先輩への思い

 十二月二十日。

 いつも通り御坂先輩と帰っていると、家について別れる時に、御坂先輩が「つばさ」と呼び止めてきた。

「はい?」

「クリスマスイブは、暇か?」

 それを聞いて、心が浮き立つ気持ちがした。

「午前中は、すみません、午前中は予定が入っています。午後なら……」

「良かった。じゃあ、そこに予約を入れておくよ」

「はい」

「つばさ、また明日」

「また明日」

 御坂先輩の後ろ姿は、少しだけ嬉しそうに見えた。


 十二月二十四日。

 午前九時、駅前で私は雪の降る中、一人で待っている。

 クリスマスイブなので、男女が腕組みや寄りかかりながら歩いているのが、目に付く。

 女の子はもこもこの服を着たり、寒そうなスカートを着ていたりしていて、私の凡庸な格好が少し恥ずかしい。一応、昨日買った物だけど、でも私が着るには、少しハードルが高すぎたような……。

「つばさ!今回も、一番乗りだな!」

 活発そうな声が、背後から聞こえた。

 そこには、私の遊び仲間の長老とも言うべき人がいる。

「なんか、今までにない服を着てるんだけど、どういう心変わり?」

 にやにやと探るような笑顔をしながら、ぐいぐいと近づいてくる。

 や、やっぱり、ハードル高かったかな……。変だったかな……。店員さんにも、勧められたんだけど……。

「それは……」

 私が答えを言えずに、もじもじとしてると、「まぁ、いいや。その服、似合ってるよ」と言って、追求をしないでくれた。

 心の底からホッとした。あのまま追求されていたら、ぽろっと口から零れてしまうに違いなかった。

 それに、どう思ってくれるのか分からなくて、少し怖かった。

 十分も経たない内に、全員が集まり、円陣を組んだ。

「彼氏のいない寂しさなんて、吹っ飛ばすぞぉ!」

「おー!」

 そうして私たちは、街へ繰り出した。

 街はイルミネーションをそこかしこに張り巡らせて、とても綺麗だった。

「もう、クリスマス一色だねぇ」

「そりゃそうでしょ。クリスマスイブだし」

「無計画で来たけど、どうする?」

「そりゃ、ウインドウショッピングしかないでしょ」

「全部クリスマスだぞ」

「そうだった。じゃあ、ゲーセン行こうよ」

「どうする?私は文句ないよ」

「あたしも。つばさはどうする?」

 イルミネーションに見とれていたから、話を聞いていなかった。

「えっと……良いよ」

 これで、良いかな?

「よし、決まりだな」


 ゲーセンの中は、カップルの巣窟だった。

 女性の鼻にかかったような甘い声が、始終聞こえていた。それに格好良い所を見せたいからだと思うけど、長時間占領していて邪魔くさい。

 一時間とそこに入れなかった。

「くそぅ!いちゃつくのも大概にしろ」と早速悪態をついた。

「で、次どうする?」

「まだ十時半だよ。お昼には、早いよね」

「喫茶店もバカップルばっかだろうしねぇ」

「そんなこと言ったら、どこもバカップルだけだろうが」

「カラオケにする?あそこなら個室だし」

「おぉ!逆転の発想!」

 こういう事で、次にカラオケに行くこととなった。


 カラオケは苦手だ。歌を聴くのは好きな方だけど、歌うのは苦手。だから付いていっても、つきあい程度に二曲ほど歌うだけだ。

 後は、歌を聴いているか談笑するかだ。

 自分の義務を果たして、席に座った時、「それで、あの人とは、どうなったの?」と聞かれてしまった。

「え……」

「夏休みの時に、告られたんでしょ。あのテニス部の御坂先輩に」

 覚えていたんだ……。

「毎日一緒に帰っているんでしょ。もう、付き合っているんだよね」

「まだ……」

 すると「ええええ~~~~~~~~~~~~~~!」と全員で絶叫された。

「あんなに仲良く歩いてるのに?」

「楽しそうに、おしゃべりしてるのに?」

「マジで!?」

 何で、そんなに驚かれるのだろうか?

「うわぁ、うわぁ、まだそんなだったの?」

「うん……」

「もう、学校中の噂の的になってるのに」

「え………………………………………………………え?」

 頭の中が真っ白になった。学校中の噂の……的……?

