四_041 虹の架け橋



 世界でサナヘレムスより美しい町はない。

 エンニィがそう言ったし、この町を見た誰もがそれを否定しない。

 ヤマトもまた、それが誇張ではないのだと知ることになった。


 サナヘレムスの後ろ――南から来たヤマトたちから見てということなので、北側に高山地帯がある。

 所々に急峻な山とそれ以外の山地を背にして、霧の向こうに見える山々はそれもまた荘厳な雰囲気ではあった。

 霧に向けてヤマトたちの後ろから照らす太陽の光が、町の上に虹を掛ける。

 たまたまそんな天気だったのかと思ったのだが。


「あれ……橋、かな?」


 サナヘレムスは人口三十万人が暮らす街だ。中央の大聖堂などを含む地区と、左右に広がる多くの住民が暮らす地区。

 中央正門から入ってきても、町の中心まで進むにはかなりの時間が必要だった。歩いて往復するだけでも半日ほどかかるのではないか。

 その虹の正体を知るまでに時間がかかった。


「うそ、町の上に……」

「MONOREERU……」


 北東の山から、町の上に向けて遥か頭上を通る黒い線。高架の道路のようでもあるが、そんなものが存在するとは。

 地球の乗り物図鑑で見た中で言えばモノレールの架線に近い。支柱は非常に少なく、その高さも相当上にあるような気がするけれど。



「水道橋、と呼ばれている」


 山からサナヘレムス中心に向けて伸びるそれから、霧雨のように水飛沫が舞う。それを受けて虹がかかっているのだ。

 大陸中央部で雨が少ないという話だった。この虹は水道橋を使った人工的なもの。


「大聖堂の表の噴水広場に流れ落ちるようになっているんだ」

「……」

「DAMUKOなのね」


 サナヘレムスの山の麓には二つの湖があるという話だった。貯水の役割をするダム湖なのだろう。

 どちらかわからないがその湖から伸びたこの水道橋が、町の中心に水を運んでいる。

 生活用水としての意味もあるのだろうし、町の美観も兼ねて。

 改めて、このサナヘレムスの文明レベルの違いを思い知らされた。


(うちの水車の、もっと規模の大きなものか)


 山から流れる高低差を利用するのなら、他の動力はいらない。

 橋の材質なども、牙城と同じく経年劣化の影響を受けない古代の技術を用いているのだと思う。それにしてもこれだけの建築物を作るとは信じられないが。



 水道橋の末端の下辺りに大きな建物が見えてくる。あれが大聖堂なのか。

 その左右に見えるのが書殿であったり教会であったり。フィフジャやエンニィの説明を耳にしながら進む。


 噴水広場というのもすぐにわかった。

 空から落ちてくる水を受けるように、巨大な女性像が水瓶を両手に抱えている。かなり高い位置から流れ落ちる水が見事にそこに収まるのも、何か知らぬ技術があると考えた方が自然だ。

