四_066 迷う仔羊
「どうしてよ!」
アスカが食って掛かるが、駄目だ。言っても仕方がない。
「ポシトル助祭長の弔いでしばらくお会いできないんですよ。コカロコ聖下には」
直属の部下が死んだ。
ゼ・ヘレム教でも当然葬儀はあるし、この場合に誰が執り行うべきかとなればコカロコが請け負うのも不思議はない。
祭儀の手順として余人と会うことは出来ない。そういうこともあるだろう。
「だって……じゃあヅローアガ主教は?」
「事件の後ですからね。両聖下とも、お会いするには手順と相当な時間が必要でしょうし」
訴えるアスカに、セルビタは困った顔で、だがきちんと説明してくれた。
セルビタが悪いわけではない。
普段から簡単に会えていたから気にしていなかったが、コカロコはこの町の……いや、ゼ・ヘレム教の最高幹部の一人だ。
こんな状況で余所者の子供が会いたいと言って、すぐに通るはずもない。
「じゃあ……セルビタもえらいのよね?」
「えらいって……そういうわけじゃありませんけどね。まあ分不相応な位階はいただいてますよ」
そうでなければコカロコの近くに仕えることなど出来ない。役職は高い。
「治癒術士に無理やり連れて行ったフィフを返すように言って」
アスカの言い分に、セルビタがどう答えるのか。
管轄が違う。本来の役割が違う。色々な理由で断られるのでは。
「ええ、そりゃあ言いましょう」
ヤマトが予想したよりも、その答えは案外すんなり出てきた。
「聞けばあいつら、このヘレムの陽だまりに入ってきたんだとか。抗議するのも正当な話ですからね」
「なら……」
「ですけどね、アスカさん」
セルビタが重く首を振る。
「位階で言うなら治癒術士はあたしと大体同等。まして黄の樹園は今度はこっちが入れないんで」
コカロコのように明らかな上位者ではなく、強制力がない。
強引に踏み込むことも出来ない。
「あたしもあちこち言ってみますが、簡単に返してはもらえないんじゃないかって」
「……」
「方々に言えば、黄の樹園の方でも無闇に彼に乱暴なことは出来ないでしょうから、そこは安心してもらって大丈夫」
「……そう」
「テナア様にも言っておきましょう。あの方は黄の樹園にも入れますんでね」
サナヘレムスの医者の長。テナア。ヅローアガとの食事会の時にいた女性だ。
テナア自身は治癒術士ではないけれど、医者と治癒術士なら重なる部分も少なくない。出入りする必要もあるのだろう。
「……わかった」
渋々といった顔で引き下がるアスカ。
セルビタは一つ頷いて、
「じゃあすぐに行きますよ。あの彼のこと、ずいぶんとご心配のようですからね」
アスカを安心させるようにもう一度深く頷き、それから溜息を吐いた。
「っとに、フゲーレはこの忙しい時に姿も見えないし。見つけたらあたしが探してたって言ってやって下さい」
「? わかった」
ここしばらく休暇を取っていたフゲーレの姿は見ていない。
事件があり、セルビタも忙しいのだろう。本来なら手伝うはずのフゲーレだが、休みの延長ではなく所在がわからないのか。
急ぎ足で去っていくセルビタを見送り、アスカが振り向いた。
ヤマトの隣には事情がわからないクックラとイルミもいる。
「困りごとです? アスカ」
「治癒術士がいて、私たちを犯人かもしれないから調べるって……フィフが」
「捕まっちゃったんだ。僕らを逃がす代わりに」
今回のことだけでなく、フィフジャと治癒術士との間には別の確執もありそうだけれど。
最近生活している小さな建物の外で、どうするべきかと顔を見合わせる。
どうすればいいのかわからない。だけど何もしないでいられるわけもない。
セルビタはああ言ってくれたが、問題解決になるのか。
治癒術士の連中は腐っている。
前にフィフジャは言っていた。実際に目にしてみて、一方的で傲慢な一端は見た。
こうしている間にもフィフジャがひどい目に遭っている可能性もあるのだ。楽観はできない。
「どうにか……バナラゴさんにも言ってみないと」
「どこにいるか、ヤマトわかるの?」
知らない。
フィフジャが彼を頼るようなことを言ったが、バナラゴがどこにいるのか知らない。
「……有名な商人だって言うから、町で聞けばわかるかも」
「それよりフィフを助けなきゃ」
アスカが手にしているのは二本のダガーナイフだ。
先ほどは持っていなかった。持っていれば……解決になったのか、どうなのか。
「今ならまだ遠くない。すぐ行けば」
「それこそどこにいるのかわからないだろ」
「じゃあどうするって言うのよ!」
ダガーを握り締めて叫んだ。
「見捨てるの!? フィフを……放っておけるわけないじゃん!」
「そんなこと言ってないだろ!」
憤るアスカに対して、ヤマトもつい血が上る。
「僕らが闇雲に暴れたって助けられるわけがないんだ! わかれよ!」
「わかってるもん! 闇雲じゃない、治癒術士のところにいるんでしょ!」
「馬鹿!」
乗り込んでどうするつもりなのか。
治癒術士を皆殺しにしてフィフジャを探すとでも言うのか。