「あの鉄壁の御坂先輩の心を射止めた地味な女子って、夏休み明けた辺りは凄かったんだよ」

「男女関係なく凄まじかったよね」

「だって、御坂先輩はもう攻略不可能と言われていた人だもん」

「それを落としたとなれば、まぁ、あの騒ぎになる」

「ど、どんな?」

「知らないの?すぐに男子数人が、玉砕覚悟で告白しに行ったし、女子の中で詮索されまくってたよ」

「そうなの?」

「そうだよ。まぁ、一週間で、大きなのは終わったけどね。今でも、つばさのことを興味津々の人が沢山いるよ」

 私と御坂先輩のやり取りを見られていたのか……。恥ずかしい……それに怖い……。

「基本的に、二人のラブラブ振りを、祝福してるから大丈夫だよ」

「へ?」

「むしろ、羨ましがられてるから。多分、ベストカップル賞とかやったら、一番になれるよ」

「それは、嬉しいと言うより……困る」

「あはは……。今の時代、同性愛なんて、障害にもならないよ」

「そうそう、もっといちゃこらすれば良いのに」

「う……」

 そんなこと言ったって、手をつなぐのだって、まだ恥ずかしいのに。キスも自分から勢いでやったけど、御坂先輩からの方が多いし。

「それで、今日はどういう予定なの?」

 身を乗り出して聞いてきた。

「えっと……これから……御坂、先輩の家に……」

 私が恥ずかしいのを我慢して言うと、三人は目を合わせた。

「マジで!」と三人の声が揃った。

「ヤバいよ、どうしよう。まさかのダークホースのつばさに、クリスマスイブのラブラブシチュエーションの一番乗りを奪われちゃったよ」

「あるとは、思ったけど、実際聞かされると、なんか驚いた。まさかっていう感じが」

 少し失礼だと思うけど、自分でもそう思う。自分はクリスマスは毎年一人なんだろうなというのがいつもあった。

 それに自分よりも可愛い三人の前に、私に恋人が出来るなんて、予想もしなかった。

「いつから、いつから?」

「午後五時までに、先輩の家」

「もしかして、泊まり?」

「え?」

 あれ、どうなんだろう?そういえば、何も聞かされてない。行くのにドキドキしてて、帰りの事なんて、頭の中から抜けていた。

「どうした?」

「もしかして、本当に泊まり?」

「もしかして、レデイの階段も上っちゃう?」

「まだ……」

「まだってことは、泊まらないの?せっかくのシチュエーションなのに?」

「……聞いてない」

 恥ずかしくて、一言ずつしかしゃべれない。

「聞いてない?つまり未定ってこと?」

「うん」

「よし、今聞こう。それしかない」

 とんでもない発言をされた。

「おお!さんせー。ささっ、携帯を」

 私の鞄の中から、携帯を取り出されて、私の手の中に入ってきた。

「ほらほら、早くして。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥っていうじゃん」

「ここは腹をくくる時だよ」

 そう、なのだろうか?もしかして、もしかしたらの可能性もあるし……。

「やっ!」

 私は電源を入れて、御坂先輩に電話をした。

「おぉ!」

 やっちゃった……。

 カラオケで流されていた曲の音楽が終わった。

 プルルルルルルルルル…………。

 コール音が大きく響く。

 耳に当てて、ゴクリとつばを飲む。

 そして「つばさ、どうした?」と御坂先輩の声が聞こえた。

「御坂先輩……」

「うん、なんだ?」

 期待の視線が私に集まってくる。

「クリスマスパーティーは、九時ごろに、お暇をした方が良いでしょうか」

 言い終わると、ドッと疲れが襲ってきた。思考がクリアになって、なんでこんな電話をしたんだろうと、今になって思う。

「いや、夜も遅くなるんだ。泊まっていったらどうだ?」

 電話口の声が聞こえているみたいで、三人がガッツポーズをしている。

「わ、分かりました。すみません、お邪魔でしたよね」

「どうした?随分と他人行儀だけど」

「いえ、何でもありません。では、五時に伺います」

「あぁ、待ってるよ。……マイハニー」

 そう言って、御坂先輩はブツッと電話を切った。

 恥ずかしいなら、言わなきゃ良いのに……。

 私がそんなことを思って、ちょっとため息をついた。

 そして視線を上げると、好奇心で目をキラキラと光らせた友人達が。

「やったじゃん!」

「うぉお……、祝福したいけど、なんなんだ、この気持ちはぁ!」

「ついに、先を越されちまったぜ」

 三者三様の反応をする。

「しかも、マイハニーだってよ」

「つばさ、やっるじゃん!このうらやましい」

「となると、御坂先輩が旦那さんか……。旦那さんの帰りを待つ貞淑な妻ってか!?」

「やべぇ、理想的すぎるぜ」

 私が奥さんで、御坂先輩が旦那さんか……。

「って、まだ付き合ってない!」

 柄にもなく叫んでしまった。

「忘れてた。これから告白の返事をするんだよね」

「うん……、じゃなくて」

「え?しないの?」

「う……」

「っていうか、半年近く待たせてるのに、まだ待ってくれてるって、すごい執着心だよね」

「半年近くのれんに腕押し状態で、よく愛想尽かさないよね」

「べた惚れじゃん、うらやましい」

「そうかな……」

「そうだよ。無自覚に酷い所あるよね、つばさは」

 言われてみて気付いた。本当に言う通りだ。御坂先輩と一緒にいて、満足していたけど、ちゃんと答えなきゃいけないことだったんだ。

「つばさ、今日こそチャンスだよ。もう、今日しかないんだよ」

「そうそう、今日がチャンス」

「そうかな?」

「そうだよ!」

「そうそう!」

 煽られるままに、私はみんなと御坂先輩に返事をするという約束をさせられてしまった。

 カラオケを終えたら、遅めの昼食を食べて、言われるがままテニスラケットを持った猫のぬいぐるみを、御坂先輩へのクリスマスプレゼントとして買わされた。


 そして今、御坂先輩のマンションの前にいる。

 何度も来ているはずなのに、今日に限って、心臓の鼓動がうるさい。

 時計を確認すると、五時十五分前。

 もう、行って良いのかな?

