四_039 閑話 酒場の波音



 見込みはあるだろうと思った。

 それとは別に、記憶にある限りでは動く死人のような雰囲気だった弟子の変貌ぶりに驚き、興味を抱いた。


 まあ死人は言い過ぎだ。

 感情はあった。こちらに噛みつくような目をすることもあったから生きてはいた。だが、あまり他人に関心を持つような性分ではない。

 諦観しているような。

 絶望しているような。

 世界の全てを灰色に見ている。十数年見てきた弟子の印象はそういうものだ。


 諦め、希望も抱かないくせに、無茶なことをさせても死なない。

 案外としぶとい。

 ズァムナ大森林に行かせてどうなるかと思ったが、予想もしていなかった結果。

 戦う様だけは一丁前の半人前を、まるで弟妹のように連れて帰ってくるとは。振る舞いもまるで兄のように。


 フィフジャ本人なのかと疑ったほど。

 話してみれば不遜な態度から間違いなく本人だとわかったが、本当に驚かされた。


 連れて来た半人前の方も、これもまた面白い。

 かなりの腕を持つくせに擦れていない。それでいて妙な迫力というか手を出しにくい気配がある。

 どこか噛み合っていないような印象を受ける兄妹だった。ちぐはぐな存在感。


 悪戯心で魔術を伝えてみたら、今まで誰も理解しなかった魔術を習得したりもする。

 見かけからは想像もつかない筋力を有しているくせに、身体強化の魔術も使っていない。

 興味本位で仕込んでみて、死地でどんな結果になるかを試してみた。

 死んでも構わないかと思ったが、案外と生き残った。こういうことは弟子で慣れている。



 解せないのはネフィサの深手を癒したことだ。致命的な傷だったはず。

 あの兄妹が治癒術士だったとは思いもしなかった。何かと予想外の話だ。

 治癒術士だから拾ってきたのか。

 そう考えれば説明も出来るような気がしなくもない。あの馬鹿弟子は治癒術士と因縁が深い。


 だが、治癒術士だからと言ってあの傷を癒せるかと考えたら、可能性は極めて低い。

 考えられるのは、ラボッタの知らない魔術で傷を癒し、その反動で妹の方が大きく消耗したのだとか。

 ただ普通の治癒術で運よく命が助かっただけ、ということも考えられるが。


 興味深い。

 やはりあの兄妹は面白い拾い物だ。

 銀狼も、どうやら普通の魔獣ではない。ズァムナ大森林奥地には原初の獣というものが存在するのだという噂もある。

 あの兄妹も銀狼も、そういった何かの系統を継いだものなのかもしれない。

 魔獣の群れは面倒だったが、知らない技術、魔術という可能性は久しぶりだ。


「いい弟子じゃねえか、あれも」


 師の好奇心をくすぐる材料を用意するとは今まで思いもしなかったが、この成果は褒めてやってもいい。

 弟子とその連れが遠目に見える。寝転がったまま眺めながら、口元がつい緩んでしまった。ラボッタの知らないことを持ち帰ってきてくれた。


「知りたがりのゴパトーク、ってな」



  ◆   ◇   ◆



 港町。

 どこも大して変わり映えはしない。リゴベッテの方が多少は洒落た建物が多いけれど、住んでいる人間に大差はない。

 だのに、若いのは何だかんだと幻想を抱いてリゴベッテに渡りたがる。

 田舎にいては叶わない夢がそこでなら可能になるのだ、とか。

 阿呆が。理想の自分をここで成せない人間が、よその土地に行って出来るものか。


 エズモズの港町にある酒場で杯を呷る。

 今日はあまり煩い場所にいたくなかった。行きつけの酒場だといつもの面子が喧しい。

 だから普段は来ない酒場を選んだ。だからなのだろう。会いたくもない男がカウンターにいたのは。



 ダナツは入り口近くのテーブルに座り、酒を頼んだ。

 メニューなどはない。ただ値段の上中下がある程度で、渡した金に応じて店主が持ってくるだけ。

 簡単なつまみ――切波背の干したヒレ――を噛みながら、酒を呷る。

 カウンターにいる会いたくもなかった同期の船乗りイオックを横目に、ぐいと。


 向こうが気付いた様子はない。

 イオックの向こうに座る男が、何やら熱心に話しかけている。その話をまともに聞いている様子でもないが。



