四_074 禁足の稜線_2
「……は」
何を言われたのかを反芻して、間の抜けた声が漏れる。
神の再臨。
「治癒術士たちの命題は……存在理由は、ヘレムをこの地に再臨させること」
「……」
カリマの表情に、特別な感情は見えない。
気づかぬうちに、ムースは顔を上げてカリマの顔を直視してしまっていた。
何を言い出すのかと。
「それこそが数千年の間受け継がれる治癒術士の信念であり狂気です」
「すう、せん……?」
考えが及ばない。神がこの地から消えて以来ということなのだと思うが。
冗談や御伽噺なのか。
カリマの表情はひどく冷たく、そういう様子にも見えなかった。
直接顔をまじまじと見るなど不躾なことだが、視線を外すのを忘れた。忘れなければよかったと後で後悔することになる。
「神を造ろうとしているのですよ、彼らは」
馬鹿なことを。
「そのようなこと、許されるはずが……」
不遜で、不敬で。人間の領分を超えている。
違うのか。失われた神をこの地に戻すことは、信仰に沿ったことなのだろうか。
なぜか失われた神を、ヘレムを、このサナヘレムスに再び迎える。
想像もしなかった。それはもしかしたらムース自身が神の実在を心のどこかで信じていなかったから。
伝説に言われているだけで、もう世界のどこにも存在しない。
最初から存在していなかったのかもしれない。
当時確認されていた精霊種などから、昔人がその根源を語り綴った作り話のように。そんな風に捉えていたのかも。
治癒術士は違う。
神の存在した過去を信じて、その再現を為そうとしている。
浮世離れした言動も不可解な言動も、目的意識がまるで違ったせいで理解できなかったのか。
狂信。
ただヘレムの教えに従い生きるというのではなく、有り得ないほど近くに神の傍にあろうと。
そんなことを、数千年。
ムースが知る歴史は千年前まで。衛士長の教養として聞いた歴史。
その数倍の時間があったとカリマは語っている。
表情は相変わらず冷たい。冷たいというより、あまり関心がないのか。
途方もない歴史を、退屈な劇でも見てきたかのように。
「神を……かつて人は、命を造ろうとして神の怒りに触れたと」
「そう言われています」
「ならば、このような行いが許されるはずがない……ないでしょう?」
「それを断罪する誰かが必要だから、生み出そうとしているのかもしれませんね」
溜息と共に。
治癒術士の長であるはずのカリマが、治癒術士の長い歴史の中の至上命題に無関心。無感動。
意味がわからない。
わからないことと言えば、もっとわからないことが。
「仮にその目的だとして、あの兄妹に何が」
「ズァムーノ大陸から来たのだとか」
カリマの視線がわずかに下を向いた。哀れむように。
「欠片の可能性です」
「欠片……まさか神の……?」
「ヘレム最期の地、ズァムナ大森林。その森の奥から……時を超えて戻ってきた欠片なのかもしれない。彼らのどちらかが」
欠片だと。
ばらばらになった、という意味だろうか。
神の肉片。そんなものを世界中から集めて、神を造ろうというのか。
頭がおかしい。常軌を逸している。
「精霊種のような異質な存在。そういったものを探し集め、神に至る手がかりにしようと探求を続けてきたという話です」
「……ずっと、こんなことを」
「数千年の歴史と言いました。私もその全てを目にしたわけではありません」
確かに言われた。それだけの時があれば、今回のことだけではあるまい。
世界中に散った神の肉片と思われるものを集め、継ぎ接ぎのようなことをしてきたのか。
破れた服を繕うように、見つけて繋いで。
今もしているのか。
「妖魔〈朱紋〉に精霊種ルドルカヤナ。彼らが森の深奥を守り続けています」
あまりに長い時間があったはずなのに、なぜその場所を調べられなかったのか。
「朱紋を討つ為に、ユエフェンの
「黒鬼虎を?」
「人や猿に強い敵意を示す黒鬼虎だからと。環境には適応したものの、目的は果たせていないどころか探索を困難にしただけでしたね」
皮肉気に息を吐く。
「ズァムーノ大陸南部に逃げ延びた
その歴史はムースも知っている。
九百年ほど前に、魔人族の大攻勢により人間の生活圏が大きく脅かされたと。
千年周期と言うことは、その前から似たようなことが繰り返されてきた?