 でも時間にはちょっと早いし。

 プルルルルル………。

 見計らったように、電話がなった。

 画面を見ると、『御坂先輩』と名前が書かれている。

「もしもし……」

『どうした?何で、そんな所に突っ立っているんだ。さっさと上がってきて。体が冷えるだろう』

 マンションを見上げると、御坂先輩が外に出て、私を見下ろしていた。

 すぐに引っ込んでしまった。

 それよりも、少し遠かったけど、御坂先輩が赤い奇妙な服を着ていたように見えた気がする。

 あれは……多分……。

 あの先輩が着るとは思えないけど、時々突飛なことをするので、今回もやるのかもしれない。

 もしかしたら……。


 そして扉の前に来た。

 ゆっくりと深呼吸をして、インターフォンを押す。

『入って』と御坂先輩の声。

 冷たいぴかぴかと光るノブを握り回して、思い切って引く。

 パン!

 乾いた破裂音がして、私の頭に何かが落ちてきた。

「メリークリスマス」

 顔を上げると、御坂先輩がいた。

 その手には、お店で売っている安っぽいクラッカーがあり、それから飛び出したと思われるヒラヒラと飛ぶ四角い紙切れが周りに落ちていく。

「うわっ……」

 呆気にとられた。

 外から見た時には、サンタの格好だと分かっていたが、御坂先輩は予想を超えてきた。

 御坂先輩が来ているのは、ミニスカサンタだ。

 上に着ている服は、へその上辺りまでしかなくて、くびれたウエストとおへそが丸見えだ。フワフワのモコモコで、ハロウィーンの時のエロさよりも可愛さの方が先に立つ。

 下は長さがほぼ無いミニスカート。少ししゃがんで見れば、中が見えてしまうだろう。

 頭にはサンタの帽子を被って、モコモコのお髭を蓄えている。

「そんなに、見つめないでくれ……。恥ずかしい」

 顔を服と同じくらい真っ赤にした。

 その顔を見て、胸が高鳴った。

 どうして、この人は、こうなんだろうか。完璧で綺麗で可愛くてエロくて、少し抜けていて愛らしい。

 扉を後ろ手に閉めて、「メリークリスマス」と挨拶をした。

 ひげで隠れた口が、にっこりと笑う。


 案内されたリビングには、クリスマス然とした飾り付けがされていた。

 色紙の輪っかをつなげた物が壁に沿って連なり、一角にはクリスマスツリーが飾られている。テーブルの上に、大きなホールのケーキ、

「うわぁ、あのなんて言うか凄いです」

「ありがとう」と嬉しそうに言う。

 私は座らされて、御坂先輩がキッチンに入っていった。

「飲み物は、シャンパンでも良い?」

「はい」

 御坂先輩は高そうなシャンパングラスと緑色の瓶のシャンパンを持ってきた。

 私の前にグラスが置かれ、御坂先輩がウエイターみたいにシャンパンを注いでくれる。

 コポコポとシャンパンがグラスの内側に落ちていった。

 御坂先輩は自分のにも注いで、向き合って座る。

 同時にグラスを取った。

「メリークリスマス」

 カキン……。

 小さな金属音が弾けた。


「御坂先輩はこういう事に興味が無いかと思っていました」

「こういう事?」

「ハロウィーンとかクリスマスとかの行事を、進んでやる人だとは思っていませんでした」

「いや、ボクは本当に興味が無かったんだ。ただ、つばさと一緒に遊べるのは、そう言う日だけだと思って、ちょっと調べて、頑張ってみたんだ」

「だから、ちょっと行き過ぎな所が……」

「え?」

「いえ、何でもありません。その服、可愛いです」

「ありがとう、恥ずかしかったが、クリスマスで検索すると、女性の格好がみんなこれだったから、頑張って着てみたんだ」

「………………………………」

「どうした?」

「ううん、なんでもありません」

「つばさの服も、綺麗だよ」

「ありがとうございます。今日のために買ったんです」

「本当?」

「はい」

「嬉しい」

 御坂先輩が微笑んだ。

 私も嬉しくなる。

「お料理全部美味しいです。御坂先輩が作ったんですか?」

「あ、あぁ。七面鳥は買ってきたのだが、他のは全部……」

「このケーキもですか!」

「うん。菓子のレシピ本を買って、何回か練習した。他のも、同じ感じで」

「凄いです。ここまで作れるなんて」

「そうかな?」

「そうですよ!」

 少し興奮してしまった。これもクリスマスイブの仕業だろうか。


 そして食べ終わったら、一緒に片付けをして、ソファーに並んで座って、クリスマススペシャルのテレビ番組を並んでみる。

 いつの間にか、手を握り合っていて、肩を寄せ合っていた。

 お笑い芸人が、少しも面白くないことを言って、同じような笑い声が続いて聞こえてくる。

