都会の中の別世界 東京都三鷹市 春


 緑の少ない都内で、吉祥寺の駅から歩いて数分。何か別世界に迷い込んだ様な、緑豊かなその公園は存在する。




 東京に上京して来て早6年。田舎者である俺はようやくであろうか、この都会の喧騒にも慣れ始めていた。

 俺の職場は、吉祥寺の駅のそばにあり、そこから南に歩いて30分程離れた場所に住んでいるアパートがある。

 就職する際に、職場から近い方が良いだろうと言う事でこの物件を選んだ。最初は慣れない都会と、ひとりぼっちの心細さに苦労をしたものだが、住めば都とはよく言ったもので、今ではそんな都会の喧騒に慣れている自分がいた。

 

 しかし、そんな賑わいにも、偶にうんざりする事がある。


 外に出れば絶え間なく行き交う人、交通量の多い道路、そして、緑の無い灰色のコンクリートばかりの建物。

 偶には地元の緑豊かな景色が見たいと言うものだ。


 そして、幸運にも疑似的にだがそれを体感出来る公園が、近所にあった。


 「おはようございますー」


 「あい、おはよー」


 出勤前の朝、いつもジョギングですれ違う人に挨拶をする。

 俺の日課として、朝はその公園を毎日散歩する様にしている。仕事柄、動く事が少ないため、こうして体を動かしているのだ。

 都会の中にいきなり現れる、場違いとも取れるその公園は、井の頭公園と言った。

 都会のオアシスと言えば大袈裟かもしれないが、それでもコンクリート建造物と無数の人混みの砂漠の中に存在するその公園は、田舎にいる時の静けさをほんの少しだが思い出させてくれる場所だった。

 朝の公園は犬の散歩やウォーキング、近所の老人たちが集まっての談笑や体操をしている姿も見受けられる。

 いつもうるさく、慌ただしい吉祥寺の街が、この時間のこの場所だけはのんびりとした時間が流れるのだ。

 玉川上水を抜けて、井の頭池を一周。それが俺のいつもの散歩コース。


 4月の初めこの時期は、池の周りに見事な桜が咲き誇っている。どれもこれも満開で、池の周りを歩くと桃色の花びらが道路や池を覆い、まるで別世界に来た様な錯覚を覚える。


 まだ少し肌寒い春の朝、体を温めるよういつもの様に公園を歩いていると、ふと、池に架けられた橋の上で女性が一人、ボーッと立っているのが見えた。

 20代中盤ぐらいだろうか?女性は鯉でも見ているのか、湖面をじっと見つめていた。少し明るめの髪を伸ばし、毛先にはウェーブが掛かっている。格好は薄手のカーキーのジャケットにベージュのロングスカート、黒のパンプスを履いてた。しかし頭にはキャップを深く被っていて、表情はよく見えない。

 ウォーキングやジョギング目的では無さそうだ。

 珍しい。と言うのが第一印象。昼間になればカップルでああいう格好をしている女性はごまんと居るが、早朝の、しかもたった一人であんな場所にあんな格好で居るなんて違和感しか無かった。

 どうして一人、あんな場所に?何か思い詰めているのだろうか?

 なんだかその女性が気になった俺は、散歩のコースを変え、橋の方へ向かう。


 「おはようございますー」


 ウォーキングを装い、橋を渡りながら女性に挨拶をする。

 今の俺の姿は上下ジャージ姿なので違和感は無いだろう。女性も池に向けていた顔をこっちに向け、軽く会釈を返してくれた。

 

 「おはようございますー」


 そんな軽い挨拶をし、俺は女性に近づく。遠目から見たらなんだか思い詰めている様にも見えたが、ちゃんと挨拶も返してくれたし、声色は大丈夫そうだった。キャップを深く被っていたので、相変わらず表情は見えなかったが。



 「………あれ?、山井やまいくん?」



 「……え?」


 すると、女性から俺の本名を呼ばれる。いきなり名前を呼ばれた俺は、何が起こったのか一瞬分からず、素っ頓狂な声を出してしまう。


 「……やっぱり山井くんだ、久しぶりだねー」


 そして、そう言うと、女性は深く被っていたキャップを取る。

 初めてまともに見た彼女の顔を見て、俺はある女性の名前を思い出した。



 「あー!桧山ひやま先輩ですか!?」



 その女性は桧山ひやま美琴みことと言う、大学時代、同じサークルだった2つ年上の先輩だった。



 ____________




 桧山先輩は、俺の憧れだった。同じ文芸サークルに所属し、大学時代には自作の短編小説で賞を取り、それが何処かの出版社の目に付いて、在学中にデビューしてた記憶がある。

 作風は恋愛モノが殆どを占め、桜や菜の花と言った、"春"を題材に書く事が多かった。

 

