四_105 千年領主



「なぜこれを私に?」


 ロトニ・イルダンの表情は硬い。

 責める様子ではないが、返答次第ではお咎めなしで済む雰囲気ではない。冗談が許される関係ではないのだから。

 手にした板切れ・・・をもう一度強く睨み、ヤマト達に視線を走らせた。


「他に頼れる方がいないというのが本音です」

「ロトニ様なら悪いようにしないって思ったから」


 信用できる相手がいない。頼りになる人も。

 今後、ロトニ・イルダン以上に適した相手と出会える可能性は少ないのではないか。

 そう考えたから渡した。

 海皿砦で手に入れた、遺言の刻まれた板切れを。



「僕らの手には負えないですけど、どうにかできそうな誰かに渡してほしいって。知り合いから頼まれたので」

「ネレジェフを……操る者がいるとは、まったく」

「すみません」

「食事の時のあれは与太話ではなかったわけだな」


 数日前の食事の時にも質問した。

 ネレジェフを操る方法があるのならと。

 そんな罰当たりなものがあるのなら陸に上げて細切れにしてやる。なるほど、操れるとなればそういう手段も考えられる。


「本当にそんなものを操る手段があるというのならとんでもない話だ」


 板切れを手にしたまま窓の近くに歩き、光にかざす。

 色々な角度で見比べてから大きく息を吐いて首を振った。


「……カスタニの板。この風化具合から見て昨日今日作ったようなものではない。この木で作られた木工芸品は一級品でな」

「すごく丈夫で潮風にも強いって聞きました」

「ああ、王城の貴賓室でも使われる」


 刻まれた文字の風化は、それ以外の部分とほとんど遜色ない。

 最近刻んだ偽物ではなくて、少なくとも数十年以上の年月が過ぎたものだと判断できるらしい。

 そういう知見があるのもロトニが古くから続く領主家の当主だからだろう。



「君たちはサナヘレムスで厚遇されたと聞いている」

「……そうですね」


 否定はできず、ヤマトはやや苦い気持ちで頷いた。

 大司教の客として、主教からも便宜を図ってもらって。一介の旅人が受けられるような待遇ではなかった。


「ゼ・ヘレム教会幹部に頼れる人間はいなかったのか? 言うのもなんだが、私よりもずっと強い影響力を持っているはずだぞ」

「そんなことは……」

「この小さな自治領の領主とは比べ物にならんよ。人格的にも、ゼ・ヘレム教指導者の面々は極めて高潔で私利私欲などで動くこともないだろう。私もコカロコ大司教とは何度か話したこともある」


