拝啓 貴方へ
熨斗月子
拝啓 貴方へ
拝啓、許嫁 様
いかがお過ごしで ございましょうか。
貴方様が真っ赤な紙を片手に 皆に盛大に見送られながら 私の元を旅立たれ はや一月となりました。
外は春の麗らかな日差しも 厳しくなり始め まれに疎開先の 田の隙間に 春雷が鳴り響いたり致します。
そちらの気候は こちらと 変わりありませんでしょうか。
きっと 貴方様でしたら 丈夫なお身体ですから ご心配はないでしょう。
ですが 季節の変わり目は 人の体に変化をもたらすものですから どうかご自愛くださいませ。
敬具
貞年一一八二 〇五 十七
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拝啓 許嫁 様
貴方様が お国のために旅立たれて はや二月めとなりました。
こちらは 雨が しとしとと降る最中 遠く麓の村から 農家の方々が 田植えをなさっているようです。
あのお米たちは 一体いつ頃 実るのでしょうね。
そういえば 貴方様の御母上様が 本日私の御屋敷にお見えになられました。
ご自宅では 御父様も ご嫡子の貴方様も いらっしゃらないからと こちらに身をお寄せになることと 相成りました。
どうぞ お帰りになられる際は 貴方様のご実家は 私のいるお屋敷となりましたので 遠いこの地へ 足をお運びの程 お願い申し上げます。
敬具
貞年一一八二 〇六 二〇
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拝啓 許嫁 様
日を追うごとに 日差しの強くなる 日々が続いております。
あまりの熱に 私は 気が滅入りそうになってしまいます。
貴方様は 如何お過ごしで ございますか。
真っ白な 厚い雲に紛れて 遠くより聞こえる 飛行物の軽量な羽音に 貴方様が 私に 返事をなさっているような錯覚を覚えます。
貴方様は とても 手先が器用でしたので もしかしたら そちらでのお仕事は そういったことをなさっているのかもしれませんね。
旅立つ前に 震える微笑みで 真っ赤な紙を私に見せながら やっと機械に触れられるかも しれないと お喜びだった日々が 遠くに感じられます。
お国のために その器用さを活用なさって 且つ素晴らしい 機械をお作り上げあそばせ。
敬具
貞年一一八二 〇七 〇九
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拝啓 許嫁 様
残暑も少しずつ和らぎ始め こちらは過ごしやすくなり始めました。
そちらの気候は どのようなものでございますでしょうか。
此度は貴方様に とても大事なことをお知らせしなければと思い 認めた次第です。
近頃 あまり体の方が優れず お食事も あまりのどを通らなくなっておりましたので お医者様に診ていただきましたところ
私と 貴方様の下に 小さな 小さな 授かりものをいただいたとの ことです。
きっと 貴方様が旅立たれる前に 最後に都にある邸宅の 庭で見た 桜の木と 朧月夜の中で 氷を一瞬にして 溶かしてしまいそうに 熱い吐息を 交わし合ったあの日に 舞い降りてくれた のでしょう。
どちらの お顔立ちに似た 吾子が産まれるのか 今からとても 楽しみでございます。
敬具
貞年一一八二 〇八 十五
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拝啓 許嫁 様
汗ばむような暑い日差しも成りを潜め さわやかな秋風の吹く頃合いとなりましたが 季節の変わり目のこの時節 貴方様は いかがお過ごしでしょうか。
私のいる 疎開先からは 青々と実る稲穂たちが 気持ちよさそうに そよいでおります。
夏至の頃は まだ小さな苗でしたのに 存外育つのが 早いのですね。
また 私の方も 苗と共に下腹が丸みを帯び始め 稲穂たちのように 順調に育ってきております。
希に 私の腹を蹴る傾向がおありのようで 誠元気なものでございます。
貴方様のお母上様も 大層お喜びで 先日 帯の祝いをいたしました。
きっと 貴方様も 私の下腹に触れれば 吾子の元気な 脈動が 感じられることでしょうね。
そんな日が きっと来ると 私は思わずにはいられません。
敬具
貞年一一八二 〇九 二〇三
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拝啓 許嫁 様
初冬に差し掛かり 肌に触れる風も 長月のころより一段と冷たく感じられます。
先月の お手紙ですが やや吾子の体調が芳しくなく 貴方様へ認める暇がございませんでした。