 女神像の下の台座から八方に水が噴き出していた。そこに溜められた水が町の水路に流れていくらしい。


「地下にも管があって、この泉に溢れていない水は大聖堂や教会のあちこちに回っているんですよ」

「へえ」


 水道設備だ。巨大な女性像の掲げる水瓶はかなり高い位置にあるので、その水圧で教会施設のあちこちに水を供給しているということになる。


 水の都という言葉が地球にあった。

 そう呼ぶにふさわしい町。聖堂都市サナヘレムス。



「さすがに驚いたみたいだな」


 フィフジャが少し安心したように笑った。リゴベッテに着いた時、季節の違いに驚かなかったことを思い出したのだろう。


「今まで見た町と違いすぎるよ」

「ほんと、ここだけ全然違うじゃない」


 ヤマトとアスカの様子に、エンニィは得意そうな笑みを浮かべ、ニネッタは苦笑して頷く。


 少し落ち着いたらクックラたちにも見せてあげたい。虹は見えただろうが、この泉も彫像も別世界のような美しさだ。

 他で見ることは叶わない。

 ヤマトたち以外にも巡礼らしい人たちがいて、口々に感嘆の言葉を漏らしていた。

 この町は移住者は受け入れていないが、巡礼者には広く開かれている。宗教的な聖地なのだからそういうものなのだろう。


「水道橋って一つなの?」


 アスカの質問に、フィフジャは首を傾げた。


「湖……なんて言ったかな。レジィグ湖と……」

「ラビナーラ湖ですね。この水源はラビナーラ湖ですよ」


 エンニィが答えて、水道橋が続く山の方へと視線を送った。

 サナヘレムスの北側を、守るように包む山地。北東側にあるらしいラビナーラ湖。


「レジィグ湖からは、見えませんねぇ」


 反対に、北西にはただ青空が広がるだけ。モノレールの架線のようなものはない。

 虹もない。

 二つも作る余裕がなかったのか、地形や他の理由があったのかもしれない。

 そもそも必要なかったとも考えられる。




「随分、遅かったな」


 感動や思索に水を差すように、叱責するような声が掛けられた。


「お前の好き嫌いで教会に覚えが悪くなるのは、お前の為にならんぞ」

「……」


 バナラゴ・ドムローダ。

 ウェネムの港町で別れた男が、先んじてここに到着していた。

 ルートが違ったのかもしれないし、そもそもヤマトたちはあちこちで時間を食っている。

 ネフィサの回復待ちで十日ほど村に滞在することにもなった。追い抜かれていても不思議ではない。


 お前の為にならない。

 そう言われたフィフジャは、不愉快そうに顔を背けた。


「フィフが悪いんじゃない」


 代わりにアスカが言い返す。


「僕が魔獣を……」

「会長、それがですね。途中の村が焼き出しものの群れに襲われていて、助けていたんですよ」

「そんなことを」

「ムース・ヒースノウ。こうの樹園の衛士長も一緒に、村人を助けていたんですってば」


 言いかけたヤマトよりもうまく、エンニィが取り繕ってくれる。


「ムース……ラボッタの弟子か」


 教会関係者と共に働いていたと聞いて、責めかけたバナラゴの言葉が勢いを失う。

 少し事実を歪曲して伝えたような気もするけれど、バナラゴと付き合いの長いエンニィの方がうまくいなしてくれるだろうが。


(黄の……樹園?)


 気になる言葉があった。


「カリマの……」


 バナラゴの口から吐かれた響きに、どこか翳りのようなものを感じる。含むところがあるようだ。

 ヤマトの不思議そうな視線に気が付いたのか、ふんと鼻を鳴らして掻き消す。


「とにかく、コカロコ大司教にはもう何日もお待ちいただいている。私より先に到着しているかと思ったが」

「やだなぁ会長。商会本部にも到着の報告なかったでしょう」

「今はしてあるのか?」

「それは……えへへ」


 していない。少なくともヤマトたちとずっと一緒にいたエンニィが、この町で自分の勤め先に何か連絡している様子はなかった。

 上司の命令でフィフジャの監視員のように同行していたのだから、目的地に到着したことは報告しなければならないだろう。

 忘れていた、という顔をしているが、そうではない。

 たぶん、さぼろうとしていたのだろう。報告しなければわからないと。


 ローダ行商会は、情報網を整えることで大きくなったのだとか。

 その会長秘書が率先して報告を怠るとか、いいのだろうか。当然良くないはずだ。

 ヤマトが口を挟むことではないけれど、曖昧に笑うエンニィと表情を崩さず小さく息を吐くだけのバナラゴ。


「まあいい、ここからは私が付き合う。お前は本部に戻っていろ」

「ええ……あ、はぁい、わかりました」


 バナラゴの眉間の皺が深くなりかけたのを見て、素直に手を上げるエンニィ。

 普段からこんな関係らしい。



「コカロコ大司教も今はお忙しいはずだ。今度は逃げ回らずに中で待っていろ」

「……」


 上から指示される言葉にフィフジャは無言で、バナラゴもそれ以上は口を開かない。


 やはり厳しい目でヤマトとアスカを見て、その後ろに立つニネッタにも目を走らせる。

 ウェネム出発時には会っていないはずだが、彼については何も言わなかった。

 そういえばニネッタはズァムナ大森林探索の一員だった。その時点で顔を見知っていたのだとしたら質問はなくても不思議はないけれど、逆に何か言うこともあるのではないか。

 あるいは顔など覚えておらず、特に興味を示さなかっただけということも。



 既に数日はここでフィフジャを待っていたらしいバナラゴは、教会の建物内部の一室にヤマトたちを案内して、自分は出て行った。

 コカロコ大司教という人に面会を申し出にいったのだろう。

 バナラゴがいなければエンニィがその担当だったのだと思うが、上役がいたのでお役御免。エンニィは一人で町へと戻っていった。

 なんだかんだで色々と世話になった。後で改めて礼を言いたい。


「大聖堂の方じゃないんだね」


 案内されたのは、大聖堂の西にあった建物内部の部屋。

 こちらもいくつも棟があり、正直なところ迷子になりそうだ。ノエチェゼで迷子になったヤマトとしては迂闊に歩きたくない。

 三階建て、あるいはそれ以上の建築物。


「大きな集会でもなければ、教会幹部が大聖堂にいる理由はないはずだ。。こっちは、建物ごとに色々な役割に分かれている……と聞く」


 フィフジャが説明してくれたが、彼自身もよく知っているわけではない。

 役割に分かれている。

 その中には、フィフジャが過ごした場所もあるはず。いい思い出ではないのだろうけど。

 待つように言われた部屋の椅子に腰を掛けて、アスカが体を伸ばした。



「んーっ、はあ……なんだかけっこう簡単なのね。偉い人と会うのに」


 コカロコ大司教のことだろう。呼び方からしてかなり偉い人だと思うのだが、あっさり会えるものなのかと。

 フィフジャはそれについて何も言わない。


「違うんだよ、アスカ君」


 説明しないフィフジャを見かねたように、ニネッタが口を開いた。


「バナラゴ・ドムローダ、彼が大物なんだ」

「……」


 つまらなそうに口を噤むフィフジャと、やや苦い顔のニネッタ。

 どちらも、その大物商人には含むところがありそうな、そんな表情だった。



  ◆   ◇   ◆

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