試合

私が入部してから一年。私が二年、先輩が三年になった時、私は御坂先輩と夏の大会に出た。

この大会は三年生の最後の大会であり、この大会のどこかで負ければ、即引退になってしまう。

私と先輩はダブルスで出場した。先輩にシングルスで出るように勧めたが、頑として退かなかった。

もちろん地区予選は勝ち抜き、県大会も勝ち抜いて、優勝を飾った。

その多くの功績は、御坂先輩にある。大会の中でも、御坂先輩の運動能力は群を抜いていた。

私は大会を進めていく中で、拍子抜けをしてしまった。

対戦選手の強さでは無く、御坂先輩のことについてだ。

なぜなら、他の先輩方が話していたのとは、全く違っていたからだ。

先輩はまるでパートナーがいないようにすべてを取りに動き、たった一人で勝利を収める自己中心的なプレーをするのだと、聞いていた。

しかし御坂先輩は全く正反対で、私のことを考えたフォーメーションやアドバイスをしてくれた。

点を取られるのは、私のミスしかなかったが、御坂先輩は全く気にした様子もなく、自由にやらせてくれた。

そして御坂先輩と私でした約束事があった。

点を入れた時にはハイタッチ。

点を入れられてしまったときには「大丈夫だよ」と言ってあげる。

失敗したときは、謝る。

サービスエースは抱き合う。

これを遵守しながら、試合を進めて行った。

もう御坂先輩と触れ合っても、緊張したりテンパったりしない。

でも御坂先輩のテニスをしている姿には、いつも目を奪われてしまいそうになる。前よりもさらにきれいになったと思うのは、私の目の錯覚だろうか。



そして全国大会決勝戦の前日、私と先輩はとある県の全国大会会場近くのホテルに一緒の部屋に泊まっていた。

このホテルは大会側が用意してくれたものなので、私が泊まったことのあるホテルより、何ランクも上であった。

私はソワソワと部屋の中をうろつきまわっている。

緊張よりも自分がこんな所にいるという場違い感が、私の気分を重くしていた。

他の選手の試合も見てきたのだが、御坂先輩よりは劣るが、私とはまるで比べものにならない巧さだった。

先輩はいつもと変わらず、何かの本をずっと読んでいた。先輩の顔は真剣そのもので、まるで人生の大勝負に出るような、そんな顔をしている。

「御坂先輩も緊張しているんですか?」

御坂先輩は本から顔を上げ私を見ると、「あぁ、とても緊張しているさ」と言った。

「そうですよね。明日で、先輩は引退なんですから、有終の美を飾りたいですよね」

「そういうことでは、ないんだが……」と御坂先輩がはにかんだ。

意味が解らなかったが、特に追求はしなかった。

それから美味しいイタリアンの夕飯を食べ、部屋のお風呂に入って、明日の為に九時ごろには、御坂先輩と並んで、布団に入った。

「つばさ、起きてるかい?」としばらくしてから、御坂先輩が言った。

「はい。なんか、ドキドキして、眠れないんです」

「そんなに緊張するのかい」

「まぁ、こんなにことになるとは、夢にも思っていませんでしたから……」

「そうか。明日は決勝戦だな」

「思い出させないでくださいよ」

「もし……」と先輩は小さな声で呟いた。

「もし優勝できたら、八時頃に宴会を抜け出して、浜辺に来てほしい」と御坂先輩が不思議なことを言った。

だけど断る理由がない。

「分かりました。優勝できればいいですね」

「そうだな」

私は御坂先輩の声を聴いている内に安心してきて、うとうととし始めてしまう。

御坂先輩との最後の試合……。