「ヤマト……アスカも、落ち着きましょう。ね」
「……」
「クックラが怖がっているわ」
いつものように少し間延びした語調で。けれどやや寂しそうなイルミの声。
ちらとクックラを見れば、イルミの手を握って不安そうにヤマトとアスカを見上げている。
喧嘩をしないで、と。
「……」
『クウ』
それまで日陰で伏せていたグレイが、ヤマトとアスカの足に額を擦り付けていった。
落ち着け、と。
「……わかった、ごめん」
フィフジャが捕らわれたことでの焦燥感が強すぎる。不安が心を乱す。
森を出てからずっとヤマトたちを見守ってくれていた保護者だ。急にこんなことになり、冷静さを失ってしまうのも仕方がないが。
「ここで馬鹿をやったら、もっとフィフの立場が悪くなるかもしれない」
「そうだけど……」
こんな時だから、冷静にものを見なければならない。
森で暮らしていた時だって、苦しい時ほど落ち着く必要があるのだとよく言われた。
パニックになって感情のままに動けば、その方がはるかに危険だ。
問題の解決にならない。
「フィフだって、逃げているかもしれない」
「……」
考えてみれば、フィフジャが捕らえられた場面を目にしたわけではない。
敵の治癒術士――敵ということでいいだろう――は三人いたが、二人はヤマトたちを追ってきていた。残っていたのはトゥマカとかいう一人だけ。
一対一でフィフジャが遅れを取るような相手ではなかった。
「そうだといいけど……」
逃げられたなら、すぐこちらに戻ってくるはず。
帰ってこない様子からすれば捕らわれたと見た方がいい。
「……イルミは、黄の樹園に行く道とか知らない?」
道。
表立ってのことではなく、あの隠し道のことだろうが。
アスカの質問にイルミは申し訳なさそうに首を振る。
「ごめんなさい。私は黄の樹園には近づいてはいけないものだから」
「そう……そう言ってたね」
前にも聞いた。あちこち出入りが許されるイルミでも、黄の樹園は立ち入ってはいけない場所の一つだった。
「アスカ、クックラもいるんだ」
「……」
「冷静に考えよう。どうすればいいか、ちゃんと」
治癒術士とは関わるな。
フィフジャはそう言っていた。ヤマト達にとっても良いことではないし、クックラにはとても危険なことになる。
ある意味、フィフジャ以上にクックラの方が危険かもしれない。
血気に逸って馬鹿なことをしたら、どうなるか。
状況が何もわからない。焦る気持ちが事態を悪化させる可能性も考えられる。
冷静に。
「……あら?」
考え込み、俯いてしまったヤマトとアスカよりも先にイルミが気が付いた。
少し明るい声で、誰かが来たと。
「っ!」
フィフジャが戻ったのか。
そう思って顔を上げて、落胆する。
「……あんたは、入っていいの? ここに」
アスカの声に温度を感じられない。
歩いてきた男に対して、ひどく冷たく。
それでも攻撃しないのは、先ほど多少なり庇うような発言を受けたから。
「私は衛士だ。ここに入ることを禁じられてはいない」
少し距離を置いているが、今もイルミの警護を務めている衛士もいる。
この場所への出入りを禁じられてはいないだろう。
「さっきは治癒術士の味方してたじゃん」
「……君たちから見たらそうなる。それが私の役目なのだから、そうだとしか言えないが」
ムース・ヒースノウ。
フィフジャの兄弟子で、教会の衛士。先ほどの会話の中で衛士長と呼ばれていたから、偉いのかもしれない。
「だが、私は治癒術士ではない。
膝を着き、イルミに訊ねた。
そうしていると物語に出てくる騎士のよう。
「もちろんいいです。けれど、アスカ達を責めるようなことは」
騒ぎを起こしたヤマト達を追って来た形の衛士長だ。イルミの心配に、ムースは首を振った。
「いえ、違います。伝言です。フィフジャ・テイトーから」
「フィフから?」
やはり捕まってしまったのか。
見ればムースの頬に、先ほどはなかった傷がある。赤く腫れあがっている。
治癒術士一人を相手に負けるフィフジャではなかったが、やはり状況が不利になり衛士も参戦したのだろう。
武器もなく、多人数を相手にしては。
「フィフジャは無事だ。まずそれは約束する。カリマ様の名に誓って」
「……」
カリマ・セスマムコーレ。治癒術士たちの長で、ムースにとっても直属の上司になるはず。
どうもムースはその教母に忠誠を誓っているらしく、その名を出してまで嘘をつくようには見えない。
「無茶をするな。ノエチェゼを思い出せ」
「……」
本人の言葉だ。
こちらに来てから、ノエチェゼでの騒ぎについて詳しく誰かに語ったことはない。
「自分のことは構わないから、ダナツに会え。それだけ伝えろと……私に」
命令口調だったことを思い出したのか、ムースが僅かに顔を顰める。
兄弟子に対しての敬意がないとか、そう思ったのかもしれない。
「……わかった」
「確かに伝えた」
立ち上がり去ろうとしたムースが、自分の眉間に手を当て、首を振る。
「ああ……すまない、フィフジャからどう聞いているのか知らないが」
