朝焼けの中へ

きと

前編

 僕が夜遊びの最中さいちゅうにクラスメイトである久遠恵美くおんえみを初めて見かけたのは、もう一年も前のことだ。

 久遠くおんは、真面目な優等生と言った印象だった。

 髪も染めたりせずセミロングボブの黒髪。スカート丈も校則順守だった。

 容姿も可愛いと言われる部類に入り、スタイルも悪くない。付き合いたいななんて話している男子を見かけたこともある。

 最初は、そんな真面目な性格である彼女が夜の十時を回っているにも関わらず、外を出歩いていることに少しおどろいたものだ。

 それ以降、夜の街で何度か見かけるようになり、彼女もこちらに気づいていたのか手を振って挨拶あいさつをするようになった。

 初めて話をしたのは、挨拶をするだけだった関係になってから三か月くらい経った頃だった。

 声をかけてきたのは彼女の方からだった。

 真夏の夜。僕が二つ入りのアイスをコンビニで買って、静かな公園のベンチで食べている時だった。

「ねぇ。えーと、そうだ。日向誠ひなたまこと君。そのアイス、一つもらえないかな?」

「……名前忘れてたのは引っかかるけど、どうぞ」

 それから挨拶だけをする仲から、またに話す仲へと関係が進展しんてんした。

 たまに一緒に夜の街で遊び、学校の話をする。

 それだけの関係だったが、ある秋の日のこと。僕はどうしても気になって、一歩踏み出してみた。

「なんで久遠は、夜遊びしているの?」

「ん? 家に居たくないからだよ」

 シンプルな答えだった。

 詳しく話を聞くと、もともと久遠の両親は子供が欲しかったわけではなかったらしい。

 子供を産んだのは、孫が見たいという祖父母そふぼたちの要望に答えただけだったという。

 そして、中学三年生の時。早くにして、祖父母が他界たかいする。

 それからというもの。

 両親からの扱いが、がらりと変わる。

 久遠に何も言わず両親が出かけたり、食事が用意されなかったり。

 久遠恵美は明らかに“いらないもの”としてあつかわれるようになった。

 そう。祖父母が亡くなったその時。久遠恵美くおんえみは役目を終えたのだ。

 家に居たくないと思わせるのには、十分すぎる理由だった。

 ……軽い調子で話すので、そこまで重い事情があるとは予想していなかった、というのも同時に思ったが。

「じゃあ、私の事情を話したから、次は日向ひなた君の番ね?」

 久遠の事情を聞いた後だと、僕の理由などかすんでしまいそうだ。だが、聞くだけ聞いて話さないと言うのも良くないだろう。

 そうして僕は、夜遊びの理由を話す。

 僕の場合は、単純。

 両親が共働きで、忙しさからかぞんざいに扱われているのだ。

 顔を合わせるのは休日くらいなもので、家事を全部押し付けられて都合よく扱われる。

 そのくせ、家事に何か気に入らないことがあるときつく言われる。

 まるで、あるじ召使めしつかいのように。

 家にいても、唐突とうとつに帰ってきた両親に何を言われるのか、分かったものではない。

 だから夜遊びで両親とエンカウント率を下げている、というわけだ。

「日向君も、家族とうまくいっていないんだね」

「……そうだね」

「家族って、勝手だよね。家族ってだけで、雑に扱うしさ」

 お互いの事情を知ったその日から、僕たちはより話すようになった。

 お互いでお互いの傷をいやすかのように。

 少しでも家族のことを忘れられるように。

 でも、学校では別の友達と話すので、会話はしなかった。

 クラスメイトたちも知らないような家庭の事情を知り合った仲でありながら、学校では話さない。

 そんな不思議な関係が、高校生二年生の夏の今まで続いている。


 ある夏の日のことだった。

 久遠くおんが学校を休んだのだ。

 担任の先生曰く、ただの風邪かぜという話だった。

 風邪……か。

 せみもうるさく鳴いているこの時期に風邪とは運が悪いな。

 それにしても、久遠がいないとなると、今日は随分と久しぶりに一人で夜の街をうろつくことになるのか。

 でも、それなら家に居たくない久遠は一日中家にいることになる。

 風邪が治った日には、ストレス解消のためにカラオケにでも行って思いっきり叫んでもらうとしよう。

 そして、その日の放課後。

 かつてアイスを分け合った公園のベンチに久遠は座っていた。

「……久遠?」

日向ひなた君。やっほ」

 なんてことなさそうに僕に声をかける久遠。

 そのほほには、ガーゼが貼ってあった。

「顔、どうしたんだ?」

 あまり話したくないことなのは、なんとなく理解していた。

 いつもはもっと明るい顔の久遠の表情が明らかにくもっていたから。

 でも、聞かない訳にはいかない。

 少なくとも僕は、久遠の友達として力になりたかったから。

「……お父さんにね、殴られたんだ」

「っ!」

 思わず手に力が入る。

 いけない。落ち着け、僕。

 深く息を吸うと、僕は久遠の隣に座る。

「……風邪っていうのは、うそだったんだな」

「噓じゃないよ。だって、風邪のせいで殴られたから」

 ……?

