越冬コレクション2021

Jack Torrance

ダメッサントリオ流着熟し術

「本番開始前5分を切りました。マイクテスト、マイクテスト」


場内のスピーカーからアシスタントの男が鯱張って言っているマイクテストの声がざわついた会場内に響く。


ピンと張り詰める会場内の空気。


舞台裏で慌ただしく動き回るイベントスタッフとアシスタント。


本番開始


『パルプ フィクション』で使用されたギリシャの民謡“ミザルー”が会場内に流れる。


会場内にスピーカーを通してジョディ フォスターのような何処か知性的でフェミニンな女性進行役の音声が会場に張り詰めた空気を一蹴する。


「さあ、今年もこの時期がやって参りました。越冬コレクション2021!進行役は今年も、この私、永遠の29歳、トリシア クインランドがお送り致します。時代を先取るマストアイテムの数々。ファッションに疎い男性諸君に送るエンターテイメントショウの始まり始まり。これを見なきゃ貴方も今年のクリスマスはきっと一人ぼっちになってしまいます。この越冬コレクションは一人の男性モデルに全てを凝縮していますので15分足らずで終わっちゃうけど見逃せないアイテム必須なのでモテない男性諸君はメモ用紙片手に要チェックしてください。さて今年の募集人数13248人の中から選ばれた栄えあるモデルを紹介します。アレハンドロ ダメッサントリオさん、59歳です。皆さん、盛大な拍手でお迎えください」


会場から割れんばかりの拍手が沸き起こり『メジャーリーグ』でチャーリー シーン扮するリッキー ボーンが登板する時のテーマソング“ワイルド シングス”が流れ始め舞台袖からランウェイに男性モデルが現れた。


ライティングアップされるモデル男性。


カメラのシャッター音が大量のフラッシュとともに切られランウェイの脇のカメラマンがスタンバイしているポジションが慌ただしく動く。


「さあ、皆さん御覧ください。先ずは一夜漬けとは思えぬキャットウォーク。これは天性の素質と言ってもいいのではないでしょうか。先ずは今冬最注目のヘアスタイル。白髪交じりの無造作に伸び切ったルンペンヘア。毛先を枝毛にするのが今年の大流行間違いなし。見てください。この煤が付いたような黒ずんだ顔の皮膚。これは日焼けではありません。5年8ヶ月お風呂に入らずに垢と埃で培われた天然の汚い皮膚です。皆さんは今冬中にここまでの汚い皮膚に仕上げるのは無理ですので代用に靴墨で黒くなされるとよいでしょう。ヒスパニック系の彫りの深いお顔立ちのダメッサントリオさんの黒ずんだ汚い皮膚には働く男のロマンを感じずにはいられません。実際、当のダメッサントリオさんは39年無職で路上生活歴は37年になられるそうです。この長く伸びた頬髭から顎髭が如何にも社会不適合者を物語っています。口髭だけは若く見られたいとの事で剃られているそうです。口元に斜に銜えたしけもくがワイルドな男を演出しています。これは余談ですが長いしけもくが無い時にはフィルターぎりぎりのしけもくに楊枝を刺して吸っているそうです」


男性モデルがしけもくをランウェイに投げ捨て踏み消した。


そしてはにかんだ笑みを浮かべた。


「良い子のみんなは煙草のポイ捨てはしないでください。ちゃんと携帯用灰皿に捨ててくださいね。未成年の喫煙よりもポイ捨ての方が重罪です。見てください。ダメッサントリオさんの虫に食われた黄褐色の歯を。長年の喫煙癖から脂とコーヒーで着色された汚い歯。日本の伝統染め物の友禅染めの職人でも、ここまで見事な黄褐色に染め上げるのは無理でしょう。歯科医もホワイトニングを躊躇うくらいの見事な黄褐色と虫の食いようであります。これも余談ですがダメッサントリオさんに伺いましたところ、ここ30年程歯磨きをした記憶がないそうです。昨日、私も興味本位で口臭を嗅がせていただいたのですがドブ川の水にドリアンとブルーチーズと豆腐ようを入れてミキサーにかけて作ったミックスジュースの臭いとでも形容しましょうか。良い子のみんなは真似しちゃ駄目です。このレシピは大量破壊兵器に応用される可能性があります。マイク タイソンの右フックが蚊にでも刺されたかのように感じてしまうくらいの激臭です。まるで、鉄球クレーンで側頭部を殴打されたかのような衝撃です。軍事産業のお偉い方、この口臭は生物化学兵器に匹敵しますので興味があられましたら私トリシア クインランドまでご一報を」


