四_073 禁足の稜線_1



 ムースの立場でも、望めばいつもカリマ・セスマムコーレに会えるわけではない。

 火急の用件というならともかく、そうでなければ。


 カリマ自身、気儘きままな部分もある。

 ふと思いついたように彼女だけが手入れしている庭にいることもあるが、そうでない時は黄の樹園の最奥殿に。


 小さな窓しかない薄暗い部屋。

 謁見用にカリマが座る椅子が中央にあり、それとは別に隅には黒い大きな机と椅子も備えられ、ここで簡単な執務も出来る。

 衝立ついたてに遮られて見えない向こうには、カリマの私室に繋がる戸があった。


 部屋の前の鉄扉――金属的な質感の扉――を叩き、膝を着いた姿勢で待つ。


「教母聖下、ムースです」

「……」


 返事はない。だが室内にはいるはずだ。

 私室には併設された浴室などの水回り設備もあるということで、カリマはここから出る必要がほとんどない。

 彼女は体が弱いのか、他の建物で定期的に治癒術士に診療を受けていることもあった。今日はそうではないはずだ。



 治癒術士は医者ではないが、それらしいこともする。

 他国では真似の出来ない、体を切開しての治療という技術も有していた。

 詳しいことはムースも知らない。神から伝わった技法なのだと。


 治癒術士はおそらく、世界で最も人体の内部に詳しい人間ということになる。

 その知識を求めて他国から招聘されることもあった。自分や家族の病に不安を覚える者は後を絶たない。

 今も何人かは各地の貴族近くにいるはずだ。護衛の衛士も付き添っている。



 金銭の対価も受け取っているが、彼らの目的はそれだけではない。

 他国の内部情報を集めて教会本部に送る。

 最近では聞かないが、もっと昔には見過ごせない情報もあったのだとか。


 超魔導文明の遺産。あるいは神の遺産。

 そういった中でも特に危険とされるもの。

 入手した者が悪用している場合もあり、教会として回収や破壊の指示を出したこともある。


 密偵だ。

 治癒術士やそれに付き添う衛士は、教会の密偵の役割を担う。


 表向きは治癒術で恩を売ることを目的としていて、実際にそれも果たしている。

 奇妙な口調と普通と外れた独特な感性は、浮世離れした治癒術士という印象にも役立っていた。

 素っ頓狂で浮いている。悪目立ちする彼らが密偵だと思われることはまずない。


 治る見通しのなかった怪我や病気を解決してくれる、風変わりな聖職者。

 つい余計なことを話してしまう人間は少なくない。治療の為になどと言って聞き出す話法もある。


 ムースは、不向きだった。

 感情が表に出やすい。そういう自覚はないが、腹芸に向いている性格ではない。

 生まれついての性分については仕方がない。別に密偵の仕事をしたいわけでもなかった。




 ムースが幼い頃、サナヘレムスを含むヘレムス教区は大きく揺れた。

 狂い秋月。

 エメレメッサの最後の予言がもたらした混乱は、その日生まれた者だけを不幸にしたのではない。


 ムースの住んでいた村も暴動が起きて、両親や姉はその混乱に巻き込まれて死んだ。

 生き延びたムースだが、元の村には帰れない。

 何とか食えるものを探して生き続けた。



 才能と言うか適性というか、ムースは命を繋いだ。

 一人で数年を生き延びたムースはラボッタに拾われ、彼がサナヘレムスに作った施設で育つことになる。

 他にも十人ほど弟子はいた。もっといたが、実地訓練や何かで死んでいった者も。


 弟子の中では、ムースは出来が良かったのだろう。

 教会から衛士に足る人材をと言われたラボッタがムースを挙げた。

 そうしてサナヘレムス教会直下の衛士になり、今がある。



 暴動のことは、今でも口惜しい。

 誰の悪意ということもない。集団心理というやつだ。

 せめて今の自分の手が届く範囲では、理不尽な死を可能な限り減らそうと。そう思っている。


 弟子として一緒に暮らした中の、死んでしまった者のことも。

 ラボッタはまるで気にしていなかったが、ムースは道場の角に名を刻んだ木札を下げた。

 共に暮らしたなにがしかの縁だ。せめてもの弔いに。

 誰もが、他に身寄りのない者ばかり。名のひとつくらい残してやりたかった。



 そこにまた、好き嫌いはともかく、誰かの名を刻んだ札を下げるのは気が進まない。

 生意気で不遜で無愛想な男でも、ムースにとっては弟弟子。

 治癒術士が強引に拘束させた理由は知らないが、処刑されるようなことをしていたわけではない。


 黄の樹園になぜか存在する牢に閉じ込め、とりあえず今は無体な体罰などは加えられていない。

 しかし、このまま放置すると、あの兄妹が助けに来ようとするのではないか。

 それを待ち構えているのだろう。


 もしあの兄妹に何かあれば、フィフジャはきっと怒り狂う。

 そうなる前にどうにかならないものか。治癒術士の行動原理がわからずどうすればいいのか。




「入りなさい」


 扉の前でずっと頭を下げていたムースに、部屋の中から声が掛かった。


「失礼いたします」


 鉄扉は重いが、留め具の蝶番が特別製なのか開け閉めに支障はない。

 中央の椅子に腰かけるカリマはわずかに湿っていた。湯上りだったのか。

 時間がかかったわけだと納得すると同時に、バツの悪い気持ちも浮かぶ。



「申し訳ありません。お休みのところを」

「予定にない面会など、あなたにしては珍しいですね」


 怒った様子ではないにしても、不調法なムースの訪問は褒められたことではない。

 ゆったりとした淡い蒸栗色むしぐりいろの襦袢の上に、赤紫の上掛けを羽織っただけの簡素な装いのカリマ。