そう前置きしてから、ヤマトを真っ直ぐに見る。
「カリマ様は慈悲深い方だ。決して非道な行いなど許されん」
「……」
「過去には私も知らぬこともあったかもしれんが、君たちが心配することはない。治癒術士の方々も、両聖下の名を出されてまでは滅多なことはするまい」
ムースの言うことの根拠は、ただ彼の主観に過ぎない。
希望的な見方。
そもそも、彼を信じていいのかどうかさえわからない。
「あの……ムースさん」
だけど。
「……ありがとうございます」
彼がフィフジャの伝言を持ってきてくれたのは事実だ。
治癒術士の連中の許可があったのかわからない。いや、なかっただろうに。
義理堅いのか、真面目なのか。
ムースはヤマトに軽く首を振って、そのまま去っていった。
「……ダナツさん、か」
この名前だって、ムースも治癒術士も知らないだろう。
フィフジャが言ったと見て間違いない。
その意味を考えれば……
「私たちのこと、なんだと思ってるよ。ばかフィフ」
「まあ、そうだな」
アスカも、フィフジャの言葉と確信して少し落ち着いたようだった。
ばかフィフのお陰、か。
ダナツに会うためにこの町から出ろという話。
いや、リゴベッテから出ていけという意味なのだろう。海を渡り、教会の手が届かない場所に。
フィフジャを置いて。
ノエチェゼで船に乗った時は、ノエチェゼの暴動から逃れる為だった。
危険な町だったし、アスカも追われていたし。
船に乗り、リゴベッテ大陸に近付いてから、クックラの力のことが分かった。
それでもサナヘレムスに来たのは、おそらく治癒術士と関わる可能性が低いと踏んだからだと思う。
これまでの話からすれば、治癒術士は黄の樹園を出ることがほとんどない。
そうそう出くわすこともないはず。
それなら、フィフジャの目の届く所でサナヘレムスを見ることに危険は少ない。そう判断したのだと思う。
カリマ・セスマムコーレ。
彼女とヤマトが接触したことも、フィフジャの心のつかえを外すきっかけになったのかもしれない。
カリマの管理区に間違って踏み入り、ヤマトが彼女と接点を持った。
けれど何も危険なことはなく、気が抜けたのかもしれない。
心配していたほどのことはない。そう考え、書殿の調べもののことや文字の学習も含めて滞在を受け入れた。
なのに。
妙な事件が起こり、治癒術士に目をつけられ、フィフジャ自身は囚われの身。
この状況でヤマトたちを守ることは出来ない。
まして、こちらが無茶をして助けようとしたら、今度は本当に取り返しのつかないことになるかも。
だから逃げろ、と。
町を出て、この大陸を出てしまえと。
結局、フィフジャは案じているのだ。ヤマトとアスカのことを。
自分だって大変なはずなのに、見捨てろなどと。
「……バナラゴさんを探そう」
「それね」
今、考えられる一番まともな手段。
会うべきは、ダナツではない。バナラゴだ。
咄嗟にバナラゴの名前を出したのも、治癒術士相手でも何かしら解決できると見たから。
それではまた治癒術士と相対することになるかもしれない。だから、ダナツに会えなどと後で指示を変えた。
「イルミ……悪いんだけど、しばらくクックラとグレイを見ていてもらえるかな?」
どういう理由か知らないが、ここの人たちはイルミに対しては決して無体なことをしない。イルミの傍にいれば安全だろうし、グレイも一緒ならそう滅多なこともないだろう。
「またお出かけ? 書殿はどうするの?」
そう、書殿のことだって気にならないわけではないけれど。
ヤマトは、荷物の中から一つ、小さいのにずっしりと重い棍棒を手にした。
青小人が落としていった棍棒だ。金属の塊を握れるようにしただけのような無骨な棍棒。
持ち歩いても槍よりは目立たない。
「町に行ってみる。書殿は、フィフのこととかが片付いたらまた」
「そう……うん、わかったわ」
ちょっとつまらなさそうに頷いた。
「いちおう聞くけど、バナラゴさんのいる場所とか知ってる?」
物の試しに聞いてみたが、首を横に振られた。
あまり町のことは知らなさそうなイルミなのだから仕方がない。
「そういえば」
アスカが思い出したように訊ねた。
「フゲーレもいないって言ってたけど、イルミはどこかで見ていないの?」
イルミに恋しているフゲーレだ。セルビタにはともかく、イルミには会いにきていたかもしれない。
「フゲーレ?」
イルミは少し考える様子を見せてから、やはり横に振る。
「今日はまだ見ていないわ」
「そ、どこに行ったのかしらね。帰ったら、セルビタが探してたって伝えてほしいみたいだったから」
アスカの言葉に、イルミは優しく微笑んで頷いた。
「うん、わかった」
優しそうな笑顔。
「すぐかえると思う。うん、伝えるね」
案外、フゲーレにも少しは恋のチャンスがあるのかもしれない。そんな気がした。
◆ ◇ ◆
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