男性モデルが腰に手を当てて踏み出した足をクロスさせるように闊歩している。


「さり気なく腰に当てた手に抱いているのは17,79スクエア フィート(1畳)電気カーペット。夏は茣蓙を持ち歩くそうなのですが寒いニューヨークの冬を越す為にはマストアイテム中のマストアイテム。昨日、広げて見せていただいたのですがグレイビーソースの染みやら煙草の焦げ跡やらで私からしてみれば粗大ゴミと見分けがつかないほどの代物でした。ニューヨークの地下鉄のコンセントを無断で拝借しているそうです。皆さん、これは窃盗に当たりますのでくれぐれも真似しないでください。この電気カーペットは傷痍軍人用のチャリティバザーで22ドル75セントで売られていたようなのですが5時間粘りに粘って交渉し10ドルに負けさせたそうです。NYPDのネゴシエーターに見習っていただきたい忍耐力です。因みに傷痍軍人用のチャリティバザーですがダメッサントリオさんに従軍経験はありません。幼少期の頃に小型犬くらいはあろうかというドブネズミに足の小指を食い千切られたそうで、その小指のない足を見せてイラクの戦地に赴いた時に銃が暴発して小指を失ったと嘘をついたそうです。これも余談ですが昨日、私も足の指を見せていただいたのですが確かに足の小指はありませんでした。足は水虫に侵食されリトルスクール時代の給食の時間に牛乳を倒して零してしまい汚い雑巾で拭いたのですが翌日に興味本位で嗅いでみた際のその渇いた雑巾の臭いが足から発せられていました。私って昔から興味本位で臭い物を嗅ぎたくなってしまうという悪癖があるんです。例えば3日間お風呂に入っていない彼氏のペニスとか…あら、嫌だわ、私ったら。つい興奮しちゃって話が逸物、あっ、えっ、嫌だわ、また私ったら、ごめんなさい、逸脱してしまいましたわ、オホホ…」


歯切れよく軽快なテンポで実況するコミカルな女性進行役のトーク。


会場の場は和み冴えない男性陣がしかつめらしい表情でメモを取っているのに対して、それ以外の男性陣からは笑い声が漏れている。


「さあ、ここからは皆さんお待ちかねのファッションチェック。今冬を先取った斬新なダメッサントリオ流お洒落な着熟し術を伝授したいと思います。お洒落は足元からって、よく言いますよね。ダメッサントリオさんの足元に注目。今年の冬はモカシンでもカウボーイブーツ、アディダスやナイキのスニーカー、フェラガモやグッチの革靴なんてのは時代遅れ。じゃあ、何なの?って仰る男性諸君!はい、注目。それは長靴。それもお洒落でカジュアルなデザインの物じゃなくて、テキサスやケンタッキー辺りの牧場主が履いているダサいゴム長靴。今冬は敢えてお洒落は足元からという既存の概念を打破するダメッサントリオ流大人の着熟し術が大流行するのは間違いなし。このゴム長靴は3週間前に可燃物のゴミの収集日に出されていた物を失敬してきたそうです。ゴム長靴は少し臭かったそうですが、それから更に水虫に侵食されたダメッサントリオさんの刺激臭でパワーアップしていると思われます。これも私は勇気を振り絞って嗅いでみたのですが胃液とともに昼に食べたターキーサンドが込み上げてきてしまいました。私も体張っています。右足の親指の穴が開いたゴム長靴の爪先に幾重にも巻かれて目張りされた防水ビニールテープ。この防水ビニールテープはホームレス仲間のピエール デクズさんと交渉してビーフジャーキー2枚との交換条件で使わせていただいたそうです」


