四_084 想い結び
「色々と大変そうなのは聞いてますけど」
そう前置きして、なのに表情には緊迫感はない。
「とりあえずこれ、頼まれてたものです」
「ありがとう、エンニィ」
久しぶりに顔を見せたエンニィが、ヤマトに何か渡している。
「しめて二千二百クルトです」
「たかっ!」
何を買ったというのか。
アスカの声に肩を
魔獣の皮や牙などを換金していくらかの金は手に入ったが、これではヤマトの所持金の大半ではないだろうか。
「だって一番いいのをってニネッタさんから伝言でしたから。うちの商売じゃなくて教会に僕が立て替えているんですよ」
「教会?」
ローダ行商会に手配してもらった商品ではないのか。
見れば、長方形の二枚の紙。
変わったことがあるわけではなくて、ただとても白い。上質紙。
訝しむアスカに、ヤマトは何かを確かめるように頷いた。
「結婚式を挙げよう、アスカ」
兄が狂った。
「……」
頭が回らない。
ぐるぐると、有り得ない考えがくるくる回るばかりで。
二枚の紙のうちの一枚を渡され、受け取り。
「……私が書く、の?」
「当り前だろ」
当たり前らしい。
互いの名前を書くことで婚姻届けみたいになるのか。
「……そう、いうことね」
言いながら考える。考える。
まさか本気で言っているわけではあるまい。だとすれば何か考えたのだろうたぶん浅知恵を。
「それがいいと思ってさ。うちのことでイルミと話していて」
「……」
フィフジャを助ける算段なのか。きっとそうだ。
アスカがヤマトと結婚することでフィフジャが解放され……るわけがない。
違う。だからこの結婚というのはそうではなくて。
「……なに?」
諦めた。
兄の考えを理解しようと言うのが無理だ。
いつも言葉が足りない。
自分の考えをアスカが察して当然というか、そういう困った信頼関係がある。
「だから、父さんと母さんの」
「……」
だから、というのに納得はいかないが。
「そういう話ね」
「どういう話だと思ったんだ?」
「馬鹿」
唐突すぎる提案に混乱させられたことに罵声を返した。
「いやだって、ほら。ここってこの世界で一番の教会なんだって言うからさ。そういう場所で正式に、母さんたちの結婚を祝福してほしいって言うか」
「もうわかった、馬鹿」
異邦人としてこの世界に迷い込んだ父と母。
その二人が、世界で最も権威のあるサナヘレムスの教会で婚姻を認めてもらう。この世界の一員として、一組の確かな夫婦として。
素敵な話ではないだろうか。
ヤマトはロマンチストだ。
アスカが考えないようなロマンチックなことを、恥ずかしげもなく。
くすくすと笑うクックラとイルミの声を後ろに感じつつ、にやにやしているエンニィに手を上げた。
「っと、僕に当たらないで下さいよ」
「知らないわよ」
ふんっと息を吐いて、殴るのはやめた。
今日はバナラゴ・ドムローダがフィフジャと面会する日だ。
もちろんついて行きたいけれど、それは出来ない。
ニネッタはバナラゴに付き添い、代わりでもないがエンニィが来た。
都合がいい。聞きたいことがある。
アスカがどう切り出すかと考えている間に今のやり取りが。
「これにそれぞれの名前を書けばいいんだよね?」
「そうですよ、縦書きで」
既に聞いていたのだろうが、ヤマトは再度イルミに確認する。
「本当は本人が書くんですけれど、先立たれたお父様たちの為にアスカ達が書くならいいんじゃないですか」
「そういう話ってあるの?」
「聞いたことありませんけど、素敵じゃないですか」
「別に誰が咎めるわけでもないですって」
イルミもエンニィも好意的な様子。
こんな紙切れを高額で購入したヤマトに、普段なら文句の一つも言いたくなっただろうけれど。
まあ、悪い買い物でもないか。
「この為に自分の名前だけは練習する人もいるんですって」
「さあさ、書いちゃいましょうよ。アスカは何だか変わった筆を持っていましたよね?」
良いことは急いでという習慣はどこにでもあるのだろうか。二人して示し合わせたようにアスカたちを急かし、クックラも興味深そうに覗き込む。
見られているのも落ち着かないが、荷物の筆入れボールペンを取り出してヤマトにも渡した。
しばらく使っていなかったので、ちゃんと書けるか自分の手に滑らせた。インクは平気だ。
白い上質な紙。
あの不思議な本の材質とは違う。少し表面がごわついているのは、家にあった襖の紙に似ている。和紙調というか。
『伊田芽衣子』
少し緊張してしまったが。
隣でヤマトも唇を結んでいる。
『伊田日呼壱』
二つの名前を揃って書いた。
「見たことない文字ですねぇ」
「なんて書いてあるのかしら?」
「イダメイコと、イダヒコイチだよ」
「メイコがお母さんで、ヒコイチがお父さんね」
ついでにクックラにも説明しておく。
『クゥ?』
呼ばれたと思ったのか、入り口付近で伏せていたグレイが顔を上げて、違ったかというようにまた伏せる。
「竜人の文字……とも違いますよね」
「うちの家族だけで通じる暗号みたいなもの、かな」
「へえ」
漢字など見たこともないはず。説明のしようもない。
「それで、これをどうすればいいの?」
不思議そうに眺めるエンニィに、何だか気恥しくなってきて紙を伏せる。
「縦に三つ折りにして……縦に折るのは頭からつま先まで通してという意味で、横にしてはいけないんですよ。互いに横は向かないという気持ちを現わして」
イルミの言う通りに縦に三つに折る。
元々長方形の紙が、さらに縦長になった。
「それで二つの紙を斜めに重ねて結んで……そうです」
折り紙のように。
とは言っても、アスカ知っているのは、ヤマトが子供の頃に作った折り紙の手裏剣など。