どうか お怒りでございましたら 身勝手な私を お許しいただけましたら幸いにございます。
また 少々気になるようなことを ラヂオでお耳にしたのですが わが軍の戦況が あまりよろしくないという 内容で ございました。
貴方様の 無事を切に願っております。
敬具
貞年一一八二 一一 十九
――――――――
拝啓 許嫁 様
年が明けた 雪の降る鼠色の空から 雪がちらちらと 降りしきっております。
貴方様の居られる その場所も きっと同じような景色が 映っておられるのではと考え まるで 空に 思いを馳せる次第で ございます。
下腹も 長月のころより 随分と大きく膨らんでいる状態まで相成りました。
お産の日も 間近に迫っており いつ私の手の中に おさまる日も遠くないとのことです。
ですので 安静を取り 今は産院の一室にて このお手紙を認めております。
近頃 機械たちの足音が まるでうそのように鎮まっており 心安らぐ日々が 続いております。
きっと あちら側も 年明けという 節目を大切にする 風習がおありなのかも しれませんね。
敬具
壬年一一八三 〇一 〇三
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拝啓 許嫁 様
産院の窓より見える 紅色の梅がつぼみを開かせる頃 春の香りも漂い始めました。
今 私の手の中には 玉のような愛らしい見目をした女の赤子が 心地よさげに 眠っております。
名前は 私と 貴方様の名から取り 勝手ながら 名付けさせていただきました。
とても 貴方様にそっくりな 茶の色を含むぱっちりとした 大きな目が印象的で 小さなお口を 微かに動かすときは 私に とても似ております。
頬を突いてあげれば 貴方様が笑い掛けて下さったときと 全く同じ日の光のような 温かな笑みを こぼします。
ぜひ お早くお戻りになられて 吾子を 見てさしあげてくださいませ。
敬具
壬年一一八三 〇二 二〇五
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拝啓 許嫁 様
春麗らかな 日差しが瞼に差し込んで 心地よい春風が鼻腔をくすぐる頃合い 厳しかった冬も過ぎた今日で 貴方様は 如何お過ごしであらせられますでしょうか。
近頃 ラヂオから流れる響きが 常に 私の心を 乱しております。
何でも 都が 戦場になってしまい ほぼ壊滅状態だとお耳に挟みました。
私のいる 疎開先からは随分と 遠くはございますが 都は 貴方様が赴かれた 軍事本拠点地がある場所です
どうか どうか ご無事でいてくださいませ。
敬具
壬年一一八三 〇四 十二
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拝啓 許嫁 様
しっとりと雨を降らす 梅雨の候 硝子窓の向こうから 硝子を叩く雨音に混じって 重厚な機械たちの 足取りが 着々と中央に向けて 進行しているようです。
吾子も 機械たちの不協和音が御嫌いなようで 耳にした瞬間 まるで 敵を遠ざける勢いで 泣き叫ぶ次第です。
都が陥落した今 中央本拠地のある 神都を守る ものはなにもありません。
最高貴の天の御使い様を お守りできる軍は 如何為さる おつもりなのでしょうね。
それよりも なによりも 貴方様の安否が気になっている次第でございます。
敬具
壬年一一八三 〇六 〇七
――――――――
拝啓 許嫁 様
梅雨も明け 青葉たちの香りが際立つ頃合い 私の下に 一枚の 真っ青な紙が 汗だくの郵便屋から 届きました。
貴方様の 二階級特進の 内容に関してで ございました。
誠に おめでとう存じます。
まさか 機械をいじることが 好きな貴方様が 大尉の地位を いただくような日が来ようとは 夢にも思っておりません でした。
誠に おめでとう存じます
誠に おめでとう 存じ ます
まこ(ここからはインクが滲んで読めない)
壬年一一八三 〇七 〇八
――――――――
拝啓 許嫁 様
冷たい風も吹き始め 近くの山が紅葉で暖色的な色味を付かせております。
吾子もようやく 歩けるようになり いろいろなものに興味を持ち始めた次第でございます。
私は もう 吾子の成長を間近で見ること叶わなくなってしまいましたが 貴方様の お母上様が 吾子のことを 見て下さっております。
とても 心強い 貴方様と 同じ日の光のように温かな笑みをされるお母上様に 私は とても 救われます。
既に 吾子の身寄りは 私か 貴方様のお母上様しかおられませんが きっと 立派な淑女に 成長して くれることでしょう。
