閑話 洒落双呪



「バカ言ってんじゃねえ。たかだか十のガキだろうが」

「もう十一だぜ」

「変わんねえよ。十一のガキに大の男が……船乗りだろ?」

「三人はその場で死んでた。腹刺された奴が次の日に死んで、あとは片目潰されたやつと右足に大怪我……ありゃあもうまともに歩けねえだろうな」


 信じられないという顔の相手に忌々し気に事実を伝え、はぁぁと深く息を吐く男。


「ノムヤんとこの船乗りだ。それで大旦那は大激怒。ヤルルーの若旦那が間に入ってなけりゃ、あの双子は今頃魚の餌だったろうよ」

「俺ぁ怒られ損かよ、くそったれ」

「帰ってきたタイミングが悪かったな」


 プエムの大旦那の機嫌が最悪な時に当たってしまったと、赤服の兵士がぼやく。

 片方の頬も赤く腫れている。先ほど大旦那様から張り手をもらったところだ。

 ノエチェゼの外の仕事から戻ってきて報告――成果はゼロだったわけだが――に行ったら張り倒された。


 七枝のノムヤ商会はプエムの子飼い。そこの船乗りがまとめて死傷。

 ノムヤは当然文句を言ってくるだろうし、プエムにしても何も得がない。

 それをやったのが、十を過ぎた程度の双子のガキだとは。



「あれがギハァトの血なんだろ」

「呪いの双子だったっけか。魚の餌にしといた方がいいんじゃねえの」

「聞いてたやつの話じゃ船乗りの方がからかったんだと。ほらあれ、娼婦のガキだって」

「あぁ」


 ゼフス・ギハァトに正妻はいない。

 正確に言えば現在はいない。長男デイガル・ギハァトが幼い頃に死んだそうだ。

 その頃はまだプエム家に雇われていたわけでもなく、流浪の武術家だった。


 プエムに雇われノエチェゼに腰を据えるようになってから、別の女に産ませた子供。

 ミイバとミドオム。

 なんの因果か、予言の日に生まれた呪いの双子。


「何言われてもニヤニヤしてるだけだと思っていたけどなぁ」

「あれも気味がわりぃと思うが、キレたらこんなだ。狩りやらが得意なのは聞いてただろ」

「人間相手にそれができるやつぁそうそういねえよ」

「いても困るぜ」


 なんで大旦那の機嫌が悪かったのか理由に納得して、兵士はもう一度大きく息を吐いた。



 その日から、ミイバとミドオムはたびたび揉め事を起こすようになった。

 次からは相手を選んで。プエムの損にならぬように。


「人間って思ったより簡単だね、姉ちゃん」


 恐怖心を置き忘れた双子は、相手を観察しながら淡々と。

 練習をするようだったとも言う。



  ◆   ◇   ◆



「……あんたみたいな小僧にゃここは早すぎるよ」


 彼女はそう言った。

 観察する。よく見る。

 目元から鼻筋は姉の曲線と同じ。耳は、自分と似ている。


「……足は?」

「知ってて聞いてんのかい?」


 寝台にへたりこんだままの姿勢で、きつと強い視線を向ける。

 馬鹿にしているのかと。

 そんなつもりはない。


「あのクソ野郎に腱を切られたのさ。どこのどいつか教えてやろうか? そうしたらあんた、奴にも同じ目をみせてやっとくれよ」

「ヤルルー・プエム」

「……なんだい、面白くないね」


 事情を知っていると聞いて、はんっと顔を背けた。

 寝台横の卓に置かれた瓶から噴き出る煙を、細い管を手にして深く吸い込む。

 酩酊する煙。水タバコ。



「……あんたもやるかい?」

「いいの?」

「いいわきゃないだろ、はっ! なんだい、見りゃあまだ十二ってとこかね」

「この前の春で十三になった」

「あんたみたいなガキにゃあ……あぁ、十三歳ってのはまた面白くもない冗談さ」

「冗談じゃないんだけどなぁ」

「……」


 彼女はもう一度水タバコの煙を含んで、ゆっくりと時間をかけて吐き出す。

 俯き加減に。


「……結婚を約束した男がいたのさ。ヤルルーの憂さ晴らしで殺された」

「そうなんだ」

「元の形がわかんないくらいの顔で帰ってきて、次の朝に死んだ。だからあたしはヤルルーを殺そうと決めた」

「それで?」

