あれから先輩とは一度も、顔を合わせていない。

戻ってきて、部活が始まった時には既に部室にあった先輩の持ち物は、すっかりなくなっていた。先輩の使っていた部室のロッカーが、ぽっかりと抜けた暗い穴のように思えてならない。

先輩の欠けた部活動。私には物足りなかった。

宴会では、先輩の引退式らしきものも含んでいたから、その後に先輩が部活に来る必要はなかったから、先輩が来なくなるのは当たり前だ。

なのに改めて先輩が来ないと、何か釈然としない何かがあった。

いつも隣にいた先輩の足音が聞こえない。綺麗なフォームを見ながら、試合が出来ない。

私がテニスを始めた時からずっと一緒にいた。先輩とテニスは私の中で、一つだったのだ。


そして私はあの日から昼夜を問わず、自分に問い続けていた。


『御坂先輩を、どう思っているのか』


未だに答えは出ていない。悶々と悩みながら、日々を過ごしていた。



夏休みに入ると、部活動は月・水・金・土と飛び飛びで、その他の休みの日は暇になってしまう。

去年は、その日に夏休みの宿題をまとめてやってしまったのだが、今年は何故かそんな気が全く起きなかった。やろうと思うけれど、頭の奧にしこりがあって、勉強の邪魔をする。

