、父さんの声が聞こえてくる。

『誠。どこにいるんだ』

 うるさい、どこに居ようが関係ないだろ。

 どうせ連れ戻して、いつものように召使いみたいに扱うんだろ。

『頼む。帰って来てくれ』

 嫌だね、僕は、恵美と――。

『今まできつく当たっていたことは謝る。だから、帰って来てくれ。誠は、父さんと母さんの宝物なんだ。愛しているんだ。誠、頼むよ。ごめん……ごめん……』

 その涙じりの声に、僕の思考は完全に停止していた。


 時間は深夜。

 僕は、ホテルのベッドに一人体を投げ出していた。

 あの電話の後、どうやってホテルの部屋まで戻ってきたのかすら記憶があいまいだ。

 愛している?

 あの両親が、僕のことを?

 じゃあ、地元を旅立ってから五日も経っているのに今まで放置していたのは何故だ?

 ……やっぱり、あの言葉はうそに決まっている。

 いつも僕をぞんざいに扱ってきたくせに。

 家事をする人がいなくなってしまったから困って連絡してきたのだろう。

 でも、あの厳格げんかくな父さんが、あんなに涙ながらに話すのは明らかに異常だ。

 本心……なのか?

 ちらりと頭の横に乱雑に置いてあるスマホを見る。

 そのスマホは、また震えていた。

 スマホは、あの電話の後も何度も繰り返し震えた。

 それはどれも、両親からの電話やメールによるものだった。

 僕は、どうすればいいんだ?

 帰る……べきなのか?