「何が、面白いんだろうか」

「さぁ」

 時々、二言三言言葉を交わして、また画面に戻る。

 何も話したくないわけではないけれど、この温かくて静かな時間がとても居心地が良い。

 御坂先輩の手を握る。すると握り返してきた。

 こんな事にも、嬉しさを感じる。

 何でも無いことだけど、とても幸せな気持ちになれる。

 これが、好きと言う物なのだろうか。

 この胸の奥で、微かに燻るこの気持ちが、好き。

 でも少し違う感じがする。

 好きな気持ちには違いないけど、もっと根源的な好き。

 そう思ったら、もう心の内から湧いてくる感情があふれてきた。

「御坂先輩……」

「なんだい?」

 御坂先輩は私を見て、尋ねた。

 私は中途半端にならないように、その感情に身をゆだねた。


「御坂先輩の事を、愛しています。この世のどんな人よりも、御坂先輩を愛しています」


 御坂先輩が固まった。

 言ってしまった。

 御坂先輩の目が徐々に大きくなってくる。

 そしてガバッと私に抱きついてきた。勢いでソファーに押し倒されてしまった。ギュウッと体を締め付けてくる。

 御坂先輩は泣きそうな声で、「もう、ダメかと思ってた……。つばさは振り向いてくれない物だと……」と言った。

「ごめんなさい。私も良く分からなくて……。それに、もしかしたら、同性愛を拒絶していたのかもしれません……」

「ボクとは、イヤ?」

「御坂先輩の事を愛しています。これからも、ずっと……」

「嬉しい……」

 御坂先輩は私の唇を奪った。

 三回目のキス。

 一回目は、浜辺のしょっぱいキスだった。

 二回目は、ハロウィーンの甘いキス。

 今回は、味はしなかったが、今までのキスの中で、一番に心が躍った。

 御坂先輩の香りが、鼻をくすぐる。

「御坂先輩……」

「もう、良いだろう。ボクを名前で呼んで」

 そういえば、ずっと『御坂先輩』だった。

 御坂先輩の名前は何だったっけ。確か、とっても素敵な名前。

 あぁ、思い出した。

「愛しています、京子……さん……」と言うと、京子さんは真っ赤になった。

「呼び捨ての方が良いけど、つばさのことだ、まだ多くは求めない方が良いんだろう」

 意地悪に笑う。

 そう、多分、まだ無理。呼び捨てで呼び合える仲になれるのだろうか、いつの日か。

「つばさ、ボクはもう、我慢できない」

 京子さんの手が、私の服のボタンを外している。

「ま、待ってください、お風呂に入ってからの方が……」

 慌てて止めようとするけど、体に力が入らない。

「ボクをここまで我慢させたのは、つばさだよ。少しくらい、ボクの我が儘を聞いてくれ」

 上着を脱がされ、次々と脱がされていってしまう。

 私が一番憎たらしいのは、自分がそれを受け入れてしまっていることだ。もうちょっとロマンチックに出来ない物なのだろうか。

 下着姿にされてしまった。こんな事もあろうかと、勝負下着として、黒を着ていて良かった。

 舌なめずりをしている京子さんに、私は最後のお願いをした。

「優しくしてください」

 京子さんの猛烈なキスが、私を襲った。


 翌朝……というより昼近く。

 私と京子さんは、ほとんど同時に目を覚ました。

 同じベッドの中で、互いの体温を感じ取れる程近くにいる。気恥ずかしくなって、京子さんのいるのとは逆の方を向く。

「意地悪……」

 自分の薄い裸の胸を抱きしめた。

 京子さんが私を後ろから抱きしめてくる。

 背中に当たる柔らかい体。とても女らしい。でも、それが良い。

「激し過ぎです……」

「つばさが、悪い」

 京子さんは耳元で囁く。

「ずるい。私の初めてを奪って……」

「ボクの初めてを一杯あげたよ……」

 京子さんの腕を、撫でる。むだ毛一つ無い滑らかな大理石のような肌。だけどとても温かい。

「なんか、晴れやかな気持ちです。まるでつきものが落ちたような」

「つばさ……愛してる……」

 その言葉を聞くだけで、心が温かくなる。

「意地悪。そんな言葉を、聞かされたら、許したくなっちゃいます」

 もぞもぞと体を百八十度回転させる。

 京子さんと向き合う。

 たった一センチしかない、私と京子さんとの隙間。

「私も、愛しています」

 そして私と京子さんの隙間は零になった。


 *


 元旦。

 胸の奥がぽっかりと穴が開いてしまった気分だ。

 クリスマスのあの一件の後、私と京子さんは、恋人同士になった。それから私も吹っ切れて、登校と下校の時に、京子さんにもたれかかって甘えるようになった。京子さんに体をくっつけ合うと、落ち着く。