私は自分のベッドに寝っころがって、天井を見上げた。

機械的な白色の天井。真ん中に蛍光灯がはまっている。蛍光灯は、真白な光を吐き出しているだけ。

その白いキャンバスに御坂先輩の顔を描いてみる。

まっすぐな黒目。

高く通った鼻。

薄い唇。

化粧っ気のない顔。

前髪は左右に分けられていて、後ろ髪は肩の辺りで切りそろえられている。

耳は上の所が少しとんがっている。

肌は褐色。

顎はきつい曲線を描いている。

背丈は百八十後半。

Dカップはあると思う。多分、それ以上。

手足は曲げると、筋肉が少しだけ浮き出る。

そして優しい匂い。

それを一瞬で、描くことができる。

描いた先輩をジッと見つめる。穴が開くほど見つめて、私がどんなふうに感じるのか待ってみる。

しかし別に何も感じない。

先輩の一挙手一投足に見惚れてしまうことはあるけど、先輩自身に対してはどうなのだろうと考えてしまう。

例えば、シルク・ド・ソレイユで素晴らしいものを見て感動したとして、それはその演者を愛していることになると言えば、やっぱり違うと思う。

そうなのだと分かっているのに、何故かまた振り出しに自分で戻してしまう。

そして間違いはないかともう一度慎重に進んで、やっぱり同じところにたどり着いてしまうのだ。また振り出しに戻す。

そんな無駄なことをしているのだろうかと、自分でも変だと思っているけど、どうしてかやめることができない。その答えとは、別のモノを求めているとしか思えない。

私が導きたい答えとは、何なのだろうか。

その時、Prrrrrrrと電話の着信音が鳴った。

机に置いてあるスマホからだ。

私は急いでワンコールだけ鳴ったスマホをとった。しかし着信の画面を見て、友人からのものでがっかりしてしまう。

だけど着信ボタンを押して、友人の電話に出る。

内容は明後日暇なら、一緒にショッピングをしないかという誘いだった、

今日が休みだから、明日部活で、明後日も休みである。だから気分転換にその誘いに乗った。

集合場所は駅前の広場だそうだ。

「じゃあ、またね」と言って、私は電話を切った。

「はぁ……」と深いため息をつく。

私の電話番号を知っている人は少ない。

私が最初に友人になった女の子とそのグループの女の子たち。それと女子テニス部の前部長と御坂先輩、同級生の何人か。

私は一日に何回もスマホを見る癖が、ここ一か月で付いてしまった。

待っているのは、御坂先輩なのだ。

あれから一度も連絡を取っていない。御坂先輩とだけは、他の人よりも頻繁に連絡を取り合っていた。

「なんだかなぁ……」

ベッドに倒れる。ボフンと私の体が、ベッドに沈む。

御坂先輩のことを考えていると、何時の間にか眠ってしまっていた。

夢の中では、御坂先輩と一緒にまたダブルスをしていた。御坂先輩と黄色いボールを追いかけ合うのは、とても楽しかった。



翌々日、私は早起きをして、おめかしを出来るだけしてから出かけた。

薄曇りの町である。

陽炎のように歩く都会人が、薄いグレーの箱の中で動き回っている。ビルは空を支えているように、どっしりと構えているが、薄暗い印象を受ける。

灰色の町の中で、ピカピカと自分を必死に表現している看板や信号機。車は規則正しく並びながら、のろのろと進んでいた。

駅前のにぎやかな広場もその一部に過ぎない。


私が一番乗りだった。私はそこにあったベンチに座って、本を読み始める。

それから一人また一人と集まってきて、私の周りに集まってくる。だけど私はそこにいるだけで、すぐに携帯をいじりだす。

最後の一人が、五分遅れで来て、私達はショッピングに向かった。ショッピングと言っても、駅前の広場から半径五百メートル以内の店を適当に回るだけのことだ。

私はみんなが商品を見て、思い思いの感想を言いながら、手に取ったり騒いだりしているのを、一歩下がった所で見ている。

「ねぇ、つばさ。これ、可愛いよね」と聞かれた時だけ、その子の望む返事を返してあげれば良い。そうすると、「やっぱり、そう思うよね」と嬉しそうに笑うのだ。

それが私の仕事。

午前中の時間をつぶし、とある喫茶店に入る。

その喫茶店は最近雑誌で取り上げられた流行りの店で、若い女の子のグループやカップルが談笑をしていた。最近の音楽が流れ、明るい内装をしている。

私は無難なオムライスを頼み、他のみんなは雑誌に取り上げられていたモノを注文した。

注文したものが来るのを待つ間、周りで談笑をしているのを聞いていると、喫茶店の前を御坂先輩が通ったような気がした。

視界の端にチラッと映っただけなので、なんとも言えないけど、確かに通った気がしたのだ。

「あの……」

私は談笑の切れ間に自分の言葉を挟んだ。

「なに?」

みんなが驚いた顔をしている。

何故だろうと考えてみると、すぐに答えが分かった。

そうか、私から話を振ったことなんてないから。

「いつもその人のことを考えてしまっていて、その人からの連絡をずっと待ってるのって……おかしいかな……」

さらに驚いた顔をされた。目が真ん丸になって、今にもこぼれてしまいそう。

「それは恋だよ、つばさ!」と喫茶店であることも忘れてしまったのか、興奮気味に言った。

「恋?これが……?」

「そうだよ、ね」

「そうに決まってるじゃん。で、どんな人?」

「そうだよ。どんな人?かっこいい?」

私は目の前に御坂先輩を立たせてみた。

「かっこいい……かな……?」

「そうなんだ」

「後、テニスがすごく巧い」

「テニス関係なんだ」

「そういえば、テニス始めてから、つばさ、雰囲気変わったよね」

「そう?」

自分では全然分からないけど。

「そうだよ。前は、勉強しか知りません位のものっすごく硬くて真面目な女って感じだったけど、最近は表情が軟らかくなったよね」

「それにちょっとたくましくなったし」

「ちょっと、女の子にそれ言う?」

すると楽しそうに笑った。

「ごめんごめん。でも、つばさ、いい感じになって来たよ。で、告白は?」

「された……」

「「「えぇ――――――!」」」と何故か一番驚かれた。

「で、で、なんて答えたの?」

「答えられなかった……」

「あぁ~~~~~~~~」

みんなが一斉にガクッと机に伏せた。

「もう、つばさ、そこははっきりというべきでしょ。迷ったら、オッケーしちゃえば良いのよ」

「でも……」

「でもじゃない!きっかりはっきりするべきよ」

この時、注文したものがテーブルに届き始めた。

私達は一旦話すのをやめて、お腹を満たすことにした。そして半分ほど食べ終わった時、「つばさは、どう思ったの?その人のこと」と私に聞いてきた。

私はスプーンでオムライスのケチャップをいじりながら考える。

「良く分からないけど……嫌いじゃない……と思う……」

「なら、何で受けなかったの?」

「それは、やっぱり……」と私がもごもごと言っていると、「もしかしてさ……その人って、女?」と突然核心をついてきた。

私は不意打ちだったので、「ひうっ!」と変な声を出して驚いてしまった。スプーンを取り落してしまう。

そのせいで、あっという間にばれてしまう。

「えぇ~!女なの?」

「誰?誰?」

「部活よね。……もしかして、ダブルスを一緒にやってた人?」

びくぅと体が勝手に反応してしまう。私のバカ……。

「えぇ!そうなの?」

「やばい。やばいよ」

「どうするの?つばさ」

あっという間にばれてしまった。

「分からない……」

そういうと、みんなはうんうんと頷いた。

「分かるよ。何となく、困るよね」

「うん、私でも、悩んじゃうかも」

「それで、どうやって、告白されたの?」

私は「ぜ、絶対に、誰にも教えちゃダメだよ」と前置きをしてから、「優勝した後に、呼び出されて、そこで私を愛してるって……」と口にして、物凄く恥ずかしくなってしまう。