妖魔に精霊種に加えて森の魔獣と、人類に対する敵対勢力。
それらが重なり、ズァムナ大森林の調査はされてこなかったという。
「過去には多数で森に挑んだこともあったそうです。治癒術士も含めて、向かった者の誰一人戻ることはなく」
失敗を重ねて、踏み入ることが出来なかった。
大森林の調査など何を目的にと思ったが、聞いてみれば理解できる。
優れた探検家を集めて大森林奥地の調査をしたい。不思議な話ではない。
「このことは、ヅローアガ主教もコカロコ大司教も?」
「もちろん知っています」
当然の答えだった。
教会全体として取り組んでいる太古からの事業ということなのか。
ゼ・ヘレム教として最大の課題。神の復活。
「彼らは別の方向から試そうとしている。やり方の違いは時に治癒術士と対立することもありますが」
「対立?」
主教と大司教が教母と対立するなど聞いたことがない。
あまり面白くないことを言っているはずなのに、カリマの表情は少し柔らかくなった。
「治癒術士の手法では神に近付けないと。だから別の方法を試みる者もいるのですよ」
最終目的は同じでも、歩む道は別のものを選ぶ。
協力できることと、逆のことも発生する。そういうことらしい。
「……あの兄妹が、その欠片だと言うのですか?」
理解できないことだが、そういうものが存在すると信じるに足る事実を、治癒術士は知っているのかもしれない。
「トゥマカたちはそう思ったのでしょうね」
遥か昔から受け継がれてきた使命の鍵になるかもしれない。だから拘る。
「わたくしにはわかりませんが、そうと信じる治癒術士は何を言っても聞かないでしょう」
「カリマ様のお言葉に耳を傾けないなど、そのようなはずが」
「ムース」
名を呼ばれ、微笑みを目にする。
年齢を感じさせない美しさ。思わず息が止まった。
「神は……ヘレムは、わたくしよりも上にあるのですよ。彼らにとって」
「……」
比較するのなら、そうだろう。
誰と比べるのだとしても同じこと。疑問の余地はない。
「……あの兄妹が必要だと言うのなら、それはわかりました」
なぜだろうか。
どうしてカリマは、ムースにこんな話を聞かせたのだろうか。
違和感を覚える。誰かに聞かせていいような話ではない。
治癒術士が彼らを捕らえようとした時にも、こんな理由を説明したりはしなかった。
当たり前だ。いくら治癒術士が狂気に駆られていても、治癒術士以外には明かさぬだろう。それを。
胸中に浮かんだ不安から逃げようと言葉を探す。
「必要であれば、私が彼らを捕らえてきます」
守りたいものは、黄の樹園の平穏。
それは自分の身を守ることにもなる。そのついでに弟弟子を助けてやれたらと思っただけ。
あの兄妹のことは、哀れには思っても所詮は他人だ。優先度は低い。
「そうですか」
カリマはムースの言葉に何を思う様子でもない。
先ほど話していたような無関心。用が済んだ道具でも見ているかのよう。
言葉を探して、足す。
「それで解決するのなら自分が」
言い訳のように。
「ですから、フィフジャのことは……」
自分の為ではなく、フィフジャの為だと。
嘘だ。
自覚する。今は自分の恐怖を誤魔化す為に言葉を継いで、継ぎ接ぎして。
言いながら、不自然な言動だと自覚するが、止まらなかった。
およそ誰に聞かせるはずでもない話を聞かされ、用済みとなったような気がして。
「フィフは」
カリマが再び微笑を浮かべた。
ムースの嘘など明らかに見通して、その笑みが深く、深く。
「フィフは、放しません」
「……」
微笑が崩れ破顔し、そして艶笑で満たされて。
「バナラゴ・ドムローダに面会を許可しましょう」
「……」
「ですが、フィフは行かないでしょう」
奥歯が震えるのを噛み締めて、頷く。
見たことのないカリマの表情に怯え、ただ頷くしか出来ない。
「それがあの子の為です」
立ち上がり、自らの身を抱くように腕を肩と腹に回して。
「わたくしがそう望むことを、あの子も喜ぶでしょう」
殺されるかと思った。
殺されないで済んだ。
ムースはそれだけ認識して、何度も頷く。
私室へと去っていくカリマの背中から尻は、妙な悦びに震えているようで。
見送ったムースは、だいぶしてから、自分の流した汗で寒さに震えていることに気が付いた。
知らなくていいこともある。
立ち入ってはいけない線の向こう側。そういう場所があるのだと。
そう知っていたはずなのに、不用意に踏み入った自分をひどく後悔した。
◆ ◇ ◆
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