 京子さんは全くイヤな顔をせずに、私の自由にさせてくれている。

 だからこれまでの甘えられなかった時間を埋めるように、甘い時間を過ごす。

 友人達が言うには、クリスマスに登校した私と京子さんの仲睦まじさを見て、学校中が驚天動地したらしい。

 地震や噴火が起ったときのように、情報が学校を駆け巡ったという。

 恥ずかしながら、私と京子さんは、自分達の世界に入っていて、全く気付かなかった。二人でお弁当を食べているときに、好奇心の塊の人達が来たが、甘いオーラにたまらず退散したらしい。誠に、恥ずかしい。

 クリスマスからずっと、京子さんと何をしても楽しくて、嬉しくて。ちょっとしたことでも京子さんといるだけで、幸せな気分になれる。

 でもクリスマスから終業式まで一週間もなかった。一日一日が飛ぶように過ぎてしまった。こんな事は、今まで感じたこともなかった。

 終業式はフワフワとした軽い雪が降り、地面にうっすらと積もった。雲は白く、寒い日であった。

 そして終業式の終わった次の日は、朝早くから私は出かけて、夜も更けた頃に帰ってくるようになった。両親、特に父が根掘り葉掘り聞いてきたけど、私は友達の家に行っていると言って、ごまかした。高校に入るまで気の置けない仲になるほどの友達のいなかった私であるからか、すんなりと許してくれた。

 まだ、両親に言う決意が出来ていない。学校には知られても構わないと思っているのだけど、両親に知られるのはまた特別な決意が必要なようだ。

 クリスマスの日に、京子さんの部屋から帰ってきたときに言おうとしたけど、喉の奥でつっかかって、言おうにも言えなかった。

 怖いのだと思う、両親が自分のことを嫌うのではないかと思って。もしかしたら、私が話すよりも先に、噂の方が先に両親の耳に入ってしまうかもしれない。どちらの方が楽なのかと考えてしまう。自分から話をした方が、恐らく両親も納得してくれるかもしれないけど、噂の方が先なら私は決意をせずに、話し合いに持って行けるはずだと思う。

 どちらにしても、話しにくいことではある。

 通い妻の如く京子さんの部屋に、毎日行った。

 部屋に入ると、まずは唇を重ね合った。歩いてくる途中から唇が物恋しくなってきて、私はいつも玄関で待っていてくれる京子さんに抱きつきがてら、キスをする。それから恋人繋ぎをして、リビングに入り、テレビの音を聞きながら、京子さんとぽつぽつと談笑をする。

 京子さんが受験勉強をしている時には、京子さんと背中合わせになって、私は本を読んだ。背中で体温を感じ合う事でも、幸せに感じた。ペラペラとめくる音とシャープペンの紙を掻く音が耳に心地よい。

 そして勉強が終わったら、二人で抱き合って、ベットにもつれ合って倒れ込む。二時間半後には、お互いに裸になって、ピロートークに興じる。

 太陽が山の向こう側に落ちれば、私は身なりを整えて、京子さんの部屋を出る。

 これが終業式からの一日の過ごし方であった。

 そして京子さんは大晦日の日、東京の家に帰ってしまった。

 年に一度の全員で集まれる日だという。少しだけ嬉しそうな京子さんに、胸の奥が締め付けられるような思いだった。このじりじりと焼けるような思いの名前は、嫉妬。京子さんが家族に会えると嬉しそうにすることが、私の初めての嫉妬心を燃え立たせているのだろう。

 私の知らない、家族といるときの京子さん。楽しくしているのだろうか。

 家族とけんかでもして、早く帰ってきて欲しいと私の醜い心は訴える。そして帰ってきた京子さんを独り占めにしたいと。

 ため息をつく。何でこんなに馬鹿らしいことを考えているのだろうか。こんな気持ちは、初めてで全然コントロールできない。

「え?」

 名前を呼ばれた気がして、顔を上げると、そこにはいつもの三人の友人がいた。

「何?正月だってのに、ため息なんてして」

「あれだよ、あれ」

「そう、恋煩いってやつよ」

 やいのやいのとまた会話が盛り上がっていく。

 私達が集まっているのは、友人の家。彼女の両親は、正月でも仕事があるらしくて、今はいない。だから私達も自由にしていられる訳だけど。

 私の家には、友人の家に行くと伝えている。嬉しそうに私を送り出してくれた。

 朝早くに集まって、初詣に行った。お賽銭とくじ引きをして盛り上がった。私だけ『大吉』を引いて、羨ましがられた。今年は良い年になるのだろうか。

 そして友人の家に上がって、手洗いうがいをしてこたつへと潜り込んだ。

 人の家というだけで、少し落ち着かない。部屋の雰囲気が、何となく私に合わなくて、変な感じがする。それに部屋の匂いが、妙に鼻の奥をくすぐって、むずむずして仕方が無い。