「えぇ!すごっ!」

「やるね、その人」

「うーん……。それでつばさはどうしたいの?」

私は首を横に振って、「分からないの……」ともう一度言った。

「つまり、つばさはどうにかして欲しいって、訳ね」

「えっ?」と私はその言葉に疑問符で返してしまう。

「違うの?」

「私は……その……そう答えればいいのか、分からなくて……」

「そんなの、簡単じゃん」

「えっ?」

「自分の思ってることを言っちゃえば良いんだよ」

その言葉は私の胸の中にすとんと落ちた。


帰ってから、私はベッドに寝転びながら、先輩の顔をいつものように天井に描く。

「私の、思ってること……」と口の中でその言葉を転がす。

天井に描かれた御坂先輩が、笑ったような気がした。

私も思わず笑い返す。

そして今思ったことを口にする。

「私、御坂先輩と……離れたくない……」

それが答えのような気がした。

答えが正しくなくても構わない。これが私の御坂先輩への思いなんだ。


その日から、御坂先輩に送るメールを作っては消し、作っては消しを、一日中繰り返して、結局送れずに一日が終わってしまうことが何日も続いた。

最初の一行目から全く先に進まない。

『お久しぶりです』や『こんにちは』では、ピンとこない。

それに内容もどう書けばいいのか分からない。

『先輩と離れたくない』

それが言いたいだけなのに、どうしてもうまく書くことができない。

何度も何度もその言葉を噛み砕こうとするけれど、生煮え肉のように真ん中の重要な部分があいまいなままで残ってしまう。

私の生活の中で、御坂先輩はいつの間にか、無くてはならない物になっていた。

御坂先輩の引退した後の虚無感は、私が今まで感じた中で一番恐怖を感じた。まるで自分の体を失ってしまったかのように。

いまだに、私の新しいパートナーは見つかっていない。

パートナーである御坂先輩の引退が最後であったために、その時にはもう、誰も余っている人はいなかったからである。パートナーは無理に見つけなくても、良いらしいけど。

御坂先輩とのダブルスは、とても楽しかった。

試合に勝てるという楽しさもあるし、先輩の美しいプレーを一番近くで、見ることのできるということもあるけど、私にとって一番うれしかったのは、御坂先輩に信頼してもらえているということなのだ。

先輩とは部活の間はずっと一緒にいた。

御坂先輩にテニスの全てを、教わったと言っても過言では無い。

私にとって、テニスと御坂先輩はセットなのだ。

「テニスと御坂先輩か……」

その考えは簡単に納得できた。テニスをしても満足感を得られないのは、そのせいなんだ。

勝っても負けても、何故か前ほど楽しめない。

勝ったら先輩に「良くやった」と言ってもらえたし、負けたら「また頑張ろう」と言ってもらえた。先輩がいなくなったら、その言葉はもちろん無くなってしまった。

「先輩とまたテニスがしたい……」

これが離れたくない理由?