男性モデルがカーペットを抱えていない方の右手でピストルの形を作りパキューンと打ち鳴らして人差し指の銃口の部分を口元に当てて息を吹き掛けた。


テレビの前の男に飢えている女性諸君の黄色い声がテレビの液晶画面を通して伝わってきそうだ。


男性モデルの悩殺アクションに続く女性進行役。


「そして、その防水ビニールテープで目張りされたゴム長靴は風を通さず雪が降るニューヨークでは利便性にも優れています。そのゴム長靴にたくし込んだダメージデニム。これは元々の色はインディゴブルーだったのでしょうが限りなく色褪せてインディゴブルーの染料は皆無に等しいです。長年に渡り履き古されたデニムのヒストリーがボロボロに擦り切れている事でもはや言葉では語り尽せない程に静かに物語っています。正しく天然のダメージデミムであります。人が手を加えてダメージ加工した薄っぺらなダメージデニムとは本質が異なっています。長年、樽の中で熟成させた芳醇なシングルモルトとでも形容しましょうか。経年劣化によりナチュラルで洗練されたダメージデニムに仕上がっています。ダメッサントリオさんのように30年先を見越して生きていらっしゃる方はやはり凡人の数マイル先を先取りしているものです。流石に寒いニューヨークをダメージデニムで乗り切るには生命に危険が及びますのでダメッサントリオさんはファストファッション店でヒートテックの上下を2セット万引きしたそうです。其の時に店長に捕まって拘置所に一週間留置されたそうですがニューヨークの地下鉄よりも快適で三度三度の食事にありつけて夢のような一週間だったそうです。拘置所から出て来たダメッサントリオさんは一ヶ月の社会奉仕活動を命じられて地下鉄や道路の清掃活動に従事されたそうですが、この時のアルミ缶、リサイクル瓶、古紙の収集で得た収益で懐が暖かくなったそうです」


モデルの男性が電気カーペットを観客席に投げ入れた。


電気カーペットが観客席でメモを必死になって書き連ねていたダサい男の頭部に命中しカーペットから埃が舞い上がる。


その場に倒れた観客の元に係員が速足で駆け寄る。


ランウェイの上から一部始終を見ていた男性モデルは見て見ぬ振りをし両手の親指をダメージデミムのポケットに突っ込みターンした。


男性モデルは往年のジェームズ ディーンを気取っている。


男性モデルが履いているダメージデニムは35年前にリーバイスのコピー商品を手掛けていたリーヴォイスと言う違法ブランドから35ドル75セントで売られていた物だ。


ヴァン ヘイレンのヴォーカリスト、デイヴィッド“リー”ロスの引退を飾る魂の叫びが聞こえてきそうな秀逸な一本である。


観客席では担架が運ばれ脳震盪で倒れた先程のダサい男が担架に乗せられ連れ出されている。


女性進行役は、その男を後目に声のトーンをもう一段階上げて続けた。


「万引きしたヒートテックを上下重ね着した上に着ていらっしゃるのは黄土色のセーター。色のチョイスがファッションデザイナーをも唸らせる見事な選択です。黄褐色の汚い歯と見事にマッチしたダメッサントリオ流着熟し術に世のマダムは液晶画面の前でメロメロになっている事必至でしょう。局部の疼きは、どうぞ番組終了後に自身で解消されてください。視聴率もうなぎ上りに上がっている事は間違いないでしょう。どうぞ、チャンネルは、このままで。皆さんの視聴率が私の臨時ボーナスにも反映されますので、オホホ…この黄土色のセーターを見てください。煙草の焦げ跡や虫食いの跡。グレイビーソースやビールの染みが至る所に見て取れます。これも、男の手の内。ダメ人間をアピールして世のマダムの母性本能を擽ろうという男の下心の表れなのです。しかし、ダメッサントリオさんにはそんな下心は毛頭ありません。何故ならば、ダメッサントリオさんは生粋のダメ人間なのだからです」


男性モデルの背中に39年無職ながら食うに困った時もあり人が食べかけのバーガーをゴミ箱に捨てた瞬間、人目も憚らず拾って食べたという消し去りたい過去と哀愁が滲み出ている。


