四_058 食事と薬
「む、むぅ……」
コカロコ大司教の表情が固まる。
普段は穏やかな雰囲気の偉い人なので、見方によっては怖く映るかもしれない。
「探検家のお嬢さんには驚かされっぱなしですねぇ」
同席していた料理人のセルビタの口からは、感嘆の言葉が漏れた。
匙を置き、しげしげと皿を見直して。
「すごく美味しいわ、アスカ!」
満面の笑みを見れば言われなくてもわかるが、言ってもらえるとやはり安心する。
「こんなの食べたことない……あ、セルビタの料理もいつも美味しいのだけど」
「ええ、ありがとうございます
言われたセルビタが苦笑して応じる。
「でもお気遣いなく。あたしも初めての味ですからね」
湖やサナヘレムス周辺で入手できる食材を探して、再現できそうなレシピを試してみた。
アスカの記憶通りの仕上がりにならないのは、使う材料が違うのだから仕方がない。それでも他人に振舞えるだけの完成度にはなったと思う。
ヤマトはまあこんな感じかなと頷いているし、フィフジャとクックラは無言で口を動かしている。
グレイは外で肉を食べているはず。
湖では、久々に自分で狩りをした山狸を食べていた。
自分で獲ったものの方が美味しいとか、銀狼にもそういう気持ちはあるのだろうか。
物珍しさと美味しさの感想を呟く面々に、作ったアスカとしても改めて一安心だ。
自信がないわけではないが、慣れ親しんだ食文化とは違う相手。
それらに喜んでもらえるかどうか、本番前に試す機会があってよかった。
「不思議なもんですね。甘いのにしょっぱいのが案外と自然で」
料理人のセルビタは興味深そうに味わい、隣の少年を見るが。
「……」
「苦手だったらそう言ってね」
セルビタの隣の見習い料理人フゲーレ。彼の顔色は冴えない。
口に合わなかったのならそう言ってもらった方が助かる。色々な人がいてそれぞれ好みも違うだろうし。
「あ、いや……違います。美味しい、ですよ」
「そういう顔には見えないんだけど」
正直に言ったら怒られると思っているなら心外だ。
「あー、フゲーレ。遠慮することないんだよ。慣れない料理のはずなんだから」
ヤマトが口を挟む。
マズイならマズイと言えばいいと、変に繕おうとする方がアスカの気分を害する。ヤマトはアスカの性分を知っている。
「ちが、違うんです。これは本当にとてもうまいんで、驚いてますよ」
視線を集めたフゲーレが慌てて言い募る。少し心がどこか別の方を向いていたようだ。
「あの……ちょっと体調が悪いだけ、なんで」
「そうなの? いけないわ」
顔色が優れないのは具合が悪いからか。
「なんだい、情けない子だね」
「そう怒らずにセルビタ。フゲーレの顔を見れば嘘には思えません」
コカロコに窘められたセルビタがフゲーレを注視すると、少年は顔を下げた。
「そう言われれば……あんたが病気なんて言い出すのは珍しいね」
額に手を当て、熱はなさそうだと首を傾けた。
何だかんだ言っても可愛い弟子なのだろう。だからつい厳しめに当たってしまうこともある。
「無理しないでね、フゲーレ」
イルミから気遣われると、冴えなかった顔にわずかに朱が差す。まあわかりやすい。
「悪かったね。今日はいいから休んでいな。後で薬でも持っていくよ」
「少し休めば大丈夫ですから……すみません」
軽く頭を下げて去っていくフゲーレの背中を見送る。
人間なのだから体調を崩すこともあるだろう。当たり前だけれど。
アスカには、別に気になることがあった。
「薬って、どういうのがあるの?」
どこの町でも医者と呼ばれる人は見たことがない。
存在はするらしいのだが、上流階級向けの職業で一般では見ることがなかった。
薬として売られているものはあるし、それらを調合する仕事もある。
だが、そういった人たちも薬を作って売るのが生業で、人の症状を診断してどうこうするわけではない。
熱が出たのならこの薬を。
頭が痛い、腹が痛いのならこれを。
かなり大雑把な感じで、適合しているのかどうか。
半分くらい当たれば十分なのかもしれないが。
「薬って言っても滋養剤ってやつですね。食欲がないようなんで、とりあえず力をつけてやらないと」
「うん、そうね」
セルビタとて診断したわけではない。症状が不明ならそんなところか。
「続くようであればテナアに相談してください」