違うような気がするけど、やっぱりこれが大きいような気がする。

スマホのメール作成画面を出す。

文字を入力していくけど、うまく文字にできない。

これが御坂先輩の求めていた答えなのか考えてしまう。

これはただ答えを曖昧にしただけなのではないか。

御坂先輩を傷つけてしまうのではないかと思ってしまう。

「どうすればいいんだろ……」


意志薄弱な私はまた無駄に夏休みを浪費してしまった。

八月の中旬に差し掛かり、もう夏休みも数えられるほどになってしまう。

「私のバカ……」と愚痴っても過ぎた時間は戻ってこない。

今日こそはと意気込んでみたけど、やっぱりメールを送ることができない。

いくつものメールを作成するけど、送信ボタンが押せない。

あと少しの所で迷ってしまう。

これで良いのか、御坂先輩を傷つけてしまわないか。

そんなことが頭の中を駆け巡って、私は結局そのメールを消去してしまう。

そう、今も……。

「また、やっちゃった……」

私はスマホを片手に、ベッドに倒れこむ。

「あと、押すだけなのに」

ため息をつく。

スマホを見ながら、「先輩……」と呟く。

その時、私の言葉に応じるようにスマホが震えた。

ヴーヴーヴー……。

まるで私をバカにしている声のように聞こえる。

マナーモードにしてたんだった。

「誰?」

画面を見ると、『御坂先輩』と描かれていた。

「ひゃあ!」

びっくりして、スマホを思わず投げ出してしまった。

弧を描いて宙を飛んだスマホは、幸いにもベッドの上に落ちて事なきを得た。

「良かった……」

壊れなかったことに、胸をなでおろした。もし壊れてしまっていたら、御坂先輩とは永遠に連絡を取れないようになっていたかもしれなかった。

まだワンコール目、私はここでためらってしまう。

だけど勇気を出して、電話を取った。

「もしもし……」

『やぁ、ボクだ』

先輩の声が久しぶりに聞けて、胸の奥がじわりとあったかくなる。御坂先輩の『ボク』という一人称が聞けて、嬉しくなってきた。

「お久しぶりです」

『ん?随分と他人行儀だね。いつもみたいに、フランクで良いのに……』

「すいません」と謝ってしまった。

『うん。ボクも受験対策で結構忙しかったから、連絡をとれなくてすまなかった』

「寂しかったです」と正直に心の内を吐露する。

『ボクも寂しかった。ボクの隣に君はいつもいた。引退してから、何かが欠けてしまったように感じるんだ』

先輩も同じ気持ちだった。それを少し嬉しく感じる。

「あの、御坂先輩、私……」という言葉を先輩は遮るように言った。

『どうだろう。つばさとボクの二人だけで、どこかにいかないか?』

「えっ?」

『もちろん、つばさが頷いてくれないといけないけど。自転車か電車、どっちかになると思う。あぁ、泊まりはしないよ。行って遊んで、帰ってくるだけだ』

「あの……」

『そこで、つばさの答えを聞かせて欲しい。急がすようなことをしてしまうけど、ボクとしても、早く進路を決めたい』

「進路?」

『あまり気にしないでくれ。で、どうだい?何時がいい?』

私はスケジュール表を確認した。

最後の数日は、宮城先生の言う『宿題を溜める馬鹿者』の為にが毎年開けているのだ。それに私はもう宿題を終わらせているし、どこかに行く予定もない。

「いつでも大丈夫です」

『なら、日はボクが決めても良いんだね』

「はい。ところで、何処に行くんですか?」

『予定では、海だよ。最近は、勉強ばかりだったから、気分転換も兼ねてね。それと、つばさに、会いたい』

最後の言葉を聞くと、心臓がドキッとはねた。嬉しいと言うより、戸惑ってしまう。

だけど嫌な感じはしない。

「私も御坂先輩に会いたいです」

『嬉しいよ。……私の愛する人……』と御坂先輩が早口で言って、すぐに、一方的に切られでしまう。

「ふふふ……」

顔がにやけてしまう。

先輩は最後物凄く早口で言っていて、すぐに切ってしまったのは照れ隠しなのだと確信した。

先輩が電話を切った後に、顔を赤くしている姿が目の前に浮かぶ。

それに『愛する人』と呼ばれて、少し嬉しかった。

迷いが吹っ切れたような気がした。

窓から外を見ると、見事に晴れ渡る空があった。



すぐに先輩から電話が来て、夏休みの最後の木曜にいくことになった。行く場所は、最初に言っていたように海で、電車に乗って行くことになった。

「先輩とおでかけか……」

もしかして、これがデートと言うものなんじゃないか。

そう思って、言い直してみた。

「先輩とデートか……」

気恥ずかしさと共に、僅かな嬉しさを感じる。

準備は簡単なものにすることにした。

ナップザックのような小さなバックの中に、水着と着替え、後はお金。先輩と話し合って決めた。

始発で出発して、近くの民宿かなんかに宿をとり、そこを拠点に遊ぶ。そして夜に、どこかで食べてから、電車で戻ってくる。

これが先輩と考えた一日の予定である。

その日のことを考えると、スキップしたくなるほど、心がうきうきとしていた。


太陽もまだ登っていないので、少しだけ肌寒い。

駅に行くと、先輩がベンチに座って、雑誌を読みながら待っていた。

「御坂先輩、おはようございます」

すると先輩は顔を上げて、私の顔を見上げて、にっこりと笑った。

「おはよう。つばさの顔を見るのは、何時振りだろう。とても長かったように感じるよ」

「あの決勝戦以来です」

先輩は懐かしむように、顔をほころばせる。

「そうだった。あれから少し焼けたかい。ちょっと黒いね」

「週四で、練習があるので」

「そうか。新しいパートナーは?」と先輩が少しだけ悲しそうな声で聴いてきた。

「いません。もう、余っている人が、私だけになってしまったので」

「そうか……」と言う先輩の声が少しだけホッとしているように感じた。

「そろそろ切符を買おう」と言って、先輩は立ち上がった。

「はい」

私は先輩と並んで歩く。まるであの時に戻ったようだ。先輩の隣を歩くことが、こんなにも嬉しいなんて。


電車の中は意外とすいていた。

いるとしても運動部の学生らしき男の子か、おじいちゃんおばあちゃん、それとまれに親子連れが乗っている。

「夏休みも終盤だからね。学生は宿題に奔走しているし、大人は仕事に復帰しているのだろう」と先輩が言った。

「先輩、頭良いですね」

「謙遜はやめてくれ、つばさ。つばさの方が頭は良いだろう」

「そんなことありません」

「そんなこともあるさ。学年トップテンに入っているなんて、誇って良いよ」と先輩が笑いかけてきた。

今日は、本当に先輩は楽しそうにしている。

私達は電車のボックス席にゆったりと座っていた。荷物は電車の中がすいているので、横に置いている。