「……ちっ」


 嫌なことを思い出してしまった。

 今回の往復で、ダナツはイオックに借りがある。嵐の中、自分の船も危険な中で、横波を知らせる火矢を。


 転覆などの大きな危険を救われた場合は、港で一杯おごるのが海の掟なのだが

 不愉快だ。

 金のことはいい。今回、船便が不十分だったせいで、積んできた荷物が思いの外高値で売れた。

 乗せて来た小僧どもが仕留めてくれた太浮顎の皮なども、あの兄妹にはちゃんと言っていないが割といい金になった。だから懐に余裕がないわけではない。


 気が進まないのは、ダナツがイオックを嫌いだからというだけのこと。

 子供じみているとわかってはいても、嫌いなものは嫌い。嫌いなやつに酒をおごるなんて面白くないじゃないか。

 だが、海の掟を踏み破るのは海の男ではない。

 そんな葛藤を抱えて飲む酒がうまいわけもない。



「……だからよ、イオックさん」


 店には他に客の姿もない。まあ日が高いのだからそんなものだ。船乗りである自分たちは町で暮らす人間と時間がずれることも珍しくもない。


「ここがあんたの行きつけだって聞いて待っていたんだ」


 そうと知っていたらダナツはここに来なかっただろうに。

 イオックに話しかける男の声が大きくなり、ダナツの耳にも届いた。



「ヤルルーさんはとにかくあのガキをとっ捕まえてこいってよ。連れていったら金貨三十枚だぜ。船賃だっていくらか出してくれるはずだ」

「……」

「今からの時期じゃリゴベッテとの往復便は出ねえ。とりあえず往路だけでいいから、俺らを向こうに乗っけていってくれたらよ」

「船を出す予定はない」


 事務的に応じるイオック。その表情はダナツのいる場所からは見えないが。

 時期的な問題で、これからリゴベッテとの大陸間航行をする予定はない。海が荒れやすい時期になり、この時期はズァムーノの北岸を行き来する程度が常だ。

 これから船を出したら、しばらく向こうで滞在することになる。リゴベッテ沿岸での仕事は、現地の船乗りの領分だ。その間、無駄に時間を過ごすか下働きでもするか。

 冬が過ぎるのを待てばまた船は出るが、もっと早く追いかけたいと。


「おいおい、プエムの連中は結構キレてんだぜ。ノエチェゼじゃ今も毎日どっかで殺し合いやってんだ。普通じゃねえんだよ」

「……船は出せん」


 イオックの言葉は変わらない。


「ヤルルーの旦那を敵に回して、ノエチェゼ近くで仕事が出来ると思ってんのか?」


 脅し文句を並べる男に対してイオックは首を振った。

 仕方がない、というように。


「うちの船はボロボロだ」

「あぁ?」


 ちびりと、イオックが杯に口をつける。

 ダナツから見えたわけではないが、そんな背中だった。


「今回の航海で太浮顎の群れにやられている。ウェネムでは応急処置をしただけだ。あちらで修理に出したら高すぎる」


 物価の違いからリゴベッテでは修理費が嵩む。だから直していないと。

 ダナツがリゴベッテで冬を越さないのも物価が高いからだ。


「嘘だと思うなら見てくればいい。あの船で海を渡りたいというのなら、後は金次第で話を聞こう」

「……あんたは金を払えばやってくれるって聞いたんだけどな」

「壊れた船で海を渡るほど勇敢じゃない。そういうバカは他にいる」


 誰のことだ、と問い詰めたいところだが。碌な返答は帰ってこないだろう。聞くまでもないか。

 相手をしていた男は、イオックの返事に諦めたように何事か汚い言葉を残して出て行った。

 出ていく際にちらりとダナツを見たが、顔見知りでもなくそのまま通り過ぎる。



 ちびり、と。

 今度はイオックが酒を舐めるのが見えた。

 大してうまそうでもない。

 うまくない酒なら、ここでおごってやってもいいか。


「なあおい」


 声を掛けたが、店主はカウンターから出てこない。

 仕方なくダナツがカウンターまで歩いた。イオックの隣に。


「こいつに一杯やってくれ」

「……なんだ」

「こないだの借りだ。受けろよ」


 お互いに一瞬だけ視線を交わして、ふんと唇を結ぶ。

 そこから離れるのも逃げたような気分で癪なので、ダナツもカウンターに座った。

