四_059 不言の叱責
多くの人が集まる聖堂都市サナヘレムス。
人が多く出入りするということは、それだけ問題が起きるケースも増える。
それにしては驚くべき治安の良さ。
ノエチェゼでヤマトは荷物を子供に盗まれたわけだが、旅行者の荷物を盗むような事件はとても少ないのだとか。
発生しても旅行者同士での窃盗事件が大半だと。
酒が入って喧嘩というようなことがあっても、やはり外から来た人間が大半。
サナヘレムスの住民が被害を受けることもある。
それでも外からくる巡礼者に対して門を閉ざさないのには、大きく二つの理由があるのだとか。
一つは産業として。
巡礼者と言っても半分は観光目的で、それなりに金を使っていく。
観光客相手の商売で生計を立てている人も少なくない。ゼ・ヘレム教会とて運営していく為に税収も必要だ。
もう一つの理由は、教義的なこと。
このサナヘレムスは神々がヘレムの威容を示す為に作った都市で、多く人を受け入れるようにと。
多少の問題はあっても、戦争でもなければ門を閉ざすことはないのだとか。
町の治安維持管理の為の武力として衛士がいる。
彼らもまたゼ・ヘレム教の信徒にして教導する立場。
腕が立つことはもちろんだが、人柄も重視されるという。
熟練した戦士であり精神的にも高潔となれば、それは相当な精鋭の集団になるだろう。
フィフジャが言うには、同じ数の軍隊では相手にならないとか。
規律正しい軍隊は強いと言うけれど、それだけではない。
彼らの信心は深く、ゼ・ヘレム教の為に戦うとなればそれは狂信的な力も発揮することになる。
サナヘレムスの中に常駐するだけでも数千。
ヘレムス教区全体では三万以上で、仮に有事ともなれば引退者なども集まるだろうと。
もっとも、もう数百年の間ヘレムス教区に攻め入るような国はない。
近隣国同士の武力衝突に介入することは数十年に一度あるらしい。
リゴベッテ大陸の盟主的な存在。
高い水準で治安を維持するサナヘレムスだが、それでも騒ぎを起こす者はいる。
「ソノール王国の法政卿長ラウダテ様のご嫡男アルズム様でありますぞ!」
知らないけれど、偉い人の息子さんなのだろう。
「このような貧民と並び膝を着けとは、侮られるか!」
どこの世界でも弁えない者というのはいる。
そうは言っても彼の言い分も決して無思慮なだけではない。
立場のある人間が庶民と同列に扱われることを受け入れては、組織を指導する際にも求心力を失いかねない。
ある程度は傲慢で強権的な姿も必要。
上に立つ者がへこへこ頭を下げていては侮られ、指示命令が徹底されない。
そういう教育をされて育ち、また周囲の者もそう扱う。
考えもなしに騒いでいるわけではないが、場を弁えていないだけ。
ゼ・ヘレム教の総本山とも呼べるサナヘレムスの中央教会ポルタポエナ。
丸みを帯びたデザインの建物がいくつか繋がって一つの教会を作っている。中央にある一番大きな丸い建物が、一般の巡礼者が訪れる場所。
その正面広間で声高に叫び、何を訴えているのか。
「ふん、ソノールの田舎者が」
見ていた誰かが聞こえない程度の声量で吐き棄てた。
ヤマトは見ているだけだ。口を出すような立場でもないし知識もない。
「ソノール王国ってどこにあるの?」
「リゴベッテの西北だな」
とりあえずフィフジャに聞いてみる程度。
リゴベッテ大陸は、曲がった太いナスを逆さまにしたような形をしている。
地図で見れば下の方のヘタのあたりが、ウェネムの港もあるナルペール王国。
上に伸びて、左側に向けて曲がっていく。
ナルペールから見れば一番遠い位置関係の辺りになるのか。ナスの尻の方というのかわからないけれど。
衛士たちも、相手が立場のある人だと言われて少し戸惑っていた。
一般の巡礼者が普通に入れるのはこの正面の礼拝室。
この大広間で待ち、十名ほどが並んで礼拝室に入り参拝を。
そこに貴賤はない。ただ順番に。
「おかしいですねぇ」
惚けた感じの疑念の声を上げたのは、いつもなぜかそこにいるエンニィだ。
今日は、どこで話を聞きつけたのか朝から一緒だけれど。