「先輩は卒業したら、どうするんですか?」と私は話題を振った。

すると先輩が私をジッと見て、その後で「考え中だ」としか答えなかった。

どうしたんだろう。受験生なら、もう決めているんじゃないのかな。

「つばさはもう決まっているのか?」

「はい。OOO大学です」と答える。私の成績で行けるギリギリの大学だ。親とは、この大学にいくということに決めている。

「そうか。やっぱりな……」

私はその先輩の言葉にひどく引っ掛かりを覚えたが、すぐに消えてしまった。


電車を降りると、意外と閑散とした駅だった。

「やはり寂れているな……」と先輩がオブラートに包むこともせずに、ずばりと駅前に対して言った。

駅前にある車は数を数えられるほどしかなく。バスも一時間ごとにしかなかった。

「こっちだ」と先輩がまるで前に来たことのある場所のように、迷いのない歩みで、大通りを進んでいく。大通りでも、車の交通量は寂しいほどだった。

そしてすぐに海に突き当たった。

まだ朝の早い時間なので、だれもいないように見える。

今日はまるで図ったかのように、からっと晴れ渡っていた。

まさに、海水浴日和だ。

風がしょっぱくて、太陽がぎらぎらと照りつける。

「すぐ近くに、民宿がある。そこに宿をとったら、海に出よう」

先輩の後についていくと、趣のある民宿に着いた。

「相変わらずボロいな」と先輩は歯に衣を着せない。

ガララと引き戸を開けて、「おーい!」と中に呼びかけた。

すると「はーい!」と返事が返ってきた。

中は昭和の雰囲気のある落ち着いた民宿だった。

先輩は靴を脱いで、中にズカズカと上がる。まるで自分の家のように。

「誰でしょう……。まぁ、お嬢様!」と中から出てきたお婆さんが、先輩を見ると驚いたように言った。

「お元気そうで、良かった。お久しぶりです」と先輩はそのお婆さんに頭を下げて、挨拶をした。

「いきなりどうしました?また、家出ですか」

「いや、少しここに遊びに来たくてだな。少しだけ、使わせてほしい。もちろん金は払う」

「いえ、滅相もありません」

「夜には帰る。昼食を用意してくれるとありがたい」

「もちろんです。ですが、お金は受け取れません」

「はぁ、何を言おうと、ボクの考えは変わらない」

「ですが、儂等を拾ってくれたお嬢様のお父様に会う顔が……」

御坂先輩とお婆さんの話している内容がすごすぎて、まるで物語の中の世界に入ってしまったかのように思えた。

「すまない。こちらは、昔、ボクの家の家政婦をしていた田中さんだ」

「よろしくお願いします」とそのお婆さんに挨拶をする。

家政婦のいる御坂先輩の家って……。

「こちらは部活の後輩の水無月つばさだ」

「よろしくねぇ……」と穏やかな声で言った。

「部屋に案内してもらえるか?」

「お代は頂きませんよ」とお婆さんが念押しをする。

「今はそれでいいから、早く海に遊びに行きたい」

その言葉を聞いて、お婆さんは目を真ん丸にして驚いていた。

「お嬢様が……」

ギロリと先輩がお婆さんを睨んだように見えた。お婆さんは、にっこりと笑う。

「いえ、何でもありません。こちらです」と奥へと案内される。

先輩がチラリと張ってある宿代を見ようとするが、お婆さんはそれを破り取ってしまう。

「お代は頂きません」

「頑固……」と先輩が呟いた。

「お嬢様のお父様のおかげで、定年になってこんな年寄りの遊びのようなものが出来ているのですから」

「お父さんに、もっといい場所を勧めてもらえただろうに……」

「いえいえ、質素な宿をするというのも、また、儂等の楽しみなんです」

「儲かっているのか?」

「いいえ、閑古鳥が一年中鳴いていますよ」とお婆さんはおほほと笑う。

「まったく……」と御坂先輩はため息をついた。

「おほほ……。それに娘にも良い職を与えてもらって……」

「それは違うと思う。お父様は実力主義だ。だから娘さんに力があったのだろう」

お婆さんは楽しそうに笑った。


「ではごゆっくり」と言い残し、お婆さんは部屋を出て行った。

「良い部屋ですね」

落ち着いた畳敷きの部屋だった。布団が端に積んであって、真ん中に二人で囲むくらいの小さなテーブルがある。部屋の四方を、障子で囲っている。

「そうだな。それで、すぐに行くか?」と先輩が荷物を畳に置きながら言った。

「少し休んでいきませんか」

「そうしようか。今は……九時か……。一時間ほど、休んでから行こう」

「わかりました」

私は畳に寝転んだ。

「御坂先輩の家って、もしかしてお金持ちですか?」と御坂先輩に聞いた。

すると僅かな沈黙の後、御坂先輩がゆっくりと話し始めた。

「つばさが思う通りとは限らないけど、小金持ち程度だと思うよ。某IT企業の社長だよ、ボクの父親は」

「知りませんでした」

「ボクのことを知っているのは、ほとんどいないよ。先生方のほんの数人と、ボクが部活にいる時の歴代の部長、多分これ位だと思う。ボク自身、お金にはとんと興味がなくてね。使うのは、テニス関連のものしかない」

「そうなんですか……」

御坂先輩が口を閉じた。

私も口を開きにくかった。

「つばさに知ってほしかったから、こんな所まで来たんだ」

「家はどこにあるんですか」

「ボクは今、一人で住んでいる。学校のすぐ傍のアパートだよ。実家と呼べるものは東京にあるけど、両親は海外を飛び回っているから、一年のほとんどが空っぽになっているよ」

「寂しいですか?」

「うーん。これが普通だからね。寂しいとは思わなかったし、一人で住むのにも慣れてしまったよ」

御坂先輩の声の響きの中に、暗いものがあった。

板張りの天井は太い木の梁が出ていて、和風な感じがして、とても落ち着く。

「さっき案内してくれたお婆さんは、中学校ぐらいまで、ボクのお世話をしてくださった人なんだよ。その時も、両親はほとんど家にいなくて、あの人がボクの母親代わりを務めてくれた」

私の想像も及ばぬ世界だ。

「両親は同じ会社で仕事をしているんだ。父親は社長。母親はデザイナーだよ」

「すごいですね」

「おや、引いてしまったかい?」

私は上半身を起こして、御坂先輩と向かい合った。

「その話を聞いて、私が御坂先輩とお金目的で付き合うことにしたら、どうするんですか?」と意地悪で尋ねると、御坂先輩はふっと笑った。

「ボクがどれくらい、つばさを見ていたか知らないだろう。つばさは、そんなことには興味がない、それをボクは断言する」

「どうしてですか」

「まず、第一に、つばさはお金なんて、興味ないだろう?あの学校の近くに住む人は、そこそこ良い所の出のはずなんだ。だけどつばさは全く良いものを身に着けていない。そんな人が、より多くお金を持ったとして、どう使うんだ?」