「うまくいってたらこんなところにいないだろうね。捕まって犯されて、なぶられて。頑丈だからってゼフスって男の子供を産まされたんだよ」


 自嘲気味に笑いながら、女の目尻から涙が零れた。

 見ても何も思わないけれど。


「用が済んだらここに放り込まれて……自分で死のうとしても、怖くてできやしない」

「怖いの?」

「わからないかい?」

「うん」


 女はこちらを見て、なんだか憐れむように薄く笑った。


「……あんたがもしあの双子に会えたら、どうか伝えておくれよ」

「いいよ、なに?」

「――――」



 難しいことじゃなかったから。

 だからミドオムは、彼女の願いを聞き届けた。



  ◆   ◇   ◆



「ミイバは?」

「ヤルルーの部屋だ」


 そうか、と。

 意味がわからなかったわけではないが、船旅から戻ったゼフスは短くそう返しただけだった。

 十三の娘が性豪と悪名高い男の部屋にいると聞いても、それで心が揺れ動くわけでもない。親子の情などないのだから。


「娼館をひとつ壊滅。娼婦も用心棒も半分以上死んだ。その足で戻って大旦那を殺して、若旦那も殺そうとしていた」

「お前が取り押さえたのか、デイガル」

「ミイバは若旦那が気絶させた。部屋に連れて行って十日になる」

「儂がいればこうはならなかった……とは言えんな」

「親父殿も怪我をしたとか?」

「ああ」


 船旅――リゴベッテ大陸からの帰路でほぼ塞がったが、まだ傷痕は疼く。

 折れた骨も繋がった。だが万全とは言えない。



「さすがは最強の魔導師。噂の方が足りぬくらいだったわ」

「そうか」

「刀を折られた。最後まで続けておれば儂が死んでいただろう」


 世界最強に挑み、惨めな敗走をしたのだ。

 ここらでやめにしようぜと言い出したのは向こうからだったが。

 肩から少なくない出血をしていたとしても、まだ魔術は放てたはず。見逃された。

 武器が折れたゼフスが破れかぶれの勝負に出た場合、予想がつかなかったという理由もあったにしても。


 ラボッタ・ハジロ。

 届かない高さではないが、厚みはゼフスを超える。

 一か八かで殺せたとしても勝ったとは言えない。仕切り直す機会があるのなら悪くないと割り切った。



「奴のことはまあいい。ミドオム」

「なんだい親父殿?」


 両腕を後ろに何重にも縛られたまま、いつもと変わらぬ感情の薄い笑みで応じる。

 呪いの双子の片割れ。


「騒ぎを起こすなと言ったはずだが」

「だって仕方ないだろ」


 ごく当たり前のように、ごく自然に。


「俺は娼婦の子なんだから」

「……」

「母ちゃんに頼まれたからさ」


 母に会ったのかと納得してしまった。

 ヤルルーを殺そうと挑み、敗れた女。

 敗れたもののかなりの身体能力だったと聞いて、もらい受けて子を産ませた。

 既にヤルルーたちからの定期的な暴力で心は折れていた。


 子を産めば後は用はない。

 変な情が移っても無駄になるし、産んだ双子は母がなければ龍を沈めるほどの宿業を背負っているとか。興味深い。

 生きていれば何かの役に立つことがあるかもしれないからと、プエム傘下の娼館に落とした。その後は知らない。



 どこぞの馬鹿が双子に吹き込んだのだろう。

 母親がどこそこにいると。

 無感情な性分だと思っていたが、母に会って何か変わったのかもしれない。

 母親を含めて周囲の人間を殺し、憎むべきヤルルーを殺そうとした。


「ヤルルーを殺せと言っていたか」

「いんや」


 ミドオムは、今度は本当に少しおかしそうに笑った。

 その態度が気に入らなかったのかデイガルが拳を握るが、片手で制する。


「あたしを殺してってさ。自殺ができないから」

「できぬ者にはできん。そういうものだ」

「だから姉ちゃんと一緒に殺した。でもさぁ、ほら。俺に母親を殺させたような奴が生きてるのっておかしいじゃん」

「……」

「子供に母親を殺させたんだぜ。そりゃあほら、悪いやつだろ。ヤルルー・プエムも死んだ方がいいって」