「貴族の方なんかが来るなら、普通は別室に通すんですが。おかしいですねぇ」
表向きは平等に扱うとは言っても、人間社会には色々としがらみもある。
事前に聞いていれば別に対応するはずなのにというエンニィの発言には納得だ。
「お前が一緒にいるのもおかしいと思うんだが」
「やだなぁ、フィフジャさん」
冷たい言葉にもめげない。
「なんでも美味しい話だとか。会長から言われて変なことにならないようにって僕も来てあげたんじゃないですか」
「お前が来るのが変なんだ」
この二人の関係は本当に遠慮がない。
「ちゃんと会長も来ますよ。お昼には」
「……まだいるのか、この町に」
フィフジャの顔が渋面になる。
嫌な話を聞いた、と。
バナラゴも一緒だとご飯が不味くなるとでも言いたそうだが、アスカの作る料理が不味いとは言いたくなかったのか口を閉ざした。
今日はヅローアガ主教に料理を振舞う日だ。
形式的にでも、調理する前に一度礼拝しておくようにと言われた。身を清めるみたいな意味合いだと思う。
別に大した手間でもないし、減るものでもない。
そう思って大教会ポルタポエナまで来たのだけれど。
「事前予約してなかったんでしょ、馬鹿みたい」
アスカの言葉は辛辣だ。
「その場で無茶言えば通ると思って」
母国ではそうなのだろう。法政卿長というのがどういう役職なのか知らないが、聞く限りとても偉そうな気がする。
役職に法とか入っているのだから、その場の決まり事には素直に従うべきだと思うけれど。
「ソノールの者はヘレムの教えも法も知らぬと見える」
教会の神官からの説明に耳を貸す様子のない彼らに向けて、後ろから声が発せられた。
ヤマトたちがいる場所から見れば、やや斜め前くらい。
「情けない。息子がこれではラウダテ法政卿長とやらも大した人物でもあるまい」
「なんだと!」
「おやめください、神の御前でございます」
煽り言葉と憤りに神官たちが慌てた。
他の一般の巡礼者もいる。こんな場所で揉め事などしてもらっては困る。
大変そうだなと思う一方で、当事者でなければちょっとした余興だ。
待たされて不満を募らせそうなアスカも、不謹慎だが面白い見物という顔をしていた。
ここで機嫌を悪くして突っかかっていかれても困るが。
エンニィに至っては言うまでもない。
やっちゃえと言葉にしないだけで、まあそんな表情だ。
他の巡礼者もそんな雰囲気で、人間など誰も似たようなものか。
「我がゼタウならこのような非礼手討ちにされようぞ」
「ゼタウごときの小国が無礼な口を!」
煽った男が前に出ていき、ソノール王国のお坊ちゃんと従者らと向かい合う。
「おやめくださいと申しております。双方」
神官たちも困惑しながら、暴れるようならと衛士たちに目配せをしていた。
立場がある相手だとしても、この教会内で何かするのなら強制的に排除していい。
そういう頷きだ。
憤るソノールの、なんとかというボンボン一行。
それに対して、煽った側は冷静に神官たちの雰囲気を察している。
「私はゼタウの王甥カウトーザである」
「な……」
おお、とどよめく教会内。
王甥という言葉がわからなかったので訊ねたヤマトたちの会話も、どよめきに紛れる。
「ソノールの方々が不愉快と言われるのであれば、我らと共に神に祈ろう。御老方」
「は、はあ……」
先ほど、貧民と呼ばれた老夫婦に声を掛けた。
王甥カウトーザとやら、見ればかなりの偉丈夫で堂々とした振る舞い。なるほど、立派な貴族なのだろう。
だからと言って別の国の誰かしらの神経を逆撫でするのはどうかと思うが。
「……カウトーザ殿下とはいえ、この非礼は許せませぬぞ」
「ほう」
ソノール王国の傍仕えが自分の腰に手を回した。
武器を手にしようというのか。
恰好だけかもしれないが、それはよくない。
主家を笑いものにされて許せないという気持ちもあれば、退けないという義務感もあるだろう。
けれどこの場所で刃を抜くのは駄目だ。
「無礼はそちらだと思うが、道理も弁えぬことよ」
「双方、おやめく――」
だん、と。
教会に響いた。
教会が震えた。