「それは、その、本をいっぱい買ったり……」と頭の中から絞り出して言った。

しかし「あはは……そんなとこだろう?」と笑われてしまう。

「そんなことはありません。後は、静かな所に本屋さんを作って、そこで……」

「くっふ……あはははははは……」と大爆笑されてしまった。

「やはりつばさには、お金は合わない」

言い返したいけど、何を言っても笑われる気がする。

「ギャンブルや宝石に興味ないんだろう?他にも、洋服とかバックとか」

「あ、ありますよ!」とムキになって言ったら、さらに大きな声で笑われてしまう。

「つばさには、無駄遣いをするなんて言うことは、出来ないと思うよ」

「う…………」

言葉に詰まってしまった。

「つばさはお金を求めたりしない。よほどのことがなければね」と御坂先輩はにっこりと笑った。

不意を突かれて、御坂先輩の笑顔に、心臓の鼓動が早くなる。

「ボクの家族にも、お金を過剰に浪費しているのは、母親しかいないよ」

「お母さんですか……」

「何と言うか……美しいものに、目がないんだよ。宝石はもちろん、洋服や植物、動物なんてのもあったな……。そうそう、衝動的に、ボクから見ても大きなお屋敷を一軒買ったこともあった」

私はどう反応すればいいのか分からなかった。

「あの時は、全員で怒ったものさ。母親には、念書を書かせて、半分を自分のこれからの給料で払わせたよ。ボクの幼い時だったから、もう払い終えてしまったけどね」

「あはは……」と乾いた笑い声しか出ない。

「つばさはこんな買い方をするかい?」

「いえ、流石に、恐いです」と正直に言うと、御坂先輩は「ほら」と楽しそうに笑う。

私もつられて笑ってしまった。


それから私達は水着に着替えて、海に出た。

相変わらずの晴天で、海がキラキラと光っている。砂浜は少しだけ温かく、心地良いくらいだ。そして相変わらず、人は一人もいない。

私と御坂先輩は波打ち際で、目を合わせられずにいた。

御坂先輩と合宿で一緒にお風呂に入ったり、着替えを同じ部屋でしたりしたが、こんな気まずくはならなかったはずだ。

御坂先輩をチラッと横目で見ると、御坂先輩と目が合ってしまい、慌ててそらしてしまう。

私は自分の体を見下ろした。ちょこんと微かに胸はあるけど、それを誤差と言ってしまえば元も子もなくなってしまう。私が来ているのは、青色のビキニで、何となく憐みさえ感じてしまう。

一方、御坂先輩は私と違って、出るところは出ているし、引っ込むとこは引っ込んでいて、見とれるほどの体型である。

しかも着ているのは、黒のビキニである。私の物と違って、布の面積が少ないように感じるのは、何故だろうか。

御坂先輩が私をチラチラと見てきているのを感じる。恥ずかしくて、胸を腕で隠す。

すると「ふぉ!」と御坂先輩が、変な声を出した。

「どうしたんですか?」

私は驚いてしまって、思わず聞いてしまう。

「す、すまない。つばさがきれいで見惚れていたら……と、突然胸を恥ずかしそうに隠すから思わず……な。その、なんていうか……エロスを感じてしまった」

「エロ……!」

「そ、そういう意味では、そう!ドキドキしてしまったんだ!」

御坂先輩がワタワタと手を振り、弁明を繰り返す。

「御坂先輩の方が……エロいです……」と言うと、御坂先輩は目を真ん丸にした。

そして照れくさそうに頭を掻いて、「そ、そうか。良かった」と小さく呟く。

「実はだな……。これは、一昨日買ったばかりなんだ……。こんな水着なのに、店員が熱心に勧めてきて、恋人を落とせると聞いたからだな……。少し奮発して買ったんだ」とビキニのひもをもじもじと弄って、顔を赤くしている。