私は少しだけ寂しく思った。



翌日は、図ったように、雲一つない快晴だった。強くなってくる日差しは、私達の体力を奪っていく。

「15―30」と言う審判の声。

天気は最高にいいが、それは試合する選手にとってはあまり好ましいものでは無い。

日差しがぎらぎらと照りつけてきて、肌をフライパンに押し付けているのかと思うほどで、体力が目に見えるほど落ちている。

加えて、汗が滝のように噴き出ている。

汗は手に着くと、途端に滑りやすくなるし、着ている服にしみて、不快だし重く感じる。

私達と対戦相手は、ひたすら点の取り合いをしていた。

私達がとると、すかさず相手もとる。引き離そうとすると追いついて来るし、引き離されてしまうと全力で追いつく。

その結果、タイブレークまでもつれこんでしまった。

だから私の最大の弱点が、顔を出してしまうことになる。

要は、体力が選手の平均より下なのだ。一年たって、簡単な運動に耐えられるようになったが、それは元の貧弱な私と比べてであり、別に他の選手と比べて、体力がある訳ではない。

タイブレークになってから、私の足はほとんど言うことを聞かなくなっていた。

ラケットを持つ手が重い。まるで鉛のラケットを持っているように感じる。

それを対戦相手が狙わない訳がない。

私を集中攻撃してきている。どこへ打っても、私の所に戻ってきてしまう。

御坂先輩がカバーしているけど、それは御坂先輩の体力をも奪うことになる。

自分の守備範囲と私の守備範囲を掛け持ちしているのだから。

御坂先輩はまだ余裕そうな顔をしているが、私はそろそろ限界が近いんじゃないかと感じている。

御坂先輩は相手のチームのどちらの人よりも強いが、相手のチームは御坂先輩には劣ってしまうけど、良い選手が二人である。しかも考えつくされた完璧なコンビネーションがすごかった。

隙が、全くなかった。

どうしても私が足を引っ張ってしまうのだ。

バシュと、コートを射抜く黄色い球。

その球を打ったのは、御坂先輩である。

「7―6。マッチポイント」

パァン!

私は御坂先輩とハイタッチした。ほとんど義務感である。重かった腕が、その時だけ上がる。

ふらふらする足を押さえ、ラケットを構える。

もしかしたら、これで最後……。

そんなことを考えていたら、何処からか力が沸き起こってきたような気がした。

パァンと御坂先輩のサーブが、私の上を通っていく。

玉は一度跳ねて、待ち構えていた相手選手によって、打ち返される。私に向かって。

その球を私は御坂先輩に習ったスイングで、ノーバウンドで返した。

私が動けないと油断していた相手選手の横を通って、外側の線ギリギリでバウンドする。

完全に決まったと私が思ったその時、相手選手のもう一人の方が、その球を転びそうになりながら返した。

ガシャンとラケットがコートと擦れ合う音が響いた。

ラケットの真ん中には程遠い先端の部分にあたって、球は大きく上がり、ネット際に落ちてくるが、私は渾身の力を使い切ってしまっていたので、足がピクリとも動かない。

「良くやった」と御坂先輩の声が明瞭に聞こえた。

御坂先輩はボールが落ちてくる真下で、ラケットを持ち上げていた。ボールは吸い込まれるように、先輩に向かって真っすぐに落ちてくる。

バン!

先輩のスマッシュが会場内に大きく響いた。

それは相手選手の股の間を抜き、バウンドした後、壁にターンと気持ちのいい音を立てて、大きく跳ね上がった。そして小さなバウンドを繰り返し、相手選手の横を転がって、ボールは御坂先輩の足元に届いた。