(乾いた黒いシミで見えない)す。
もう一度 貴方様に 一目お会いできれば どれほどよかったでしょう。
ですが 私は 怖い思いなど何もございません。
貴方様と 過ごした短くも 儚く (乾いた黒いシミで見えない)憶が 私の心を 埋め尽くしてくれて いるからです。
吾子と 貴方様と 私とで 三人で 写真を撮れたらと思う日もございましたが それは きっと 多くをもらった 私には 行き過ぎた願い だったからです。
ですので 記憶の中で 三人 仲睦まじく あの 都にある 庭に咲いた桜の木の下で 馳せるのです。
あゝ なんてすばらしいのでしょうね
それでは 最後になりますが お達者で
すぐに 私も お傍に
壬年一一八四 一〇 二〇一
***
ある、良く晴れた日の下で白い指が文字の書かれた最後の手紙を白い封筒の中へと押し戻した。
耳朶を打つのはブロロロ、と黒い煙を撒き散らす車の走行音だけだ。
「本当に、お間違いないんですか?」
茶の色を含んだ瞳で、私は前方で運転する男を睨みつける。
「えぇ。その手紙の束が何よりの証拠かと。名前こそ記されていませんが、僕の勘がそう言っています」
「勘、ですか」
呆れるように息を吐き出す。
たしかに、この手紙の束は母が大事に保管していた宝物に違いはないのだが、果たして宛先があっているのか否か。
――――神都が陥落したことによって、敗北を期した形で終戦したあの日から数十年が経った今日、復興もだいぶ進んできて、日ノ本はだいぶ住めるようになってきたと思う。
だから、病弱な母と復興に精を出す父とともに、私は地方から都へと移り住んできた。
そんなある日、突然目の前で運転する異国風情に被れた、つばの短い黒帽子に背広を着たこの初老の男が訪ねてきたのだ。
「存外僕の勘は当たるんですよ? なんせ、戦を生き抜くほどの運だけは持っている男ですから」
「まあ、そうでしょうね」
男は以前、国の存亡をかけた大規模戦争を生き抜いた強者なのだそうだ。
そこの部分だけを切り取れば、たしかにすごいと思うかもしれないが、これから私が向かう先に、ずっと探していた人がいるのか眉唾ものなのは否めない。
だって、突然押しかけてきて「ずっと、貴方たち母子を探していました!」なんて言われても、見ず知らずの男をこの荒んだご時世で信じられるかと言いたい。
まあ、実際こうして車の中にいるからには、多少信用したわけなのだが。
もう一度、開け放たれた窓に向かって息を吐けば、青々とした空が視界に入る。
「あの人は、どんな人でしたか?」
澄んだ空気をゆっくり吸い込みながら、運転する男に問いかける。
「そうですね。中央軍事拠点で、二年ほどご一緒でしたが――――とても穏やかに笑う人でしたね」
「穏やか……」
それは裏を返せば、戦場では生き残れない類の人種だとも言われているような気がする。
いや、実際そう言っているようなものだ。
ぐっと、ふかふかの椅子に座る膝の上の花束を握る。
「それに、とても手先が器用でしてね。皆の壊れた器具などを無償で修繕してくださるとてもお優しい御方でしたよ」
「そうなんですね」
私はおろか、母でさえその人のことをなにも知らないけれど、手紙の束を読む限りでは、運転する男が言っていることはあながち間違っていない。
どんな人物だったろうかと、勝手に想像してみたけれども、いまいちやはりぴんと来なかった。
「本当に、見た目はクマみたいな上背に物静かな男なんですけど、こう……言い得ぬ引き寄せられるような魅力を持っていました」
一人で語り始めた男を放っておいて、意識を車の外へと向ける。
移ろいゆく景色は、これから夏本番と言いたげで、風物のあいすくりんやかき氷など冷たいものを売る屋台が動き回っている。
その他にも日傘を差して歩く貴婦人たちや、軍服姿の男たちが汗だくで巡回したりしていた。
「あぁそうだ。貴方にお返ししなければならないものがあったんですよ」
「なんでしょう?」
ふと呼び戻されて、前方で運転する男の方へと視線を投げれば、男は車を路肩に止めて後部座席に身を乗り出してくる。
「これです」
そう言って懐をまさぐって、私の眼前に突き出してきたものは……メッキが所々剥がれた丸いペンダントだった。
首を傾げる私に、さっさと受け取れと言わんばかりに男がペンダントを押し付けてくる。
「中、開いてみてください」
「はあ、」
渋々受け取れば、今度は中を開けとは。
仕方なく言われるままに、上に取り付けられている小さなボタンを押してみれば、ペンダントはパカリと開いて、中身が露わとなる。
その中に収められていたのは、桜の木を背景に、男女が寄り添うように立っている姿を撮った写真だった。