いつもの先輩と違って、今日は感情が豊かだ。

「つばさの可愛い水着は、どうしたんだ……」と尋ねられたので、嘘偽りなく説明する。

「これは、その……、前に、友人とプールに行った時に、その友人に選んでもらったんです」

「そうか……」と御坂先輩は少しがっかりしたように見える。

「御坂先輩?」

「あ、あぁ、すまない。少し考え事をしていた。そろそろ、遊ぼうじゃないか」

御坂先輩はそういうと、海水に手を浸し、私に向かってかけてきた。

「きゃっ!」

海水は冷たくて、陽光で温められた肌にちょうど良かった。

私も御坂先輩に向かって、水をかけ返した。

「あはは……」と御坂先輩が笑った。

ばしゃばしゃと水を掛け合い、互いに相手を追いかけまわした。それはまるで恋人同士でやるような甘酸っぱい味がした。

「きゃあ!」

私は足をもつれさせて、水の中でこけてしまった。すると御坂先輩が慌てて、近寄ってきて、私に手を差し伸べる。

照れ笑いが咄嗟に、顔に出てしまった。そしてその手を握る。

御坂先輩に腕を引かれ、立ち上がる。

「大丈夫かい」

「はい、足がもつれただけです」

「良かった」

それから私達は競争をしたり、浜辺で話したりして、お婆さんが呼びに来るまで楽しく遊んだ。誰もいないので、思い切り遊べた。

昼食は海で取れた魚や貝を外でバーベキューするという豪華なものだった。

「おいしいです」

私は大きなあわびにかぶりつきながら言った。かぶりつくと、中から濃厚な味がして、今まで食べたアワビの中で一番おいしかった。

先輩も美味しそうにアワビや丸焼きの魚に食いついている。

「美味しいな」

先輩が私の顔を見てきた。

「そうですね。これご飯にも合いますよ」

ご飯を口の中にかき込んだ。適度に塩味があって、ご飯が進む。

先輩が私の口もとを見ているような気がする。そして先輩は徐に私に向かって、手を伸ばしてきた。

私は先輩の細長い指が、段々と近づいてきて、目線がその指に寄ってしまう。心臓がドキドキする。

「ご飯粒が付いているぞ……」と唇の端についていたご飯粒をつまんで、それをパクッと食べた。

「うっ……。ありがとう……ございます……」

恋愛小説でよくある行動だけど、実際やられると、気恥ずかしい。

「初めて、やってみたが、はずかしいな……」と先輩はそう言って、私から視線をそらして、バクバクと勢い良く食べ始めた。

照れながら食べている先輩が、可愛いと思えた。

先輩と食べるご飯がいつもより美味しく感じたし、とても気持ち良かった。

私と先輩はそれからずっと遊び続けた。何故か飽きることも無かったし、あっという間に時間が過ぎ去ってしまった。


夕日が海を紅に染めて、とてもきれいだ。

横に座っている先輩の顔を見ると、夕日で顔が真っ赤に染まっている。

その顔をジッと見ていたら、先輩の目と私の目が合った。突然、恥ずかしくなって目をそらした。

その顔に見惚れていたと言ったら、先輩にどう思われるだろうか。

「私の進路を聞いてきたよね、電車の中で」

私はコクンと頷く。

「ボクは、つばさが言った〇〇〇大学に行こうと思っている」

「え……?」

先輩が恥ずかしそうに頭をかく。

「しかしね……ボクは勉強が苦手でね、引退してから、ずっと勉強をしていたんだよ」

私はとても驚いた。

「御坂先輩は勉強も出来ると思っていました」

「あはは……。そう思われてしまうんだよね、どういう訳か……」

先輩は困ったように笑った。

それは御坂先輩が完璧に見えるからだと思います。そう思ったけど、口に出すのは、はばかられた。

「でもスポーツ推薦で行けるんじゃないですか?」

「あぁ……でも、万が一のことを考えておいた方が良いだろう。それに推薦でも、一応テストがあるんだ……。それを考えたら、憂鬱だよ」

そう言ってため息をつく先輩が、私と同じ等身大の女子高生に見えて、少しだけおかしくなった。

「御坂先輩も、高校生なんですね……」

「なんだい?何か、失礼なことを言わなかった?」

つい声に出てしまっていた。慌てて、首を横に振って、「そんなこと言ってません」と言う。

「それにしても、きれいな夕日だ……」

御坂先輩は視線を海に戻した。

「はい。綺麗です、本当に」

「でも……」と御坂先輩は言って、私を見た。

「つばさの方が、綺麗だ。こんな夕日より、ずっと綺麗で、とても優しくて、強いよ」

「う……。い、いえ、御坂先輩の方が綺麗です。綺麗で、綺麗で……」

咄嗟に、ムキになって返してしまった。

御坂先輩が楽しそうに笑う。

「やっぱり、ボクはつばさが好きだ」

「う……」

御坂先輩には、勝てない。こうやって、何でも言い切ってしまえるのがうらやましい。

「それで……」と御坂先輩は恐る恐るといった調子で、私に尋ねてきた。この旅の中で答えると言った質問にを。

「それで、答えを聞かせてもらえないか?」

何時になく真剣な面持ちで、御坂先輩は言った。

私は赤く染まった空気を吸って、ゆっくりと吐く。

「私は、多分、御坂先輩の思う答えを出せないと思います。それでも、良いですか?」

怖がりの私は、こうやって保険をかけてしまう。

「いいよ。どんな答えでも、ボクはその答えを聞きに来たんだから」

御坂先輩はゆるぎなかった。

もう一度、深呼吸をする。心臓がドキドキとして、とても苦しい。

「御坂先輩が引退してから、ずっと心の中に穴が開いてしまったような感覚がいつもありました」

「あぁ、ボクもだよ。あれは、なんというか、苦しいよな」

「はい。私もそうでした。それにいつも先輩のことを考えてしまっていました。毎日、御坂先輩の顔を天井に描いてばかりいました。その時に、気付いたんです。私が考えていたことを」

御坂先輩は私の話をちゃんと聞いてくれている。

私は御坂先輩と向き合った。

「私は御坂先輩と離れたくありません」

その言葉は波のざわめきの中に吸い込まれていった。

御坂先輩は驚いたように目を大きく広げている。

「また一緒にテニスをしたいです。それに一緒に買い物も行ってみたいし、じっくり話し合いもしてみたいです。だから先輩と離れたくありません」

御坂先輩は私の言葉を聞きながら、黙り込んでしまう。

私も口を閉じて、海を見た。

その沈黙の間に、何度も波は打ち寄せ、その波音が聞こえてきた。

「それが、つばさの答え?」

「はい。私には、まだ、恋愛感情なんてものは、わかりませんし、これからのことを考えることもできません。だけどこれだけは……これだけは確実に、本当なんです。私は御坂先輩と一緒にいたい。またテニスをしたいです」

