四_079 深緑の奥_2



 呼ばれている?

 気のせいかもしれない。その可能性の方が高い。

 住み慣れた森の雰囲気。それに近しい深緑卿の御苑の奥地に足を進めたいと、ただのホームシック的な感情なのか。


「何かあるのかもしれない」


 直感で決めることに躊躇する。危険かもしれないのだから。

 だが、ヤマトが感じて、アスカも同じように迷うのなら。可能なら確認しておきたい。


「行ってみよう、ヤマト」


 迷っていても仕方がないとアスカが決めた。


「少しだけな。危険だと思ったらすぐ戻る」


 手探りで進んできた。

 それはヤマト達だけではない。父や母も、見知らぬ世界を手探りで生きてきた。

 そうして進んだ先に今があるのなら、これも何かの巡り合わせ。必要な何かがここにあるのかもしれない。

 気のせいかもしれないが、間違えたら引き返せばいい。気になる疑問を放置して後に引き摺るよりはいいだろう。



 グレイを先頭に中心側へ。手近の木の幹にダガーと棍棒で目印を付けながら進む。

 何かあればクックラには真っ先にこの方角に逃げるように伝えて。

 ヤマト達の気配に、周囲の獣が逃げていく音があった。少なくとも獰猛な肉食獣は近くにいなさそうだ。



 しばらくの間、言葉を交わさずに森の中を進んだ。

 静かだ。

 人がいないというだけで、世界はとても静かに感じる。他の物音はあるけれど、心が静かに研ぎ澄まされる。


 笛の音のようなものは聞こえ続けていた。音の強弱はあまり変わらない。

 微かに聞こえた呻き声のようなものも、時折耳に届く。

 こちらも距離が近づいたような印象はなかったが、元々が随分と遠かったようだ。かなり進んでから、近付いていることを感じ取れた。


 相当な距離を小さな音が響く?

 疑問に思ったが、そういえばヤマトも似たようなことが出来る。


 音を伝える魔術。

 振動を他の物に響かせてスピーカーのように。


 あれをやるときは太鼓の原理を思い浮かべている。

 空洞があるから跳ね返る音が響く。ただの板切れを叩いた時の音ではなく、空洞に反射させるようなイメージ。

 自分の喉でそれを行ったり、樽や木の虚などにその振動をぶつける。音に指向性を持たせるように発する。


 魔術ではないと言われるし、実際に違うのかもしれない。

 なんとなくヤマトは魔術だと思っているけれど。

 空気だけではなく、水が詰まった樽や瓶でも割とよく響くものだと確認してみた。あまり使い道はないが。



 ヤマトがする声の魔術のようなことをしたのではないだろうか。


(した?)