普段は猫背なのに一世一代の晴れ舞台とあって劇団の万年脇役の女が遂にヒロインの座を射止めた時の達成感にも似たような心境で、もうじき60にもなろうかといううら寂しい男が活き活きと闊歩している。


女性進行役がファッションチェックの締めに入る。


「しかし、この汚らしい黄土色のセーターだけでこのニューヨークの寒空の下で生きていくというのは自殺行為であります。如何にダメ人間のダメッサントリオさんでもちゃんとそこのところは弁えています。黄土色の汚らしいセーターの上に被っているこれまた汚らしいショッキングピンクのポンチョをご覧ください。この黄土色にショッキングピンクを合わせるというウルトラC級の離れ業。これもダメッサントリオ流着熟し術の為せる技であります。この汚らしいポンチョもリサイクルショップで17ドル75セントで売られていた物を開店10時から閉店20時まで店の玄関に座り込み5ドルに負けさせたそうです。見てください、この穢らわしくて人に不快感を与えるグロテスクな色合いを。まるで、違法回春クラブの待合室の壁紙のような色彩感覚です。このポンチョを一目見てダメッサントリオさんはどうしても欲しくなったそうです。皆さん、セーターとポンチョの間に挟まっている物が見えますか?ニュースペーパーです。我がアメリカ合衆国が世界に誇るニューヨーク タイムズ誌であります。寒さを凌ぐ為に人類が生み出した叡智の結晶であります。ニュースペーパーで防寒対策をとり体温の放出を防ぎ保温効果にも優れているという叡智を神は我々人類、そして、愚人で社会の底辺に巣食うダメッサントリオさんにも授けられたのです。ホームレスの常識は社会通念上、一般人には通用しないのかも知れませんがダメッサントリオさんも一人の人間なのです。もし、ダメッサントリオさんをお見掛けしたら温かい声を掛けてやってください。では、越冬コレクション2021のランウェイを華やかに盛り上げてくれたアレハンドロ ダメッサントリオさんにもう一度盛大な拍手を」


男性モデルが汚らしくて歯列矯正が必要な黄褐色の歯を満面に覗かせてランウェイの中央で投げキッスを観客に送っている。


割れんばかりの拍手が会場内に沸き起こり、それはスタンディングオベーションとなって喝采を送っている観客。


男性モデルが踵を返しキャットウォークで舞台袖に引っ込んで行った。


男性モデルが舞台裏に消えると観客は着席し帰り支度を始めた。


「さあ、皆さん、今年の越冬コレクション2021が終わりました。振り返ってみますと男性が前戯もなおざりで挿入した瞬間にあっという間に射精したように終わってしまいました。寒い日が続きますので暖かくして早漏、あっ、早春の訪れを待ちましょう。今冬の最新ファッションとマストアイテムをダメッサントリオ流着熟し術でお送りしました。皆さん、いかがだったでしょうか。この着熟し術をマスターすれば、きっとあなたも教会や駅前でのホームレス支援の炊き出しでマダムのハートを射止めるのは間違いなし。今年も司会進行は永遠の29歳、私トリシア クインランドがお送りしました。皆さん、今年の長い冬を暖かくしてお過ごしくださいませ。私とは来年の越冬コレクション2022でお会いしましょう」


翌日のニューヨークの地下鉄


「今朝のニュースです。ニューヨークの地下鉄で一晩にしてホームレスの数が12倍になっているとニューヨーク鉄道保安局からのメッセージがアナウンスされました。これを受けましてNYPDも治安の悪化が懸念されると特殊対策班を設立しました。では、現場からの声を聞きたいと思います。リポーターはマヤ コズラウスキーリポーターです」


「えー、こちらブルックリンのマーシー アベニューの地下鉄からお送りしています。見てください。波のように押し寄せるホームレスの大群を。昨夜、放送された越冬コレクション2021の男性モデルを模倣したホームレスがニューヨークで急増しています。今夜はセントラル アベニューの地下鉄で大規模な炊き出しがあるとの事なのでNYPDも特別警戒に当たるとの発表が先程アナウンスされました。あー、あのホームレスが私のハンドバッグを置き引きして行きました。以上、マヤ コズラウスキーでした。待てー、こそ泥ー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

越冬コレクション2021 Jack Torrance @John-D

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