 どういうことだろう。

「昨日日向君と別れた後、体に違和感があったから、熱測ってみたんだ。そしたら微熱びねつがあって。すぐに寝たんだけど、朝になったらお母さんも熱っぽいって言い出して。それでお父さんが……」

 久遠は膝を抱え込み、顔を隠して話し続ける。

「『お前みたいなクズが俺の大切な家族に何をしてるんだ!』……ってさ」

「な……んだよ、それ……!」

 許せない。

 許せるわけがなかった。

 殴られた理由が、風邪をうつしたということであることも当然許せない。

 でも、それ以上に許せないのは、久遠の父親の言葉。

 その言葉は、明らかに久遠恵美くおんえみが彼の家族ではない、と言っているのだから。

「どうして、なんだろうね。そりゃあ、風邪をうつしたのは悪いことかもしれないよ? でも、そんなの自分じゃどうしようもできないし。それに……せめて、家族であることは、否定してほしくなかったな」

 久遠の声は、涙をふくんだものになっていた。

 いくら望んでないかった子供とはいえ、なぜここまでされなければならないのか。

 どうして、久遠はこんな目にあわなければならないのか。

 なんとか押さえていた怒りが、どんどんと熱を帯びていく。

 その時、くしゃりという音が響いた。

 かなり近い位置から聞こえたので、まだ顔を伏せている久遠の方を見る。

 よく見ると、手に透明な袋の一部が見えた。

「久遠……。何持っているんだ?」

「……睡眠薬」

 僕は、久遠が以前から睡眠薬を服用していることは知っていた。

 服用し始めたのは、久遠の祖父母が亡くなった中学三年生の冬のことらしい。

 最近は、飲む量が減ってきたと言っていたはずだ。

 でも、なぜこんな時に睡眠薬を……?

 僕は、その用途を考えて、すぐに気付く

「久遠、まさか……!」

「……うん。もう、いいかなって」

 久遠は、自殺するつもりだ。

「私が死ねば、いろいろ調べられるだろうし。学校で問題がないなんてすぐに分かるから、自然と両親に疑いの目が向くよ」

 これは、久遠なりの復讐ふくしゅうなんだ。

 自分も楽になれるし、両親も世間から冷たい目に見られる。

 いらないものとしての最後の抵抗に、自殺という手段を選んだ。

「だめだ、久遠。死んじゃだめだ」

「どうして? もう、私のことを気にかける人なんて……」

「僕がいる」

 その言葉に、久遠が伏せていた顔を上げる。

 涙で顔はぬれていて、目も赤かった。

「僕は、久遠に死んで欲しくない。学校の友達と遊ぶ時間なんかより久遠といる時間の方が大切なんだ」

 この言葉では、久遠を救えない。

 僕がいるだけでは、久遠の家族という傷はいやせない。

 だから、僕は決意した。

「久遠。遠くへ行こう」

「……え?」

「家族なんかに邪魔されない場所に行くんだ。今まででの世界を捨てて、新しい世界に行こう。そこで、本当に大切な人と幸せな時間を過ごすんだ。……こんなところにいるより、ずっといいだろ?」

 久遠は涙を流しながら、コクリとうなずいた。


 それから、数日後。

 今日は、夏休みの始まりだった。

 そんな子供なら誰しもが希望に満ち溢れた日に、僕はとある駅にいた。

 時刻は、朝の四時半。

 いくら夏休みといえど、流石にこの時間に外出している子供はいないだろう。

「あ、いたいた。日向ひなたくーん」

「よ、久遠くおん

「……いよいよだね」

「ああ。……不安?」

「そりゃあね。……でも、楽しみでもあるかな」

 そうして、久遠は僕に手を差し出す。

 僕は、自然にその手を取る。

「よろしく、まこと君」

「こちらこそ、恵美えみ

 そして、僕たちは朝焼あさやけの中へと消えていく。

 僕らは、遠くへ行く。

 僕らのことなど誰も知らない場所へ。

 そこで、見つけるんだ。

 大切な人を。大切な場所を。

 僕らのことを愛してくれる人を。

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