 それからみんなは談笑に興じ、私は物思いに沈んだ。

 さっきまでは、休み前にあった中間テストの内容について文句を言っていたし、先生についても話していた。

 余談だけど、女子テニス部の宮城先生は、数学の先生だけど、教え方が上手な上、テストも点を取りやすい物を作るので好かれている。そのせいか、中間テストしか作らないけど。

「クリスマスからのラブラブ振りは、見ていて恥ずかしくなるよ」

「ちょっとは場所を考えて欲しい。みんながみんな、彼氏彼女いるわけじゃないんだぞ」

 私に向かって言葉の洪水が押し寄せてきて、私は頭がくるくると空回りさせていた。

「それで、どこまで行ったの?」

 一番来て欲しくなかった質問が先に来ちゃった。

「そう、それ、気になる。最後までやっちゃった?それとも、つばさはまた告白出来なかったとか?」

「つばさはやるときは、やる子だよ」

 三人が顔をそろえて、私を見た。

「で、最後までやったの?」

「うん……」

 私が首を縦に振ると、三人は同じように目をまん丸にして、「え―――――――――!」と驚かれた。

「マジで?」

「うん……」

「ほんとに?」

「うん……」

「ほんとの本当に?」

「うん……」

 私はどんな評価をされているんだろうか。

「へ――――――」

 じろじろとなめ回すように見てくる。

「一番に女になったのは、つばさってことか……」

「うらやまっ!」

「うー、彼氏ぃ……」

 三者三様の反応をする。

「で、なんで、今日は、私達と一緒なの?御坂先輩とラブラブデートしてくればいいじゃん」

 説明すると、「そっかぁ、寂しいね」と言った。

「別にそんなんじゃ……」

「いい、いい、隠すなよ。せっかく、ラブラブになれたのに、寂しいよな」と腕組みをしながらうんうんと頷きながら言う。

 言い返せないと言うことは、そういう事なのだろうか。そう思うと、胸の奥がむずむずして、何となく苦しくなる。ラブラブか……、一言で表すなら、それが一番適当だと思う。

 京子さんのような素敵な人は、私にはもったいない人なのだ。だけど私を選んでくれた。そして半年以上も待たせて、それでも私を好きと言ってくれている。どれほど嬉しいことなのか。

 だから「うん」と私は頷いた。

 すると二マーと三人が笑った、まるでいたずらが成功したような、おかしくてたまらないといった笑顔を……。

「あっ……」

 気付いた時には遅かった。

 忍者のように素早く囲まれてしまう。そして私の頬をつんつんとつつき始める。

「やぁ……っと、デレた」

「もう、あそこまでやってる癖に、なんでそんなにお堅いの?」

「デレたついでに、御坂先輩の事のろけて」

 のろけるって……それにせがまれること?

 京子さんの姿を思い出す。

「京子さんは……」

 私が口を開くと、「うんうん」と顔を近づけてきた。

「京子さんはとっても綺麗で、あの黒い髪は墨を流したみたいに漆黒でそれに甘い匂いがする。しかも枝毛とか無くって、凄く羨ましいくらい。さらさらで、太陽の光に透けると綺麗だった。唇がいつも艶々で、鼻も高い。それにお肌もスベスベしてて、白くて、本当に綺麗だった。いつも私に優しく気を遣ってくれるし、色んな事をしてくれて、テニスの試合の時には、失敗したら、抱きしめて慰めてくれて……」