「貴方の、おじいさんとおばあさんのお写真です。あの人から託されました」
一度男の顔を凝視して、もう一度ペンダントの写真に視線を移す。
写真はモノクロで、ところどころ褪せてしまって見えにくい部分もあるが、陽だまりのように温かな笑みで笑いかける男性と、それに寄り添って柔和に微笑む女性が見て取れる。
どちらも、母が笑ったときにそっくりな笑顔だ。
「ほん、もの」
直感でわかる。
この人たちはきっと、母の両親なのだろうと。
ずっと、病弱な母が追い求めていた大事な人たちなのだろうと。
車が再び発進し出す。
「これで、僕があの人の知人だっていうこと、完全に信じていただけましたね?」
その言葉に、私は深く頷いた。
このペンダントの事は、手紙の束にも記されていないものだ。
また一つ、手紙の書き手の深い部分を知れた気がした。
「あの人は、どんな最期でした?」
しん、と静まり返った車の中に、ブロロロと黒煙を撒き散らす音と、外の喧騒が開け放たれた窓から流れ込んでくる。
しばらく男は沈黙していたが、軽く息を吐くとルームミラー越しにこちらを見てくる。
「最期は看取れていませんが、風の噂では……己の整備した飛行機もろとも、敵陣に特攻した、と」
「そう、」
よくある話だ。戦場で特攻隊に任じられることは、とても名誉なことなのだとか。
ばかばかしい。大切な人を置いていくくせに、何が名誉だ。
ぎゅっと、紙の束を握り締める。
「着きましたよ」
ゆっくりと窓から見える景色が止まっていき、車は古ぼけたお寺の前に停まっていた。
男はさっと車から降りると、紳士の如く私の傍にあるドアを開けて、降りるように促してくる。
それに従って、そろりと降りてみれば――――夏特有の澄んだ空気が肺いっぱいに満たされていく。
「ここに、あの人を?」
「えぇ。彼の仲間が、私の下へ届けてくれたんです。ですが、あの人のご家族が住んでいた住所は既に誰もおらず、とりあえずこちらに」
すたすたと砂利を踏みしめながら、どんどん奥深くの薄暗い方へと進んでいく。
そうして、先導していた男が足を止めた先には、小さな四角に象られた墓石があった。
「ここに、彼の、貴方のおじいさんの御遺体の一部を埋葬させていただきました」
男が前方を開ける。
それにならって、私は一歩踏み出して墓石へと踏み出した。
墓石を眼前に捉えてみれば、それは、私の膝くらいの大きさしかない、本当にこじんまりとした墓だった。
墓石にはかすかに、名前が掘られた跡が見受けられる。
「やっと、会えた」
かくんと膝を落として、震える手で墓石に触れてみる。
もちろん温かみなんてあるはずがなくて、夏にはうってつけなほど冷え切っていた。
「生前、彼は貴方のおばあさまのことをよくお話になられていました。とても、恥ずかしがり屋だけど、笑うと、桜が咲き誇ったように美しい、と」
「えぇ、そう、ですね」
先程渡されたペンダントを、もう一度取り出して中身の写真を確認してみる。
確かに、彼女の、おばあさんの笑顔は、背景にある桜に負けず劣らずとてもきれいな笑みだった。
それを、胸にぎゅっと抱きしめる。
「母がね、一歳の頃に祖母は亡くなったんです。まだ若かった。すごく」
私の話に同意するように、男が頷いた。
「でも、体が病弱で、母が生まれて少しの頃に、労咳を患ってしまって」
胸が苦しい。
いくら、母の母が裕福な家庭だったからと言って、育ててくれたのは、祖父の母たった一人だった。
その人も、母が小学に上がるころには亡くなって、母はそこから天涯孤独になった。
そんな中で、唯一の希望として、ずっと大事に持っていたのがこの手紙の束だった。
『このお手紙をね、絶対に、御父様にお見せしたいの』
そう言って、一人で何年も探し続けていたそうだ。
でも、なかなか祖父は見つからなくて、母も手紙も、行き場を失っていた。
「でも、ようやく、渡せるね」
孫娘ではあるけれど、病室できっとこの手紙が届けられることを願っているだろう母も、気持ちは一緒だ。
ずっと、ずっと届けられることが叶わなかった、祖母の気持ちが詰まった大切な手紙の束。
恥ずかしがりやな祖母は、きっと何度も手紙を出そうとしたけれど、躊躇してしまって、それがどんどん積もっていったんだろう。
「おじいさん。お手紙、お届けに来ました」
私は、そう言って祖母の愛が詰まった手紙の束を墓前に置いた。
その瞬間、ふわりと私の長い黒髪を吹かせる温い風が吹き抜けていった。
end
拝啓 貴方へ 熨斗月子 @tsukiko_n
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