御坂先輩と私の視線が合い、真っすぐ睨みあった。

そして「分かったよ。これからは、ちょくちょく部活に顔を出してみようと思う」と言った。

「嬉しいです」

「だけどだ……」

御坂先輩は私の腰に手をまわして、私を引き寄せた。自然な動作だった。それに御坂先輩の手は力強く、しかも私に気遣ってとても優しかった。

御坂先輩の腕の中に引きこまれる。

そして先輩の唇と私の唇が、重なった。

「あ……」

初めてのキスの味は、しょっぱかった。

涙の味である。海の味であって、汗の味であった。多分、このキスは忘れられない物だ。

御坂先輩の唇の感触は、とても言葉では言い表せないほど、軟らかかった。

御坂先輩は私をギュッと抱きしめ、更に深くキスをする。

私も御坂先輩の腰に腕を回して、ゆっくりと力を入れていく。

身体が一つになってしまうような気がする。御坂先輩の体温が感じられて、とても暖かい。

唇の感触が消えてしまう。

「あ……」

「可愛いよ。つばさ」と御坂先輩がフッと目を細めて言った。

私は恥ずかしくなってしまった。

「つばさ、ボクは君を惚れさせてみせる」

「え……?」

「つばさはボクを恋愛対象として、見てくれていないんだろう。だからボクは君を惚れさせる」

威風堂々とした御坂先輩らしい答えだった。

御坂先輩の凛とした顔を見ていると、胸の奥がドキドキとして、のどが渇いてくる。

「今のキスは、その前払いだよ」

私は「はい」と御坂先輩に応えて、はっきりと頷いた。

「ボクは絶対に諦めないよ」

その顔には一欠けらの迷いを見出すことも出来なかった。それはとても頼りがいのある人に見えた。

御坂先輩は私の手に力強い手を重ねてきた。

その重さと温かさは決して不快なものでは無く、心の奥を揺り動かす、心地の良いものである。

「御坂先輩……」

「なんだい……」

「どうして私なんかが好きなんですか」

「どういうことだい?」

「私は、そんなに綺麗でも可愛くもないし、地味でブサイクな女の子だと思います。それにテニスのダブルスでも、御坂先輩におんぶにだっこで……」

御坂先輩は大きくため息をついた。

「つばさは、自己評価が実に厳しいな」

「え……。どういう事ですか?」

「つばさは鏡を見た方が良い」

「へっ?」

何を言っているのか分からない。鏡なら、毎日見ているし……。

「少なくとも、つばさは普通よりも上の容姿をしているよ」

「そんな訳ありませんよ。だって、一度もモテたことないし。御坂先輩が、あばたもえくぼになっているだけじゃないですか?」

「そんな訳ないさ。確かに、美人とは言い難いかもしれないけど、十分に綺麗な女性だよ」

御坂先輩が私の頬を撫でた。

「ん……」

指が触れると、なんとも言えない陶然とした気持ち良さが走る。

「こんなに肌もすべすべだし、顔も細面だろ。これほど、女性が欲しいと思っている物を持っているのに、なにを言っているんだ」

「でも……」

「モテるモテないは、どうせ流行なんだ。母親に欲しいという人種とは別だよ。そもそもそんな流行にばかり乗る女性を母親に欲しいと思う人がどこにいるんだい?」

正論に聞こえる。

「でもモテませんから……」

「それに……」と御坂先輩が至近距離でにっこりと笑った。

「つばさは心も綺麗だからね」

「そんな……」

「恥ずかしがらなくていい。つばさの心は、全く汚れていないんだから」と御坂先輩が寂しそうに言った。

私はその言葉に引っ掛かりを覚えて、「どういう事ですか?」と尋ねると、御坂先輩はフッと笑う。

「気にすることじゃないよ。金持ちの家では、そういうこともあるんだよ」

その言葉で、私は踏み入ってはいけない所なんだと思った。

「暗い話になってしまったね。そろそろ宿に戻って、着替えようか」

「はい」

御坂先輩と私の短い二人だけの旅はここで終わった。

御坂先輩との距離がほんの少しだけ縮まった気がする。

私の前を進む御坂先輩は、とてもかっこよかった。


ガタンガタンと規則的に揺れる電車。

私は微睡の中にいた。

いつもよりも疲れてしまったような気がするし、それに規則的な揺れが私を眠りに落とそうとする。

もう目を開けていられない。

徐々に視界が狭くなって、ついに目の前が真っ暗になってしまった。

「起こしてあげるから、寝て良いよ……」と落ち着いた響きの先輩の声は、更に私の眠りを加速させる。

耐えようとしても、まるで重力が大きくなってしまったかのように体が重くなって、耐えることができない。

私の隣に御坂先輩が座っている。

御坂先輩が私の肩に腕をまわして、ギュッと御坂先輩の方に引き寄せられる。

「寝ると良い」

ドクンドクンと御坂先輩の鼓動の音が聞こえる。

その鼓動は、私に安らぎをもたらした。

「御坂……先輩……」

すぐにすぅっと眠りに落ちてしまった。

「つばさ、愛してるよ」

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