 まくし立てるように言っていたら、「うん。分かった。だからそこでストップ……」と留められた。

「えっ?」

「うん。そこまで、しゃべるとは思わなくて、ちょっと引いた」とはっきり言われて、少しだけ傷ついた。

「両思いなんだねぇ」

 弄るのに飽きたのか、座っていたこたつの辺に戻っていく。そして元通りになった。

「みかん……」

 こたつの上のうつわにピラミット状に乗せてあるみかんを手にとって、手の中で揉む。

「でさ~、つばさはどうするの?」

「ん……」

「御坂先輩が卒業したらさ」

 手が止まった。

 予想はしていたけど、頭の片隅でそれを考えることに抵抗していた。

「後、二ヶ月ちょっとかぁ……。寂しくなるね」

「うん」

「御坂先輩はどこを受験するのか知ってる?」

 そういえば知らない。そんなことも抜け落ちていた。

 そういえば受験はどうなっているのだろうか。順調なのだろうか。もし失敗でもしてしまって、他の大学に行く事になったらどうなってしまうのか。

 折角恋人同士になれたのに。また離ればなれになるのは寂しい。

「おっ、また、乙女の顔になった」

「本当だ」

「マジだ」

 手で顔を隠す。

 すぐに顔に出ちゃって、凄く恥ずかしい。どうしてこんなに、顔に出やすいんだろう。

「まぁ、手伝って欲しいなら、言えよ。いつでも力になるから」

「うん。ありがと」

「よし。じゃあ、宴だ!」

 ジュースを片手に音頭をとる。

 カチンカチンと軽い金属音が軽快に響く。

 私の意識は、姦しくも快活な騒音に飲まれていった。


 そしてその帰り道、私は日が落ちた暗い道を一人で歩いていた。

 幸いにも、駅前を通るので、一人でいても安心していられる。

 正月なだけあって、少し人通りが少ない気がするけど、それは学生やサラリーマンがいないせいだろう。そうやって考えてみると、そう言う人達がとても多いんだなと思う。

 街灯が立ち並んで、夜の闇をあまり感じない。

 しかし、今日の騒ぎはとても楽しかった。京子さんと一緒にいるくらい楽しかったかもしれない。

 京子さん。

 私の恋人。

 今、どうしているんだろうか。

 東京の実家で、楽しく家族団欒を過ごしているのだろう。大好きなお兄さんとおしゃべりして、中々会うことの出来ない両親と色々なことを話して、進学の事とか、勉強のこととか、部活のこととか、私のこととか。

 最後に、自分を並べてしまった。無意識の事だった。京子さんの中に自分がいると言うことを、誇っているのかもしれない。

 京子さんの家族をライバルだと思っている。

 京子さんの中に私がいるのだと言うことを教えたい。もう、あなた達だけの物じゃないと言ってしまいたい。

 私って、こんなにも嫉妬深かったのかと感心してする。

 私の中に、こんなにも大きな京子さんがいるのに、京子さんの中には、私だけじゃなくて、お兄さんの存在が根強くいる。

 それは許しがたい。

 お兄さんの事を考えられないくらい私のことを思っていて欲しい。

 これは叶わぬ思いなのだろうか。

 だって京子さんを子供の頃から知っていて、テニスに導いたのもお兄さんだし、ずっと京子さんの一番の存在で、それにとても頭が良くて、運動が出来て、私とはまるで別の人種のように大きな存在。

 そうやって考えて、勝手に気分を沈ませていた時、不意に肩をトンと叩かれた。

「つばさ……」

 ボーイッシュで鈴のような響きの声がした。

 その時、思考に一瞬、空白が生じた。

 うそ、うそ、信じられない。

 どうしてこの人がここにいるの?

 振り向くと、確かにその人はいた。

「どうしたんだい?変な顔して。ボクの顔に何か付いてる?」

 首を横に振って、必死に否定した。

「どうして、京子さんがここに?まだ東京にいるんじゃ……」

 京子さんは笑って言った。

「少し早めに帰ってきたんだ。ボクには、つばさが必要だから」

 恥ずかしいことを言ってくれる。

「今回は、家族とけんかしに行ってきたんだ」

「え?」

「うん。今まで、よくも放置してくれたなぁ!ってね。ボクも結構な覚悟を決めて行ったんだけど、拍子抜けするほどあっさりとボクの出す条件にはんこを押してくれた」

「条件ですか?」

「そう。大学行くための学費と沢山の生活費、父の会社の席を一つ、それからつばさとの結婚の承認……」

「え……。え?」

「これまでのボクを放置してきた慰謝料を払えって事だね」

「良いんですか!そんなこと」

「良いんだよ。別に家族を壊すほどの要求じゃないから」

「コネ入社じゃ……」

「使える物は使った方が良いよ。使えるのに使わないなんて、コレクションと言って、車を飾って置いておくようなものじゃないか。使える物は使う、それが一番だよ」

 そう言う物なのかな。

「それとさ、兄ともちょっと啖呵を切ってきた」

「お兄さんは大事な人なんじゃないんですか?」

「だからその事で一言、言ってきた」

 京子さんは私を真摯に見つめてきた。

「『ボクは、もう追いかけない』ってね。兄の驚いた顔を見られたから、ちょっと得した気分だ」

 ふふんと鼻を鳴らして、上機嫌だ。感情の分かりにくい人だけど、今なら誰でも分かるに違いない。

「それに、私との結婚の承認って……」

「迷惑だったかな?でもボクはしたいんだ。つばさの花嫁衣装を見てみたい。それに祝福されてみたい」

 祝福される……か。

「京子さんは強いですね」

「どうしてだい?」

「まだ、私には両親に打ち明ける覚悟はできていません」

「そうか。ボクは今日しかないと思ったから、勢いで出来たような物だからね。ボクが女の子と結婚したいと言ったら、父も母も、兄さえも、口をポカンと開けていたからな。あれは、笑ってしまった」