決して音量は大きくなかったが、その場を静まり返すように。
床と、空気を震わせて。
「……」
揉める彼らの為に後ろで詰まっていた人混みが割れる。ヤマト達も道を開けるように避けた。
割れた中を、つかつかと歩いてくる姿。
背は高いが、細身。
決して上等には見えない灰色の貫頭衣に、妙に長い錫杖を手にしていた。
黒い柄の錫杖も決して華美には見えないが、けれど先端に輝く二重の円形は純金なのではないだろうか。
ただの円ではなく、うねるように螺旋を描き円を形作っている。
捏ねて伸ばした粘土を捻りながら丸く繋げたら、ちょうどあんな形になるのではと思う。
安物ではない。
「……」
無言のまま、その老人は真っ直ぐに背筋を伸ばした姿勢で騒いでいた彼らの横を歩き過ぎた。
礼拝室の扉の前で立ち止る。
その場で錫杖を正面に横たえ、自らも両膝を床に着く。
両袖を大きく一度広げ、そして伏せた。
――ざっと。
一斉に、神官たちや衛士たちがそれに倣う。
両手を広げ、額ごと床に伏せた。
見ていた巡礼者たちも慌ててそれに従った。
ヤマトたちも、戸惑いながらも同じようにする。
そうしなければならない雰囲気だ。
言い争いをしていた者たちも、周りの雰囲気に飲まれて遅れながら似たようにしていた。
一言もない。
ただ一人の老人がそうした。
それだけでそれが正しいことのように。
「……」
しばらくそうしていると、老人は立ち上がり、今度は礼拝室ではなく横の出入り口へと歩き去った。
何も喋ってはいない。だが、全員がその背中をただ見送ってしまう。
「ヅローアガ聖下であらせられます」
出て言ってからどれくらい経ったのか。
神官の一人が囁くように告げると、その場にいた全員から息が漏れた。
呼吸をしていいという許しが出たように。
何も喋っていないのに、ひどく叱られて言い訳も出来なかった。そんな感じだ。
「あれが……」
ヅローアガ主教。
これから食事を振舞う相手か。
コカロコ大司教とはまるで雰囲気が違った。
「……失礼を、いたしました」
「アルズム様……いえ、私が無礼を働きました。どうかご容赦を」
ソノール一行の主が謝罪の言葉を吐き、傍仕えも続けて赦免を願う。
誰に対してだったのか。言い争いをしていた相手に対してかもしれないし、教会に対してなのかも。
「こちらも無礼を申し上げた。どうやらお互い公式な立場での巡礼ではないゆえ、水に流していただきたい」
煽っていたゼタウのカウトーザの方も、肝を冷やしたようで汗を掻いている。
「教会の方々にもご迷惑を。どうか詫びさせていただければ」
「いえ、ヘレムはお許しになられるでしょう。気持ちを改めて神に感謝をお伝えください」
公式な立場ではなくお忍びでの来訪。
ゼタウの王甥という人はその立場を弁えての巡礼で、ソノールのアルズム一行はその立場を失していた。
だが名を名乗り喧嘩を始めた以上はどちらも罪がある。
謝罪し、水に流す。
普通なら素直に受け入れることは難しかっただろうが、ヅローアガ主教の仲裁だ。
具体的な言葉はなかったが、あれは紛れもなく仲裁で、強い叱責でもある。
国の重要人物でも、これ以上の諍いは得にならないと判断したのだろう。
自尊心だけでは物事は解決しない。場合によれば悪く運ぶ。
「……こわかった」
「びっくりしたね、クックラ」
今更ながらに震えるクックラに、アスカが優しく頭を撫でた。
「あの人にこれから……」
食事を出さなければならないわけか。
会うのも怖いと思うくらい。
「先に見られてよかったじゃん」
「前向きに考えればそうだな」
アスカは挑戦的な表情で、フィフジャは苦笑いだ。
「さすが、アスカはめげませんねぇ」
感心しているのか呆れているのか。エンニィも少し慣れてきたのかもしれない。
「だけど、めちゃくちゃ機嫌悪そうでしたよね。あれ」
わかってはいる。
わかるけれど、そうはっきり言葉にされてさらに気が重くなるのはどうしようもなかった。
◆ ◇ ◆
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