四_067 神々の童心
生まれてたかが一日でこんなに元気に動き回るものなのか。
ぴょこぴょこ走り回る薄黄色の毛玉を見失わないように追う。見失ったところで、今度は不安になって向こうから戻ってくるけれど。
「どうしたんだい、ヘレム?」
「ひよこよ」
尋ねてきた声に振り向きもせず答えた。
「いや、それは見ればわかるけどね。どうしたんだい?」
「もらったの」
忙しいのだ。ルドに構っている暇はない。
「人間たちに作らせた養鶏場で産まれたの。昨日よ、昨日」
「昨日に限ったことじゃないと思うけど」
「昨日生まれたのに、もうこんなに走るの。すごいでしょ」
はいはい、と呆れた感じの声を漏らしながら近づいてくる気配は二つ。
ちらと見れば、派手な服を着たルドルカヤナの他にでっかい毛玉がいた。
「クロウ、珍しい」
クラワーレト。全身から淡い緑のふわふわの毛を生やしている。生やしているわけではなく、生えてしまうのだそうで。
全身毛玉。つまり彼女は全裸ということになるけれど、気にする必要がある外見ではない。
元理属の仲間で、クロウの容姿について何かを言うような者は誰もいない。
「温かいからねぇ」
表に出てくるのは珍しい。日差しが温かいから出てくる気になったらしい。
「そう。ひよこもね、これくらい温かければ大丈夫だって」
「ひよこと同じかぁ」
あははと笑うクロウ。優しい声。
「また無理言って人間から取り上げたんじゃないの? 可愛い、欲しいとか」
「違うわよ」
ルドの失礼な発言に唇を尖らせた。
あ、これだとひよこの嘴と同じだと馬鹿にされる。
「プロップが、どうせ食べるものだからって……ひどくない?」
「どうだろ? 結局は食べるんじゃないの?」
「そうでも、この子の前でそんなこと言わなくっていいじゃない」
プロップといいルドといい、なんで平気でそんなことを言うのだろう。
「デリカシーがないよねぇ」
「そうそう、クロウの言う通りよ」
「ええー、僕もプロペロシオと同じかい?」
大して違いはないくせに不満そうなルドに、ふんっと鼻を鳴らしてひよこを追いかける。
「あんまり可愛がり過ぎるのもどうなんだか。ヘレムのことだって三日も見なければ忘れちゃうんだよ、その子」
「それこそルドと大差ないじゃない。可愛い分だけこっちの方がいいわ」
辛辣な言葉を受け、派手な化粧を施した顔を歪めるルド。
「これはひどすぎと思うんだ」
「あっははっ! 言えてる言えてる」
「クラワーレトまで……僕の方が可愛いと思うんだけど」
「なにひよこに張り合ってるのよ」
馬鹿な言い合いをしながら、歩き回るひよこを両手でひょいと掬い上げた。
温かい。
ああ、いけない。自分の手の方が冷たいとひよこの体温を奪ってしまうのだと聞いた。
ほわっと、
「イスヴァラが見たら、力を無駄遣いするなって怒りそうだねぇ」
クロウがヘレムの手を見て溜息交じりに言って、それからまた体を揺らす。イスヴァラが怒る様子を思い浮かべて笑っているらしい。
他の誰かなら、イスヴァラの怒る様で笑ったりしないだろうに。
「無駄遣いって言うけど」
むう、と。再び唇を尖らせて、手の中のひよこと共にクラワーレトを見る。
ひよこは今は大人しい。手の温かさに安堵しているのか、ただ走り疲れただけなのか。
案外、けむくじゃらのクロウを見て同族と思っているのかも。
「凌霄橋の力って無限でしょ」
「私らの生きる尺度で見れば、そうとしか思えないんだけど」
「ひよこを温める程度、何億匹を何兆年やっても尽きるわけもない。だからってイスヴァラがそれをいいとは言わないさ」
クロウもルドも、別に目くじら立てて言っているわけではない。
イスヴァラは、日常生活に凌霄橋の力を用いることをなるべく避けるように言う。
彼には彼の考えがあるのだろうし、こうして生き延びた元理属のリーダーとしての責任感もあるのだとわかってはいるけれど。
町を作ったりすることには仕方がないにしろ、無用に使うなと口うるさい。
人間への協力も接触もなるべく少なくするように。
せっかく大きな町を作って人間を受け入れたけれど、ヘレム達が暮らす区画と人間との区画を仕切る壁を作らせた。
大教会の前を通らないと行き来できないように。
不便なので通用門が欲しいと言って、ノウスドムスが何か所か出入口を作った。
ま、こっそりとあちこちに抜け道も作っているのだけれど。もちろんイスヴァラには内緒で。
〔あの子〕にも内緒。
まだ幼い〔あの子〕は、きっと父であり保護者のイスヴァラに喋ってしまうから。
いずれもう少し大きくなったら教えてあげよう。
子が親の目を逃れたいと思う時だってきっと来る。その時の為に。
「それ、どれくらいで食べ……大きくなるのかな?」
「いい加減にしないとあんたを食べさせるのよ、ルド」
わざとなのか素だったのか知らないが、本当にデリカシーのないルドを一睨みしてから。
「大人になるまで半年くらいだって」
元々の知識にあるものとは似ているけれど違う。
この世界のものは、似ていても少し違う。
違うのは自分たちの方か。この世界から見たなら、ヘレム達が異質で異物。
「〔あの子〕も、早く大人になればいいのに」
「無茶苦茶言ってるよ」
「だって……」
「それを言う君は、もうずっと子供やっているんじゃないか」
ルドの言う通り、だけど。
元理属で一番幼く、だからみんな自分のわがままを聞いてくれるのだとわかっている。
イスヴァラでさえ、実子以外ではヘレムにだけ少し甘い。ああ、ネージェには別の意味で遠慮もしていた。
ルドとの言い合いに、クロウがふわっと間に入った。
彼女はいつもこんな風にクッションになるような立ち位置。
間を取り持つ。緩衝材とか潤滑剤とか、そんな役割を。
「子供が、子供らしくある時間は幸いなんだよ」
「……」
のんびりと、諭すように。
「その時間が、親を親として成長させてくれるんだよねぇ」
「……親を?」
淡い緑の毛の塊が、頷くように縦に揺れる。
「子供を見守る時間の分だけ親も成長する。イスヴァラもそうだし、ヘレムだって。ねぇ」
毛玉の右手が、軽くヘレムの手を差した。
手の中のひよこは、気が付けば眠ってしまっている。
起こさないようそっと胸元に引き戻した。
「……そう、かも」
「そうだねぇ」
可愛いからと、それだけで命を預かるのは無責任だ。
それはわかるけれど、じゃあ食べ物として扱えというには抵抗が拭えない。
手の中の温もりは、小さいけれどこの世界を生きる一つの命。いずれ時と共に失われることもわかっている。
今はその命の全てヘレムに預けて眠る姿は、親の気持ちを少しは疑似体験させてくれた。
「そう、ね」
イスヴァラが、〔あの子〕を表に出したがらない理由もわかった。
彼にとっては妻、〔あの子〕にとっては母を失った隙間も大きい。弱々しい命を、いまだ知り得ぬ世界に晒したくはない。
いずれこのひよこが大きくなった時にどうするのか。どうなるのか。
小さな命の行く先を考えると重く
今はただ、幼い時間が続けば良い。
この子が、この陽だまりで。
せめてこの陽だまりでは、血生臭いことなど知らなければいいと。
◆ ◇ ◆
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