 ヘレムス教導区と隣接する自治領領主。会って話す機会があっても不思議はない。

 ロトニの目にも、コカロコ大司教は我欲で何かをするような人物には見えなかったと言う。

 その人物評についてはヤマトも異論はない。


「歴代の主教、大司教もそういう人となりだと聞く。先代にもお会いしたことがあるが同じように感じたものだ」

「……何もなさすぎて怖いと思った」


 ヤマトの代わりにアスカが言葉にする。

 言いようのない違和感。収まりの悪さ。


「普通の人と違うっていうだけじゃなくて、離れすぎてる気がしました。人は、あんなんじゃない。あんな風にはなれないって」

「僕も妹と同じです」


 人間らしくない。

 欲がないというのとも違う。彼らの心に根差しているものがまるでわからない。

 神の再誕が望みだと聞いたけれど、それだって自分が生きてこそではないのか。人の命には限りがあるのに。


 黄の樹園の治癒術士以上に気持ち悪い。

 あまりに遠い存在に感じられて、とても何かを託せるほど信用ができなかった。



「立派な人なのはわかるんです。だけど……」

「一般の人の悩みや困りごとを肌身でわかってくれる気がしなかった。そういう感覚」


 ヤマトもアスカも、なんと言葉にすればいいのかわからない。

 悪い扱いをされたわけでもないし、冷酷非道な振る舞いを見たわけでもない。

 だけど――


「人間とは思えない、と」

「……」

「気にすることはない。私も同じように感じたものだ」


 躊躇して言えなかったことを口にして、ロトニはふっと苦笑した。

 手にしていた板切れを窓近くのチェストに置き、片手を額に当てて天井を仰ぐ。

 小さく腹が震えたのは、笑いが堪えられなかったらしい。



「ニネッタ、よく連れてきてくれたものだ。すぐに発つなどと言っていたが最初から私に引き合わせるつもりだったか」

「そういうつもりはなかった。信じられないかもしれないが本当に」


 気やすく呼び捨てにされたニネッタが、ヤマトたちの後ろで首を横に振った。

 ロトニの私室。

 クックラは隣の部屋でペシェ夫人と待ってもらっている。


「引き合わせるのはフィフジャ君だけのつもりだった」

「俺を?」

「何かと話題の人間なんだ、君は」


 ニネッタの横でフィフジャが首を傾げる。

 ゼ・ヘレム教会で訳ありの育ちをしたフィフジャなのだから、会う機会があれば見てみたいと思う人もいるだろう。


「まさかこんな物を持っているとは知らなかった」

「それで私に預けろと言ってくれたわけか?」

「彼らから、これをロトニ様に渡したいと言われたんだ。昨夜」


 ネレジェフについて書かれた板切れ。ずっとフィフジャの荷物の中にあった。

 サナヘレムスではどうにも機会がなくて、そのままここまで。

 話し合い、ヤマトもアスカも可能ならロトニに預けたいと言った。フィフジャはニネッタに相談してみようと言うので彼に打ち明けた。


 渡して、どうにもできないのならそれでいい。

 ここで焼き捨ててもらってもいいし、蔵に放り込むのでも構わない。

 もっと言えば、仮にネレジェフを操る手段を得ても、内陸のさほど大きくない自治領領主ではそうそう悪用できないだろうという計算もあった。

 港を得るには領土を拡張しなければならないのだし、仮に他国と連携すれば情報が外に漏れる。絶対に秘密は守られない。

 悪用しにくく、人物としても信用できそうだと思ったからここで渡すことにした。



「これも何かの巡り合わせだろう。私も腹の探り合いはやめるとしようか」

「腹、ですか?」

「君たちが教会の思想に染まった人間かどうか。一連の騒ぎから考えてそうではないと考えていたが、やはり直接話してみなければ確証は得られんものだ」


 教会の思想に染まった狂信者なのか違うのか。

 スパイの可能性もあると考えて腹の内を明かさないのは領主として当然のこと。

 信頼するニネッタが連れてきたからと言っても。

 つまり、ロトニ・イルダンは――


「そのネレジェフを操る魔道具、今はどこにあると考える? イダ・ヤマト」

「……サナヘレムスじゃないかって。根拠みたいなのはないんですけど」

「聖堂都市サナヘレムス、そうじゃなければゼ・ヘレム教管理のどこかよ」


 訊かれなかったアスカが口を挟み、断言する。

 ロトニは満足そうに頷いて、もう一度頷いた。


「私ロトニ・ウォルンタース・イルダンも同意見だ。まだ若い君たちに少し昔話を聞かせたいが、いいかね?」

「昔話ですか?」

「当家は古さだけであればこの大陸のどの国家より長い歴史があるのだ」

「聞きたい。ぜひ聞かせてほしいですロトニ様」

「ジェゼック王国を滅ぼした教会勅令のことから、というところか」



 言われる前にアスカは返事をしていたが、まさに気になっていたことが符合する。

 勅令。食事の時にもそう言っていた。

 ジェゼック王国が滅びた当時の勅令だとか。

 ヘレムス教導区から発せられたそれがジェゼック王国を滅ぼしたのなら、ネレジェフを操る方法を回収したのもゼ・ヘレム教か。


「このウォルンタース家が千年続くのは、常にゼ・ヘレム教会を警戒してきたからだ。この木板を受け取る代わりに、君たちにもその歴史の重みを知ってもらおう」


 知識は時に重荷にもなる。

 知らなければよかった。そういうことも。

 古の時代から続く家の当主は、ヤマトたちを手ぶらで返してくれるわけではなさそうだった。



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