エピローグ
ホテルの最上階のレストラン。
ワインのグラスを傾ける女。テーブルに並ぶ鮮やかな料理。とろけるような舌触り。口に運んだ瞬間、幸せそうに目を閉じる。
向かいに座るのは車椅子の男。その横には黒いスーツを着た若い女。
「美味しいね。でも、本当はね、私、赤提灯の焼き鳥屋の方が好きなのよ」
おかしそうに笑う女。そう話しかける相手は、スーツ姿の若い女の方。男は少し緊張したように、顔をこわばらせている。
「でも、お祝いだから、眺めのいいレストランと思ってね」
ガラスの向こうには京都タワーが見える。
「言ってなかったけ?退院おめでとう」
今度は視線を男の方へ向ける。
「そんな席に私がお邪魔しても良かったんですか?」
伺うように遠慮がちに口を開く若い女。
「もちろんよ、美希ちゃん。元旦那とふたりきりだなんて、気づまりじゃない?」
男はさらに気まずそうに、口の中の物を不自然に飲み込む。
「あなたを雇って正解だった。でもプライベートな事にまで付き合わせちゃって、ごめんね」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる女。美希と呼ばれた若い女は、なんでもないというように首を振る。
「先生と、こんなにおいしいご飯が食べれて、役得です」
美希は新たに雇われた女の秘書だった。
途切れる事なく会話が弾む。主に女が話す。冗談を交えながら、とても楽しそうに。その話を受けて美希が的確なコメントをする。出しゃばり過ぎず、かといって遠慮し過ぎる事もなく。
和やかなムードに少し緊張がほぐれた様子の男。女の言葉で再び緊張が走る。
「あそこで告白されたのよ」
女が指さした先には、京都タワーがあった。
むせたようにせき込む男。
「あ、俺、ごめん、トイレ」
立ち上がる美希。
「いいよ、ひとりで大丈夫だから」
男のその言葉を受けて、女も美希を見て頷く。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「ああ、ありがとう」
男の気配が背後から消えると、小さく息を吐く女。頬に張り付いていた笑顔が解けていく。
「本当は、殺そうと思っていたの」
俯き、淡々とそう言う女。黙って聞き入る美希も表情を変えない。
「殺されかけたあの人が、目を覚まして私を呼んでいるって聞いた時にね」
大きく息を吸い込む女。
「ちょうどあの日、長い間、意識不明だった息子が息を引き取ったの」
女の目の奥がわずかに潤む。
「たまたま同級生が彼に会社を乗っ取られた男の息子でね。それがきっかけでイジメが始まった。息子には、お父さんは立派な人だって教えてたの。いつか昔の彼に戻ってくれると思っていたし。息子は真実が知りたくて、決死の覚悟で実の父に会いに行って、適当にあしらわれて、失意のままに交通事故にあって」
自嘲するように小さく笑う女。
「今更なんで私を呼ぶの?息子の事は思い出しもしないの?なんてね。でも、悪いのは私。ひとりで育てるって啖呵切ったのに。私に心配かけまいと、息子は悩んでる素振りも見せなかった」
顔を上げる女。しっかりと美希の目を見る。
「そんな時に彼に出会ったの。二階堂清貴君」
どんな告白にも動じなかった美希の頬がピクリと動く。
女は、元夫が入院していた帝都大付属病院の病室を、道路の向こう側から見上げている青年を見つけた。
その顔には見覚えがあった。女手一つで育ててくれた病身の母を思い、そんな苦難を科学の力で解決する術を模索する若い研究者。壇上でスピーチする姿を思い出した。
「僕は平気だよ」息子の口癖だった。幼いながらに無理をして母を庇うそんな息子の姿が重なった。
青年の素性を調べさせた。すると、青年、二階堂清貴と事件との関わりがぼんやりと浮かび上がってきた。
女は彼と接触する事にした。
人脈。組織力。情報収集能力。あらゆる力を身に着けた。けれど、ここまで登りつめた一番の力は、人を見る目だと自負していた。
彼は信用できる。女は確信した。
彼もまた女を信用した。そして、男を襲ったのは自分だと告白し、深く頭を下げた。
彼の心は悲鳴を上げていた。自分はどうなっても構わない。むしろ充分な報いを受けたい。ただ、巻き込んでしまった恋人、そして、全ての罪を被って死ぬつもりの腹違いの妹を、なんとか救いたい。それが彼の願いだった。
女には力があった。
自らの人生をもてあまし、復讐を遂げるためにのみ、その人生を浪費する事しか出来なくなった若い女。女には彼女に新たな人生を提供する力があった。
手を差し伸べる条件は、彼自信が、投げ出す事なく生きて行くという約束だった。息子と重なるその姿を、この世にとどめておきたかった。
自殺を偽装する事も、戸籍を偽造する事も案外たやすい。
それでも柳生一族が絡んできたのは誤算だった。さらに本城夫妻の息子までも。しかし彼等は無益な争いを好まない。無理に真実を暴き立てる気はないだろう。しかしひとつ借りが出来た。それはやはり誤算だった。
遠くから車椅子の音がする。女の顔が、いつもの笑顔に変わる。
「再婚されるおつもりなんですか?」
美希の問いに、楽しそうに笑う女。
「もう、解放してあげるつもり。覚えてもいない自分の悪行を散々聞かされて、小さくなってしまってるのよ。可哀想でしょ。いつまで恨んでいても幸せになんかなれないもの。人生はこれからなんだし」
男が席に戻り、何事もなかったように食事は続く。
デザートも食べ終えた。
立ち上がる美希。ピンと伸びた背筋。すらりとした長身に透き通る白い肌が黒いスーツが映える。
満足気に美希の姿を眺める女。
「美希ちゃん。美しい希望。良い名前が見つかって良かった」
立ち上がった女は、美希の耳元でそう囁いた。
END
デスカード~スクラッチカード殺人事件”凶”を引いたら死ぬ? 荒方涼歌 @ryoukaarakata
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