「気にしなくて構いません」


 いつも通り薄暗い部屋の中央の椅子に座り、頭を下げるムースを見下ろして声を掛けた。


「忙しい身ではありませんから」

「……」

「フィフのことでしょう?」


 見通していたのか。

 あるいはカリマ自身も、フィフジャのことを考えていたからかもしれない。


 ムースがフィフジャを知っていると聞いてから、時折呼び出されて彼の話を求められた。

 事情はわからないが、幼少期のフィフジャを知っているカリマは何かしら彼に思うところがあるらしい。


 どういう感情なのかを探るつもりはない。

 だが、特別なのだとはわかる。



「その通りです。フィフジャ・テイト―のことで」


 誤魔化す必要もない。


「あれは危険です」


 思った通りのことを、繕わずに口にした。


「このままではカリマ様に……黄の樹園に混乱をもたらすかと」

「フィフが危険、ですか」


 溜息交じりに繰り返す。ムースの言葉を否定するわけでもなく、責めるような色もない。


「トゥマカ様のやりようは強引すぎます。子供を相手に」

「ヤマトのことですね」


 カリマは既にフィフジャの連れていた少年と接触している。


「なぜあのようなことをするのか理解できません。彼らが本当にポシトル助祭長の殺害犯だと思ったのか」

「違うのでしょう?」

「自分はそう見ます」


 ええ、と応じるカリマも同意見のようだった。



 ムースが見る限り、彼らには犯罪者風の後ろめたさや開き直りがなかった。

 悪事を企む者、行う者には、いくらか表情や言動に浮かんでくるものがある。

 隠そうとする言葉や、自己正当化する目の色が。


 教会に務めるムースは、各地で多くの人間と話す機会があった。

 懺悔や神の導きを求める人の話も聞く。

 多くを見てきて感じるようになった。本当に悔いている人間と、ただ話して楽になりたい者と。


 嘘をつく者も当然いる。無意識にでも自分を守ろうとする言動には、どこかしら違和感を覚えるものだ。

 心の中の疚しい気持ちを隠そうとか誤魔化そうとか、そうした歪さが彼らには感じられなかった。


 若い少年少女で、感情を隠すことも不得手。

 疑われたりフィフジャのことで怒ったりしていたが、殺人を犯した子供という風ではない。



「トゥマカ様たちはどうして」

「あれはあれで神に報いたいと願ってのこと。狂わしいほどに強すぎて、他から見ればそうは見えないでしょうね」


 部下を庇うようなことを言う。

 カリマにとって治癒術士は直属の……子飼いの部下だ。

 庇うようなことを言いながらも、声音にはやや皮肉気なものも微かに含まれていた。笑い、だろうか。


「見方によっては、誰より神に敬虔なのかもしれませんよ」

「それは……そう在ることが良いのですが」

「神に報いたいと思えば思うほど、それを叶える為に周りが見えない。我欲と妄執でもありますね」


 己が神に報いる為に形振り構わず。


「己を飢えを満たすように神を求めているのですよ」


 行き過ぎて、奉仕ではなく利己的になってしまっている。

 子供が誰かに褒めてほしいと訴えるように、己こそが神の一番の何某であると主張しようと。


 こういうのは一種の病気ではないだろうか。

 時に、相手の気持ちを考慮せずに好意を押し付けるような。

 自分が愛する気持ちを認めろと、そうした妄執で自分を見失う者も珍しくない。ともすれば誰もが陥りかねない。



「神の為にと言っても、あまりに強引で正義がありません。フィフジャを餌に子供を釣り出そうなど」

「手段を選ばないのもトゥマカらしいですが」


 いつものようにやんわりと、のんびりとした声。


「呼び出そうとしているのはただの子供ではない。師が……ラボッタ・ハジロに一目置かれるような少年です。不用意過ぎるのではないかと」


 危機感のないカリマの様子に、つい強く言葉を並べてしまった。

 夕食の魚を釣るのではない。火が付けばどう動くかわからない獣を誘い込もうとしているのだと。


 ムースが目にした限り、ヤマトは優秀な狩人のようだった。

 あの年齢では異質だと思うほど。

 だがそれだけではない。たったそれだけで、ラボッタが名を覚えるほど興味を抱くはずがない。



 聞けば焼け出しものの魔獣と共に妖魔〈青小人〉と、大陸各国で手配されている殺人狂もいたのだとか。

 そんな中を戦い抜いた少年。

 普通であるはずがない。ムースと同等かそれ以上の力を持っていると考える。


 自称するわけではないが、ムースはサナヘレムス数千の衛士の中で十の指に挙げられるだけの実力者だ。

 その自分が測りかねるヤマトを、あまり挑発したくはない。


 黄の樹園の治癒術士は百ほど。一部他国に派遣されているので百を下回る。

 数は多くはない。

 ヤマトが短気を起こして連れている銀狼と共に暴れれば、被害が出るかもしれない。


 つい先ごろ助祭長殺人などという醜聞があった。これ以上の問題は、警備の責任を負うムースとしてはごめん被る。

 自分の担当部署である黄の樹園に騒動を持ち込まれるなど。


 そういったムース自身の立場のことと、ついでにフィフジャのこと。

 弟弟子をどうにかしてやることが解決になるのなら、それでちょうどいい。


「あの兄妹にどのような関心があるのか、私は存じませんが」

「神の再臨。再誕です」


 ムースの言葉に被せてカリマが続けた。



  ◆   ◇   ◆

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