 「私が卒業したぶりだから、4年ぶりかな?」


 「そうですね、……もう4年ですか……かなり早く感じますね」


 近場の、池の見えるベンチに座り、久しぶりの再会だと、会話に花を咲かせる。

 数年ぶりに会った先輩は、さらに大人っぽくなっていた。

 元々あまり飾らないタイプの人だったのだが、社会人になって必要な化粧や身だしなみに磨きがかかっており、当時よりも魅力的に映る。


 「山井くんは、今なにしてるの?」


 「俺ですか?えっと、今はこの付近の編集社で働いてます」


 「おー、編集さんかー。じゃあ、いつか私がお世話になるかもねー」


 「ははっ、まだ2年目のペーペーなんで、担当を持つのはまだ先の話ですね」


 俺の職場は、とある雑誌の編集社だった。

 編集社に入社したきっかけは、もちろん目の前の憧れの先輩だった。

 最初は先輩の所属している編集社に面接に行ったが、これが見事に玉砕。仕方なく別の会社に受かって、今に至る。

 詰まるところ、先輩を追っかける形でこの業界に飛び込んだのだ。



 「先輩は、今も書いてるんですか?」


 そして、今度は逆に俺が先輩にそう質問する。

 正直、先輩の出した本や、執筆が載っている雑誌は片っ端から買っているのだが、それを言うと引かれる可能性があるので、遠回しにそう聞いてみる。


 「……うん、書いてるよ」


 しかし、先輩は一言、それだけ言って項垂れる。しまった、先程橋の上で思い詰めていた様に見えたのは、勘違いでは無かったのか。

 明らかに落ち込んでいるのが分かった。

 


 「え、えっと………すみません……」


 どう返して良いか分からなかった俺は、とりあえず謝りの言葉を口にする。


 「なんで山井くんが謝るのよ、………そうねぇ……ありきたりな言葉で言うなら、スランプかなぁ……」


 自虐的に少し微笑み、しかし何処か困った様な表情も混じった、なんとも言えない顔を見せる先輩。

 いつも自分の作品に自信を持っていた大学時代の先輩からは、想像もつかない様な表情だった。


 「……スランプ、ですか………」


 「うん、最近、編集さんに言われたんだよね。"先生の作品は恋愛モノなのに、リアリティが無い"って」


 「……そんな事………」


 俺は、先輩の作品のファンだ。大学時代、なんならデビューする前から読んでいる最古参のファンと言っていい。

 そんな先輩の書く小説がリアリティが無い?そんなわけあるか。ファンであるが故の贔屓も多分に入っているが、それでも先輩の作品に"リアリティが無いか"と問われて、首を縦に振ることはまず無い。

 俺がその編集者に言われたという言葉に難色を示すと、困った様に先輩は笑った。


 「……これ、編集社で働いてる山井くんなら分かると思うんだけど、小説もそうだけど"作品"って、相手に伝わらなきゃダメなんだよね」


 何処か諦めのついた口調で、先輩はそんな事を言う。

 ……ああ、今先輩が当たっている壁が、なんだか理解出来てきた。

 作家と言うのは、自分の世界観を相手に伝えたい人が殆どだと、会社の先輩に聞いた事がある。

 自分の中の理想、それを突き詰めて作品を書く。


 しかし、それを突き詰めたとして、それが読者に"伝わる"とは限らない。


 かの有名なアーサー・コナンドイルは、本当は歴史小説を書きたかったが、難解過ぎて読者に理解されず、片手間で適当に書いたその推理小説が大ヒットしてしまったと言う。


 読者あっての小説家。編集者から見れば、それに尽きるのだ。



 「あーあ、やっぱり流行りに乗っかった方が良いのかなぁ……」



 そんな理想と現実の狭間で揺れているのが、今の先輩なのだろう。

 自分の理想を求めるか、読者に分かりやすい様、流行りに走るか。


 どちらも正解なんだと思う。しかし、俺は先輩に変わってほしく無かった。



 「………俺は、今の先輩の方が好きです」



 「……え?」


 俺がそう言うと、先輩は目を丸くする。何か変な事を言っただろうか?

 

 「そ、それって、私の"作品"が好きって事だよね?」


 続けて、辿々たどたどしく先輩がそう言うと、俺はようやく理解した。


 「え、あ、ああ!!ご、ごめんなさい!!言葉が足りなかったですよね!!」


 告白まがいの発言をした事にようやく気づき、顔に熱がこもるのを感じながら、慌てて俺は訂正する。

 対して先輩も、ほんのりも顔が赤くなっていた。


 「…………」


 「…………」


 そして、互いに無言。公園には陽が差してきて、聞こえるのは『ホー、ホケキョ』と小気味良く鳴くウグイスの声と、餌を求めた鯉が水面を跳ねる水音だけだ。

 まだ寒い陽気な筈なのに、妙に体が熱い。


 「……そっか。………そっかそっか。じゃあ、山井くんが言うんだから、そうしよっかな?」


 すると、何処か照れくさそうに先輩はそう言う。

 その表情は、何処か吹っ切れている様に見えた。


 「い、いいんですか?素人の戯れ言ですよ……?」


 「良いの良いの。小さな悩みだったし、それに………」


 一つ、先輩が間を置くと、再確認する様に俺の目をジッと見つめる。




 「私のファン第一号にそうしろって言われたら、そうするしか無いでしょ?」




 薄く微笑んでそう言う先輩の頬は、この井の頭公園に咲く花と同じく、綺麗な桜色をしていた。


 これを機に先輩と付き合い、この時のことを題材とした恋愛小説がヒットするのは、また別の話。

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短編集 四季恋慕 浅井誠 @kingkongman

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