 誰が、それを。

 誰かがいるのか、この先に。


 ――超魔導文明の罪人が、朽ちた身で這いずり回っていると。


 嫌なことを思い出してしまった。

 そういえばこの深緑卿の御苑、危険で誰も立ち入らないという話だったではないか。

 ここまでにそういう気配はないけれど。


 ――生きている人間を見ると、足首を掴んで地の底に引き摺り込むと言われている。


 子供だましの怪談。そういうことだったはず。

 だが、思い出してしまうとつい思考が偏る。

 薄暗い場所で、どこからか耳に届く低い音。



「……アスカ」

「なに?」


 引き返そうと言いたくなって声を掛けるが、アスカはこちらを見ずに周囲を見回している。


「ここ、危険な魔獣がいるって話だっただろ」

「あれはたぶん嘘ね」


 木々や足元に視線を回して、かなり確信を持った様子で否定する。


「全然いないわけじゃないかもしれないけど、いても数少ないと思う。そういう痕跡ないでしょ」


 野生の獣。食物連鎖の上位にあるようなものなら、痕跡を隠すことは少ない。

 糞尿や縄張りを示す爪の跡など、そういった物が目につかない。

 見聞きした伝聞ではなく、実際に目にする森の様子からの判断。


「危険なのは方向感覚かな」


 改めて頭上に目をやり、それからヤマトに向き直った。


「さっきの道もそうだけど、ぐるぐる回ってるみたいな感覚。ZIKI磁気が変なのかも」

「じき?」


 アスカの言葉がわからなかったクックラが訊ねたが、今は説明しづらい。


「どこからかわからないけどずっと響いてるこの音と、太陽の位置もわかりにくい」

「そうだな」

「奥に入ると方角を見失って迷っちゃうんじゃない?」



 と言っている間に、木々の影に何かが揺れた。

 大きい。大人くらいの大きさの焦げ茶色の何か。

 石猿よりも分厚く、だが動きはさほど早くない。図鑑でしか知らない熊というのに似た雰囲気。顔形まではわからない。


 大森林で見た白熊――ブラノーソと呼ばれるあれよりは小さいが。

 向こうはヤマト達に気が付いて、しばらくうろうろした後に逃げ去っていった。

 こちらの数が多く、グレイもいる。不利と考えたのだろう。



「いるじゃん」

「だから全然いないわけじゃないって言ったでしょ。一人で迷っていたらあれに食べられちゃうかも」

「う……」


 身を竦めたクックラがグレイに手を伸ばし、グレイがその手に頭を擦り付けた。心配するなと。

 見たことのない魔獣だったが、群れを作るタイプではないらしい。

 おそらく食べ物にも不足していないので、無闇に襲い掛かるようなこともない。


「ま、うちに近い感じね」

「家の周りは慣れていたけど、そうだな」


 方向感覚が狂いそうな深い森。

 生まれ育ったわけでもないここではヤマトも迷いそうだ。


「それにしたって、もう少しじゃない?」

「ああ」


 中心側に踏み入ってから、およそ二時間以上歩いてきた。思った以上に広い。

 聞こえてきていた呻き声のようなもの。それが近づいてくる。これほどの距離で音を伝えたのならやはり尋常ではない何かがある。

 ここまで来たのだから、確認できるものならしておこう。




 もうしばらく進むと、急激に緑が深くなった。

 そこまで目線辺りには茶色系統の景色が続いていたが、急に足元から蔦やら短い木やらが生えて緑が多い。

 何かを覆い隠すように、緑色の壁のように。


 目を上げれば先に空が見える。

 緑の先には背の高い樹木がない。

 出口……ではないと思うのだが。


「ここが中心って感じね」

「そうみたいだな」


 アスカが手にしたダガーで茂みを切り払った。使い慣れた鉈があればもっと楽だったかもしれない。


「きゃっ! もうっ!」


 葉っぱについていたのだろう粘体の何かが腕につき、悪態をつきながらそれを払いのけた。

 ナメクジのようなもの。大きさは手の平よりまだ大きい。


「危ないかもしれないから」

「平気よ、平気」


 ナメクジごときに悲鳴を上げてしまったことに腹が立ったのか、アスカの勢いが増す。

 逞しい。まあ虫やらナメクジやらできゃあきゃあ言われても困るけれど。


 ヤマトも手伝い、茂みの中に道を開く。

 思った以上に茂みは分厚かった。



 払った先の視界が明るくなる。

 思い出した。フィフジャと共にあの大森林を抜けた日を。

 あの日も、こんな風に茂みを払いながら進んだような気がする。朱紋に追われて。


 抜けた先は円状に開けた場所だった。

 先ほどの道とは違う。丸い広場のよう。


「……」


 中央にオブジェのように在る者が。


 物ではなく、者。人の形。

 立っているわけではない。そこに据え付けられるように存在する。



「な……に、これ……?」

「……槍」


 コケと蔦に覆われているけれど、人の形をしている。形作っている。

 その胸に、両手で持った槍を突き刺したまま。

 手は覆われていない。頭の辺りも覆われていない。黒っぽい長い髪が耳の横を流れて蔦に絡まっていた。


 槍は、自ら突き刺したのだろうか。抜こうとしていたのか。

 逆手に持った形で、三日月のような切っ先が地面に突き刺さてその身を大地に繋ぎとめて。


「僕の……」


 手にしていない。

 今は手にしていないけれど、その槍の白い質感は、ヤマトがいつも持っていたそれと同じ。

 形は違うが、伊田家で使われていたものと同じ材質の、先端が鋭い三日月型になった槍。槍斧。



「っ‼」


 ぎろり、と。


 瞳が、こちらを見た。

 かつて感じたことのない悪寒。

 クックラを引っ掴み、思い切り距離を取る。


「MaaDueeeee!」


 叫んだ。


 森を震わせるような低く重い声が、口を開けたわけでもないのにその体から溢れた。


「アスカ!」

「わかってる!」


 距離を取った場所が、出て来た場所を少しずれた。けれど選んでいる余裕はない。


 少しでも開けた場所に。近くの茂みの少なそうな場所を選んで飛び込む。逃げる。

 あれが追ってこれるのかわからないが、とにかく茂みの中に。


 叫んだ。喋った。

 生きているというのか。あの状態で。

 そして、激しい感情をぶつけてきた。ヤマト達を見て。


 まともな生き物ではない。

 精霊種というものかわからないが、とにかく普通の生き物があの状況で生きていられるわけがない。

 まさか本当に、超古代文明の時代の罪人が、死体となって動いているというのか。


 極めて危険。

 叫んだ言葉にも疑念が湧くけれど、とにかく後だ。



 茂みに飛び込み、まだ響いてくる叫び声から逃れようと走る。

 クックラの手を引き、グレイはまだ後ろだ。


「うぶぁっ!?」

「ひぁっ!」


 すっ転んだ。

 何かに蹴つまづき、盛大に転ぶ。クックラに怪我をさせないよう抱きしめながら。


「ヤマト!」


 アスカの焦った声が聞こえたが、幸い柔らかい何かにぶつかり大したことはない。あちこち擦り剝いたかもしれないが。


「ぶ、ぶっ……へい、き……」


 では、なかった。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 クックラを抱えたまま、無様に尻を着いたまま後ずさる。

 元来た森の中心側。アスカのいる方に。


「おばっおばけ! ZONBIゾンビ!」

「ちがうばか!」


 アスカの足を背中に感じながら、わたわたとぶつかったものを指差した。


 死体。

 人間の、まだ生々しい死体が転んだヤマトを押さえたのだ。

 だらりと垂れた手が、ぶつかったヤマトの肩にかかって。


 お前も来いと言うように。


「違うわよ! お化けじゃないから!」


 ぐいっと、首を抱えて抱きしめられた。

 耳元で、強く囁く。


「ただの死体! 動いてない!」


 ただの?

 それ・・を、ただの死体だなんて呼べない。

 生きている時を、動いている姿を知っているからなのか。頭が理解することを拒む。


「こっち!」


 まだ後ろから響く叫び声から逃げるように、アスカに引っ張られた。


 引き摺り込まれた。

 地の底に。

 先ほどヤマトがつまづいた窪みから、そこから続く地面の下へと引き摺り込まれた。


 折れた枝を胸から生やした見習い料理人、フゲーレの亡骸を後に残して。



  ◆   ◇   ◆

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