「ゲームセット!……」

私は力尽きていたはずなのに、「やったぁ!先輩、優勝です!」と先輩に向かって叫び、ラケットを放り出して、先輩に抱き着いた。

「そうだな、よくやったな、つばさ」という無感動に近い御坂先輩の声。だけどその後に安心したように、大きな息を吐く。

私を抱きしめ返してきた。

その力がいつもよりもずっと強いような気がする。

先輩でも嬉しいんだとその強い腕の力から感じた。そして頭を撫でてくる。

「最後に決めたの、先輩ですよ」

頭が撫でられるのが、こそばゆく感じる。

「つばさがいなかったら、ボクはここにいなかったかもしれない」と先輩が奇妙なことを言った。

「こら、そこの二人。最後位、ちゃんと閉めなさい」と審判に怒られてしまう。

私と先輩は並んで、相手選手と握手をした。互いの健闘を称えあった。

「歩ける?」

「ちょっと無理かも……しれません」

気が抜けたからか、私は地面にフニャフニャと崩れ落ちてしまった。

「捕まって……」と先輩が私の膝の下と脇に手を入れて、私を持ち上げた。

「うわぁ……」

私は先輩の首に、思わずしがみついてしまう。

大観衆の中で、私は先輩からお姫様抱っこをされてしまった。

何故かこの時だけ、物凄いシャッター音が聞こえてきた。



「では、御坂・水無月ペアの優勝を祝して、乾杯!」

「乾杯!」

宮城先生の音頭で、全員がコップを高く上げた。

かちんかちんとコップが鳴る音。

先輩と私で泊まっていたホテルの中のレストランである。

宮城先生の計らいであった。多分、必要経費に入っているのだろう。

「じゃんじゃん、飲んじゃって!」と副部長がみんなのコップに茶色い液体を注いで回っていた。

この時に、話題にされたのが、最後のお姫様抱っこのことだ。

私は適当に相槌を打ちながら、楽しみながら夕食を食べた。

午後七時を過ぎても、宴会は盛り上がったまま続いていた。

私は隣の同級生に、「トイレ行ってくる」と伝えて、トイレの前を通って、外に出た。

どっぷりと日は暮れ、満月が顔を出していた。内陸から吹く風が、私を後ろから押してくる。

ホテルから浜辺まで、百メートルほどしかない。その道をぼんやりとしながら、歩いていく。

浜辺には、一人の女性が立っていた。

「御坂先輩……」

風が御坂先輩の髪をもてあそんでいる。先輩は煩わしそうに、髪を耳にかけた。

浜辺の砂を踏む音で気付いたのか、御坂先輩は徐に振り返った。

「やあ、来てくれたんだね」

御坂先輩の声には、少し緊張の色が窺えた。

「つばさと何から話そうかと、悩んでいたんだ」

「えっ?」

「だけど何も思いつかなかった。だから単刀直入に言おう」

御坂先輩がまっすぐ私の目を見た。

音が止まる。


「ボクは、つばさ、お前のことを愛している」


私は最初何を言っているんだろうと、最初に思った。だけど御坂先輩の目を見ていると、それが冗談ではないと分かった。

御坂先輩が私に愛の告白をしている。私はそれを理解していたが、だからこそ私は動けなかった。

私が答えなければならない。

だけど自分でも自分の答えるべき言葉が分からなかった。

御坂先輩は大好き。だけどこれが御坂先輩の言ったものと同等なのかが分からない。

それに女の子同士……。

さっきまで一緒に試合をしていたけど、これからは他人になってしまう。

それは、寂しいと思う。

だけど……だけど……。

そうやって頭の中で悶々と考えていると、「あっはっはっは……!」と御坂先輩が豪快に笑った。

「すまん。冗談だ。さぁ、早く戻ろう。主役がいなくなっては、みんなも困るからね」と早口で言って、ホテルに向かって歩き出した。

御坂先輩の声が少しだけ震えている。

先輩はいつも通りの足取りで、私の背後にあるホテルに向かう。

先輩が私の隣を通っていった。

私は振り向いて、「ごめんなさい。ちゃんと、ちゃんと考えておきますから、待っていてください」とそのさびしげな背中に対して、大声で訴えた。

先輩は足を止めて、「待ってる」とかすれた声で返事をした。


私も先輩に続いて、レストランに戻ったが、みんなは温かく迎えてくれた。

そして先輩も私もいつも通りにふるまった。

何事もなかったかのように。

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