 会ったことはないけど、その人達に同情する。私の両親にもだけど。

「うん、さて、ところで、つばさは家に帰るんだよね」

「はい。……まさか……」

「まさか?」

「私にも両親に打ち明けろと……」

 京子さんは不思議そうな顔をした。

「いつかはしたいね。そうじゃなくて、つばさ、泊まりに来ない?」

 魅力的な言葉。

「う……。すいません。今日は、家で食べる予定なんです」

「そうなんだ。じゃあ、明日は?」

「明日なら」

 勉強に時間を費やすつもりだったけど、もうそんなことはどうでも良い。京子さんと一緒にいられる時間が増えるなら。

「じゃあ、明日、またボクの部屋で」

「はい」

 最後に、お休みのキスをして、私と京子さんは別れた。

 夜の風が心地よい。

 道に立つ街灯が、神秘的な光を放ち、空には小さな星が瞬いていた。

『大吉』

 今年は良い一年になりそうな予感がする。


 *


 一月二日。

 澄み切った空が、眩しい。

 足が軽い。タンタンと踊るような音が足下から聞こえる。

 昨日、京子さんと出会って、招待を受けた。いつも通り、休みの日は朝早くから京子さんの家に行く。

 あっという間に着いてしまった。

 エレベーターのボタンを連打する。いつもより、下りてくるのが遅い気がした。

 チーン。

 すぐに乗り込んで、閉めるボタンを押す。ゆっくりと閉まって、体にエレベーター特有の力がかかる。

 扉の上にある階数のライトが動き始める。とても遅くて、「早く……早く……」と声に出てしまう。

 そしてやっと扉が開くと、私は飛び出した。

 早足で、京子さんの部屋の前に急ぐ。

 そして辿り着く。

 京子さんの部屋の前で、息を整える。京子さんの前でだらしない格好をする訳にはいかない。

 手櫛で髪をすいて、服の乱れを整える。

 そういえば、京子さんと出会う前は、こんな事考えもしなかった。身嗜みを整えるのは、どこかに行く時か、行事の時かで、普段はどうでも良いと思っていた。

 好きな人の前では、綺麗でいたい。

 それが、女性の本能なのかな。

「よし」

 インターホンを押す。

「はい」と京子さんの声が帰ってきた。

「私です」

「来たんだ。早いね。入ってきて」

 ガチャと鍵が開く音。

 ゆっくりと扉が開いてくるが、待ちきれない。

 京子さんの顔が見えた時、私は飛びついて、キスをする。

 優しい京子さんは私を抱き留めてくれる。

 そして京子さんは二三歩後ろに下がって、扉を閉める。

「おはようございます、京子さん」

「おはよう。つばさ」

 こんな事にも幸せを感じる。


 部屋に入って、ソファーで隣り合って座った。

 紅茶をテーブルの上に置いて、私は京子さんの肩に頭を乗せている。これが一番安心できる体勢だ。

「実は、もうボクは受験を終えているんだ」

 京子さんが最初に言った言葉が、これだった。

「え?」

「推薦入試は、十一月頃にあったんだ。つばさに伝えるべきかと思ったんだけど。何となく言えなかったんだ。いや、もしかしたら、驚かそうと考えたんじゃなかったかな?それとも落ちた時の事を考えたのかな?」

「えっと……じゃあ、京子さんの受験はもう終わったんですか?」

「そうなるね。十二月の終わり頃……確か二十八くらいで発表されたんだけど、ボクは幸せすぎてすっかり忘れてて、昨日帰ってくる電車の中で思い出して、確認したら合格していたんだ」

「お、おめでとうございます。どこの大学に入学したんですか?」

「前に言った通り、つばさが進もうとしている大学だよ。嫌かい?」

 そう言えば、海に行った日に、私の志望する大学を聞いてきたような気がする。あれがそうだったのか。

「いえ、嬉しいです。大学でも一緒に通えるんですよね」

「うん。そうだね。それで、提案なんだけど……」

 京子さんが私に向き直った。

「ボクと一緒に住まないか?」

「えっ?」

「だから、ボクと同棲しようって言っているんだ」

「ここからでも、充分近いですよね」

「ボクと同棲するのは、嫌いかい?」

「そうではありませんけど……。親を説得するのは大変だなと思って……」

 多分大反対される。

 大学の費用は全額払ってくれるって言ってくれてるけど、そういう一人暮らし、ましてや同棲のことなんて考えたこともないだろうし。

「お金の面は心配いらないよ。ボクの親に毎月払って貰うように取りはからっているからね」

 もしかして、昨日言っていた生活費ってそれなのか。

「それで、不動産に今度行こう。つばさが気に入った物にしたいから」

「い、いえ、悪いです。京子さんの御両親が出すのに」

「だからこそじゃないか。ボクはただ正当な要求をしただけだよ。つばさが気に病む必要なんかない。どんなに高い物件だって、文句を言わずに払ってくれるよ。だからさ、一緒に素敵な家に住もうじゃないか」

 京子さんは本当に切り替えが早いし、決断がすぐに出来る。

 かくいう私は、まだ見ぬ京子さんの御両親に引け目を感じる。

 京子さんみたいな素敵な人を、私が奪っちゃって本当に良かったのかな。

「センター試験は受けないといけないけど、少しくらいはっちゃけても良いと思わない?」

 京子さんが私を押し倒した。

「はっちゃけって、ずっとしてたじゃないですか」

 私が告白してからずっと、京子さんとやっていた。

「気分だよ。気分」

 京子さんは笑って、キスをした。

 それは私の拒む心を、アイスクリームのように溶かしてしまった。

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先輩と私 豚野朗 @Tonno_Hogara

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