 二人で、うまくもない酒を喉に通す。

 嫌いあっている二人で。



「……なんで断ったんだ?」


 黙りこくるのも性に合わない。

 先ほどの男の要求をどうして袖にしたのか。


「聞いていただろう。うちの船はまだボロボロだ」


 船員や客の前では畏まった喋り方をするイオックだが、普段はそうでもない。

 見習いの時代を共に過ごしたダナツ相手になら、畏まる必要もなかった。


「お前の船は修理済みだったな。お前が行くか?」

「馬鹿言え」


 ダナツは不安を抱えて海を渡るのを嫌い、リゴベッテで修理している。損得はともかく船はいつも万全にしておきたかった。


「つってもよ、お前んとこならマシな船も残ってんだろうが。俺んところみたいに一隻じゃねえ」


 リゴベッテに向かった船以外にもイオックは船を所有している。

 それらを使えば連中を渡すくらいは出来ただろう。



「お前のことはバカだと思っていたが、間違ってはいなかったな」

「うるせぇよ」


 かすかに、イオックが笑った。


「私は船主だ。よりよい船で、よりうまい商売をする。お前やアウェフフは私を嫌っているだろうが、そんなことはどうでもいい」

「……」

「腕っぷしで勝てないのもわかっているが、船主という立場なら私はお前たちよりうまくやっているさ。汚いと言われてもな」


 考え方の違いだ。

 ダナツがどう思ったところで、イオックのやり方で船がより大きくなっていくのならそれも間違いではない。

 むしろ船長としてならイオックの方が優秀で、より多くの船員を養っている。

 やり方は嫌いだが、その事実まで否定は出来ない。


「どうして断ったのか、か」

「……」

「私は、何も変わっていない。海の掟だ」

「?」


 この男から、そんな古びた言葉が出て来るとは思わなかった。

 ごくりと、喉を鳴らす。

 生温い酒が胸を焼くように落ちて行った。


「海であの少年に命を救われた」

「あ……?」

「海で命を拾われたら、その恩は海より深い」


 その通りだ。

 過酷な海の環境で、他人の命にまで気を回している余裕はない。

 むろん余裕があるのならそうするが、嵐の中や、魔獣の群れに襲われるなどの中では。


 そうした危急の中で命を拾われた時は、たとえ親の仇でも水に流せと。

 海に沈むより深い恩義なのだから。

 そんな海の掟を、イオックの口から。


幸いなこと・・・・・に、うちの船は故障中だ」

「……ああ」

「あの兄妹を追うっていう連中を乗せられないのも仕方がないだろう」


 金を積み上げられても、故障している船では行けない。

 金を積まれても、やらない。


「……はっ、馬鹿野郎が」

「私もお前らを笑えないな」


 言いながら二人で息を漏らし、杯を呷る。

 心地よく喉を鳴らす音と、空になった杯が卓に置かれる音。



「なあ店主、もう一杯だ。こいつと俺に一番いい奴を」


 銀貨を投げると、店主が厳めしい顔をわずかに緩めて頷いた。


「火矢の礼ならもう受けたが」

「ちげえよ、詫びだ」


 訝し気にするイオックにダナツは嘆息がちに応じる。

 やれやれ、と。


「俺ぁ今日までお前を見損なってた。お前を船乗りだと見ちゃいなかった。だからその詫びだ」

「……そうか」


 二人の前に、なみなみと注がれた杯が並ぶ。

 揺れる水面がまるで海の波のように。


「海の男に」

「馬鹿どもに」


 良い酒だった。



  ◆   ◇   ◆



///////////

 リゴベッテ編前半終わりです。たぶん少しお休みします。

 戦って後悔してが続く展開になってしまっていますが、少しずつ経験と成長をしながら進んでいきます。

 合間に、この次に船乗り関連の設定を載せようと思いますが、特に興味のない方は読み飛ばして大丈夫です。物語には全く関係ありません。


 決して善人ではないイオック船長とダナツ船長などについても、もし感想をいただけたら喜びます。感想は何より支えになります。

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