「あの子にゃ勿体ないですが、ありがとうございます」
テナアって誰かと訊いたら、教会の医者の長なのだとイルミが教えてくれた。
当然、この聖堂都市なら医者くらいいるだろう。
「テナアとて神ならぬ身。医薬神クラワーレトではないので、相談が必要なら早めがいいでしょう」
「そうですね。明日もあの調子なら相談させてもらいます」
神ではない人間の医者だ。病気だとすれば早期対応に越したことはない。
この辺りの認識は地球と同じか。
「天曜樹の葉があれば万病に効くとか」
「それは……イルミーノラーク、違うのですよ」
コカロコが浮かべた微妙な表情が何なのか、アスカの視線に気が付いたコカロコは頷いて続けた。
「天曜樹の葉は教会でも保管しているものがあります。ですが、非常に強すぎる薬です」
「強すぎる、ですか?」
何がいけないのだろうと首を傾げるイルミ。
「ええ、あれは病の鬼を倒すだけでなく、人の命も奪います。そういう意味で万病に効くという言い方をする者もいますが」
病の鬼というのは、ウイルスや細菌のことだろうか。
非常に強い殺菌作用のようなものはあるけれど、強すぎて人間まで殺してしまう。
死ねば病からは解放されるわけで、そういう意味では確かに万病を解決するかもしれない。
「他の
「そうなんですか」
薄めて使う。
地球の薬だって、ただ薬効が強いだけで使うようなことはない。バランスが大切なのだと理解した。
「元は神の薬と言われます。ああ、書物で読んだのですね」
「ええ、確か書殿で見たと思ったもので」
書殿なら、医療などの本もあって不思議はない。
イルミの知識の情報源に納得して、コカロコは穏やかに微笑み頷いた。
「同じく伝説にある
相然草。
聞いたことのない名前で、イルミはもちろんフィフジャもセルビタも知らないという顔だ。
「誰も見たことはありませんよ。それと共に食せばどのような毒も効果を失うとか」
それは実在しなさそうだ。
どんなものでも中和出来るなんて有り得ない。
強力な殺菌作用の天曜樹とやらと合わせることが出来ればまさに万能薬。
ふと、ヤマトの瞳が何か思い至ったように瞬かれ、開きかけた口が閉ざされた。
アスカの方も思ったことがある。
天曜樹の葉。
強い薬効で扱いが難しい。
そういった薬を口にしている。
大森林を抜けて少しして体調を崩した時に、訪れた竜人の村で。
子枝の大樹という巨大な樹木。大樹の村ガレという名前だったと思う。
アスカが熱を出して、その村で看病を受けた時のことだ。ヤマトもその後に同じく熱を出していた。
天曜樹があるのはズァムーノ大陸の西側。あの山脈を越え、さらに断崖を越えた先のはず。
他にあると聞いたことはない。
けれどたぶん、ガレの村にあったあの大樹も天曜樹なのだろう。
子枝と呼ばれていたから、西にあった天曜樹の種が何かの形で山脈を越えたあの村に運ばれた。
それか接ぎ木かもしれない。
竜人がズァムーノ山脈と呼ぶあの山は、普人はオタネト山脈と呼ぶと聞いた。
越えることが出来ない山脈、という意味だとか。
天曜樹の子枝は、何らかの形でその山を越えて根付いていたのか。
竜人はそれを知っているから、越えることが出来ないという呼び方はしないのかもしれない。
「……」
世話になった竜人の村に天曜樹らしいものがあるとなれば、何か面倒な話になることも考えられる。
だからヤマトは口を閉ざし、アスカも言わなかった。
「なんにしても」
ふう、と。それまで特に口を出さなかったフィフジャが呟いた。
彼の前の皿はすっかり空になっていて、食べるのに夢中だったらしい。
隣のクックラも同様だ。
「これなら主教どころか神様だってうまいと言うだろう」
「ん、ぜったい」
皿を空にして満足げな彼らのお墨付きに皆が笑う。
教会の高位指導者を前に神様でも美味いというなんて、さすがに言いすぎだと思うのだけれど。
コカロコを見ると、思った以上に楽しそうな表情を浮かべていた。
普段の聖職者としての柔和な印象とはまるで違う、むき出しの人間の感情。
「アスカが食事神プロペロシオを満足させてくれるというのなら、私も救われますね」
珍しく冗談めいた言葉を苦笑交じりに漏らして歯を見せて笑った。
◆ ◇ ◆
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