 だから早く縄を解いてくれよ、と言うように。

 なるほど、道理に適っているような気がした。

 この双子が喋るようになってから、初めて心中を理解できた気さえする。


 あまりに当たり前のように言うものだから、本心と感じられない。適当な言葉を並べているような印象。

 だがこれは本当に心からそう思っているのかもしれない。



「親父殿、こいつは――」

「わかっておる。縄を解けば真っ先に儂を殺そうとするとな」

「あんれぇ? なんでわかるんだ」

「たわけが。どちらにしろ今のお前に儂は殺せぬ」


 少しでも不快な相手は殺したい。消し去りたい。

 母親がいないせいもあるのだろうが、短絡的で幼稚な行動原理。

 しかし、その分だけ余計な感情がない。迷ったり悩んだりしない。

 こういう部分が、今のゼフスに足りないのかもしれない。

 ラボッタに届かなかったと実感している今だからこそ、自分にないものに期待を感じてしまう。


「ミドオム、今のままではヤルルーを殺すことはできん。儂とデイガルが邪魔をする」

「みたいだね」

「儂らを超えれば、後はお前の好きにすればよかろう。ちょうどいい物差しならリゴベッテにおる」



 次の船便で、呪いの双子はノエチェゼを追放された。

 病死・・した先代から家督を継いだヤルルー・プエムは、小娘がまた挑んでくるのを舌なめずりして待っていたのだとか。



  ◆   ◇   ◆



「ラボッタ・ハジロね」

「親父殿が刀を折られたってさ」

「そいつはすごそうだね」


 ラボッタを殺したらヤルルーなど好きにしていいと、ゼフスはそう言っていた。

 そうでなくとも、兄も父もまとめて殺せるくらいの力をつけて帰ればそれで済む。

 どちらでも好きにしろ、と。


 意地を張っても仕方がない。

 ミドオムはそう納得し、ミイバと共に海を渡ることにした。

 なんの当てがあるわけでもないが、とりあえず強い奴を観察し模倣し殺していけば今より強くなるのは間違いない。

 十三の自分たちにはまだ足りない。経験も実力も。


 力をつけてノエチェゼに向かうとしても、ギリギリでヤルルーを殺すのではだめだ。何も面白くない。

 圧倒して、殺さないでくれと懇願されてからが本番。本当の達成。

 当分はそのラボッタ・ハジロを目標とすることでいいだろう。



「ヤルルーは俺が殺すから任せてくれって」

「ミドオム」


 姉に呼ばれて、振り向いた。

 振り向いたところをぶん殴られた。


「ぶはっ!」


 船の甲板に転がる。

 本気で容赦のない一発だった。揺れる船の上という足場でなければ頬骨が砕けていたかもしれない。


「弟のくせにあたしに同情するんじゃないよ」

「……」

「あんたに心配なんかされなくってもあたしが殺す。弟が姉を憐れむなんてふざけやがってさ」


 船員たちは寄ってこない。

 ミドオムとミイバが危険だと知らないやつはいない。

 さっさと大陸の向こうへ渡してしまいたいという顔ばかり。


「次に生意気言ったらあんたはもう弟でもなんでもない。わかったかい?」

「……わかった、姉ちゃん」


 そうか、今ミドオムは姉を憐れんだのか。

 そんなつもりで言ったわけではなかったけれど。

 父よりなお強いと聞くラボッタを殺し、ヤルルーも殺す。

 船旅よりずっと遠い目標だと思って、なんとなく言葉にしただけだった。



 弟が姉を侮り、同情し、憐れんだりするのはふざけたこと。

 ミドオムがミイバを憐れむことは許されない。


 しかし、それが禁じられるのなら。

 惨めな娼婦はもう死んだ。

 この姉を憐れむことを許されないのなら、世界に他に憐れむ必要がある者なんていないだろう。

 生きている人間はみな虫けらと変わらない。無価値なものばかり。


「わかったよ、姉ちゃん」


 ミドオムはミイバを憐れまない。

 それが姉弟の約束。



  ◆   ◇   ◆

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