新しい物を買うことが出来なかった。家にあった折り紙はヤマトが使い切ってしまっていたので、アスカはやったことがない。
父と母の名を記した二つの紙が、結ばれてひとつになる。
手の平より少し大きいくらい。
「これをどうするの?」
「この紙は水に沈めるとゆっくり溶けるので、その水を住む家の近くの一番大きな木にかけるんですけど」
「家の……大事な木に、ってことかな?」
「ええ、そこに根付いて大きく育つようにと願って」
家の、と言われても。
普通の夫婦なら、共に住む家がどこかしらあることが多いだろう。
流れ者でもなければ。
「旅商人なんかだと、街道沿いの目印の木にかけるって言いますね」
「そう」
エンニィの言葉に頷きつつ、とりあえず出来上がった紙を懐の袋にしまう。
防水の小さなポーチだ。
「それは?」
「えっと、お母さんのSYASHI……姿絵、だけど」
「へえ、これはまたすごいですね」
アスカが肌身離さない防水ポーチの中には伊田家の写真が入っている。
一度海に落ちたこともあったが、中は浸水していなかった。
雨にも負けないけれど、写真が経年で色褪せてしまうのはどうしようもない。
「これがお母様?」
「うん、抱っこされてる赤ちゃんが私」
久しぶりに見る家族の写真。
ヤマトは、ノエチェゼで荷物を盗まれた時に失った。
あのことがあったから、入浴の際以外はしっかりと身に着けている。
じいっと見入っていたクックラが息を吐いた。
「きれい」
「この姿絵だけでもかなりのお金に……ああ、ごめんなさいごめんなさい」
無粋なことを口にしたエンニィをぽかりと叩いて、ポーチをしまう。
人の家族の写真に金銭的価値をつけるなんて。
お金に変えられないものがあるのだ。
「どこかで落ち着いたら考えましょ」
「そうだな」
ここまでのことは考えていたのに、最終的にこれをどうするかは考えていなかったヤマト。
兄らしいと思う。
家に帰れば、桜でも桃でも木はたくさんある。
帰れれば、だけど。
何にしろ今はここまでだ。他に考えなければならないことが。
「やっぱりヤマト達はズァムーノに帰る方がいいのかもしれませんねぇ」
「だとしてもフィフを助けてからよ」
エンニィに首を振り、目標を見つめ直す。
バナラゴがフィフジャに会いに行った。
ニネッタも共に。とりあえず今の時点での無事を確認する。無事でいるはずだ。
フィフジャの囚われている場所がわかれば、次は助け出す算段だ。
アスカたちの隠密能力は決して低くない。
忍び込み、治癒術士がいれば無力化する。
殺すつもりはないが、それさえその時次第だ。
ノエチェゼでアスカは人間を攻撃することを躊躇った。
あの時は何とかなったが今度はどうなるか。先に腹を据えておく。人を殺さなければなないかもしれないと。
フィフジャを助け出したら、出来るだけ早くこのサナヘレムスを離れよう。
この町は、色々と難しい。
イルミには申し訳ないが、アスカ達にとって危険が多すぎる。
自分たちもそうだし、フィフジャも危険で、クックラのこともあるのだ。
そうでなくとも次々と人が死んでいく。
異様なことのはずなのに、誰かが死んだとしても町は前の日と変わらず進んだ。
社会というのはそうなのかもしれないが、どうにも気持ちが悪い。
フゲーレのことは、誰にも言えなかった。
そもそも深緑卿の御苑の奥で死んでいるなど、どう説明していいのかわからない。
ことによれば、またアスカ達に覚えのない容疑をかけられるかもしれない。
申し訳ないけれど、フゲーレの亡骸はあの森の中のまま。
上司のセルビタはフゲーレは逃げ出したものと考えていて、好意を寄せられていたイルミは特に気にした様子もない。
報われない。
死に様に報いがあることなど少ないのかもしれないが、哀れだ。
ああ、そうか。
結ばれなかったイルミとフゲーレのことがあって、だからヤマトは父と母の結婚式などと思ったのだろう。
誰より結ばれてほしいと。報われてほしいと。
もし両親の魂が見ていてくれたのなら、きっと喜んでくれた。誇りに思ったはず。
幽霊になってしまっていたら、それはそれでヤマトは困るかもしれないが。
本当なら。
フィフジャが見せたかったのは本当は、今ヤマトがしたような優しい世界だったのではないだろうか。
森の奥で、誰とも関わることなく生きて来たアスカ達に、世界はもっと広いのだと。
たくさんの人が生きて、様々な営みがある。
何も知らないアスカとヤマトに、この町や様々な人々の暮らしを見せようと。
自分だって他人との付き合いが得意そうではないくせに、保護者として多くの見聞をもたらしてくれた。
フィフジャがいなければ、こんな場所に来ることはなかった。
大変だけれど、ここに来たことを悪く考えたくない。これも一つの経験で、糧として皆でこの次に旅立つ。
その為にもしなければならないことは。
「エンニィ」
改めて名を呼んだ。
「はい?」
「フィフを助けるのに協力してくれるよね?」
確認をする。
「あなたは、フィフの味方よね?」
「味方って言うか」
敵か味方か。
見た目だけではわからないことを言葉にしてもらう。
「利害を置いといても、フィフジャさんは友人ですから」
フィフジャが唯一なんの遠慮も見せない若者は、商売人らしくないことを嘘でもなさそうに口にして。
「ま、面白そうですし協力は惜しみませんよ」
こんな時でも悪戯小僧のような顔をするのは照れ隠しか。それとも本心だったのだろうか。
◆ ◇ ◆
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