 いやでも、帰ればまた旅立つ前の生活に戻ってしまうのだ。

 そんなのは、嫌だ。

 嫌だから、恵美えみと遠くへ来たのに。

 頭の中で様々な考えがぐるぐるして止まらない。

 そんな時。インターフォンが鳴る。

 今この場所で、僕の部屋に用がある人など一人しかいない。

 ベッドから起き上がり、ドアを開ける。

「恵美……」

まこと君。少し、外行かない?」

「いや、僕は……」

「いいから、いいから。外の空気を吸うと頭がスッキリするよ? ほら、行こっ」

 そう言って、恵美は僕を強引に連れ出した。


 恵美に連れてこられたのは、ホテルから坂道を登った先にある公園だった。

「うーん、夜なのに暑いなぁ。誠君、自販機でジュース買ってくるから待ってて。そこのベンチなら海とか見えると思うし」

 もう辺りは暗いから海なんて見えないと思うのだが……。

 まぁいいか。恵美の言うとおり大人しくベンチに座っていよう。

 少しの間、ぼうっとベンチに座って市街地の明かりを見る。予想通り、恵美が言う海は全く見えなかった。

「はい、誠君。どうぞ」

「ありがとう」

 恵美からペットボトルのオレンジジュースを受け取ると、ごくりと大きく一口飲む。

 そんな僕を見て、恵美は少しさびしそうな顔をした。

 もしかしたら、僕が帰ってしまうと思っているのだろう。

 僕をこの公園に連れ出したのも、その話を聞きたかったのだろうし。

「ねぇ、誠君。家族って、難しいよね」

「そうだね。今まで雑に扱ってきたのに、急に大切だなんて言ってくるし」

「本当に勝手だよね。生みの親って……そんなにえらいのかな?」

「どうだろう……。生んでくれたことには、感謝してもいいのかも。でも……」

「でも?」

「だからって、子供をないがしろにしていいわけじゃない」

 僕はまた、ジュースを飲む。

「僕らだって、一人の人間なんだ。ぞんざいに扱われたら傷つくし……殴られたら、痛い」

「うん。子供は、親の道具じゃないよ。いくら生んでくれたからって、何をしていいわけじゃないよ」

 今度は、恵美がジュースを飲んだ。

「でも、どこかで愛してくれるかもしれない。子供も……愛してほしいのかもしれない」

「……恵美?」

「誠君。ホテルに戻ってからさ、改めて自分のスマホを見てみたんだけどさ。……私には、親からの連絡なんて何も来てなかった」

「………………」

 恵美は、ベンチの上で足を抱え込む。

 それは、旅に出ることを決めた夜と同じ姿だった。

「私、わがままなのかな。ただ、家族に愛してほしいだけなのに……。それも、許されないのかな」

「そんなわけない。そんなこと、許されるに決まっているだろ。愛されないでいい人間なんて、いるわけない」

まこと君……」

「僕たちが旅に出た理由を忘れたのか? 探すんだろ、僕らを愛してくれる人を。僕らを家族にしてくれる人を」

「うん……そうだったね……」

 隣の恵美えみを見ると、涙をぬぐっていたところだった。

 そうだ。僕らは愛してくれる人を、新しい家族を見つけるんだ。

 話がひと段落して、なんだか急に眠気がおそってきた。

 僕がホテルに帰ろうと思い立ち上がろうとすると、恵美が服のすそつかんだ。

「恵美?」

「ごめん、もう少しここに居たいんだ。いいかな?」

 そのお願いに僕は、コクリとうなずきベンチに座り直す。

 かなり眠いが、もし寝てしまっても恵美が起こしてくれるだろう。

 しばらく沈黙ちんもくが続く。

 もうすぐ夜明けなのか、空が明るくなってきた。

 ……ダメだ。眠気にあらがえなくなってきた。

 今まさに眠りに落ちるというとき、恵美が僕の手をにぎる。

「誠君。ここまで私と来てくれて、ありがとうね」

「どう、したんだよ、恵美。これからも、ずっと、一緒だろ?」

「ううん。これから先は、私一人で行くよ」

「なに、を言って……?」

「誠君は、帰らなきゃ。だって、愛してくれる家族がいるんだもの」

「……いやだ。僕は、恵美と、恵美と一緒に居たいんだ。君を、大切に、したいんだ」

 止めなければいけない。

 恵美が行ってしまう。

 恵美と一緒に居たいんだ。

 恵美と一緒に居たから、楽しかったんだ。

 恵美と一緒に居たから、辛いことも乗り越えられたんだ。

 恵美と一緒にいれば、この先何があったって大丈夫だって思えるんだ。

「誠君なら、大丈夫。今まではすれ違っていたけど、きちんと家族が大切にしてくれるはずだよ。そして、優しい誠君なら家族を大切にしてあげられる」

「いやだ……いやだよ、恵美。行かないでくれ……君以上に大切なものなんて……」

 恵美が、ベンチから立ち上がる。

 恵美が、遠くへ行ってしまう。

「ねぇ、誠君。もし、また出会えたら、その時は私と――」

 そこで、僕の意識は途切れた。


 目が覚めると、僕の目の前には警察官がいた。

 なんでもとある女性から、家出少年が公園にいる、なんて通報があったらしい。

 周りを見ても、当然ながら恵美の姿はなかったし、ベンチには恵美のスマホが寂しく置かれていた。スマホのそばには、恵美が持っていた睡眠薬の袋もあった。

 僕はそのまま警察署へと連れていかれ、しばらく待っていると両親が現れた。

 両親は、僕を見るなり大粒の涙を流し、僕を抱きしめた。

 それから僕は、地元へと戻った。

 恵美がいない地元へと。

 両親の僕への扱いは、召使いのようなものから打って変わって、愛する息子に対するものになった。

 僕は、大切な家族を取り戻すことができた。

 でも、代わりに大切な人を失った。

 やがて、夏休みが終わり、時間だけがただ流れていった。

 僕は胸にどこか穴が開いている感覚を覚えながら、恵美のいない時間を過ごす。

 そして、高校を卒業した年の夏のある日。

 僕は、バイクにまたがっていた。

「忘れ物とかない? 気を付けていくのよ?」

「きちんと休憩も取ってな。……探し人、見つかるといいな」

「うん、ありがとう。母さん、父さん」

 両親に向かって軽く手を振ると、バイクを発進させる。

 僕は、再び旅に出る。

 あの日。朝焼けの中へと消えていった恵美えみを見つけるために。

 例え、君が世界のどこにいたとしても。もう久遠恵美くおんえみという存在を世界から無くしていたとしても。

 必ず、見つけ出して見せる。

 あの日。最後に恵美が残した言葉に応えるために。 

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朝焼けの中へ きと @kito72

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